そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)5.0 < chapter.4 >
ベイカーが帰ってきたのは、その日の夕方のことだった。各種検査を終えて、身体的には何の異常も見られないとの診断が下された。だが、ベイカーに憑く女神たちの見解は異なる。
特務部隊宿舎のリビングで、ソファーに腰を下ろしたベイカーを女神たちがぐるりと囲む。ベイカーの足元に座るのは緋色の翼を持つ勝利の女神、ニケである。ニケはベイカーの手を取り、その指先をまじまじと観察している。
「蝶に接触した部分だけ、別の神の気配がべったりと張り付いているな。どうにか剝がせないものか……?」
「ねえニケ? 貴女の聖火で祓っちゃえば?」
「無理を言うなカリスト。聖火で祓えるのは邪気のみ。これは不完全とはいえ、一応は神に連なる者だ。我らと同じ属性のものを祓うことは出来ない」
「じゃあさ、ルキナが祝福して、ちゃんとしたカミサマにしてあげるとか……」
「それも出来ません。私の能力は、人の子に生誕の祝福を与えることです。私には、新世代の神を産む能力は備わっていませんよ」
「そうなの? じゃ、フォルトゥーナは?」
「ルキナ同様、私に回せる歯車は人の子のそれに限られる。神の命運を左右するなど、出来ようはずもない」
「……つまり、これが何か、お前たちでは把握できないということだな?」
ベイカーに問われ、女神たちは申し訳なさそうに目を伏せた。
「いや、すまない。今の言い方では、お前たちを責めているように聞こえるな。迂闊に触った俺が悪いのだ。ただ、今の状況を正確に把握したいと思っただけだ」
「役に立てなくてごめんね、サイトちゃん」
上目遣いでベイカーを見て、甘い声音で謝るカリスト。純白の衣を身に纏った美の精霊に、ベイカーは優しい目を向け、頭を撫でる。
「妹が増えたみたいだな」
「妹ぉ~? ねえ、ちょっとぉ~? 私のほうが、ずっとずっ~と、お姉ちゃんなんですけどぉ!?」
「あはは、そうだな、すまない。神は年を取らないから、どうにも年上と言う気がしなくて……」
「子ども扱いしないでよ! もう!」
ぷんぷん怒りながら姿を消すカリストに、他の女神たちも顔をほころばせる。
「まあ、可愛いこと」
「本当に、お兄ちゃんと妹のようですわね」
微笑む女神たちの中で、ニケだけは溜息交じりに忠告してくる。
「なあ、サイト? 今のはお前が悪いぞ。精霊は子供の姿であることが多い。カリストはあれでも、随分『大人っぽい』精霊なのだぞ?」
「そうなのか? どう見ても十五、六の子供としか……」
「私が知る限り、他の精霊は十歳くらいまでの幼女の姿をしている。カリストは妹扱いされるより、『頼れるお姉ちゃん』と思われたいタイプだ」
「とすると、ひょっとして、傷つけてしまったかな? 謝ったほうがいいか?」
「ぜひそうしてくれ」
あちらが兄と妹なら、こちらは姉と弟だ。勝利の女神ニケは、このところベイカーの『頼れるお姉さん』になっている。戦女神として戦闘経験が豊富であることも、軍神タケミカヅチを宿すベイカーと好相性となる要因のようだ。
もう一人の戦女神、運命を司るフォルトゥーナは、ベイカーの右手を取って改めて観察する。
「この気配……やはり、白虎と青龍を合わせたもののようだな。しかしこの歯車……運命が、どこともつながっておらぬ」
「どことも、とは?」
「見せてやろう」
フォルトゥーナが手をかざすと、右手の上に複数の歯車が出現した。実体を持たない立体映像のようなものが、皮膚から数センチのところに浮いている。
種類は二種。一つはパチパチと電光を放つ紫の歯車。これはベイカー自身の歯車であるらしく、腕のラインに沿って心臓のほうまで続いている。細かい歯車がいくつも噛み合って一人の人間の『運命』を動かしているのだと、視覚的に示されていた。
しかし、もう一種はピクリとも動いていなかった。薄青く透明な歯車だが、そもそもベイカーの歯車とは凹凸の形状が合わない。たった一つだけ、色と形の違う歯車が停止している状態である。
「まあ、はじめて見ましたわ」
「フォルトゥーナには、いつもこんな歯車が見えているのね?」
「ああ。私はこの歯車の位置を調整することで、人と人の運命を繋げたり、無用な衝突を回避したりしている。視覚領域を拡張すると……」
