女神の裁き、執行される。
目を開くと、闇の中に立っていた。自分が白く発光しているので、体は無事だと確認できる。
「我が城へようこそ。王子妃殿」
バルニエ公爵の声が響き、壁面の魔法灯が光ると、王城の大広間のような空間が広がっていた。壇上には黒く光る玉座に脚を組んで座る公爵。壇下には大きな水盤が置かれ、魔術師の杖を持ったギュスターヴが立っていた。
「何か御用でしょうか?」
二人は死んではいなかった。私たちの目の前で魔物に飲み込まれたのも、おそらくはこの場所へと転移する為の攪乱。
「ほう。流石は元護衛騎士。この状況でも顔色一つ変えないとは賞賛に値するな」
ギュスターヴが意外という顔をして私の方を見ている。
「ルシアン王子にも愛する者を失う気分を味わってもらおうかと思いましてな」
隠す気は無くなったのか、バルニエ公爵の態度は尊大で、傲慢そのものの声が響く。
「お前を殺さなかったのは、王子が代替魔法を行使するのを避けるためだ」
二人にどれだけ道理を説いたとしても、聞いてはいないのだろう。愛する者が亡くなったのは、自分たちが原因だということを認めずに他者のせいにして。
「王子の戦力がここまで強力とは想定外だった。だが、これだけの巨体を完全に消滅させるには時間が掛かるだろう」
ギュスターヴの視線を追って水盤に目をやると、魔物と戦う王子たちの姿が映っていた。改めて全体を見ると、魔物の巨大さが浮き彫りになる。それでも攻撃はすさまじい威力で魔物を切り刻み、消耗させているのがわかる。
「王子妃が消えたというのに、ルシアン王子はまだ戦っているのか。気付いていないはずはないと思うが」
王子が戦い続けている姿に安堵した。今は気づいていない方が良い。私のことよりも魔物を屠り、我が国の安全を優先してほしい。
「いずれにせよ、朝になれば我々の勝利だ。朝日を浴びて、魔物は砂塵になって姿を消す。それで魔物を倒したと思うだろうが、次の満月で復活を遂げるための準備だ」
「砂塵になった魔物は、次の復活で膨大な数の魔鳥へと生まれ変わる。魔鳥は一斉に飛び立ち、国土を襲う。今度は作物や家畜ではなく、人を襲うように命令してある」
二人の計画にぞっとした。無数にいた魔鳥が一切姿を見せず、巨大な一体の魔物として現れたのは、油断させるのが目的。終わったと気を抜いた所で、圧倒的な数の魔鳥が現れれば、対処は難しい。
「王子は必ず魔物を討伐するでしょう」
空はまだ暗く、夜明けまでは遠い。神力を持つ私がいなくてもドニがいる。王子ならどんな難題も解決すると信じている。
「ふん。我々の復讐がこれで終わると思っているのか? 確かに今回の計画には長い年月を掛けてきた。成功も確信している。万が一不成功となっても、違う方法はいくらでもある。貴族たちの分断は進んでいるしな。我々は決して諦めんぞ。我々は王家に正義の鉄槌を下す権利がある」
(この狂人たちは絶対に生かしておいてはダメだ)
長い時間を掛けて魔物を育て、貴族を困窮させては味方に取り込んで。バルニエ公爵は国を大事に思っていたのではなく、国を徹底的に壊す為に動いていたのか。
「開錠。〝華嵐の剣〟」
すでに覚悟が決まっていた私は、魔法剣を呼び出した。
「貴方たちの正義があるように、私にも正義があります。お覚悟を」
それぞれが思う正義がぶつかり合い、戦いになる。私の正義はこの狂人を倒す事。
「ほほう。騎士の誇りを捨て、武器を持たぬ者を殺すか。おもしろい。やってみろ」
「騎士の名はここで捨てます。貴方たちを殺さなければ、我が国どころか、ロザリーヌ様の国まで危険が及ぶ」
隣国には守護が付いているといっても、膨大な数の魔鳥に対処できるかどうかは不明。ならばここで対処しておくことが一番の得策。
「思いあがるな、小娘!」
