転生、悪役令嬢、婚約破棄、追放、末に孤独
「今日も残業かぁ……」
ため息を吐いて椅子の背もたれに寄りかかる。
私の名前は空梨望。都内の会社で馬車馬のようにこき使われている雇われサラリーウーマンである。ちなみに今年で26歳。
数年前新卒で入ったこの会社。いい会社だと思って入ったのに残業が多すぎる。いつも終電近くまで働かされている。
公には言わないが、サービス残業も当たり前のように行われている。入社前は残業時間も月平均20時間なんて言っていたが、実際は毎月60時間以上残業している。残業時間が極端に短い一部の人を含めているから、平均残業時間を短く見せられるのである。まあ外から見ればホワイトに見えるだろう。
それに完全週休二日制と謳っているものの、実際は土日ではなく祝日を含めている。つまり1週間のうちに祝日と土日があれば、祝日と日曜日を週の2日間の休みとして扱い、土曜日に出勤させるという悪逆非道なことが可能になるのである。
また、基本給が最低限であるため賞与はあるものの低い。月給はそこそこだが、全て手当でかさ増しされているだけである。
いざ転職しようにも休みは親睦という名目で予定を入れられる上、普段の就業時間も長いから転職活動をする機会すらない。
碌なスキルも磨かれないし、転職するためのスキルも身に付かない。だから、私はこの会社にしがみ続けるしかない。
「はあ……」
今日も残業は私1人だけ。
まだやることはあるけれど今日はひどく眠い。
少しくらいは寝てもいいよね……。
デスクに腕を乗せて顔を伏せる。
少しくらい寝て起きてから作業をすればいいや。
きっと……大丈……夫…………。
◆
「……様! お嬢……!」
何か聞こえる。
肩を激しく揺さぶられているみたいだ。
「お嬢様……! アリクお嬢様!」
誰かを呼ぶ声が徐々に鮮明になる。
アリク……最近やっていたゲームに登場していた令嬢の名前に似ている。確かゲーム名は『アルタインの園』――乙女ゲームだ。純粋に恋愛をしている気分になれるから何となく遊んでいたんだっけ。毎日少しずつ進めるの私の唯一の楽しみなんだよな……。
その令嬢は確か、どこかのお城のパーティで主人公が転んだ時に手を貸してくれた小さめの女の子だったはず。
定番のシンデレラ的なストーリーだけどまたそれが面白いんだよなぁ。
目を開けると、心配そうに私の顔を覗き込む2人の若いメイドがいた。
「ああ、良かった……目を覚ましてくれて……」
片方のメイドが胸に手を当て、安心したように深く呼吸をする。
「急に倒れてしまわれたので心配しました……」
もう片方のメイドは眉を落として私の目をじっと見つめていた。
……ん?
少し状況を整理させてほしい。私は確か会社のオフィスで寝てしまったはず。それなのにここはどこ?
赤い天井。様々な図形が組み合わされて綺麗に整えられた模様が特徴的な赤い絨毯。真っ白な壁。清掃が隅々まで行き届いた綺麗な床。そして大きな窓がある綺麗な部屋。
家具は何もかもおしゃれな装飾がなされていて、まるでお嬢様の部屋じゃない。
あれ、ちょっと待ってよ。
この部屋には私とこの目の前のメイドが2人。そしてこの人たちが『アリクお嬢様』と呼んでいたのだとすると…………。
私、アリク?
いやいやおかしい。これは何かの間違いだ。きっと夢。こういうことはよくある。いやに現実的な夢だな早く醒めてよ。
「アリクお嬢様……? どうかなされましたか?」
自分の体を見る。
紫色の生地に可愛らしいフリルのついたドレス。
体は小さ肌を触るとぷにぷにしていた。いつもは乾燥しまくりでザラッザラなのに。
い、いや……いやな夢だな。まさかゲームの世界に入った……? そんなことある?
頬をつねって夢から醒めないかを確認する。
……醒めない。全然醒めない。
「ああ! ダメです。ご自身のお顔を大切になさってください」
片方のメイドが頬をつねる私の手を掴み、優しく引き離した。
まずいこの状況に頭が追いつかない。
え? 夢じゃないの? どういうこと……?
