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そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)5.0 < chapter.3 >

 翌朝のことである。

 前夜のデモ集会とその後の暴動について、新聞各社は一面記事として大々的に伝えていた。しかし、なにしろ目的がはっきりしない勢い任せの集会。どの新聞も論調は批判的で、中には集会参加者を『動物並みの知能指数』と揶揄する記事すらあった。

 騎士団の対応に対し、各社の反応はおおむね良好。その他ラジオ等の主要メディアでも、負傷者を最小限に抑えたことへの評価は高い。鎮圧作戦は大成功であると言えた。

 マルコはその成功の立役者、ジルチの面々との顔合わせを楽しみにしていたのだが――。

「えっ!? 皆さん、こちらにはいらっしゃらないのですか!?」

 マルコはてっきり、特務部隊オフィスで彼らを紹介してもらえるものと思っていたのだ。しかし、マルコを出迎えたのは苦い顔をしたグレナシンであった。

「ごめんねマルちゃん、アタシもそのつもりだったんだけどね? アタシの彼氏が、職場で顔合わせたくないって駄々こねたらしくて……」

「彼氏!? あの、それは昨日お話しされていた『元カレ』とは別の方……ですよね?」

「ほら、昨日広場の隅で消防ホース持ってたヤツ。アタシ、今あいつと付き合ってんのよ~」

「お付き合い!」

 朝から二回も声が裏返ってしまった。

 グレナシンの心の性別が『乙女』であることは知っている。そのせいで特務部隊に『部隊内恋愛禁止』という謎の規則が出来たことも理解している。だが、いざ本人からその話を聞かされると、やはり相応の衝撃を受けてしまう。

 これまでマルコの人生において、性的マイノリティの友人はいなかったのだ。もしかしたら身近にいたのかもしれないが、本人がそれを公表していないのなら、見た目通りの性別として接するよりほかにない。

 マルコは性的マイノリティや同性のカップルに対して、偏見や差別の意識は持っていない。それでも、どうしても普通では無い反応を取ってしまう。なぜならマルコは、彼らとの接し方について、経験も知識も持っていないからだ。

 動揺――それはともすれば、相手に拒絶の意思として届いてしまうものでもある。

 グレナシンはマルコの反応を見て、ほんの少しだけ目を細め、視線を落とした。こんな反応には慣れてしまっているのだろう。苦笑しながら肩をすくめ、マルコにもう一度謝る。

「ごめんね、アタシのせいだわ。せっかく楽しみにしてたのに、ガッカリさせちゃったわね……」

 チラリとのぞかせた寂しげな表情に、マルコはハッとする。

 人が誰かを好きになるのに、どうして後ろめたい気持ちを抱かねばならないのか。なぜ、無関係な者にまで謝らねばならないのか。これが男女の関係だったらと考えて、マルコは、自分がグレナシンを傷つけてしまったのだと気付いた。

 職場の仲間に恋人を紹介したがらない男なんか、世の中にいくらでもいる。人前ではやし立てられたり、からかわれたりして、恋人が傷つくのではないかと心配することもあるだろう。それはおそらく、男同士のカップルであっても同じなのではないか――そう思い至った瞬間、マルコはガバッと頭を下げていた。

「私は今、大変失礼な反応を致しました! 申し訳ございません! ジルチの皆さんがいらっしゃらないのは、副隊長のせいではありません! ですから、謝らないでください!」

「あら! ちょっと、やだ! やめてよも~! 良いのよ、アタシ、そーゆーの全然気にしてないから!」

「いえ! その……私には、これまでマイノリティとされる方々と接する機会が無かったのです。正直に申しますと、どう接してゆけば良いのかが分かりません。私は副隊長とも、もっと親しくさせていただきたいと思っているのですが……」

「マルちゃん……ありがとう。アタシにそんなこと言ってくれる人、滅多にいないの。素直に嬉しいわ。でも、一つ忠告させてちょうだい?」

「はい、なんでしょうか」

 グレナシンはこれ以上ないほど険しい顔で、マルコの両肩をガシッと掴んだ。

「アンタそれ、ガチホモに言ったら秒速で食われるわよ!?」

「……はい?」

「自分の面構えとカラダの価値を理解しなさいっつってんのよ! 金髪碧眼で鼻筋通ってるだけでも十分すぎるほど需要あんのよ!? そのうえアンタ、最近筋トレで滅茶苦茶いい体つきになってきてんじゃない!? いい? アタシ以外のオカマとゲイとバイセクには、絶対に無防備なトコ見せちゃダメよ!? 『親しくなりたい』なんて都合の良い言質取られたら、レイプされたって、あとで文句もつけらんないのよ!?」

