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目覚めの炎 13

 空が、広い。

 翡翠の天幕は落ち、気持ちのいい晴天が広がっている。今日は風が少ないせいか雲もまばらに留まっていて、こうして見上げていると一枚の絵画のようだ。

 とてつもない脅威が真っ直ぐにこちらへ飛来した。それが記憶に残っている最後の光景だ。拘束したはずの亜竜から放たれたソレは、触れるまでもなく周囲を焦がす熱を振りまきながら、この部屋へ直撃した。きっと、こうして仰向けで倒れているのにも関わらず、こんなに空がよく見えるのもそのせいだろう。リフルは混濁から這い上がってきた頭で、どうにか状況を整理していく。とにもかくにも、起き上がらないことには情報が増えない。そう判断して、思ったより疲弊して動かなくなっている体をどうにか持ち上げた。

 起き上がってすぐに、そんな余裕を持て余してしまっていた自分に後悔した。


「こんな……、嘘……?」


 先ほどまで部屋だった空間はその意味を奪われ、壁と天井を痛々しくえぐられた姿を晒している。上からちぎられたような破損の断面は露出した骨組みまで炭化しており、やはり炎がリフルたちを襲ったことを裏付ける。

 少し遠くに翡翠の結晶体に閉じ込められた亜竜の姿が見える。まだ脱出しきれずに暴れているようだが、既に翠の牢には亀裂が走っており、もはや時間の問題であることは誰の目にも明らかだ。


「リ、フル……ッ! 無事、だったか……!」


 直ぐ近くからうめき声がして、リフルは足元の辺りを見る。そこには、半身が大きく焼けただれ、未だ燃えているかのようにまっ赤に染まったフラッガがうつ伏せで倒れていた。


「……ぇ、フラッガ、さん?」


 痛みに屈すまいと力んでいることは見て取れるが、もはや彼の体は機能を失っているに等しい。まだ生きている方の腕を突き立て、自重で潰した気道を確保しながら声を絞り出している。


「地下、だ……ッ! 早く……ッ、逃げろ……ッ!」


 それで最後の気力を出し切ってしまったのか、再びうつ伏せに崩れてものも言えなくなってしまった。

 身近ゆえに憧れ尊敬していた相手のあまりにも無残な姿を目にし、リフルは恐ろしさのあまり後ずさりする。ロクに言う事を聞かない両足がもつれ、そのまま転倒した。


「ぇ……、ぁ……」

『─────決着、良く粘ったものね』


 声が聞こえて、リフルはその存在を思い出す。攻撃の余波で吹き飛ばされたのか破壊しつくされた部屋の隅に落ちていたが、装丁はやたらと綺麗なままだったのですぐに分かった。


『けどもう終わり。勝ち目は、完全に無くなった』

「あ……、お前……」

『アンタもやれることはやったわ。だからせめて、生き残りなさい』


 一冊の本が、誰よりも冷徹に、正確に状況を理解していた。受け入れ難くとも、拒絶すればそれで現実が変わるわけではない。リフルは声に呼ばれるままにふらふらと歩き、本を抱える。

 けど、本当にこれで良いのだろうか。

 虚ろな体は本の言われるように進路をとるが、頭は別の事を考えていた。

 泥が流れ込んだように頭が重い。まともに重心の安定しない足取りで頭が揺さぶられ、重苦しい液体が右へ左へと波を打つ。


『──────────』


 声が、これからの計画を説明しているように聞こえる。だが、まるで頭に入ってこない。耳から拾った文字の羅列を何度並べ直しても、それを文章として理解できない。意味が分からないので、うるさい。だから、頭がすっきりするまで聞かないことにした。

 外からの情報を遮断すると、必然、心は内へ向く。己の中に燻ぶるものを問う。生き残った命を必死に守る、生物として当たり前の行動に全力で異議を主張する、その論拠を批准する。


 何故逃げる? ─────戦えないから。

 昔からそうだった。自分には魔術の才がなく、かといって体も特別強いということもない。せめて誰かの害にならぬよう、静かに膝を丸めているのがお似合いなのだ。


 何故戦えない? ─────力がないから。

 そのせいで、両親にさえ見限られた。あの夢の意味は定かではないが、きっと生々しい痛みと寝覚めの悪さが真実だろう。応えることも、抗うこともできず、うずくまるのが精一杯だった。そんな人間に、誰が期待をかけるというのか。


 ならば、何故まだ生き延びている? ─────それは。

 それは。

 言葉が詰まる。とっくに気付いているのに、目を向けられずにいたものが、そこに確かにある。でも、だって。直視してしまうと、拾い上げてしまうと、逃げる理由がなくなってしまうから。


『とにかく、今は遠くへ離れることを優先……、ねえ聞いてる?』

「─────ごめん」


 そこまで問答を繰り返して、ようやく気付いた。探していたのはここからの勝算や、挑む覚悟ではない。とっくに出せていたはずの答えを必死に覆い隠す、背を向けるための理由だった。

 リフルは立ち止まる。まばたきして視界を意識につなぎ直すと、今は一階の大広間に立っているのが分かった。向いているのは裏口につながる方だ。なら、今はこちらではない。


「ごめん。やっぱり、逃げられないよ」

『……どういうつもり?』

「だって、僕はまだ生きてるんだ」


 確かめるように言葉を選ぶ。初めから持っていたはずのものを、今になって掴み直す。放り出されて、自分で自分を閉じ込めて、それでも捨てきれなくて隠しておいた、信じられるものを。


「弱くて臆病で、人の為に何かをするなんて余裕もないやつが、まだ生きていられてるんだ」


 それは。

 それは、守ってくれた人がいたから。


「だったら、せめて恩を返さなくちゃ。じゃなきゃもう、僕はどこへも行けない」

『次は、死ぬわよ』


 それは憤りではなく、脅迫でもなく、ただ行く道を説くように告げられた。守られたことを理解しながら、お前はこれからそれを投げ出すのだと、最後にもう一度迷う機会を与えられる。


「うん、僕もそう思う。でも、まだやれる事が残ってるんだ」


 気分は、清々しかった。

 地鳴りが断続的に響き、時折くずがぱらぱらと落ちる。未だ亜竜は囚われているらしいが、それももう長くないだろう。あれが自由になれば、次こそ防衛手段を失ったここは完膚なきまでに破壊され、取り残された人間も瓦礫と同じになる。それだけは見過ごせない、リフルはそう心に決めて、別れのつもりで本に語りかけた。


「せめて本は地下に置いておくよ。そしたら多分、無事にやり過ごせる」


 急ぎ本を安置しようと地下への入り口に向かうリフルを、意外なことにその本が呼び止める。


『待って、私も連れていきなさい』

「え? だって」


 その声には少年の決意に呼応したように腹の据わった気配がして、それが不思議と力強かった。


『一つ、手がある』

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