王子の我儘、平手打ちで返される。
動きやすいドレスに着替えた私と王子は辺境伯の私室へと案内されていた。裏門であれだけの騒ぎがあったにも関わらず、賑やかな声や音楽が風に乗って周囲を流れており、夜会が続いていることを示している。王子が辺境伯に夜会を続ける許可を出していたのは聞いていたものの、何となく腑に落ちない。
「夜会が気になる? 外部からの侵攻に耐えられるように作られた頑丈な城だからね。その上酒宴の最中だから、裏門で騒動があっても気づけないよ。だから見張りが重要になる」
音楽が流れてくる窓の外を見た私の視線で気が付いたのか、王子がそっと教えてくれた。おそらくは見張りの兵が夜会に参加していた辺境伯と父へと連絡したのだろう。本当に間に合ってよかった。
辺境伯の私室は、緑青色と白を中心に明るい色彩に彩られていた。王子の姿を見て、ソファに座っていた辺境伯と父、魔術師が立ち上がって深く頭を下げて臣下の礼を取る。
「顔を上げて欲しい。僕は現状の把握とこれからの話を望んでいる」
つい先ほどまでの温和な雰囲気は消え、王族の表情が現れた。人を導く者としての威厳と自信に溢れる姿は、思わず跪きたくなる凛々しさを見せつける。
王子の視線が正体不明の魔術師へと向けられると、魔術師が口を開いた。
「申し遅れました。ニコラと申します」
茶色の髪に茶色の瞳の中年。細身でありながらも騎士の佇まいの魔術師は、右手を胸に当て、騎士の礼を示した。
「表向き引退してはいますが、我々の同期の騎士です。今は〝沈黙の庭園〟の異名を持つ宿屋の経営者です」
辺境伯の紹介で、この男性がシビルの夫だと気が付いた。シビルが語っていた『どうしようもないお人好し』が巻き込まれる面倒事は、もしかしたら辺境伯と父のせいかとふと思う。
「僕が五歳の時、落馬した際に助けてくれたことを覚えているよ。ありがとう」
僅かに微笑む王子は天性の人たらし。本当にそうとしか思えなくなってきた。その言葉と微笑みで、一体どれだけの人々を篭絡してきたのか。
父と魔術師に挟まれた辺境伯、王子と私の二組が向かい合ってソファへと座る。
「それでは、今回の騒ぎの件ですが」
ふわりと緩みかけていた空気が、辺境伯の言葉で一気に緊張感を取り戻した。
「結論から申し上げますと、バルニエ公爵から持ち掛けられた同盟の密約の中、ルシアン様の誘拐計画です。私は誘いに乗ったふりをして、バルニエ公爵の動きを探っていました」
辺境伯とバルニエ公爵の同盟の密約。実際は結ばれていなかったと知っても、疑いが現実だったことに戦慄する。
「同盟の目的は?」
「王位簒奪です。王族を排して精霊信仰を主流にし、かつての魔法王国としての威光を復活させると申しておりました」
「僕を誘拐する目的は何だろうか」
「……バルニエ公爵は、ルシアン様を王座に就けるおつもりです」
「僕を?」
想像もしていなかった目的に驚いた。王子を誘拐したとしても、王子が言いなりになることはないだろう。
「はい。ルシアン様を国王とし、アリシア嬢を王妃とする計画を立てておりました。王族の完全排除は、貴族のみならず国民からも反発を受けると予想していたのでしょう。ルシアン様の魔力量なら、魔法王国の初代国王としてふさわしいと申しておりました」
アリシアの名前を聞いて、胸がずきりと痛んだ。王子の隣に立つにふさわしい可憐でつつましやかな令嬢の姿が思い出される。不敬とは思っても、国王と王妃になった二人の姿を想像すると似合い過ぎる。
「僕の意思を確かめないってことは、先ほどの呪われた騎士たちのように、僕にも何らかの呪いを施す予定だったのかもしれないね。それなら僕を殺そうとした件も理解できる」
