Black Coffee 後編
バカバカバカバカバーカ!!
憬胡さんのバーカ!!
なんで私に嘘つくのよ…。
じんわりと目尻にたまった涙を乱暴に服の袖口で拭った。後ろを振り返っても私の後ろには誰もいない。
妹みたいって思われてる事は知ってた。憬胡さんは友達と言ったけどそんな風に思ってない事ぐらい知ってた。
それでも、憬胡さんにとって私は「特別」だと思ってた。
特別だから私に舞台を教え、演出を教え、林檎に会わせて、…ココアを入れてくれたんじゃないの?
あの、息の詰まる二年間。憬胡さんの入れてくれるココアが私の救いだった。
だから私も憬胡さんの支えになりたかった。憬胡さんの書いた脚本を読んで思った事は何でも言った。それが憬胡さんの支えになると思ったからだ。
劇団にいた時には分からなかった。しかし、私は否応なく知った。
憬胡さんは憬胡さんである前に雨宮先生の息子だという事。そういう風に周りの人間が憬胡さんを見ること。
「慣れたよ」と笑って言うくせに、全然上手く笑えない事。
私だけが憬胡さんを憬胡さんとして見てあげられると思った。
そうすれば、憬胡さんは無理に笑顔を作らなくていいと思った。
でも私の前で憬胡さんは取って付けたような言葉を並べて笑った。
…思い上がりだったのかな、私。
「京華?」
「なんでっ」
私の後ろのは大きな買い物袋を抱えた正司郎が立っていた。
「なんではこっちのセリフだ。こんな時間に一人で歩いてたら危ないだろ」
太陽が沈む時間は日々早くなり、辺りはもう薄暗くなっていた。
いつの間にこんな時間になってたんだ。…気づかなかった。
「…京華、ちょっと来い」
「なんだよ」
「寒いだろ、温まる物出してやるから」
「…正司郎のくせに」
生意気と続けようとしてけど、実際日が落ちるとグッと空気が寒くなった。正直温かい物が欲しい。
「それで、どっちに行けばいい」
「こっちだ」
正司郎が連れてきた場所は小さな喫茶店だった。
「ほら」
深緑色のエプロンを付けた正司郎が奥のテーブル席に座ったに私の前にミルクティーを置いた。
「喫茶店の子供だったの」
「いや、ここは叔父さんの店、人手が無いときとか手伝ってるだけだ」
「そう」
口にしたミルクティーは甘くて、とても温かかった。味は全然違うのに初めて憬胡さんに入れてもらったココアを思い出した。
「それで、どうして正司郎が座るの」
正司郎は私の向かい側に平然と座った。
「なんかあったんだろ」
「正司郎には関係ねぇだろ、仕事に戻れよ」
「叔父さんが友達の相談にのってやれって。それで、何があった?」
「なにもない」
「本当に京華は強がりで頑固者だよなぁ。まぁいいよ、どうせ俺ごときに弱音吐かないだろうし」
全部見透かされてる感じがむかつく。正司郎のくせに。へたれのくせに。
「林檎とはどうなってんの」
「どうにもなってない。よく知ってるだろ」
そう、あの噂を流して二人になれる口実を増やしたというのに未だに友達のまま。林檎が正司郎を意識しているそぶりはこれっぽっちも無い。来年、同じクラスになれるとは限らないのに。そこの所わかってんのか正司郎。
「正司郎はどうなりたいの」
「京華こそ、どうしたいんだ」
「二人がさっさとくっつけばいいと思う。つーか、かなり環境は整えたと思うんですけど!」
噂のお陰で林檎に言い寄ってくる人間は結構減った。大半の人間がただの憧れだ、美少女に恋したいというただの幻想。
「そうなのか。てっきり面白がってるんだと思ってた」
そんな幻想を抱かずに、ありのままの林檎に恋をした正司郎ならあの素直な林檎をありのまま守ってくれるような気がした。
不思議だけど、正司郎なら大丈夫だと私の直感が言っていた。なのにコイツ!ちっとも動きやしない。
「私をどんな人間だと思ってるんだ」
「でも、まぁ悪いけど今は京華の期待には応えられそうにないな」
「他の人に取られても自業自得だからな」
むるくなった紅茶を一気に飲み干す。正司郎は何も言わなかった。いつもなら「ほっとけ」ぐらい言うのに、不思議に思って正面を見ると安心したような表情を浮かべた正司郎がいた。
「いつもの京華らしくなったな」
あ〜、くそっ!まさか正司郎に励まされるなんて!!