会社で寝たらここに来ることある?
これあれ? 幻覚的な? それにしてもヤケにリアルな幻覚じゃない?
「お嬢様……? 汗が出ていますが、大丈夫でしょうか……?」
待って。
追いつかない。
私がお嬢様……しかも『アルタインの園』の令嬢アリクになっているなんてどういうこと……?
「ベッドまでお運びするのでおやすみください」
メイドが二人で私の体を持ち上げる。
そのまま部屋の大きなベッドに運ばれた。
「……あ、ああ、ありがとう……ございます?」
こ、声まで若い! というより幼い!
「お嬢様が敬語を……?」
「本当に大丈夫ですか……?」
敬語を使ったことにひどく驚くメイドたち。
口を両手で塞いで、まるで初めて赤子が立った時のように驚いている。
彼女たちには私がどう見えているのか気になる。ただ、この雰囲気でそんなこと訊いたら次は大騒ぎになりそうだからやめておこう。
「……いや、なんでも……」
「ひとまず、ゆっくりおやすみください。明日はラオ王子とお城でお食事をなさるのですから、準備は万端にしないと……。私たちは清掃に戻りますが、何かあればいつでも仰ってくださいね」
そう言って彼女たちは部屋を静かに出て行った。
ラオ王子――。
そう、『アルタインの園』に出てくるシヴァルツ王国の王子。確か主人公の攻略対象でもあったような……? そんな王子と私が食事? どういうこと?
状況を整理するにも情報が少なすぎる。
寝てなんかゲームの話になって、私はアリクで……?
いやいや何も繋がんないじゃん。
……もしかして転生?
え、じゃあ私あのオフィスで死んだってこと? なんで? 眠くなってきたから寝ただけなのに、どうして……?
まあもしかしたら今日寝て明日になれば夢から醒めていつもの会社に戻ってるかもしれないから今日はゆっくり休もう。
――そんなことはなかった。
昨日散々寝たはずなのに、起きても景色はあの部屋の中。
それどころか私は今複数人のメイドに囲まれ、軽い化粧をされ赤い長髪に手入れをされている。
それからとんでもなく広い屋敷を出て城まで一直線。
城につき、長方形の長い部屋で真っ白な暖炉がある部屋された。床には赤い絨毯が敷かれており、大きな長方形のテーブルが部屋の中央に置いてある。
テーブルには白い布が被せられており、その上には様々な料理と金色の綺麗な燭台が置かれていた。
部屋を入って左側に王族。右側に私たちの一家。
私は王子の真ん前に座らせられた。
「シグルド王。此度はこのような場にお招きありがたく存じます」
私の父親と思われる白い貴族服を着た男が頭を軽く下げる。頭を下げた相手はこの国の王――シグルド王である。
「カナリスク公。こちらこそ忙しい中時間をとってもらえてありがたく思うよ。ほっほっほ」
しばし彼らは談笑する。
「しかし、この時期に会食をするとは珍しいですね」
「いやいや、ちと相談しておきたいことがあってな」
「ほうほう……それは何でございましょうか?」
「その前に――」
シグルド王が手を合わせる。
「神に祈りを告ぐ。食べながらゆっくり話すとしようじゃないか」
「ええ、それもそうですね。はっはっは」
それから雰囲気で適当に祈りを捧げて、私は食事に手を出した。
……お肉……おいしい――!
私はあらゆる肉という肉を皿にとってかぶりついた。
「それでシグルド王。相談というのは?」
「ワシの家系では息子か娘を次の王にするという風習があることは知っているな?」
「ええ、存じています」
「次のワシの後継者はそこのラオにしようと思っておる」
「ふむふむ」
「そこで、カナリスク公にお願いがあっての」
「ほう、お願いですか?」
何か分かったかのような口ぶりだけど、何の話?
「お主の娘をラオに嫁がせるというのはどうじゃ?」
は?
「今後も貴公とは良き関係でありたい。ワシは良いと思うのだが、どうかね?」
「なるほど」
は?
「いいですね」
は?