そういえばそうだった。王子はエルベ男爵から毒を盛られ、普通の人間なら死んでもおかしくない状況だった。
「王位簒奪計画で知っていることを教えて欲しい」
「……バルニエ公爵は、我が国が封印し、恐れていた魔物を三十年前に復活させて制御することに成功したと申しておりました。我が国を魔法王国とし、魔物を国の守護に付けることで、周辺国からの侵略に怯える事もなく、永遠の平和な王国が築けるのだと」
魔物を復活させたというのは嘘で、三十年前に魔物の封印が解けただけ。隣国は聖獣である巨鳥ルルサを守護に付けているから、それを真似しようというのだろうか。平和な王国と聞けば良い言葉にしか聞こえないが、永遠と言われると何故か胡散臭いと思ってしまう。
「魔物を制御しているのは誰だろう?」
「バルニエ公爵夫人です」
記憶にある公爵夫人は、銀髪に水色の瞳で、アリシアに似た楚々とした女性。呪われた騎士が言い残した魔術師の特徴は淡い茶色の髪、金茶色の瞳で、異なっている。通常、魔術師と呼ばれるのは男性で、女性は魔女と呼ばれることが多い。それとも、魔術師以上の魔力を操る女性なのか。
「公爵夫人は微量の神力保持者と聞いているが……」
「私もそう聞いていました。バルニエ公爵の言葉のみですので、実態は不明です」
神力保持者と相性が良いのは聖獣で、魔物とは相性が悪いというのが通説。やはり王子が推測したように、生贄か何かで魔物を使役しているのだろう。
「この王位簒奪計画の実行は来年が予定されております。それに向けての戦備と、ルシアン様の身柄確保を求められました。私はルシアン様を引き渡すつもりはなく、この城での長期滞在を提案しましたが、バルニエ公爵からはあの騎士が派遣されてきました。私への見張りでもあったのでしょう。疑われないように、客人として城内でもてなしておりました」
辺境伯の騎士たちの警戒は、王子を護る為のものだった。城内に客人を装う敵がいる状況での緊張感は察するに余りある。
「来年か……バルニエ公爵は、ロザリーヌが隣国へ嫁ぐのを待っていると僕は予想していた」
唐突すぎる王女の名の登場に驚いて王子の横顔を見てしまう。
「もしもロザリーヌがこの国にいる時点で内戦が起きれば、必ずライニールは花嫁を護る為に参戦してくる。……『王子による花嫁の救出』という誰にでもわかりやすく、誰も非難できない理由を掲げられると兵も国民も一つの目標を持って強くなる。我が国の内戦をきっかけに、どんな理由であれ隣国の兵が侵攻してくれば、内戦以上の混乱が起きるだろう」
バルニエ公爵も国を大事に思っている。繰り返し聞いた言葉であっても、その考えは馴染まないし納得できない。
「今回の失敗で、挙兵を諦めるだろうか」
「諦めないでしょう。バルニエ公爵はかなりの貴族を味方に付けております。圧倒的な差はなくとも、戦備のあるなしで戦況は変えられます」
内戦の規模がどれほどのものになるのか想像すると指先が冷えていく。多くの人々が死に、作物が枯れ果て荒廃する大地の光景が脳裏をよぎる。
「挙兵の時期が判明して良かった。戦備が進んでいるにしろ、貴族の大半が整うまで急いでも半年は時間がある。難しいとは思うが、貴族たちの説得をお願いしたい。資金は僕の個人資産をすべて預ける。足りなければ兄の第二王子が用意する。……僕は魔物を退治する方法を探る」
「魔物を退治するのであれば、我が騎士たちをお連れ下さい。皆、魔物にはなれております」
「ありがとう。退治方法が判明次第、お願いするよ。それまでは説得に全力を注いで欲しい」
(魔物の退治方法はわかっているのに。……辺境伯には頼らないおつもりか)
そう気づいても、貴人の話に騎士は口を挟めない。王子と辺境伯のやり取りを聞きながら、私はそっと自分の手を握りしめた。