フォルトゥーナが力を使うと、リビングルーム全体、すべての物体の上に色とりどりの歯車が出現する。
ソファーからはいかにも柔らかそうな、丸っこい歯車がいくつも浮き上がってきた。ベイカーの背中や腰の歯車を優しく包み込むように、緩やかに回る。
植木鉢と観葉植物は茶と緑の歯車がピタリと噛み合って、コロコロと心地好い音を立てていた。
そして部屋の隅のマガジンラックからは、ギチギチという異音が聞こえている。一斉に視線を向けると、斜めに突っ込まれた漫画雑誌とラックとの間で、うまく噛み合わない歯車があった。
ラックの近くにいたコンコルディアが雑誌をまっすぐ差し直してやると、歯車はピタリと噛み合い、カラカラと滑らかに回り始めた。
「おお! 視覚化されると分かりやすいな!」
「うまく回らない歯車を放置しておけば、いずれどちらか、もしくは両方が壊れてしまう」
「今のを例にとると、斜めに突っ込まれた雑誌の表紙が痛んだり、本自体が曲がったり……だな?」
「そうだ。そして、見ろ。神と人とも、運命が繋がっている」
ベイカーの歯車と、ニケ、フォルトゥーナの歯車とがきちっと噛み合い、三人で一つの機構として稼働している。他の女神たちとも部分的に接続されてはいるが、いつ切り離されてもおかしくない、弱々しい繋がりのようだった。
「なるほど。これが『運命の出会い』の正体か」
「ああ、同じ日に、同じ場所で出会っても、そもそもうまく噛み合わない組み合わせもある。だから彼女らは、お前以外の依り代を見つける必要がある。皆、自分でも薄々気付いているようだが……」
そう話しているフォルトゥーナに、女神たちはいっせいに顔を寄せる。
「フォルトゥーナ! 今すぐお風呂場に行きましょう!」
「トニー君と相性がいいのは誰か、視覚的に、はっきりと優劣をつけることができますわ!」
「万が一トニー君がダメでも、今ならみんなお風呂場に揃ってるもの! 誰か一人くらいはマッチするはずよ!」
「私、ハンク君ならいいかな、って……キャッ! 言っちゃった!」
「えっ!? ボナ・デア!? 嫌ですわ、私、貴女とは姉妹のような関係のままでいたかったのに……」
「ええっ!? ルキナさまもハンク君狙いですの!?」
「譲りませんわよ!」
「わ、私だって……!」
「ちょっと待てやめろお前たち! そこで戦争を勃発させるな! というか、風呂場に突撃して男を取り合う女神なんて、どこのポルノコミックだ! 少し落ち着け!」
女神たちはハッとして口をつぐんだ。
そこにちょうど、入浴を終えた隊員たちの足音が聞こえてきた。
神の器として創られた者以外には姿は見えない。が、直前の会話が気まずい内容であったためか、女神たちはいっせいに姿を消してしまった。
「ウィ~ッス! お風呂お先に頂きました~」
「あれ? 隊長だけッスか?」
「お一人ですか? 話し声がいっぱい聞こえた気がしたんですけど……?」
キョロキョロするレイン。本人は無自覚だが、彼を器とするコニラヤはツクヨミと同じ属性を持つ。闇属性の神は、総じて感覚器官が鋭敏であるらしい。
「さて? 俺はずっと一人でここにいたし、気のせいではないかな? それより、マルコはまだ目を覚まさないらしいな?」
「はい。なんか、全然ダメみたいなんです……」
「そうか……今夜中に目覚めないようなら、さすがに王宮にも報告せねばならないな……」
王宮に報告。それが非常に大きな問題であることは隊員たちも承知している。原因不明の昏睡状態に陥ったことについて、マルコの実母、ヴィヴィアン女王がどう思うか。場合によっては、特務部隊員らが責任を問われる可能性もあるのだ。
隊員たちは、自然とベイカーを囲むように腰を落ち着けていく。
「起こすったって、バケツの水ぶっかけるわけにもいかねえしなぁ……」
「それでオハヨーしたら何の苦労もねえッスよ~」
「しかし……何をどうすれば眠り姫を目覚めさせることができるのか……」
溜息を吐くベイカーに、キールとハンクがほぼ同時に手を挙げる。
「ん? なんだ、二人とも?」
二人は互いに顔を見合わせ、軽く頷き合ってからキールが言った。
「マルコの件とは関係ないが、今のうちにはっきりさせておきたい。サイト、お前、俺たちに隠し事してるだろう?」
キールとベイカーは高校時代からの付き合いである。身分差など気にせず、二人はファーストネームで呼び合い、砕けた口調で会話する。