思わず口内でもみくちゃにされた肉を吹き出してしまいそうになった。
「おお、貴公も賛成か」
「私もシグルド王とは良き関係でありたいのです」
「ほっほっほ! それでは決まりだな。口約束にならないよう、後に書類を作ろう」
「ええ」
「しかしここで問題があってだな」
「問題と言いますと?」
「ラオは12歳。この国では結婚は16歳からと決まっている。つまりまだ結婚できる歳ではない」
「娘も今年で12歳になりますから、あと4年必要ということですね」
「その通り。それまで待つ必要がある」
「ふむ。それでは、4年の間は2人に交流をしてもらうというのはいかがでしょう」
「……おお、いいなそれ」
ふさふさしたヒゲをつまむように触る王。
心なしか笑顔である。
「王も賛成ですか?」
「いいとも。その方が双方のためにもなるだろう」
「はっはっは、王は相変わらずお話が早い」
「ほっほっほ。そんなことはないよゲホッ! ゲホッ! グハァッ!」
「王!?」
と、こんな軽い感じで私と王子は4年後を見据えて婚約してしまった。
その後、王子と話をした。
王子は褐色の肌をしており髪は銀髪。子どもの割に細身であり、顔立ちはかなり整っていた。
ただ、そんなことを気にする余裕はなく話に付いていくので精いっぱいだった。
――こんなことがあってから、4年の月日が流れた。
結局元の世界に戻ることはできなかったためもう諦めた。
振り切ったらそれはそれで楽だった。お嬢様らしい振る舞いを覚えて、礼節や法律、国やお金に対する理解を深めるための勉強も一生懸命にやった。世界観がファンタジーということもあり剣術を習った。魔法に関してはからっきしダメだった。
さて、そうして私は今15歳。王子は今日で16歳。あとは私。3か月の誕生日で16歳になれば王子と結婚できる。
会社員時代は辛かったし、これまでの勉強の忙しさで辛いこともあったけどやっと王子と結婚できる。やっと私のこれまでの苦労が報われる。
今日は城でパーティが開かれている。王子の誕生日パーティで、各国のお偉いさん方が招待されている正式なパーティ。城の大広間で開かれており、今日は特に煌びやかな装飾が為されている。
様々な色の布が垂れ下がり、大きな燭台が端に設置されている。部屋の中には丸いテーブルがいくつもおかれていて、そこには小さな燭台とワインなどの飲み物が用意されていた。
所々にある長方形のテーブルには様々な料理が用意されている。
聞いた話によると、料理に使われている食材を提供した農家も招待されているという事。ただ農家らしき人はいない。みんな綺麗なドレスやタキシードを着ている。
「あっ」
近くで声が聞こえ、その後ドサっという音が鳴った。どうやら誰かが転んでしまったらしい。
音が鳴った方に目をやると1人の茶髪の可愛らしい女性が転んで両手を床につけていた。
あれ……この人、どこかで見覚えが――いや、今はそんなことどうでもいい。
転んだ女性に近づいて手を差し伸べる。
「綺麗な赤いドレスが汚れてしまうじゃないの。はい、手」
「あ、ありがとうございます……」
「ええ、いいわよ。私は『アリク』。あなたお名前は?」
「ええと、メムです……」
「メム?」
訛りが凄い。
この場慣れしていない感じ……おそらく農家の娘だ。
私と年齢はそう変わらないような顔立ちだった。
しかしこの名前、どこかで聞き覚えが――。
「そ、それでは失礼します……」
そう言って、女性は顔を赤くしながら小走りで去って行ってしまった。
また転びそう。
……あ、転んだ。
今度はそれに気づいたラオ王子が手を差し伸べた。
「ふぅん……」
鼻息を漏らして、テーブルに置いてあるグラスを手に取る。
仲良さそうに話しちゃって、あの王子とあの娘…………――!
私はその時思い出した。
この世界はゲーム『アルタインの園』の中であること。主人公のデフォルトネームは『メム・ストリア』であることを。
そう、彼女はこのゲームにおける主役である。そして、彼女の攻略対象にはラオ王子も含まれていたはず。
ということは……王子に婚約を破棄されかねないということ……?