ギュスターヴが杖を掲げ呪文を詠唱し始めたところへ駆け寄り、容赦なく斬り捨てた。悲鳴を上げる事もなく魔術師の体と杖は二つになって崩れ落ち、床に赤い血が広がる。
「私も早く殺せ。女神の世界でアンリエットが待っている」
バルニエ公爵は、傲慢な笑顔で挑発している。
(死後に行く女神の世界で幸せになるとでもいうのか)
身勝手過ぎると思っても、ここで殺しておかなければ、後々の禍になるのは確実。私は壇上まで駆け上がり、玉座に座るバルニエ公爵の心臓を剣で貫いた。
「ああ、もうすぐ我が愛しのアンリエットに会える」
至近距離で見る陶酔した表情が気持ち悪くて、少しでも早く離れたかった。剣を引き抜こうとした時、体の自由が奪われ、白い光に覆われた。
『……お前たちはアンリエットに未来永劫会えぬ。アンリエットは親しき者たちを殺したお前たちを憎んでおる。そもそも、アンリエットはお前たちを愛してはおらぬ』
私の口から、私ではない落ち着いた女性の声があふれ出していく。
「なっ、何を言うか! 我々とアンリエットは確かに愛し合っていた!」
『自らの都合が良いように美化した記憶ではなく、よく思い出せ。アンリエットの笑顔を。お前たちの隣で、あの子は心から楽しいと笑っておったか?』
その言葉を聞いたバルニエ公爵の目は大きく見開き、全身が激しく震え始めた。
『アンリエットがお前たちを許しておれば、機会を与えてやったが、絶対に許さないと言うておる。よって、お前たちをこの世界に留めたいと願う者は誰もおらぬ。……我が愛しき世界での存在すら許さぬ。世界にすり潰されて消えてしまえ』
私の口を使っているのは、おそらくは創世の女神。絶望以上の絶望の表情で、バルニエ公爵の視線は私を通り越して何かを見ている。
「そんな馬鹿な。アンリエットは私を愛していて……あああああ! 嘘だ……嘘だ……! 嘘だ!」
『ジュディット、我が裁きの執行を』
動けなかった体が自由になり、私は玉座に足を掛け、剣を捻りながら引き抜いた。バルニエ公爵の胸から血と肉が飛び散る。
〝華嵐の剣〟が白く輝き、刃に付着した血肉を消し去った。
「これが、女神の裁きです!」
絶望で叫び続けるバルニエ公爵の首を斬ると、玉座の背まで砕け散った。勢いで飛んだ首は階段を転がり落ちて黒い砂となり、血を吹きながら痙攣する体も黒い砂になって消えた。振り返ると魔術師の亡骸も血痕も黒い砂になって跡形もなく消え去った。
血に汚れた剣と私を白い光が包み込み、浄化して消えると同時に体が軽くなった。剣を振るった疲労感が回復している。
「……さて。どうやってここから出る? 女神様に頼んでみる?」
部屋を見回しても扉はなく、窓すらなかった。女神の気配は完全に消えていて、空になって崩れた玉座の前で途方に暮れる。王子と魔物との戦いを映していた水盤は、普通の水盤に戻っていた。
壁面の魔法灯の光が消え、再び部屋は闇へと沈んだ。黙っていると空気に圧し潰されそうで心細い。溜息を吐いた時、脳裏に浮かぶのは金色の子犬のような王子の笑顔。
「……魔物を倒したら、消えた私を探してくれるかしら」
ふと、剣の舞姫の物語を思い出した。敵将の首を刎ね、王子を助けた舞姫は姿を消した。その続きの物語では、王子が舞姫を探し出し、そして結婚する。
「そういえば、あれは実話を元にしていたわね」
とはいえ遠い異国の出来事であって、物語は物語。現実では、私自身がどこにいるのかもわからない場所に閉じ込められている。
「指輪が王子に居場所を知らせてくれると良いのだけれど」
左手の薬指に輝く王子妃の指輪を見つめる。炎の色に輝く宝石を見ていると、戦う王子の凛々しい姿が思い浮かぶ。
「また王子の隣で戦えたらいいのに」
騎士としての名は捨ててしまったから、もう私は護衛騎士として名乗れない。これまで王子と一緒に戦った光景が懐かしいとしみじみと感じる。本当に奇跡のような経験だった。