単刀直入な物言いに、ベイカーはヒヤリとした。この文脈では、おそらくここ数週間の『神』絡みの話であろう。
ベイカーは、一応は空とぼけてみせる。
「うん? 隠し事とは、なんのことかな?」
「相変わらずすっとぼけるのが下手だな、お前は。俺たちが気付いていないとでも思ったか? お前、このところいつも、本部の中にまで彼女連れ込んでるだろ!」
「……彼女?」
「俺は見たぞ? おとといも宿舎の裏で、ピンクのドレスの子と話し込んでたじゃないか! 綺麗な金髪に、薔薇のコサージュつけた子だよ!」
「俺が見たのは緑のワンピースの、オレンジっぽい髪の子でした! 隊長! 本部に民間人を連れ込むのは規則違反です! それも二股かけるなんて!」
「えっ!? い、いや、ちょっと待て二人とも! おい、本当に見えたのか!?」
「見えた? ああ、そりゃあ見えるさ! あんなに人目に付きやすい場所でイチャついてたらな!」
「本部敷地内というだけでも、既に規則違反なのに! 庁舎内にまで連れ込むなんて!」
「……そうか、わかった。よし! ユヴェントゥス、ボナ・デア! 出てこい!」
「え?」
「でてこい?」
きょとんとする二人の前に、二柱の女神が顕現する。
しかし二人の目に見えているのは、それぞれ『自分と相性の好い女神』だけである。
「うわぁ!? おい、これ誰だよ!」
「隊長! こちらの女性は!?」
と、同時に指差した方向が全く違う。
それに気付いた二人は、互いに訝しげな顔を向け合う。
「おいハンク、どこ指差してるんだ?」
「お前こそ、なんで何にもないところを……?」
「え? いや、おい、嘘だろ? いるだろ、ピンクのドレスの美女……」
「何言ってるんだ? そっちじゃなくて、こっちに緑のワンピースの……」
そこまで言って、無言になる。
なにかがおかしい。
これ以上ないくらい複雑怪奇な表情になった二人に、ベイカーはあっさりと説明する。
「ピンクのほうが青春の女神ユヴェントゥス、緑のほうが豊穣と癒しの女神ボナ・デアだ。今日、たった今から、お前たちの守護に当たってもらう。それで大丈夫だよな、フォルトゥーナ?」
呼ばれて現れたフォルトゥーナは、この場の全員の目にも見えるよう、力を最大出力で使用してみせる。
隊員たちの目に映るのは、先ほど同様、立体映像として浮かび上がる無数の歯車である。
「わ、なんだこれ!? え? えっ!? なんか、つながって……?」
「これは……二人で、一つの……?」
キールとユヴェントゥス、ハンクとボナ・デアの相性は最高と言えた。
二人は女神たちの『器』として特注された人間ではない。だから彼ら自身が女神の力を引き出し、使用することは出来ないだろう。それでも二柱の女神と二人の歯車は、色も、形も、回る速度も奏でる音も、寸分の狂いもなくピタリと噛み合っていた。
キールは自前の甲羅も角も持たない人型種族。防御力が低いため、獣人系種族のような近接戦闘には向かない隊員だった。しかし、ユヴェントゥスが守護してくれるならこれ以上頼もしいことはない。これからは思い切った突入作戦にも起用できるだろう。
ハンクは攻撃、防御共に優れたネコ科種族だが、だからこそ他の隊員をかばって負傷することが多い。癒しの女神ボナ・デアが加護を与えてくれるのなら、安心して前線に配置できる。
(最高の組み合わせだな……これで、今後の特務部隊の活動はぐっと楽になるだろうが……)
「きいいいぃぃぃえええぇぇぇ~いっ! 許しません! 絶対に許しませんわよボォォォナァァァ・デェェェアァァァ~っ! どうして貴女がハンク君をゲットするんですのぉぉぉ~っ! 呪って差し上げますわよぉぉぉ~っ!」
ベイカーの脳内で絶叫しているルキナの存在だけが、非常に気がかりであった。
一通りの説明を駆け足で聞かされ、キールとハンクは完全に頭を抱えていた。
「えーと、その、なんだ? つまり、俺と女神の相性が良いから、このまま一緒になれ……と?」
「各種族の祖となった神々の話は知っていますが、彼女たちは、それとは別なんですね?」
「ああ。急にこんな話をされても信じられないだろうが、彼女らは地球の神だ。ひとまず、自分の目で見たものだけは信じてもらいたい」
「見たもの……」
「信じる……?」
新しい依り代に満足した女神たちは、幸せそうな顔でキールとハンクに寄り添っている。床のラグマットに腰を下ろし、ソファーに腰掛けた二人の足にしなだれかかっているのだ。二人の視点からは、上目遣いの女神たちの胸の谷間がしっかりと見えている。