◆
辺境伯との会談が終わり、滞在している部屋へと戻ると、ティエリーとジュリオ、ガヴィとシビルが立ち上がって迎えてくれた。改めて謝罪しようとするティエリーとジュリオを手で制し、王子は微笑んだ。
「僕が無事に戻ってこれたのは、皆の尽力のおかげだ。ありがとう」
その笑顔を見ると、心に渦巻く否定的な感情が溶かされてしまう。心配も安堵へと変わってしまう。王子の顔での美しい微笑みは、人の心を魅了する。
(何だろう。この違和感は)
ふと考えると、私は金色の子犬のような王子の可愛らしい笑顔の方が好ましいと気が付いた。場違いと思いながらも、思い出すと胸が高鳴る。
辺境伯の夜会の視察を切り上げ、王城へと戻る指示をした王子は、私の手を引いて寝室へと向かった。
◆
寝室の扉が閉まると、金色の子犬が抱き着いてきた。
「ジュディットー!」
ぎゅうぎゅうと抱き締められると、王子の無事を改めて感じて、それまでの緊張が一気に緩みそうになる。それでも言っておきたいことはある。
「……辺境伯に魔物退治の支援を求めなくてよかったのでしょうか」
私の言葉で金色の子犬は王子の顔へと戻った。
「辺境伯の騎士も兵も優秀だ。でも、彼らは魔物の姿が見えないからね。無駄死にはさせたくない」
成程。そう言われれば納得できる。
「では、王子と私で魔物退治ですね」
「えーっと……それは……えーっと」
目を泳がせる王子の顔を見て私は察した。
「……まさかお一人で魔物と戦おうと思われているのですか? あの魔物は魔力を持つ者が心臓を突き、神力を持つ者が首を落とさねば倒せません」
「あ、うん。そうなんだけど……。それはドニに頼もうかなって……」
「ドニ? 神官の? 失礼ですが、彼は私以上に剣を扱えるのですか?」
茶褐色の長い髪、金茶色の瞳の神官の姿を思い出す。かなり痩身の印象で、剣を持つ光景を想像できなかった。
「いや、その……ジュディットにはかなわないけど……」
「勝利の為に、王子が持つ戦力を最大限にお使い下さい」
私を最前線に投じたくないという気遣いは、今は邪魔。先ほどの騎士としての戦いが、騎士の誇りを思い出させてくれた。主である王子の為に、この剣を捧げたい。
「ごめん。正直に言うと、ジュディットは戦力として使いたくない。次の満月の夜は、王城で待っていて欲しい」
何故、王子は私を魔物との戦いから遠ざけたがるのか。目を伏せた王子の顔を見つめていると、鈍い私の頭の中で一つの考えが閃いた。
「王子、最初から……死を覚悟されていたのですか?」
王女の婚礼後、正体不明の魔物を操るバルニエ公爵が挙兵することを予想していたのに、公爵との関係改善を図るのではなく、アリシアとの婚約破棄で決裂を決定づけたのは何故か。
「僕の我儘に巻き込んで、ごめん。……僕は……最期はジュディットの婚約者でいたかっただけなんだ……僕が死ねば〝王子妃の指輪〟も外れる。僕のことは忘れて、幸せになって欲しい」
頭に血が上った私は、王子の頬を平手で思い切り叩いた。
「……ジュディット……」
「身勝手過ぎます! 忘れることなんて、できません!」
王子と過ごした日々は短くても、記憶に強く刻まれてしまった。もしも王子を死なせてしまったら、私は一生後悔することになる。
「我儘に巻き込んだとおっしゃるのなら、最後までお付き合い致します。魔物との戦いは、何があっても参戦します。魔物を倒し、必ず皆で生き残りましょう」
この手に勝利を。王子の手を掴むと、再びその腕に抱きしめられた。
「ジュディット……ごめん……」
私を抱きしめたまま謝り続ける王子に何を言えばいいのかわからなくて、私はそっと抱き返すしかなかった。