「えぇっ!? レ、レイプ……ですか!? 私、男ですが……」

「その『男』にしか欲情しない連中がガチホモなのよ! 危ないの! ものすごく、ものすごぉ~く危ないの! 分かる!?」

「いえ、あの、ですが、同性愛者の方が必ず強制わいせつに及ぶと言うわけでは……」

「だからテメエの面構え自覚しろって言ってんだろうが!」

「ひっ!?」

 唐突に『男らしい』声になったグレナシンに、マルコは思わず悲鳴を上げた。

「そーッスよー、マルちゃんけっこう人気あるんスからー」

「お前、そっち系の雑誌の最新号で『アンアン言わせたいイケメンTOP10』にランクインしてるぜ?」

「え? えっ? そっち系……?」

 いつの間にかオフィスに来ていたゴヤとロドニーが、マルコの両側にピタリとついて耳元で囁く。

「ぶっちゃけた話、うちの国には男がケツ穴レイプされても取り締まる法律ねえッスから。実は被害者いっぱいいるみたいなんスけど、たぶんみんな泣き寝入りしてるッス」

「一階にさ、市民相談窓口ってあるだろ? マジで助けてほしいって相談、月に五件は来てるんだぜ? 騎士団としても、頑張って別件で逮捕してんだけどよ。表沙汰にすると、やっぱ、こう、男として生きていけねえ空気になるじゃん? だからちゃんと解決できるのなんて、年に三、四件しかねえんだ」

 二人の言葉に、マルコはこれ以上ないほど顔を引きつらせていた。

「あの、そ、それは……本当に?」

 この言葉には、いつの間にかオフィスに集まっていた隊員たちが、全く同時に、とても大きく頷いた。

「そ……そんな、人権を無視した卑劣な行為が横行しているなんて……」

「表面化してないだけッス」

「遺書も残さず自殺した奴とか、本当はそっち方面で悩んでた連中もいただろうな……」

「マルちゃん、悪いことは言わないわ。必要以上に近づいちゃダメ。マイノリティに理解を示すのはいいことだと思うけど、『自分がレイプ被害に遭う可能性』も考えなさい。アンタは友達だと思ってても、相手はアンタを性的対象として見てる可能性もあるのよ? 一対一なら余裕で撃退できるでしょうけど、酔っぱらった時なんかに、何人かで押さえ込まれたら? 輪姦されたうえ写真でも撮られたりしたら、アンタもう、まともに生きていけないわよ?」

「わ、わかりました……気を付けます……」

 グレナシンの心の傷を心配したつもりが、隊員全員から、自身の貞操を心配されてしまった。マイノリティ問題というものは、どうやらマルコが考える以上に複雑かつ深刻なものであるらしい。

「さてと! それじゃ、みんな揃って……ないわね? ちょっと、レインちゃんとトニーちゃんはどうしたのよ?」

 グレナシンの問いに、ハンクが一歩進み出て答える。

「レインの具合が悪いので、今、医務室に行かせています。トニーはその付き添いに」

「付き添い? ウッソ! 自力で歩けないほど酷いの!? 風邪?」

「いえ、風邪というよりは、何かの皮膚病のような……左手首が青痣のようになっていて、体全体に妙な蚯蚓ミミズれが……」

 左手首と聞いて、ロドニーが顔色を変えた。

「おいハンク! それって、呪詛とかじゃねえよな!?」

「俺が知る限り、どの系統の術とも違うようだったが……」

「あいつ、昨日変なブレスレットつけてたんだよ! ほら、あの、会議室で隊長がチェンバー教授に預けてたヤツ! ハンクも見ただろ? あの古代呪物っぽいブレスレット、レインが拾って、手首に着けた状態で俺たちに見せに来たんだぜ!?」

「左手に?」

「そう、左手に!」

「やだもうレインちゃんったら! なんであの子、変なもの見るとすぐ触っちゃうのかしら! じゃ、そういうことだから、今日の朝礼は省略! ロドニーちゃんとガッチャン以外全員、ひとまずオフィスで待機! 二人はアタシと一緒に医務室行きましょ! 古代人の幽霊とか憑いてたら、速攻排除するから! 装備整えて!」

「はい!」

「了解ッス!」

 ロドニーとゴヤは魔導式短銃を《サンスクリプター》にセットし、チャージ状態でホルダーに収めた。グレナシンはオフィスの備品庫から魔除け、呪詛払い、浄化などの呪符を取り出し、それらを手に持ったまま出て行った。

 想定外の事態においては、ベイカーよりもグレナシンのほうが頼りになる。年齢も特務部隊員としてのキャリアも、彼はベイカーよりずっと上なのだ。それをよく知っている隊員たちは、ことさら心配する様子もなく、自分のデスクに着いていく。

 しかしマルコは、どうにも落ち着かなかった。

(昨夜の時点では、何の異変も無かったのに……こんな呪詛などあるだろうか……?)