「……ああ、うん。すごくよく見える……」
「これは信じざるを得ないな……」
絶世の美女のふくよかな谷間を前に、二人の知能指数は大幅に低下していた。今ならどんな無茶な頼み事をしても、中身を理解しないまま引き受けてしまうだろう。
「うむ! 理由はどうあれ、素直に受け入れてくれるならそれで良しとしよう!」
ベイカーのほうも、あまり深く考えるつもりはないらしい。さっさと話の筋を『本題』に戻す。
「バックグラウンドを大まかに理解してもらったところで、マルコのことについて考えよう。明日の朝までに意識が戻らなければ、このことは王宮に報告せねばならない。しかし、それは我々が責任を追及され、クビにされる可能性がある。言葉の綾でなく、女王陛下のご機嫌次第では、文字通り首を刎ねられる。そんな最悪の事態を回避するためにも、どうしても今夜中に問題を解決せねばならない。そこまでは、みんな分かってくれるな?」
隊員たちはいっせいに頷く。その顔を一人ずつ確認していくベイカーだが、一人足りないことに気付いた。
「チョコはどうした?」
「いや、一緒に風呂出たはずなんスけども……?」
「鼻唄歌いながら、自分の部屋のほう歩いていきましたよ?」
「マジかよ。レイン、そういうときは一応引き止めろっての」
「引き止めましたよ~。ヘッドホンつけてて聞いてなかったみたいですけど……」
「またかよ! マジでヘッドホン禁止にしたほうがいいかもしれねえな……」
「駄目ッスよ先輩。前にエアギター禁止にしたら、あいつ発狂しそうになってたじゃないッスか」
「ノーミュージック・ノーライフか……それならば仕方が無いな……」
「えっ!? いいんスか隊長!」
「ああ。そういう熱いソウルは、俺もよく分かるからな。チョコからは同じバイブスを感じる」
「感じちゃうんスかっ!?」
ベイカーの判定基準は、時々ゴヤにも分からない領域に突入する。
そういうわけで、チョコ抜きで話が進められることとなった。まずはマルコの現状である。
「自発呼吸を取り戻してからは、ただの睡眠状態と区別がつかない脳波パターンなんだな?」
ベイカーの問いにはロドニーが答えた。
「音にも、電気刺激にも反応なし。今、副隊長が傍についてますけど……ツクヨミにもお手上げみたいです」
「神の器の目線で見ると、体内にはあの蝶がびっしり、と?」
「はい。蝶自体は毒物でも呪詛でもなくて……でも、みんな無駄に動き回ってて、何がしたいのか分からない感じですね……」
「ふむ、蝶の目的は依然として不明、か……。呪いでもないのに、なぜまだ眠り続けているのか……まずはその理由を知りたいところだが……」
この言葉に、フォルトゥーナが声を発する。
「心当たりがある」
「なに? 本当か?」
「青年はサラと一緒に孵化した。それによってサラと青年の運命は、ひと繋がりのものとして組み替えられてしまった。青年とサラは今、精神世界の中で、その接続部分を改変しようとしている。眠っているのではなく、『外の世界』に構うだけの余裕がないのだと思う」
フォルトゥーナが胸の前で手を叩くと、空中に立体映像が浮かび上がった。
オフィスに置かれた水槽と、医務室で眠り続けるマルコ。その映像は肉眼ではなく、『神の眼』で見たそれぞれの姿である。
「え? おい、マジかよ!」
「なんスか、この歯車の数!?」
二人の体の上に浮かび上がる歯車は、ベイカーやロドニーらとは比較にならないほどの数だった。サラからはディープマリンの歯車が、マルコからは無色透明なガラスのような歯車が。それらが恐ろしいほどの速度で回り、次々に新たな歯車と接続されていく。
目で見て分かる。
彼らは今、世界の何かを作り替えようとしている。
言葉を失う一同に、フォルトゥーナは言う。
「サラの歯車を見てほしい。凹凸の形状が古い世代の神とは異なる。この形状では世界の誰とも繋がれない。しかし、青年の歯車とは連動できている。そして青年の歯車は、サイトや、他の仲間とも繋がることができる」
ベイカーはハッとして、自分の指先に残る小さな歯車を見る。
「まさか、マルコは『アダプター』の役目を果たしているのか?」