…………そんな、ちょっと待ってよ。
これまで散々苦労してきたのに、今更これ? ふざけないでよ。ぽっとでの農家の娘がパーティで王子と出会ってそれで付き合って即結婚? そんなのバカげてる! 私のこれまでの苦労と忍耐は何だったの!? これまで辛い人生を送ってきたのに、また振り出しに戻るなんて――――!
…………そうだ。それなら、あの子と王子が結ばれないように邪魔してやればいいんだ。そうすれば私は王子と結ばれる。3か月後には必ず結ばれるはず……!
周りの声、演奏すら聞こえなくなるくらい集中して私は楽しそうに話すその2人を睨んだ。
そうして私は決意した。
こうなったら徹底的にやってやる。絶対にあの娘と王子は結ばせない。必ず絶縁させてやる――!
◆
「私、ラオは、アリク・カナリスクとの婚約を破棄する!」
謁見の間にラオ王子の低い声が響く。
王子は桃色のドレスを着た茶髪の娘を片手で抱き寄せ、右手を大きく広げて上に掲げながらそう言った。
今日は私の誕生日だった。
ちょうど16歳になり、王子と結婚できる歳になった日だった。
「そして新たに、メムを妻に迎え入れることを宣言する!」
それを聞き、私はその場で膝から崩れ落ちた。
シグルド王は王座に座り、険しい表情で私を見ていた。王妃は王の手に触れながら私を軽蔑するような目で見ていた。
意味が分からなかった。
確かに私はメムの邪魔をした。何が何でも王子と繋がることがないようにメムと王子の手紙を燃やした。文通の記録は全て残らないようにしたり、メムの家庭を経済的に追い詰めたりもした。農場も荒らしたりしたし、彼女を荒くれに襲わせたこともあった。
けれど、それだけで婚約破棄なんて…………!
「アリク。君の行いは全てメムから聞いたよ」
王子が蔑むような目で私を見る。
「……っ!」
「彼女が暴漢に襲われたとき。僕がいなかったら、彼女は殺されていたかもしれなかった。それを指示したのは君だと言うじゃないか」
「わ、私じゃ――」
「その男から証言は出ている」
「くっ……!」
王子が私に近づいてくる。
「君は大罪を犯した。人を権力と金で操り、他者を殺そうとしたんだ」
「……」
「クズだよ」
「わ、私はあなたのためを思って――!」
「僕のため……? それなら尚更、君は間違っていた」
「…………え?」
私が間違っていた…………? どういうこと……?
王子が謁見の間の扉付近にいる兵士へ目配せする。
「こいつを捕まえて牢獄に入れておけ。即刻、裁判にかける」
「はっ!」
近くにいた兵士2人が肘を掴み、謁見の間から私を連れ出した。
抵抗する私を殴り、そのまま城の地下にある牢獄へと連れられて牢屋に入れられた。
まだ頭の中がぐちゃぐちゃだ。
私は王子から婚約を破棄され、あの娘は王子と結婚……? そしてすぐ裁判にかけられる……? 何を言われているの……? 私が何をしたっていうの……?
私の努力は……? 私のこれまでの人生はなんだったの……?
――数時間後、王子の言う通りその日に裁判が開かれたらしい。
牢屋の兵士から告げられた裁判の結果は、『権力を行使し人を殺めかねない行為を指揮したとして重罪、ゆえに死刑』。
それが、私のいない裁判の結果だった。
処刑は明日に執行されるらしい。両親は最後まで反対していたがそれでも王子側の主張が強かったという。
それほど私のしてきたことがあまりにも重い罪だったということ。
私は……ただ……王子と……。
…………。
考えるのも嫌になってきた。
これじゃあまるで、乙女ゲームの悪役令嬢じゃん。
…………悪役令嬢?
あ、そうだ。これゲームだった。それで、あの娘は物語の主人公だったんだ。
そっか……。じゃあ私、最初からこうなるって……。
…………。
じゃあ、私のこれまでの人生っていったい何のために……?
