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目覚めの炎 15

 幻想の息を残す竜の生態は、ヒトの尺度では測り切れない。既に膂力、破壊力と人智を上回る威容を見せつけ続けているのだ。傷が見て分かるほどに早く治ることも、亜竜ならば有り得るのだろう。

 亜竜は苛立ちを吐き出すように唸り声を鳴らしながら、まだ治りきらぬ体の感覚を確かめるように動かしている。同時に、先ほどのような大技を警戒してリフルの方を射抜くように視線が捉える。その双眸は、微塵も闘志を失っていない。


「くそっ……、思ったよりずっと……!」


 動き出す前に追撃を入れなければならない、とリフルは焦燥に駆られながら杖を突き立てる。土地に蓄積された魔力の大半を、ほとんど暴れるままに叩きつけた。にもかかわらず討ち切れないどころか、時間を許せばすぐに立て直してくるというのだ。ならば、対処はそれに増して急がれなければならない。

 再び翡翠の魔法陣が強く輝き、二度目の無理強いを拒む悲鳴のように空気を震わせる。だが、それでは亜竜に勝てない。先ほどの反動が術式のあちらこちらに出ているのを知覚しながら、それでも手は止められなかった。


「いける! これで!」


 再び魔力を加速させ、その方向を徐々に捉える。一度の経験で覚えた勘と、魔力が減っているのが影響して先ほどより制御がしやすく、次発はすぐに装填される。

 それを亜竜も察知したが、回避してそのまま反撃に出るほど体は調子を取り戻していない。もう一度まともに喰らっては流石に危険と判断した野性は、迎え撃つしかないと大きく息を呑む。


「やっぱり、そうくるのか……!」


 亜竜は前足の爪を地面に食い込ませ、自身の胴体をそのまま大砲のようにまっすぐ伸ばして支える。その胎にはすでに光が集まっており、先刻屋敷を焼き壊したあの火炎をもう一度放とうとしていることが分かった。

 リフルは亜竜の様子をうかがいながら、間に合うギリギリまで魔力に圧を加える。先ほどのような強力な一撃は、知覚できる残量から考えればもう撃てない。ならばせめて、加速させ、鋭い一射へと磨き上げることで威力を上げる。閃光のような一撃で以て、確実に亜竜に風穴を開ける。とっさの判断で死に物狂いにうねる魔力の手綱を握りしめた。

 亜竜も熱を集めて昂らせているが、全身の負傷が災いしたのか、先ほどよりも装填が少し遅い。怪我の回復に回していた分の生命力までもをかき集め、竜の炉心に熱を流し込む。だが、僅かに早くリフルの方が仕上がった。


「いっ…けぇえ!!!」


 再び空中に魔法陣が開き、そこから翡翠の光線が放たれる。先ほどより破壊力も規模も型落ちしているものの、その推進力だけは同様か、それ以上と言えるほどに強烈だった。

 光の狙撃が、距離を一瞬で詰めて亜竜に迫る。狙いはすらりと伸ばした胴を貫く顔面のど真ん中、空間を切り裂いて襲う最高速の閃きが今に亜竜を射抜く。

 しかし、その直前で亜竜は大地を蹴り飛ばし、身を逸らして回避してしまった。


「─────ッそんな!?」


 亜竜は痛みの残る足を一斉に叩きつけ、着地のことなど考えない横っ飛びで砲撃を躱した。魔力量が減った分を貫通力で補おうとしたリフルの調整が、完全に裏目に出てしまっていた。

 転げる体を突き立てた爪で受け止め、亜竜は片腕だけで胴を支えて火炎を発射口まで運ぶ。ここまでの抵抗と負わされた傷に対する苛立ち、そしてとうとうそれらを灰と消し飛ばせる勝利への歓喜、様々な情念を宿しながら、双眸(しょうじゅん)はリフルを芯で補足済みだ。