「ああ、そのようだ。この青年の存在は新旧二つの時代の境界線上にあり、その両方とコネクト出来る。しかし、だからこそ運命は狂ってしまった。この青年の運命と一体化したことで、サラは『新世代の神』となった。サラはもはや青龍ではない。自分が産み落とした神を、自分の子とは思っておらぬ。そして子のほうも、サラを生みの親とは認識していない。せっかく『両性具有の神』として生まれ直したのに、これでは、自分の子を創り直してやることはできない……」
右手人差し指に残る、薄青く小さな、動かない歯車。
それを顔の前にかざして、ベイカーは目を細める。
「ならばこれは、『世界』という大車輪から振り落とされた、拠り所無き神か……?」
「そういうことになるな。しかし、青年は諦めていないようだが……」
超高速で組み変わる歯車の機構。その中に、徐々に別の色の歯車が混ざってゆく。
限りなく黒に近い緑は、玄武の歯車である。
「三人がかりで、この神を受け入れる機構を作るつもりか? しかし、この様子では……」
「うまくいく気はしないな。どうする、サイト。お前の力で、この神を食らうか?」
ベイカーの内に宿る神タケミカヅチは、他の神を体内に取り込み、『魔剣』として使役する。だが、自身の意思で協力しているフォルトゥーナらと違い、その気がない神を取り込むには『食い殺す』必要がある。
今、必死に受け入れ態勢を整えようとしているマルコの前で、そんなことは出来なかった。
「いや、別の手段を考えよう。今手元にある、この歯車。これは重要なヒントだと思うのだが……」
誰もが真面目な顔で、最良の手を考えようとした。『彼』が現れたのは、まさにそのときである。
「あ、やっぱりこっちにあったーっ♪ 隊長すんません! それたぶん蓄音機の部品でーっす♪」
ひょいと伸ばされた手。
ベイカーの指先から薄青い歯車をつまみ上げ、そのまま自然な動作で、小脇に抱えた蓄音機の中に嵌め込んでしまう。
「え?」
「お?」
「あ?」
「ちょっ……?」
咄嗟の一言が出てこない仲間たちの前で、彼は手際よく部品を組み、ネジを締め、ローテーブルの上に蓄音機を置く。
「いやー、良かった! 部品なくしたと思って超焦りましたよ~! たぶんこれで元通りに……」
サイドボードに置かれたレコードを適当に選んで、ターンテーブルに乗せてハンドルを回す。すると驚いたことに、蓄音機は何の問題もなく、当たり前のように音楽を奏で始めた。
「あー……チョコ? 何日か前から、蓄音機を見かけないと思っていたのだが……」
「はい! 入浴後の自由時間を利用して、チマチマ直してたんです! これで隊長のお好きな地球の曲、聴けるようになりましたよ!」
「あ、ああ、ありがとう。聴ける……のか?」
と、そこまでマイペースに押し切ってから、チョコはさらにマイペースな質問をする。
「ところで、こちらのオネエサン、誰の彼女さんですか? つーかもー、こんな美人どこでナンパしたの? なに繋がり? どこのパーティー? 初めまして、俺チョコです! オネエサンなんて言うの? あ、フォルトゥーナさん? 初対面でいきなりなんですけど、年の近い妹さんとかいたりしません? 恋人募集中なら従姉妹とかでも全然オッケーなんですけど! 良かったら今度、紹介してもらいたいなぁ~♪」
フォルトゥーナの手を取って、熱烈に握手している。
それを見て、神々は「あっ!」と声を上げた。
姿を見せていたとしても、ただの人間が、神に触れることは出来ないはずなのだ。
すかさずニケが実体化し、背後からチョコを締め上げる。
「貴様! どこの神の器だ!?」
「うわあっ!?」
レインの時と同じである。チョコと、中に隠れた『何者か』の姿がわずかにズレた。
「やはり誰か入っているな!」
「え、ちょ、どういうこと!?」
「出てこい! 貴様は何者だ!」
ニケに引きずり出されたのは、葉っぱの冠をかぶった青年だった。
神には違いないのだが、神々しさも威圧感も一切感じさせない、牧歌的な雰囲気を持った青年である。
「わあああぁぁぁーーーっ! 俺からなんか出たあああぁぁぁーーーっ!」
驚愕のあまりとんでもない表情になっているチョコには申し訳ないが、ベイカー憑く神・タケミカヅチは、中身のほうに話しかける。
「お初にお目にかかる。俺は大和の軍神、タケミカヅチだ。そちらは?」
青年は困ったような顔で、頭を掻きながら名乗る。
「マヤの神、ヤム・カァシュですだ」
「何の神だ? 失礼だが、神格がかなり低いようだが……」
