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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
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傷んだ青

作者: 夏秋静真

20201206改稿しました。

 校庭から照り返す夏の日差しが、部室の天井を淡い白色に染めていた。その光を呼び込む窓際に、短い髪を風に遊ばせる少女が空を眺めながら佇んでいる。


「ねぇ和也、高野先輩って彼女とかいるのかな?」


 部室の中央で文庫本を捲る和也と呼ばれた少年が、文字を追うのを止め声とは逆の方へ視線を落とす。そこで机と自身の影が重なった妙な暗さを見つけ、バツが悪そうに答えた。


「いないんじゃない? 少なくとも、見たことも聞いたことも無いよ」


「それは私も同じ! ねぇ、私が先輩に告白したらオッケー貰えると思う?」


「さぁ。でも先輩と仲良い女子は相川ぐらいだと思うよ」


 彼は視線を本に戻しながら、本心からそう告げた。実際、和也の目から見て二人はとても仲睦まじげに見えているし、高野がそういう風に言っていたことも彼は知っていた。そんな彼の心の内も知らず、相川は返答に満足したのかそれ以上何も言わず部室の風景に溶ける和也から外へと意識を移す。ふと、セミの大合唱が始まった。


「はぁ、夏休みが始まるとむしろ忙しいって酷い話よねぇ」


 相川は柔らかな手つきでくうを撫でると軽やかな鼻歌を口ずさむ。彼女は県内でも名の知れたピアニストだった。そんな彼女の仕草は和也も思わず見惚れてしまう程で、自然のスポットライトを一身に浴びる彼女と、それを日陰で見上げる彼との構図は、人生の縮図そのもののように見えた。

 しかし彼は、そんなひと時に希望を見出していた。


「じゃあ私今日は帰るから、先輩にヨロシク言っといて」


 和也が短い返事を返すと彼女は颯爽と暗がりを通り抜け扉を開く。廊下の窓から入り込む細い明かりが新たに相川を包むと、彼は再び逆光を見上げ小さく笑った。部屋に満ちていた熱気が廊下へ逃げるように、彼女は静かに姿を消した。

 一人取り残された彼は読書に戻ろうとしたが、急に部屋が暗くなったことに萎え、ただ何となく窓の外を睨んだ。そこには、大きな入道雲が風に流されている様があった。


 どのくらいの時間が経ったか、扉を叩く音が部室に響く。和也は再開していた読書を止めて「どうぞ」と応えた。その返答を受けて扉が開いた。


「お疲れ。……今日は和也だけ?」


「はい。相川は顔を出したんですけど」


 姿を現したのは高野だった。彼は窓際にある部長用の席に腰を落とすと軽く伸びをする。陽光の中で健康的にしなる肉体に目をみはる和也だったが、すぐに視線を手元に戻す。偶然目に入った一文には「精神的に向上心のない者はばかだ」と記されており、彼はそっと本を閉じた。


「なぁ和也。相川のこと、どう思う?」


「どうって、あいつはただの幼馴染、ですけど」


「それだけ?」


 唐突に立ち上がった高野は穏やかな足取りで和也に詰め寄った。その人陰に包まれた彼が僅かに肩を震わせながら視線を上げると、薄暗い教室に伸びていた細い影がゆっくりと短くなっていった。


 夏休みが始まる少し前、高野と相川はお似合いのカップルとして校内の話題を独占した。





 夏休みが明け体育祭も終わり、すっかり秋の様相を醸す部室の窓際に相川が身体を預けていた。彼女はくうへと指を添え、寂し気なメロディを口ずさんでいる。そんな様をいつかの日と同じように和也が見上げていた。

 ふとメロディが止み、唐突に言葉がもたらされた。


「ねぇ和也、この前のコンクールどうだった?」


「えっ……。なんとなくだけど、以前とは少し違った奥深さ? みたいなのがあったと思う」


「へぇ、珍しいじゃない。今までそんなの言ったことなかったのに」


 結局部員の集わない部室の中で和也は居心地の悪さを感じていた。彼は、彼女の発する「音」の変化があの夏の少し前から起こっている事を知っていた。そして、夏休みが明けた頃には確信に至るほどの変貌を遂げていた事にも。


「先生も親もうるさいし、恋愛なんてするんじゃなかったかなぁ」


「それは、俺にはなんとも言えないけど……」


 鞄から本を取り出した彼は適当にページを捲り、食いつくように文字列へと視線を落とそうとした。だが開いたページは一編の切れ間で、そこはまっさらな空白で埋め尽くされていた。和也の思考が一時停止したとき、いつの間にか彼の傍に移動した相川が声をかけた。


「ねぇ和也。私と先輩の事、どう思う?」


「お似合いだよ、間違いなく。……っ!」


 彼が反射的に見上げた彼女の表情を確認する間も無く、二人の唇が触れ合った。あまりに唐突な出来事に身動きできない和也の頬を冷たい指先がなぞり、彼の背筋を凍らせた。それでも彼は相川を突き放すことはできなかった。

 十秒に満たない接触は相川が身を引く形で終わりを迎える。彼女は自身の唇を人差し指で撫で、冷たく微笑んだ。


「だろうね」


 相川はそれだけ言うと部室を出て行った。去り際の閉まりかけた扉から「また明日」という言葉が辛うじて彼の耳に届く。彼は本を読むでもなく、ただ彼女が立っていた窓際を眺めていた。空は昏くなりつつあった。

 そうしている内にノックも無く扉が開かれた。現れたのは高野だった。


「どうしたんだよ、そんな黄昏たふうにして」


 部室に入るなり早々、彼はぼうとする和也の表情を見つめ何か返事を待つ訳でもなく僅かに濡れた彼の唇を塞いだ。


「あれ? 深雪にプレゼントしたリップクリームと同じ匂いがするな……。もしかして和也、深雪とキスした?」


「いや、相川とそんなこと……」


「うそだね」


 高野は和也の顎を軽く摘んで持ち上げた。視線の逃げ場を失った彼はその気まずさよりも温かな指の感触に背徳感を覚えていた。


「深雪から聞かれたんだよ、俺と君のこと。誤魔化せるような感じでもなかったから全部教えてあげたよ。そしたら、『それでもいい』ってさ。芸術家肌の子の考える事はよくわからないけど、まさかこうなるとはね……」


 唐突に携帯電話の電子音が鳴った。高野は困惑する和也を他所に機械を操作し、冷ややかな笑顔を浮かべてディスプレーを彼に見せる。そこには高野と相川のチャット履歴が映っており、その最新メッセージに「ちょっとだけ先輩の味がした。昼休みにしたんだ?」と書かれていた。


「え、どういう……?」


「わからない? まぁ、なるがままも人生だよ」


 再び高野の唇が彼を奪う。粘膜の触れ合う音をシャッター音が阻害する。朦朧とする和也を他所に彼らのチャット欄に新しい会話が追加された。





 窓の淵に桜の花びらが落ちた。誰も使わなくなった部室には、使い古された楽譜と幾つかの文庫本が取り残されていた。

 ふと、閉ざされていた扉の鍵が開かれた。真新しい制服を着た少年少女らがそれらを見つけてはしゃいでいる。

 そして誰かが、逆光を見上げた。

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