少年は向かい風を進む3
リフルたちが馬車で王都へ向かっているのと同じ頃、その中心にそびえ立つ王宮の一室で、一人の魔術師が鳥たちと戯れている。
「おや、今日は毛並みのツヤが違うね、ルビー。愛しい鳥でもできたのかい?」
木々が生い茂り、木漏れ日がささやかな泉に降ってきらきらと輝く。時折吹き抜ける風が葉を鳴らし、人の踏み入らぬ大自然の聖域が部屋の中に広がっていた。
「ああ、スピネル。きみはまたオニキスの背に隠れて!」
そう呼ばれて、黒い毛並みの気高い鷹の背から、もこもこと羽を掻き分けて紫の小鳥が顔を出した。魔術師がおいでと指を差し出すと、細やかに羽ばたいて小鳥が飛び移る。
森の中には他にもフクロウ、ワシ、ツバメなど種類の違う鳥たちが同じ時を過ごしている。木々に止まって周りを見渡す鳥もいれば、水辺でちょこちょことじゃれ合う鳥もいる。
それらに囲まれて、白いローブに身を包んだ青年が風に抱かれ、水の音に耳を傾けながら鳥たちに語りかけている。見事な壁画のような光景だった。
「……すまないね君たち。客人のようだ」
そう言って青年が立ち上がると、肩や指先に止まっていた鳥が一斉に飛び上がり、それぞれのお気に入りの枝へ散る。
木の根で階段のようになっているところを登り、数段上の地面に足を降ろす。すると途端に先程までの森が完全に消え去り、彼は自らの執務室に壁を背にして立っていた。
「入りたまえ」
そう呼ばれて扉が開き、一人の少年が入ってくる。
「失礼します」
きらめくような金髪を中央で分けた、背丈は年相応の少年だ。しかし反対に、服装は規律と威厳を纏った、襟の正された品格あるスーツを着ている。黒色のベストとズボンがコントラストを演出し、彼の髪はより輝いて見えた。
「先日依頼された山岳地帯の調査報告に参りました。先生」
まだ幼さを残すはずの年齢だが、その服装を見事に着こなして大人とそう変わらない空気を伴っている。銀色の眼光は鉄のように光り、彼の凛々しい風格を宿す。
数枚の書類を手に、巨大な執務机を挟んでローブの青年が今しがた腰掛けた正面に立つ。
「うん。ありがとう、グレイ」
「予測された通り、生息する動物に若干の変化が見られました。やはり、魔族が動いているのでしょうか?」
グレイと呼ばれた少年───グレイヴェート・オプテマギアは両手を後ろに組み、軍人のような姿勢で報告を告げる。
「まだ確信はないけどねえ……。先日、領地での魔獣騒ぎもあったし」
そう答えながら、青年は一枚ずつざっと目を通していく。新たに得た情報を憶えるというよりは、自身の予想を裏付ける答え合せをするかのようだ。
「報告としては十分だよ。流石だね、グレイ」
「いえ! 『虹の魔術師』直々の依頼、オプテマギアの名に恥じぬよう務めたまでです!」
労いの言葉を毅然と受け取って、グレイヴェートは姿勢を崩さない。しかし、堅牢な鎧にも似た雰囲気を放つ瞳が少しだけ、年に合った幼い高揚を浮かべたようにも見えた。
「はは、たまには素直に受けたまえよ」
言葉ではああ言ったが、グレイヴェートの内心は王都最高峰の魔術師からの賞賛と感謝に沸き立っていた。また一歩、家の理想と憧れの魔術師に近づけたと感じ、後ろで組んでいる手を思わず握ってしまっている。
「ああそう、オプテマギアといえば。お兄さんの移籍、決まったんだろう?」
「えっ……、ああ兄ですか」
歓喜を噛み締めていたせいか、グレイヴェートはつい反応に遅れてしまう。しかも突然話が彼の兄の近況に移ったので、一瞬思考が止まってしまっていたようだ。
「……兄の得意分野を考えれば、術研への異動も当然と言えるでしょう。もっとも、本人は難色を示していましたが」
彼の兄は少し前に、幅広く革新的な魔術行使の腕を買われて王立魔導・魔術研究会、通称術研に配属になった。
術研は国内でも最大規模の魔術研究機関であり、そこから生み出された知識は人類の発展と開拓に大きく貢献してきた。もしもそこの最高会議に椅子を得たなら、時代に100年早い天才たちとも称される。
「本来なら様々な試験が課されるところを、実績一つで迎え入れられたんだろう? 大したものだよ」
「はい……、それは、確かに」
我が家は優秀ですから、と言い切った顔つきに先ほどまでの高揚はなく、口の中の苦味をどうにか取り繕ったようなぎこちなさが見える。彼にとって、兄の躍進は素直に喜べない話だったようだ。
「もちろん君も十分立派さ! 年が少し離れているだけだよ」
どうやらこの話題はあまり面白くないらしい、ということは青年も予想していた。彼らのこじれた兄弟仲は相変わらずのようである。
嫌な話をつついた分の振り戻しの意味も込めて、青年はグレイヴェートを励ました。実際、彼は『虹の魔術師』から見ても優秀な人間であるのは確かだ。
「──っ! いえっ、私もまだまだ未熟ですから!」
再び芯を取り戻した背筋がぴしっと張る。彼も魔術にこだわりの強い分、特に『虹の魔術師』の言葉には素直な少年だった。
調子を取り戻した様子を悟って、資料を机で軽く整えて端に置き、ローブの青年はグレイヴェートに向き直る。