「あー、んだすー。オラ、トウモロコシの神ですからにー」
「トウモロコシ? 農耕神ではなく?」
「んだすー。それも、その、品種改良前の、原種の神だったもんでー。外来品種とか、遺伝子組み換え品種育てるようになって、地球から追い出されちまってよー」
「……遺伝子組み換え品種が栽培されるようになったのは、ここ十数年ではないか?」
「あ、はいー。えっと、オラ、昨日こっちさ送られてー」
「きのう!?」
「そんで、どうしたらいいか分からんくて困っとったら、なんか神様の気配さいっぱいあったんで、来てみたんだすよー。そすたらこのお人が、禊終えたとこですてねー? 誰の器でも無さそうだし、ちょうど良がったんで、取り憑かせてもらいましたからにー。ご挨拶が遅れますて、申す訳ねえです。どぞ、よろすく」
「……ってお前、チョコが偶然風呂上がりだったから憑いたのか!?」
「どんな理由だっつーの!」
「マジパネエ!」
「相性大丈夫だったんですか!?」
これには、ハッとした顔でチョコが答えた。
「うち、漁業やりながらトウモロコシ育ててる兼業農家だから……っ!」
「トウモロコシ! 育てているのか! 実家で!」
「はい! かなり野生種に近い飼料用のを!」
「なるほど、ほぼほぼ原種だな!」
相性が良い理由は分かったが、この唐突に現れた神は、チョコと同じか、それ以上にマイペースな性格をしているらしい。ローテーブルの上にある蓄音機とレコードを指差して、こう言った。
「あの、おら、皆さんのお話の邪魔すねえよーに、BGM係やらせてもらいますんでー」
「あ、はい、よろしくお願い致します……」
感情の処理が追い付かなくなったタケミカヅチは、思わず敬語で答えてしまった。
お洒落なジャズ音楽に包まれたリビングルームで、神と人間の、埒の開かない超会議が再開される。
「で? 回らないはずの歯車は蓄音機のパーツにされてしまったが、これについて誰か、なにか思いつくことは?」
「はい! はいはい!」
「お、ゴヤ、なんだ?」
「このまま、蓄音機のカミサマになるんじゃないッスかね?」
「ああ、そうだな。特定器物の神も世の中には居るが……いまさらアンティークの蓄音機を守護されても……」
「はい隊長! だったら機械全般のカミサマって可能性もあるんじゃないですか?」
「いやロドニー、機械とザックリ大まかに括るわけにはいかないだろう? タケミカヅチは軍神として、戦闘機や戦車の守護まで任されていたが……コンバインやハーベスタは豊穣神の管轄だぞ?」
ベイカーの言葉を受け、ニケが苦笑しながら発言する。
「日時計が開発されたころ、太陽神と時の神、どちらが守護すべき器物かで会議を開いたな。懐かしい。神のほうが、人の進化に追いつけずにいたころだ」
「やはりそちらの国でも揉めたのか?」
「殴り合いの喧嘩に発展した」
「だよな。大和の国でも、軍艦の守護は海の神の管轄か、武器の神か、それとも巨大な居住空間と考えてヤモリに守護させるかで大揉めに揉めて、結局無関係な山の神と川の神を乗せることになったし……」
「だから負けたのではないか?」
「ああ……せめてヤモリなら、生存者はもう少し多かっただろうに……」
「なあサイト、こういうのはどうだろう。青年の体に負担をかけることにはなるかもしれないが、とりあえず、ここにいる神が、一人ずつ接触を試みる。玄武とサラでは形状が合わなくとも、誰か一人くらいは、あの神と何らかの繋がりを持てるのではないかな?」
「ああ、そうだな。このまま話していても埒が明かないし……みんな、それでいいかな?」
ニケの提案に全員が同意した。
このとき、この場の誰もが思った。自分にも、こんな『美人で頼れるお姉さん』がいたらいたらよかったのになぁ、と。
一般職員が帰った後の庁舎内は、何とも言えない不気味な静けさに包まれていた。照明の消された暗い廊下を進みながら、ロドニーがどうしようもない感想を述べる。
「この雰囲気、学校の怪談っぽい! ね、隊長? それっぽいですよね、ここ!」
「いやいや、こんなに神だらけの集団を前に、姿を見せる幽霊もいないと思うが……」
「あ、そういうBGMにしたほうがええですかね?」
「蓄音機無しでもできるのかよ!?」
「こう見えても、収穫祭ではよくやってますただ~」
トウモロコシの神はヴォイスパーカッションを始めた。
「じゃあ俺、歌いますね!」
チョコは手拍子を打ちながら即興曲を歌った。