 蠢く熱をそのままに二度目の火炎が放たれる。地上に顕現した太陽が、その威容を惜しげもなく星に擦らせながら一直線に進撃する。

 終わった。リフルはそう確信した。このまま自分から焼き払われ、フラッガもあの牙に惨殺されるだろう。この土地にはもはや何も残らず、ただ暴虐の爪痕だけが風に晒される。物語は、ここで終わりだ。


『─────これで、揃った』


 絶望の中で、あの声がささやく。

 それを合図に抱えていた本が突然開き、リフルの左腕が火炎に向けて突き出された。


「なっ─────」


 声を上げる間もなく、着弾。人一人の背丈など優に超える焔の災害は、もはや一切の抵抗も関係なく人間を。

 人間を。


「……っぐ! ぐああああああ!!!」


 焼き尽くせてなど、いなかった。

 リフルの左腕が火炎へとまっすぐ伸び、手のひらからは妖しい紋章が浮かび出ている。その紋章が、接触したそばから紅蓮の嵐を飲み込む。その熱と暴威はそのまま魔力へと変換され、リフルを通じて本へ流れ込んでいる。

 伸ばされた腕はリフルの言う事さえ聞かない。莫大な熱源とほとんど触れるような位置で、なだれ込む魔力が神経の一つ一つに針を通すような痛みをもたらす。火花を散らす激痛から逃れようと気を失っても、すぐに左腕の軋みで叩き起こされてしまうのを幾度も繰り返したような気さえする。その感覚から逃げ出すことはかなわず、ただ回路の一部と化してしまった己の肉体をどうにか壊れぬよう支えることが、今のリフルの限界だった。


『魔力砲で倒し切れる、なんて端から考えちゃいない』


 苛烈の中でも、その声は不思議とよく聞き取れる。


『目的は最初から、亜竜にもう一度火炎放射(ブレス)を撃たせること』


 炎を受け止め続ける腕に、内側から割かれていくような感覚が奔る。なだれ込む熱の暴力に耐えかねて、ついに爆発するのをリフルは確信した。だが、それでも吸収は止まってくれない。もう持たない、間に合わない、この腕が吹っ飛ぶ、臨界点の瀬戸際で、突如リフルの意識だけが後方に吹き飛んだ。

 時間が止まる。

 正確には、加速する情報に知覚が引き延ばされ、現実時間が希釈されている。正面に脱ぎ捨てられたリフル自身の肉体があるのに気が付いて、遊離しながら自分で自分を俯瞰する。

 かつ、かつ、かつ。

 その傍らを、一つの影がすれ違う。灰色に停滞した世界の中をただ一人、自在に動ける者がいる。


「ま、こんなものか」


 カッと踵で地面を鳴らして勇ましく佇む。それを合図に、世界に再び色が追い付いた。

 眼前にまで迫っていた爆炎がリフルの肉体を呑み込む。灼熱と火花の嵐が周囲を満たし、一切の生存を許さぬ煉獄が地上に現れる。だが、それらの炎は彼を燃やすことはなく、その周囲を渦巻いていた。


「神々の時代の名残り、その最たる権化こそが、竜種」


 より正確には、"彼女"を現象の中央に戴き、火炎の渦はとぐろを巻いて暴れていた。そのうねりは破滅を象りながら、一方で彼女を外敵から阻むように忠実に乱回転する。

 この威容はきっと、火が神々の武器であり、自然の暴威だったころの姿。人の営みを照らす道具となるより以前、熱と光を以て地平を均す純粋な殲滅機構だったころの、最も旧き焔の姿。


「彼らは未だ幻想に棲み、零す息にさえ神秘を宿す。 けれど─────」


 嵐が晴れる。我らが主に道を開けんと、終末の紅は気流だけを残し霧散する。

 兵器としての発火現象。それは、燃えれば最後、あらゆる命の無事を許さぬ滅びの原理。故にこそ全ての生物はこれを恐れ、守りを講じ、時には何の躊躇もなく逃亡さえした。

 だから、もしも火を恐れず、むしろ手なずけるような存在がいるのならば。


「せっかく飲み干すには、少し刺激が足りないかしら」


 それはもう、魔王とでも呼ぶしかあるまい。

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