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解かれた布飾り

 晩餐会が終わり、宴席の面々は自室に戻ってゆく。


 アミールは肩に手を乗せ目配せしてきた執政に一礼すると、テティーシェリに歩み寄った。

 執政の元へ行く前に、アンナの部屋を経由する旨を伝える。

 テティーシェリは頷くと、自分もシャルマから声がかかったと告げた。


「こちら(シャルマ)は任せて下さい」


 食器を片づけながら、忍の術を身につけている踊り子は指揮官に頼もしい微笑みを向けた。

 頷いたアミールは続いてネベンカルに目をやる。彼は、ダプールの副官と何やら話をしていた。

 副官が笑顔で対応している様子から、首尾よくいったとみた指揮官と踊り子は、ほっとした顔で頷き合った。


 暫くすると、アンナの侍女だと名乗る少女がアミールを迎えに来た。

 利発そうなその少女の顔を見たアミールは、「キミはケンモンジョでの」と目を丸くする。


「ミリアムといいます」


 ミリアムは短く自己紹介をすると、検問所での一件について改めて礼を言った。

 そして、「主人の部屋にご案内します」と恭しく礼をすると、自分に付いてくるよう促し歩き出した。


 アミールはミリアムの背中を追いながら、宴会場を出るとさっと周囲を見渡した。

 松明にぼんやり照らされた廊下の曲がり角で、小さな影が動いた。タ・ウィの小柄芸人、ギルである。


 ギルが打ち合わせ通り城に忍びこんでいる事を確認したアミールは、小さな忍にアピールするように、ゆっくりと頭の布飾りに両手を伸ばした。

 結び目を解き、滑り落ちた深紅の布を大きくさっと横に振る。


 ギルは分厚い眉の下にある小さな目で、壁の陰から指揮官の頭の布飾りが解かれた様子を確認すると、左右に素早く視線を走らせ誰もいない事を確かめた。そして彼は猿のような身軽さで近くの窓から外へ飛び出すと、仲間に策戦決行を告げるため、夜の闇に消えて行った。



 宮を出たミリアムは、西側の離れにアミールを案内した。

 松明の灯りが届かない暗い通路を壁に手を添えながら後ろについてくる小姓に振り返る。


「すみません。ランプくらい持ってくるべきでしたね。慣れているからすっかり忘れてしまって」


 月明かりがあればもう少し足元が見えるのだが、今夜は雲で影っていた。

 謝罪したミリアムに、アミールは「ゆっくりアルケバだいじょうぶです」と答えた。

 ミリアムが「ふふっ」と可笑しそうな笑い声を上げる。


「無理に訛らせなくても大丈夫ですよ。普通にアッカド語で話してくれれば」


 全てお見通しだと言わんばかりの声かけに苦笑ったアミールは、流暢なアッカド語で「分りました」と返した。


 アンナが住まう離れは石造りの平屋だった。その外観から内部は幾つかの部屋に別れている事が見て取れた。正面には井戸もあった。この離れだけで一応の日常生活は可能である事が伺い知れた。

 

 扉の前で立ち止まり、後ろの小姓を振り返ったミリアムは、「ここです」と言って扉を開ける。


 木戸が軋む音と共に扉の向こうに広がった様相に、アミールは驚嘆した。


 扉の奥のその部屋は、書物で埋め尽くされていた。少し煤けたパピルス紙独特の香りと微かな(かび)臭が充満しているその室内は、神殿の書庫と同じ匂いがした。

 

 その書庫のような部屋では幾つものランプの灯りが白いパピルス紙に橙色に反射しており、幻想的な空間を作り出していた。

 奥の暗がりにベッドが見えなければ人が居住しているとは到底思えないその室内は、中央だけがぽっかり開けており、そこには丸い机が一卓と椅子が二脚、置かれていた。二脚ある椅子のうち、部屋の主は奥の方の一脚に座っており、手元の巻物に静かに視線を落としていた。


 どうぞ、とミリアムに促されアミールは部屋に足を踏み入れる。

 その瞬間、パピルスの香りに加え、薬草の青さが漂って来た。植物独特の苦味を含んだその甘い芳香は、アンナの着席を手伝った際に香ったものと同じであった。


 ミリアムは「お茶を淹れてきます」と床に転がる書物を避けながら、出入口の正面奥の部屋に入っていった。


 侍女が台所らしき部屋に消えると、アンナは来訪者に顔を向ける事無く書物の上の文字に目を滑らせながら「先程の話の続きですが――」と薄い唇を動かしはじめた。


「魔術を使う者にとって、歌は呪文の様なもの。うっかりすると言霊が作用し、望まぬ現象を起こしてしまう事も多々あります。あなたのように言語に秀でた者だと、特にその傾向が強いでしょう。歌を歌として楽しみたいのなら、歌詞をただの音の羅列ととらえて意味は考えないようにすればいいわ」


 学者か教師の様な口調で、多くの魔術使いが直面している問題への対処法を語り終えたアンナは、その方法が書かれているのであろう巻物を巻き戻して机の上に置いた。


「ようこそエジプトの王子。どうぞ座って」


 正面の椅子を掌で示した彼女は、やっと来訪者に面を上げた。

 白面の左半分は、今は隠れていなかった。


「お急ぎなのは承知しているわ。長居をさせるつもりはないから」


 そう言って、再び「どうぞ」と椅子を勧める。


 アミールが勧めに応じて椅子に座ると、アンナはハシバミ色の瞳を持った両目を細めてにこりと笑った。


「私はアンナ。ここでは水盤占いの魔女と呼ばれています。あなたの名前を教えてもらえるかしら」


 讃美歌を歌った時と同じ澄んだ声で、ダプールの魔女は己の縄張りに潜入してきたエジプトの王子に名前を求めた。


 ランプが放つ橙色の灯りが、民衆に彼女を魔女と言わしめる理由の一つである、左目を覆う血を流した様な痣を淡く照らしていた。

 


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