後悔の念ばかり私を襲う。
……ははは。もうやめた。もうどうでもよくなってきた。どうせ明日には死ぬんだ。もう寝よう。
……来世は報われるといいな。
――翌日、私は早朝にたたき起こされた。
処刑は昼前には済ませてしまうらしい。それも、無機質な灰色の壁に囲まれた地下の処刑室で行うという。まるで死体のない霊安室。私の最期にはふさわしいのかもしれない。
処刑方法はギロチンとかではなくシンプルに絞首。
台の上に載って、首に縄をくくって誰か知らない人がレバーを降ろせば終了。私を連れてきた兵士によると、最初は苦しいが徐々に苦しくなくなるらしい。
死んだこともないくせに変な事を云う。首を吊ったことがある人にのみ分かる感覚が首を吊っていない人に分かるものかと言いたい。
……ああ、悔しい。今更だけど、こうなるならもう少し人生を謳歌すればよかったかも。もしもこうなることを知っていたら、私はきっと――。
「――魔物だ! 魔物が攻めてきたぞ!」
刑が執行される直前、処刑室の鉄扉を開いて1人の兵士がやってきた。
「しかし刑を――」
「そんなことを言っている場合じゃない! 町のすぐ前まで魔物の軍勢が攻めてきているんだ!」
兵士はそう言って、部屋にいる兵士を1人残らず連れて行った。
…………?
あれ?
これってもしかして、今逃げるチャンス?
でも逃げたところでどうするの……? ここはゲームの世界。逃げる場所は限られているはず。
あれ、でも魔物が攻めてくるなんてそんなシチュエーションあったっけ……?
これまで4年間、魔物なんて責めてこなかったし見かけもしなかったのに……。
……そもそもこの世界って魔物いたの?
ん……何かがおかしい。とりあえず外に出て確かめてみよう。
絞首台から降りて処刑室の鉄扉を少し開ける。足音はしない。このうすら寒い地下にはもう誰もいないらしい。
処刑室から出て城の1階を目指す。もちろん地下に降りるための階段にも人の気配はなく、城の1階には容易に戻ることができた。城の1階では兵士たちが忙しそうに走り回っていた。何かの荷物を運ぶ者。武器や盾を運ぶ者。砲弾を運ぶ者。様々な兵士がいた。
私は兵士のいない隙を狙って城の横にある小さな扉から外に出た。
外は異様に騒がしかった。空を飛ぶ奇形の魔物が兵士を連れ去り、空中から落として兵士が地面に衝突する。まるで踏みつぶされたみたいに大量の血が飛び散っていた。
今更だけどこの格好では派手過ぎる。紫のドレスはさすがに目立つし動きづらい。町はかなり混乱しているようだから、この混乱に乗じて服や武器を調達しよう。
――何とか魔物や兵士に見つからないように城下町までやってきた。城下町も魔物の侵攻で混乱しているようだ。私は誰もいない装備屋に入り、さっさと着替えた。
キャップに長ズボン、シャツに襟の高いコート。それに短剣と長剣。これであれば私であるとバレることは殆どないし、端から見ればまるで冒険者だ。この長い赤髪は仕方ない。
こういうの、普通に窃盗だから本当はダメなんだけど今日だけは許してほしい。
脱いだドレスは少し考えた上、ここに置いていくことにした。せめて、このドレスが代金の代わりになるようにと想いを込めた。
それから私は魔物に見つからないように城下町の西門から外に出た。西門にいるはずの兵士はいなかった。魔物に殺されたか、それとも別の場所へ加勢に行ったか……。
西門から出たのは初めてだった。そもそも西側に土地が続いていることも知らなかった。あの娘の農村は東側だったから、そこにしか目がいっていなかった。
外壁に寄りかかり、これからのことを考える。
私はもうこの国には帰れない。そもそもこの状況。この国が今後安泰であることすら怪しい。
だったら……私は冒険者として生きていこう。
……そう。『令嬢アリク』はもう死んだ。
これからは『冒険者クリア』として生きていく。
これまで育ててくれたお父さんとお母さんを裏切ってしまう形になるけど私の人生だ。
もう好きなように生きてやる。
◆
シヴァルツ王国から西に数十キロ。
私は何とか1つの町にやってきた。このゲームにこんな中世の町みたいなものがあったなんて……。
それになんと、この町には冒険者ギルドなるものがあるという。RPGに出てくるような要素があるとは思いもよらなかった。
早速、私は冒険者ギルドで冒険者として登録をした。登録名はクリア・カクナリス。この世界には『ゆにーくすきる』なるものがあるらしく、私は初めてだったので検査を受けた。
ゆにーくすきるとは、各々が持っている固有の能力をさすらしい。つまり個性である。これって本当に乙女ゲーム?
