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目覚めの炎 7

「あ……、ぇ……」


 リフルはピクリとも動けない。体の輪郭を確かめ、意識を肉体に閉じ込めるので精一杯だ。そんな彼をお構いなしに、一冊の本は存在感だけで少年を握りつぶさんとしている。


『どう? 折角こうして魔王と対面してるのだから、何か感激の態度でも示さないかしら』


 先ほどは漠然と響いていた声が、本のある場所からずんと鳴っている。音がこれほどに重さを伴うことがあるのだろうかと、頭の中を畏怖の一色に染められたリフルは返答することさえ叶わない。


『あら、だんまりなのね。ずっとそれじゃあ、私も退屈なんだけど』


 ぬるり、と。心臓を舐め回されたような気がした。自身の内側に生じた異物の感触に、空っぽのはずの胃がこみ上げてくる。

 ただでさえ指一本動かす余裕はない。その上、下手なことをすれば次はあのまま臓物を食い破られるかもしれないという未体験の恐怖が、リフルの全身を一層強張らせる。

 そうやって口もきけないでいたのは、一瞬だったか、永遠だったか。何か気が変わったかのように、一つの問いが向けられる。


『…ねえ、まさか、本当に動けなくなってるわけ?』


 リフルはやはり返答などできない。それを確かめるかのような間のあとで、ため息が漏れた気がした。するとリフルを硬直させていた不気味さは解かれ、先ほどのような存在感は本から放たれなくなっている。

 途端にリフルは膝から崩れ落ちた。ようやく解放された五体の無事を確かめながら、活気を巡らせるように深い呼吸を繰り返す。


『……呆れた。あのくらいの呪詛にも抵抗できないの?』

「はぁ……、はぁ……。じ、呪詛って……」

『人間の程度に期待なんかしたことないけど、いくら何でも弱すぎる。アンタ本当に魔術師?』


 指先ひとつでさえ動かせなかった、完全に体を支配された術を"あのくらい"呼ばわりされ、リフルは力の違いを殊更に実感する。この相手にはどうあっても勝てない、頭では理解していたが、そもそもがあまりに現実的でないものを受け入れてはなるまいと気を強く持ってしまった。


「魔術師って、そんなんじゃないよ僕は! それに魔王だっていうけど、お前ただの本じゃないか!」

『───────はあ?』


 強硬的な姿勢が顰蹙を買ったのか、再び先ほどの重圧が周囲に満ちる。既に四つん這いになっていた状態から、更に地面にめり込むかという勢いの重さだ。しかも、どこか弄ぶような気配のあったそれと違い、今回は明らかに不機嫌そうである。


『魔術師でもないやつが私の封印を解けるわけない。それに何、私がただの本?道化を演じるならここらが潮時よ』


 どうやらあまり触れるべきでない部分に言及してしまったようだと、繋ぎ止めた意識でぼんやりと想像する。しかし、今のリフルに言葉を発するだけの余裕など残っていない。弁解さえ禁じられた状態で、なすすべなく一人は一冊に睨まれていた。

 リフルの全身にくまなく先ほどの嫌な感触が走る。しかも今度はより細く、より多い。蛇を体内で飼っているような気分だ。そうやってまさぐられ、暴かれ、彼の中身が見透かされてゆく。あまりの気持ち悪さにとうとう限界が来るかというときになって、それらは突然消え失せた。


『……ああ、そう。本当に魔術師じゃないのね』


 すっと緊張が解かれる。耐えようと力んでいたのを緩めたせいで、そのままリフルは床に倒れ伏した。


『どこにも別の魔力が繋がってない。裏に首謀者がいるわけでもないし、ちょっとまじないをかけただけでその有様、まるで羽虫の死骸』

「うっ……、くっ……!」

『余計に意味が分からないけど、契約は正常なのよねえ。人間、アンタなんなの?』


 さっきから何を言ってるのかまるで分らない、そう反論したいところだったが、二度もあんな呪いをかけられたあとでは喉も舌もまるで思うように動かせない。大口を開けて呼吸に専念するのがせいぜいだった。


『ヒドイものね、生きてるだけで手一杯。いっそ羨ましいわ』


 よりにもよって主犯に同情をされ流石にリフルも怒りが追い付いてきた。大きく息を飲み込んで無理矢理調子を戻すと、ここまでのうっ憤と疑問とを吐き散らす。


「……っ、お前が、これやったんだろ……! 魔王とか契約とか、言われたって分かんないし……っ、そもそも誰なんだよ……! 昨日の夜と、何か関係あるのか…!」

『言うじゃない。何にも知らない、脆弱な生き物のクセに』


 最初の時と同様に、どこかあざ笑うような声色が言葉の端に浮かんでいた。だが、それでも苛立ちは収まっているらしい。


『良いわよ、教えてあげる。契約が有効な以上は私もアンタを利用しなきゃだし』


 その声をきっかけに本が勝手に開き、次々とページを送る。紙と紙の隙間から零れた粒子が集まり、徐々にヒトのような形をとっていく。

 リフルが呼吸を整えようやく立ち上がった時、目の前には半透明の輪郭が足を組み、机に腰を下ろしていた。それは手足と、胴と、頭を持ち、確かにニンゲンと形容できそうな見た目をしている。だが、表面は全身まっさらで形状だけの、人形のような姿だ。


「……あ、えっと」


 開いていた窓から微風が部屋を訪れる。それに流されて、白い光の一部はさらさらと宙へ散っていく。淡い人型の縁は所々が風に伸び、その姿は、雲間から差す薄明の陽を、切り取ってヴェールにしているような。


「貴方が、魔王……?」


 その、幻想的な光体が不思議と綺麗だったから。先ほどまで抱いていた反感さえ忘れて、ついかしずくような言葉を選んでしまった。


『少しは弁えるじゃない。そうよ、私が魔王様』


 口が造形されていないから、言葉を発したにも関わらず、目の前の光体は特に動いていない。

 差し込んだ朝日が透けて、このまま陽光の穏やかな熱にさえ融けてしまいそうだ。"美しい"と思いかけて、これに賛辞など心にも浮かべるまいと、必死に言葉を振り払った。

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