マイナーコードの抒情的かつ壮大な低音ビブラートは、無駄に感動的である。
「うめえ! 無意味にうめえ! なんだこいつら!」
「フフフ、そうだろう? 最終面接でこのソウルフルな歌声を披露されては、採用せずにはいられなかったな……!」
「え、まさかそれだけで合格させちゃったんですか!?」
「ああ、直感でこいつしかいないと思った」
「直感!?」
すかさずフォルトゥーナが現れ、チョコとベイカーの相性を視覚化して見せる。
二人の間で、超巨大な歯車がガッチリと噛み合っている。
「マジかよ!」
「ちなみに、君が加わるとこうなるが?」
ロドニーの歯車は小さめだが、各所にうまく絡み合い、三人で絶妙な連動を見せていた。
「親子や恋人でも、ここまで良い相性であることは少ないな。バンドでも組んだらどうだ?」
「バンドだと? よし! ならばドラムスは任せてもらおうか!」
「え、じゃあ俺ラッパー枠で……」
「あ、隊長たち、わりとガチめなのやる気ッスね!? 俺バンドネオンいけるッスよ!?」
「リローネ弾けるぞ!」
「トリプルホルンなら!」
「分身状態なら、一人で三和音コーラス」
「触手使えばグラスハープ二十四音階同時演奏できますよ! ハンドベルも!」
「いやいやいや! お前ら、その特技おかしくねえか!?」
普通のギターやピアノを弾ける隊員はいないらしい。律儀にすべて可視化してくれるフォルトゥーナのおかげで、バンドとしての展望は非常に明るいことが分かった。だが、あいにく彼らは騎士団員である。バンドを結成して全国ツアーに出るわけにはいかない。
深刻さの欠片も無い彼らが医務室の扉を開けると、そこにはげっそりとした表情のグレナシンがいた。
「なぁ~に仲良くお歌なんか歌っちゃってんのよ! マルちゃん全然目ぇ覚まさないんだけど!? もうちょっと真面目に考えなさいよ!」
「いや、そのことなのだが、マルコは目覚めないのではなく、『起き上がる余裕がないほど忙しい状態』らしい」
ベイカーは、先ほど宿舎で交わされた会話をかいつまんで説明する。そしてそのついでに、どさくさ紛れに仲間になったトウモロコシの神、ヤム・カァシュの紹介も済ませる。
「はあっ? トウモロコシ? なによそれ、大和の国じゃアマテラスとウカとワダツミが農水省に降臨して守護システム一元化してるわよ? なんで旧品種だけ守護してんの? 意味わかんない! 農業試験場も加護しときなさいっての!」
「いんやあ、オラ、難しいことさ分がんねくて……」
「そんなんだからグローバリゼーションの波に乗り遅れて異界送りにされるのよ!」
ツクヨミに一喝されて、ヤム・カァシュはしょぼんと項垂れてしまった。
「あー、もう! しょうがないわね! アンタ、あとでちょっと付き合いなさい! 異界暮らし基礎講座、マンツーマン授業してあげるわ!」
「ホントですかや? いんやぁ、ありがてぇこってす。よろすくお願いすますからにー」
「おうよ! このツクヨミ様に、ドォ~ンと任せときなさぁ~い!」
こんな危険なオカマにマンツーマンレッスンされたら、純朴な唐黍神は何をされてしまうのだろうか。隊員たちの胸に不安の影がよぎったが、余計なことを言えば己の下半身が危険にさらされる。誰もが中途半端な表情で口を閉ざした。
グレナシンはベイカーのほうに向きなおり、話の筋を戻す。
「で? 一人ずつ接触してみる、だっけ? さっきアタシも手ぇ出してみたけど、全然反応なかったのよね~。ツクヨミはハズレ。もう、こうなりゃダメ元ね。とりあえず、みんなやってみてちょうだい」
「ああ、では……」
ベイカーが進み出て、ベッドに横たわるマルコに触れる。
その瞬間、二人の歯車が複雑に絡み合い、その機構が大きく拡張されていく。
これは、『運命』という名の未来の可視化である。
王子と特務部隊長。それぞれ背負うものが非常に大きく、重い二人だ。共に一つの道を歩むとしたら、その選択肢と結果は恐ろしく膨大な数となるらしい。
そこにもう一種類の歯車、タケミカヅチが加わる。どこにも接続されない薄青い歯車を、どうにか機構に取り込もうとするのだが――。
「……いや、無理だな。どうしても形が合わない……。この状態のまま、他の神も順に試してみてほしい」
ベイカーの声に呼応して、まずはルキナが出た。しかし、結果はタケミカヅチと同じ。続いてニケ、カリスト、リベルタス、コンコルディア、パークスが試してみるも、青い歯車に反応はない。