私の検査結果を見て、冒険者ギルドの受付の女性は唸っていた。
「これは……」
緑色の服を着て頭に綺麗な蝶々の髪飾りをつけている女性。彼女は顎に手を当てて何かを考えている様だった。
「"魔力増強"……自分や他者の魔力を高める能力のようですね」
「へえ……。それって珍しいんですか?」
「少なくとも、"魔力増強"のスキルを持つ方はこれまで見ていないので珍しい部類だと思います」
「なるほど……。それで、私はどうすれば?」
「そうですねぇ……。補助をする役割になるのかな? と思います。丁度そういったパーティの募集があるので、こちらから連絡してみますね」
そうして、冒険者ギルドの受付から斡旋してもらい、私は一パーティに加入した。まだまだ旅を始めたばかりのパーティらしく、私にピッタリだった。
前衛の剣士は黒髪の高身長な顔立ちのいい男、アッシュ。
白いローブにトンガリ帽子を被っている水色髪の女性、メレシー。
軽装を身につけた眼鏡を掛けた僧侶の青年、マグ。
全員が旅を始めたばかりのパーティだ。パーティのバランスはかなり良い。
「これからよろしくな、クリア!」
剣士アッシュがそう言って私の手を握った。
これから、私の人生が始まる。長い旅路が始まるんだ――!
――この時はそう思っていた。
パーティに加入してから2年後のことだった。
とある遺跡へ私たちは入った。そこには伝説の秘宝が眠っていると言われている。私たちはメレシーの提案で遺跡に来た。
この時すでに、他の皆は私が思うよりもずっと強くなっていた。私は剣術と魔力増強のスキルだけしか持っておらず、魔法が使えないため皆とどんどん差が広がっていった。そして、遺跡の最深部に来た時だった。
ボスと思われる巨大なスライムが蠢いている部屋。
私はそこに1人取り残された。
皆の最後の言葉は鮮明に覚えている。
アッシュは「これはもう3人で決めたことなんだ」と言っていた。
メレシーは「あなたはもう私たちにはいらない」と言っていた。
マグはただ「ごめんなさい」と謝っていた。
みんな強くなったんだ。私みたいに補助しかできないような人間はもういらない。だから、見放された。
巨大なスライムが無神経に私の方にはねてくる。もう助かりようがないのか、せめて……少しでも考えることにした。
いっそのことヤケクソで、あの巨大スライムに魔力増強を使い思い切り殺してもらおうと考えた。
「魔力増強! 魔力増強! 魔力増強! 魔力増強! 魔力――」
迫ってくるスライムに向けてそう叫び続けた。声がかすれても大声で泣き叫び続けた。そしたらスライムは急に動かなくなってその場で爆発した。
スライムの粘液が私の体にベタリとくっつく。何が起きたか分からなかった。
この巨大な部屋には私とスライムしかいない。私が倒したのか、スライムが自滅したのか、それとも何か別の力が――。
……部屋の奥の方でキラキラと何かが光っている。あれが遺跡の秘宝?