 時限発動、遠隔発動、条件発動など、呪詛にはいくつものバリエーションがある。翌朝になって発動すること自体は珍しくもなんともない。マルコが気にしているのは、それがグレナシンと玄武、青龍サラに感知されなかったことだ。

 玄武と青龍サラはマルコの言霊と信仰心によって実体化している。自身の力不足が原因で、その力が完全でないこともよくわかっている。だが、グレナシンは違う。彼は月の神、『月詠つくよみみこと』と完全融合状態にあるのだ。神としての能力、特に万物を見通す『神の眼』は、呪詛やトラップを正確に視認するはずなのだが――。

(ゲンちゃん! ゲンちゃん、どこですか? 少し、お聞きしたいことがあるのですが……?)

 心の声で呼びかければ、玄武はすぐに歩み寄ってきてくれる。そう、いつもなら玄武は、オフィスのどこかにはいるはずなのだ。しかし、いくら呼んでも玄武は来ない。

「……ゲンちゃん? どこです?」

 声に出して玄武を探す。

 キールとハンクもそれに気付き、自分のデスクの下を覗き込んだ。

「こっちにはいないぞ?」

「珍しいな、あのカメが散歩していないなんて。俺たちも一緒に探そうか?」

「あ、いえ、それほど差し迫った用事があるわけではないのですが……」

「いや、俺たちも暇だからな。探してやる」

「変な隙間にハマってたりしたら可哀想だ」

「ありがとうございます、先輩方」

 三人がかりであちこちそれらしい隙間を覗き込んでみるのだが、どこを探しても玄武はいない。つい三十分ほど前、確かにマルコの腕に抱かれてオフィスに運ばれてきた。それは全員が目撃している。ということは、考えられる可能性はひとつしかない。

「……さっき副隊長たちが出て行ったとき、一緒に……?」

「おい、あのカメ、階段落ちたりしないよな?」

「ああ、大丈夫……なんじゃないか? 一応、カミサマなんだろ?」

「でも実体がある以上、うっかり落ちたら怪我もするんじゃ……?」

 二人の会話に、マルコは真っ青になってオフィスを飛び出していった。

 残された二人は顔を見合わせ、ためらいがちに話し合う。

「ハンク、一緒に探したほうがいいような気がするんだが……」

「しかし、オフィスで待機と言われているしな……」

「便所か給湯室に行くようなものだと思えばアリじゃないか?」

「オフィスを空にするわけには……」

「大丈夫、アレがいる」

 キールが親指でクイッと示した先には、特務部隊一のド派手ファッション隊員、チョコの姿がある。ドレッドヘアのチョコは目を閉じ、ヘッドホンで音楽を聴きながらノリノリでエアギターを演奏していた。彼はこれまでの玄武捜索の様子は一切見ていないし、気付いてもいない。

「ああ、まあ、そうだな。一応、居るには居るが……館内放送流れても気付かないだろ、あれじゃ」

「いつものことだ。いいから行こう」

「あ、ああ……」

 微妙な表情のハンクを引き連れて、キールはオフィスを出て行く。

 チョコは拳を掲げて、瞼の裏のオーディエンスの歓声に応えていた。




 五階の廊下にも、階段にも、玄武の姿はない。マルコは得体の知れない焦燥に駆られていた。玄武がマルコに何も言わず、勝手にいなくなるのはよくあることだ。玄武はマルコの所有物ではない。本人の意思でどこにでも行くし、実体化を解いてマルコの『内側』に納まっていることもある。

 それなのに今は、とても嫌な予感がした。いなくなったタイミングといい、レインのことといい――玄武がマルコを、『この状況から外そうとしている』ように感じられたのだ。

(何か……何かがおかしい。昨日、あの時からずっと、何かが動き続けているような……)