「おいクソニートども。お前らも出ろ」
呼ばれて出てきたのはタケミカヅチの三つ子の兄弟、ミカハヤヒとヒハヤヒである。二人も青い歯車との接触を試みるが、まったく反応がない。
「ニートはニート同士響き合うものがあるかと思ったが、やはりただのニートか。社会のクズめ……」
なかなかひどい言い種だが、ミカもヒハヤも、なぜかゴミクズ扱いされて至福の表情を浮かべている。ベイカーの内部で彼らに対しどのような調教が施されているのか、決して考えてはならないと思った隊員たちである。
残る二柱、トリノとサマナスも試してみるが、彼らは神どころか、マルコとも接続が確立できなかった。
「……? マルコは、誰とでも繋がれる能力者というわけではないようだな?」
ベイカーの疑問に、フォルトゥーナが歯車の一部を指差す。そこにはなにか、模様のようなものが刻まれていた。
「トリノは大和の神、サマナスは雷属性の者とのみ呼応するよう条件づけられているようだ。青年はどちらでもない」
「ああ、なるほど。そういう『運命』もあるのか……」
少し考えるような顔をした後、ベイカーはマルコから離れた。
次にキールとユヴェントゥス、ハンクとボナ・デアも試すが、そもそもマルコとの接続がベイカーのときより弱い。同じ部隊の先輩・後輩という繋がりだけでは、これ以上の『運命』の広がりは無いということなのだろう。
ロドニーとオオカミナオシもマルコに触れてみるが、やはり違う。オオカミナオシは他のどの神とも異なる形の歯車を持ち、ロドニーを経由して他の神と繋がる機構を持つ。『闇堕ち』した神を修復、もしくは抹消するという特殊な役割を持つ以上、ごく普通の状態で、他者と運命が繋がることはないらしい。
残りの隊員も順番に試していく。
トニーは互いにライバル視しているだけあって、ベイカーのときと同じか、それ以上の巨大な機構に。あちこちで火炎放射器のような機械が火柱を上げ、そこにマルコの鎖が複雑に絡みついている。
レインとコニラヤはバネ状のパーツやシリンダー、半回転ギアなどを含む可変型機構になり、妙な具合に速度や回転方向を変えている。
チョコとヤム・カァシュは、どう見ても歯車ではない機械類に接続されている。ロータリーカッターやプレス機、裁断機のように見える。
ゴヤの歯車はそれ自体が接続するというより、歯車同士の連結部に何かを塗布しているようだった。ある程度回転すると、すっと消えてしまう。まるでグリース塗布専用のメンテナンス部品である。
運命の歯車の可視化。それによる特性の違いに、神も人間も、誰もが同じように驚いていた。
「ここまで差があるものなのか?」
「もしかして、これ、一人ずつじゃダメなヤツじゃないですか?」
「ああ、そんな気がしてきた。俺の中にいるサマナスとトリノも、俺を経由すれば他の神と繋がれるわけだし……」
「なあ、キール。俺と二人で、同時にマルコに触ってみようぜ?」
ロドニーの提案にキールは頷く。そして二人同時に手を伸ばすと――。
「あ! やっぱり!」
「さっきと違う形に組み上げられていくな」
「キールとマルコの接続も、さっきより強いぜ。やっぱり俺たち、チームとして動いたほうが色んな可能性が出てくるってことなんじゃねえか?」
「レイン、お前も入れ」
「はい!」
「だったらこいつもだろ、な、ゴヤ?」
「失礼しやーす!」
四人同時にマルコの手に触れると、巨大で複雑な『運命』が現れた。すると、これまでピクリとも動かなかった歯車が、わずかに動いた。
「あ、イケそうじゃねえか! 隊長! みんなでやれば何とか回せそうですよ!」
「よし、ならば全員で!」
そして全員でマルコに触れた。
医務室全体を埋め尽くすほどの超巨大機構。それぞれの色の歯車が複雑に絡み合い、動かなかった青い歯車を取り込んでゆく。
トニーの炎でガラスのように柔らかくなった歯車は、チョコのプレス機で他の歯車と噛み合うように成形される。レインの可変パーツと接続され、元の機構にどんどん組み込まれていき――。
「あれ?」
「え?」
「なんだ、これ……」
誰もが同時に感じたそれは、奇妙な虚脱感だった。
まるで、体の中から魂が引きずり出されていくような、得体の知れない感覚。これは危険な状況なのではないかと、全員が考えたそのときだった。
彼らは、見知らぬ世界に飛ばされていた。