メレシーの嘘だと思っていたのに、遺跡の奥には宝箱があった。宝箱にはツタやコケが生えていたが、それをなんとか取り除いて私はその宝箱の中を調べた。中には瓢箪のような形のガラス瓶があった。その瓶には何か紫色の液体が入っていた。
せっかくなので私はそれを飲んだ。もうどうにでもなれと思って飲んだ。けれど、何も起こらなかった。味もしなかったからただの色のついた水だったのだろう。そう思った。
――遺跡から脱出し森を抜ける。
すでにアッシュたちの姿はなかった。私は本当に捨てられたんだ。そう再認識した。もう私の周りには誰もいない。今更どこかのパーティに入れてほしいと言ったって、どこも受け付けてはくれないだろう。
……私には何もない。
ユニークスキルだって、本当に私特有のものだったから少しは期待していたけれど、みんなをちょっと強くするくらいで殆ど役に立たなかった。もしかしたら使い方を間違っているのかも――と思ったことはあるけれど、私には自分の個性を伸ばす力なんてなかった。
私、本当に何のために生きてきたんだっけ。この世界はゲームのはずなのにセーブもロードもできない。
好きなところで中断はできないし時間は進み続けてる。こんなの私が知ってるゲームじゃない。
なんでこんな……こんなだったら、会社員時代の方が…………まだ…………。
1人、ポツポツと歩いていたら雨が降ってきた。
そしていつの間にか崖のそばに立っていた。
もう覚悟はついている。
もう疲れたんだ。
どれだけ努力しても奪われて、どれだけしがみついても見放されて……。もう、疲れた。
もう一歩踏み出したら落ちる。
ここから飛び降りれば死ねる。
……そう思った時だった。
「そこの人や」
背後から老いた男性の声が聞こえた。
振り返ると、そこには立派な白ヒゲを生やしたおじいさんが傘を持って立っていた。
「そこで何をしとるかね。危ないからこちらに来なさいな」
おじいさんが手招きする。
もしここで一歩踏み出せば死ねる。おそらく引き下がったら、私はまたずるずると死ねなくなる。
もう消えてしまいたい。何をやっても報われないのなら、転生なんてものもしたくない。
でも、もう少し……希望があるなら――。
「…………」
私は崖から離れた。
「生憎、傘はこれしかないんじゃが……。まあお主は傘を差さなくても濡れているからよかろうて。とりあえずワシの村にきなさい」
そう言っておじいさんは私をその村へと連れて行った。
◆
ボロボロな村に連れていかれた私はおじいさんの家に入った。
木造の小屋で雨漏りがひどい小屋。隙間風も所度ことからビュービュー鳴っている。
そもそもこの村全体がそんな感じで寂れていた。
「これで拭きなさいな」
白いタオルを手渡された。綺麗な白いタオルだ。
「風邪でも引かれるとワシが困るからな」
この人自分のことしか考えてないな。
「……お主、どこから来たんじゃ?」
「……シヴァルツ王国から」
「ほう。2年前に魔物の侵攻で滅びたあの国から来たのか」
シヴァルツ王国のあの後。
旅の途中で小耳にはさんではいたが、本当にあの国は亡びたんだ。
ということは、あの娘も王子も、お父様もお母さまも……。
私だけ生き残っちゃったんだ。
「さぞ大変じゃったろう。小屋を貸すから、今日はそこで泊まっていきなさい」
そう言って、おじいさんは私に村の小屋を紹介してくれた。私はおじいさんの勧めるままその日はその小屋で過ごした。
――翌日。
昨日はよく見ていなかったが、改めて小屋の中を見た。やはり隙間風は所々から入ってきているし、夜はずっと雨漏りしていたようだ。床が所々濡れている。それによく見るとベッドも相当汚い。
今日は晴れているから明るい。だからこそ小屋の悪い部分が全部見えてしまう。でも今の私には贅沢過ぎるぐらいだ。
元々あんな大きい屋敷で過ごしていたものだから、旅の中で生活レベルが急激に下がったことへ耐え切れず駄々をこねてしまうこともあった。そういうのも含めて私はいらなかったんだろうなと思った。
途中からは何とか慣れていったが、最後に捨てられちゃったのだからもう意味がない。やっぱり、私にはこのくらいがお似合いなんだ。
「おい~お嬢さん」
ドンと扉を叩く音がした。昨日のおじいさんだろう。
私はベッドから起き上がって扉を開けた。扉を開けると、おじいさんは小さな袋をもって突っ立っていた。
「ちょいと、手伝いをしてくれんかの」
そう言われ、私は外に出た。
おじいさんに連れられた先はこの村の小さな畑だった。何をするのかを聞いたところ、これから畑に種を撒くとのこと。
耕されていない。肥料すらない。そんな畑と呼べるか分からない土地に彼は種を撒くらしい。
「ほれ、見とけよ」
花咲じいさんかとでも言うかのごとく豪快に種を撒くおじいさん。
「ちょうど昨日雨が降ったんでな。撒き時だと思ったのじゃ」
そんな適当な感じで作物はできるのか?
