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戻って来た魔術師

 ライラはへたり込むと、剣を投げ捨てた。

 前髪をぐしゃりと握り、苦悶の表情で唸る。


 その間にも、リラは呟き続けている。ただ、「ワセト、ワセト」と。涙の筋を絶やさずに。相変わらず瞳は空虚でぼんやりと宙を見たままである。ライラの声は聞こえない。姿も見えない。そんな状態でもリラはカエムワセトの気配を探し、案じ、再会を望んでいるのだとライラには分った。


 違う。殺すべきは、リラじゃなかった。


 ライラは負けを認めた様に微笑むと、リラの涙を指先で拭った。


「殿下が大好きなのね、リラ。私もよ。あの方の傍は……」


 決心すると、胸をえぐるような痛みが走り、視界が曇った。鼻の奥が強く刺激され、こみ上げて来るものに阻まれ上手く言葉が出せなかった。


「あの方の傍は、とても、柔らかくて……温かいから」


 あの温かい場所を守りたい一心でここまで来たが、その場所に居るべきは、自分である必要はないと気付いたのである。

 ライラは腰帯に括りつけた小袋からカエムワセトの耳飾りと指輪、テティーシェリの転移薬を取りだした。


「これはお守りだからね。絶対に放しちゃ駄目よ」


 そう言うと、耳飾りと指輪をリラの右手にしっかりと握りこませた。


「いい?この手の中にある物の持ち主の所に飛ぶのよ」


 続けて、小瓶の蓋を開け、中の水をリラの痩せ細った身体にまんべんなくふりかけた。


「ちゃんと殿下の元に行きなさいね。傷を癒してもらいなさい」


 そして願わくば、正気を取り戻し、あの人を守ってくれ、と。ライラは薄れてゆくリラの全身を見送りながら祈った。


 リラの体が完全に消えると、ライラは涙を拳で乱暴に拭って表情を引き締めた。ライラにはまだ、やるべき事があった。


 天幕から外を覗くと、ライラは敵将の位置を確認した。


 遠い。自分の射程距離の外にいる。


「――でも、ラメセス最高司令なら届く!」


 ライラは弓術をラメセスから習った。風の読み方。発射時に無駄な外力を与えず、ただまっすぐに目標まで飛ばす方法。空気抵抗を最小限に抑えるコツ。


 思い出せ。ラメセスの指導を。

 ライラは天幕から出ると、矢をつがえた。


「人間にできる事なら、私にだってできるはず……!」


 めいっぱい弦を引き、ゆっくりと呼吸しながら照準を合わせた。指を放すべき最高の瞬間は己の身体が教えてくれるとラメセス最高司令は言っていた。風。ターゲットの位置。弓を引く身体。全ての条件が整った時、どこにも引かれないニュートラルな感覚に陥るのだと。

 ライラはまだその感覚を知らない。知るべきなら今である。

 息は止めるなとラメセスは言っていた。静かにゆっくり呼吸しながら、ライラは待った。

 ふ、と浮いた様な感覚を覚えた。どこからも引かれない。ここである。

 ライラは迷わず矢を放った。


 ライラの矢は一寸のブレも無く、リビア軍の敵将へと飛んだ。そして、その喉を横から打ち抜いた。


 触れてもいないのに指に手ごたえを感じた。

 リビア軍の将はゆっくりとその上体を傾げると、ラクダの上から落下した。


 将の周囲は騒然となった。将を囲っていた側近の一人がライラに気付き、指を指して何かを叫んだ。


 そこで、ライラは気付いた。


「しまった! 後先考えてなかった!」


 リビアの敵将を打つという目標までは立てていた。しかし、そこからどうするかを全く決めていなかったのである。

 ライラはとりあえず、弓を担いでその場から逃走した。


―――――――――――――――――――――

 ダプールでは、再び水盤を除きこみながら、全員が絶句していた。


「――あの、アホンダラ!」


 アーデスは相棒の無謀な行動に頭を掻きむしった。



―――――――――――――――――

「気がつかれましたか、殿下」


 カエムワセトが目を覚ますと、そこにはアメンヘルケプシェフの傍らにいた神官の姿があった。


「ここは――」


 身体を起こしかけたカエムワセトは、胸の痛みに顔をしかめて呻く。


「どうかお動きになりませんよう。肋骨が幾つか折れておいでです」


 神官は両手で押しとどめるようにカエムワセトの起き上がりを制した。


 辺りを見回すと、戦場から少し離れた岩場の影で横になっていたのだと分った。


 神官は、砂の大蛇にカエムワセトが弾き飛ばされた直後、ラメセスが気絶したカエムワセトを拾い上げ、ここまで運んで来たのだと説明した。


「全身確認いたしましたが、肋骨骨折以外のお怪我はありません。幸いでした」


 兄はどこかという問いに、神官は、自分にカエムワセトを託してすぐに戦場へ戻ったと答えた。


 そうだった。戦場。


 思い出し、カエムワセトは慌てて身体を起こした。自分がリラの攻撃を防いでいない今、エジプト軍はどうなっているのか。


「あああ、いけません。もし肺に刺さったら――」


 神官がカエムワセトを抑えようと手を伸ばしたその時、後方が湧いた。


 歓声か。雄たけびか。


 岩に捕まりよじ登る様に身を起こしたカエムワセトは、戦場を覗き見た。

 湧いているのはエジプト側だった。剣や槍を高々と掲げている。リビア軍は、撤退を始めていた。魔術の攻撃も消ている。


「一体、何が……」


 茫然としていると、青空の下に何かが現れた。黄色と淡い緑色の物体。


「――リラ!」


 とっさに判断し、黄色を下に落下を始めたそれに向かってカエムワセトは走った。


 両腕を伸ばし、滑りこみで捕まえた。

 

 


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