武器屋で武器について王子と語り合えて楽しかったこと。
あちこちで様々な光景を見て、様々な料理や菓子を食べて笑い合ったこと。
隣に座って違う本を読むだけでも、何故か心が温かかったこと。
……目覚めると、何故か王子の頭を抱き枕にしていたこと。
次々と王子との思い出が頭に浮かんで、頬が緩む。
「……何だ……私、王子のことが好きになっていたのね」
暗闇の中、独りで思い出すのは王子との思い出ばかり。たった三ヶ月と少しを一緒に過ごしただけで、十年間共にいた王女よりも王子の存在が心に刻まれてしまった。
「指輪を外すはずだったのに、今はこの指輪だけが頼りになるなんて」
王子と何らかの形で繋がっていると思うと心細さも和らいでくる。
ふと、ペンダントの悲恋物語を思い出した。自分に掛けられた呪いの身替わりに死んだ吟遊詩人を胸に抱き、毒を煽った姫君の言葉が今の気分にぴったりだった。
「……『早く迎えに来て』……………………ルシアン」
王子の名を呟いた途端、指輪から赤い炎の魔法陣が広がって、人影が現れた。
「ジュディット!」
幻覚かと疑う前に駆け寄ってきた王子に抱きしめられた。その腕の力強さと温かさに驚きつつ、ほっと安堵の息を吐く。
「よかった! 名前を呼んでくれて!」
「名前を?」
「そう。指輪の自動機能の一つなんだ。名前を呼ばれると、こうして転移できる」
「……あ、あの……私の感情も伝わっているのでしょうか」
王子が好きだと自覚したこの感情が伝わっていたらと思うと、羞恥が頬に集まっていく。
「感情とかそういう個人的なことは伝わらないよ。この指輪は、持ち主の身を護る事が役目だからね。ジュディットが僕の名前を呼んでくれなかったら、この場所も探せなかった」
伝わらないと聞いてほっと胸をなでおろす。
「あ、あの、魔物は倒せましたか?」
「まだ戦ってる最中だよ。……ジュディット、ごめん。一度だけ口づけていいかな?」
この状況で何を言うのかと王子の顔を見ると、優しく微笑んでいる。
「大丈夫。僕は死んでも君を護るから」
その言葉に衝撃を受けた。王子はきっと、ここから私を助ける為に命を投げ出そうとしている。
「それは駄目です。貴方が死んだら私も生きてはいられません。必ず二人で生き残ると誓って下さい」
「わかった。誓うよ」
笑顔で返された言葉が、あまりにも明るくて、逆に心が不安で揺れる。
王子が好きだと認めるしかない。
承諾替わりに目を閉じると、唇にそっと優しい温もり。
一度だけ。触れるだけの最初で最後の口づけに、涙が零れる。
離れた唇が名残惜しくて目を開くと、王子の青い瞳の中、金色の光が煌めいた。王子の指が私の涙をそっと拭いさる。
「昔、ジュディットが斬った魔鳥は、ロザリーヌと僕を狙ったものでもあった。僕は君に命を助けられたんだ。でも、もう僕は君に助けてもらうだけの存在じゃない」
王子の体から湧き上がった光は渦巻く風に変化して二人を包む。
「海辺の黒い岩に封印されていたのは白髪の魔術師が探していた剣じゃなかった。だから魔術師は、僕に譲ると言って僕の中に剣を封印した。僕が心から愛する女性と口付けた時、この剣と僕の本当の力が目覚める!」
「開錠! 〝烈風の剣〟!」
王子の叫びと同時に、金色の光が一振りの剣の形を作り上げていく。
強い風の中、現れたのは黒い剣。過去に魔物を封印した男が持っていた剣と同じもの。至近距離で見ると、剣の力強さが心を奪う。
「僕の魔力のほとんどは、ずっとこの剣を封印する為に消費されていた。だから、これからは転移魔法も二人で飛べる」
王子が手に取ると、赤と金の炎が刃に宿る。
「ジュディット、僕と一緒に魔物を倒してほしい!」
「はい!」
差し出された手を握ると、嬉しくて笑顔が溢れた。また王子と共に戦えると思うと心が躍る。
「行こう!」
そうして、私たちは狂人たちの城を後にした。