「……作物とれるの?」
「ぼちぼちじゃな。100個種を撒いて、3~4個イモが採れればいい方じゃ」
「……意味ないじゃない。100個撒いたらせめて100個以上は作物が取れないと」
「ほっほっほ。言うのう」
種を撒き終えたおじいさんはうーんと唸った。
「昔はこの村も人がいた。その時は賑わっていた。けれどこの村には次第に人がいなくなっていった。もうこの村にいるのはワシ1人じゃよ」
「貴方はなんでこの村離れないの……?」
「……なんでかのう」
おじいさんは手を後ろに回して笑っていた。
「昔はな、この畑は魔力を使って管理していたんじゃ。しかし今となっては畑の魔力も微々たるものになってしまった」
「……魔力で畑を?」
「そうじゃ。魔力で畑を肥やし、魔力で作物を育てていた。この土地が作物を育てることに向いていなかったからじゃ。しかし今となっては畑の魔力は枯渇した。だから作物が育たなくなってしまった」
「へえ……」
「昔来た魔法使いがこの畑に魔力を込めてくれてのう。魔力を注ぐ方法も教えてもらった」
「まさか私にそれをやれって?」
「まさか! ほっほっほ」
「…………」
「いいんじゃよ」
おじいさんが俯く。
「せめて、この枯渇しそうな魔力が増やせれば……そう思っただけじゃよ」
私には魔力増強というスキルがある。もしかしたら、畑にこれを使えば……。使えるのかは分からないが、やってみる価値はある。
「魔力増強――」
私は畑に向かってそう唱えた。
すると畑に撒いてあった種が急激に成長し始めた。
「な、なんじゃ!?」
おじいさんは目を丸くして驚いていた。
種は一気に成長して収穫できるほどの大きさにものの数秒で変わっていった。
ほんとに使えるんだ……。
「お主、いったい何を……」
「畑の魔力を増やしただけよ」
「魔力を増やした……? お主も魔法使いと同じようなことができるのか?」
「……私は魔法なんて使えない。これはただのそういうスキルなの」
「そ、そうか……」
おじいさんは表には出していなかったが、種を撒いたときよりも明るい声をしていた。
嬉しそうだった。
初めてだ、こんなこと。
私の力で誰かが嬉しそうにする。それだけで、私がここにいた意味がある。
よかった。私がこの世界にいる意味が1つでもあって。少し報われた気がする。
「お主、これからどこかへ行く予定はあるかの?」
「……どこにも」
「ならば――」
おじいさんが振り返って、真剣な面持ちで私の顔をじっと見つめた。
「お主に1つ頼みたいことがある」
「……?」
何だろうと思い首を傾げた。
「――お主、この村を復興してみんか?」
老人の口から放たれた言葉。私に『村の復興をしないか』ということだった。
私は驚きのあまり何も言葉を発せなくなっていた。
「ワシはこの村が好きなんじゃ。生まれてこの方、ずっとここに暮らして居るもんでな。しかしワシには村長としてできることがなかった。村人に何もしてやれず、村人はそのうち静かに離れていった」
「でも、私なんか……」
「お主は現に畑を復活させたではないか」
「……!」
「それだけでもワシは嬉しいんじゃよ。また村を――あの頃の活気のあった村を見られる日が来るかもしれない……。お主を見てそう感じたんじゃ。頼む。お主の人生を棒に振るってしまうかもしれんが、お主はワシの最期の希望なんじゃ……」
私の手を手繰り寄せて両手で掴む老人。手が震えている。強く握ろうとしているんだ。けれど力が出ていない。
「頼む……旅の人よ……」
こんなこと言われたら――。
「……わかったわ。でも村を復興して終わるんじゃつまらない。……町を作るわよ。……作って見せる。絶対に」
やるしかないじゃないの。
もうお腹いっぱい。なんかあらゆるものを煮詰めた特級呪物ができてる感。
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