でも正司郎の言葉の通りだ。さっきまでの私は私らしくない。やりたい事があるなら知りたい事があるなら手段を選ばすに成し遂げる。そのための努力や行動は惜しまない。それが私じゃないか。
ふぅ、と一息吐いて背筋を伸ばす。
「サンキュー、この借りは必ず返すから」
私は小さな喫茶店を出た。外はすっかり暗くなっていて、街灯の白い光を頼りに私は向かった。
「京華ちゃん!」
私は憬胡さんの驚いた声に迎えられた。店にはまだお客さんがちらほらといてその視線が憬胡さんに集まる。
「憬胡君、お店はいいから京華ちゃんと話しておいで」
マスターに促されて、私と憬胡さんは店の二階憬胡さんの部屋へ行った。
憬胡さんの部屋は相変わらずだった。本と紙に埋め尽くされた部屋。私もよくこの部屋から台本を探し出せたと思う。
「京華ちゃん、今日はごめん」
憬胡さんは私に頭を下げて謝ってきた。こんな憬胡さんを見るのは初めてだ。でも先手を取られたからって私は怯まない。
「それは嘘をついた事?それとも私に話せない事について謝ってるの?」
憬胡さんは困るだろうと私は思った。しかし、頭を上げだ憬胡さんは決意に満ちた目をしていた。
やっぱり、怖い。本当は逃げてしまいたい。でもそれじゃあ私が納得できない。例え自分が傷ついても、相手を困らせても、どんな答えが待っていたとしても、聞こう。どうして憬胡さんが私に嘘をついたのか。
「憬胡さんはどうして私に嘘をついたの?答えて」
憬胡さんは私から視線を外した。それは迷っているようにも、考えているようにも見えた。でも困っているようには見えなかった。なんで?こういうのは困るんじゃないの憬胡さん。
「…京華ちゃんに……格好悪い人だと思われたくなくて嘘をついた」
「えっ、なんで?」
「……林檎ちゃんや正司郎君に嫉妬してた、京華ちゃんを取られるような気がして」
なんだ…そんな事思ってたんだ。心の奥がストンと落ちた。なんて言うっけこういうの、そう拍子抜け。
「本当にごめんな」
顔を真っ赤にさせて謝る憬胡さんは可愛かった。
良かった。やっぱり私は憬胡さんの「特別」だった。
「どこにも行かない。ずっと憬胡さんの側にいる」
私はそう言って憬胡さんの手を取った。優しくて不器用なこの手が私は大好きだ。
「好きだ」
一瞬、自分の心の声が口に出たのかと思った。けど、目の前の憬胡さんの顔はゆでタコのように真っ赤で耳まで赤くなっていた。
「私も、同じ気持ち」
店が終わった後、マスターは私たちにコーヒーを出してくれた。
私はブラックコーヒー、憬胡さんのコーヒーはカフェオレ並の白さだった。
「実は、ブラック飲めないんだ」
「憬胡さん、結構子供だね」
「京華ちゃんにまで見通されてますよ」
「マスター!」
終わりました。半年以上放置していたらしいです。いや、本当にすみません。えっ結局、林檎ちゃん達はくっつかないの?と思われた方。はい、くっつきません。そのうち周りが温かい目で見守られならがのほほんとくっつくのだろうと思うのだが、そんなラブラブシーンは書きたくなかった。それに正司郎君が京華ちゃんにいじられてこそ面白いという私的理由により書きません。林檎シリーズ最後まで御拝読ありがとうございました。楽しんでいただけたら幸いです。