 階段を駆け下り、一階の廊下の奥、医務室に向かう。

 しかし、マルコが扉をノックするより先に『それ』が現れた。

「うわっ!?」

 耳元をかすめるように飛来したものは、薄水色の蝶だった。

 反射的に体を反らしたが、それを避けることは出来ない。蝶は一頭ではなかったのだ。

 数十、数百頭の蝶が、医務室の扉をすり抜けて溢れ出す。

 全身にまとわりつく蝶。それを追い払おうとして気付く。


 体の制御権が、自分にはないことを。


 マルコは、自分の意識が何者かに浸食されていくのを感じた。自我を保とうとしても、それができない。

 圧倒的質量の『絶望』。自分の心に雪崩込むその感情は、人ではなく、かつて神だった者の『感情の断片』だと理解できたのだが――。

(違う……そうか、これは違うんだ……私では、この『絶望』は受け止めきれない……)

 マルコの意識があったのはそこまでだった。ふっと意識を失い、医務室前の廊下に倒れ込んだ。




 マルコが駆け付けるより少し前、薄水色の蝶は医務室の中で猛威を振るっていた。

 軍医、看護婦二名、トニー、ゴヤが意識を失って倒れている。無事なのはグレナシンとロドニーのみ。ただし、この二人にも当人たちの意識はない。今体を制御しているのは、二人の内に宿る神、ツクヨミとオオカミナオシである。

「ふふ……ふふふっ……あげない……これ、あげないよ? ……みんな……みんな、ぼくのおともだち。だから、あげないよ? うふ……うふふふふ……」

 蝶の発生源はレインの口。レインは意味の分からないことを口走りながら、大量の蝶を吐き出している。ツクヨミとオオカミは自身が放つ『後光』によってそれを撥ね退けている状態だが、空間を埋め尽くすほどの蝶のせいで、その場を一歩も動けない。

 この蝶に触れたら、どれだけ力のある神であっても強制的に器の制御権を奪われる。それはたった今、グレナシンの体が『乗っ取られかけた』ことからも明らかであった。

「チッ……まさか、こうもあっさりと……。オオカミ、そちらは大丈夫か?」

「ああ。間一髪間に合った、といったところだ……」

「しかし、どうすれば良いかな? 私は、このように奇怪な『闇堕ち』を見たことが無いのだが……?」

「闇堕ち? これが? 馬鹿な。我はこの世の不具合を正すものだが……この者から、堕ちた神特有の気配は感じない」

「なに? 堕ちていないのか? これで?」

「ああ……堕ちることなく、闇を操ることができるなら……」

「私と同じ、月の神か……?」

 二柱の神は、視界を遮る蝶の隙間から、ベッドに座るレインを見る。

 レインの瞳の色は明るく鮮やかなライラックだったはずだが、今は白目と黒目の区別がなく、眼球全体が墨色に染まっている。

「あの目……どこかで見た気がするのだけれどね……?」

「月の神……墨色の眼……青い蝶……?」

「この蝶、地球の蝶だね? ここまで大きくて原色の蝶は、南米大陸くらいでしかお目に掛かれないと思うけれど……南米あたりの月の神……オオカミ、心当たりはあるかい?」

「貴殿、もしや『コニラヤ』の名を持つ神では?」

 オオカミの呼びかけに、レインの体を使っている神は、ハッとしたように顔を上げた。

「……だれ? きみたち、ぼくをしっているの……?」

 会話ができる。やはりこの神は『闇堕ち』ではないようだ。

「我はオオカミナオシ。創造主によって創られた、この世の不具合を正す者」

「私はツクヨミと申します。大和の国で月の神を務めておりまして」

 月の神と聞いて、コニラヤはビクッと体を強張らせた。

「お、おまえも、ぼくをころしにきたのか!?」

「殺しに? いいえ、私は、こちらの世界の勢力争いに参加する気はありませんから。貴方を殺す理由なんて一つもありませんよ。なんです? こちらに送られる前に、どなたかと争われたのですか?」

 コニラヤは何度も何度も頷くと、歯の根を震わせて、その名を口にした。

「……たたかって……まけた。ザラキエルに……」

 ツクヨミも、その名を聞いて表情を変える。

「月天使ザラキエル……なるほど、貴方も、『あの勢力』に排除された土着神でしたか。それでしたら、私と同じですね」

「おなじ……?」

「私はザラキエルに敗北しました。正確には、ザラキエルに守護された米国空軍に焼夷弾や原爆をボカスカ投下されて、守るべき民を皆殺しにされてしまったのですが。もう、ホント、あのときは参りましたよ。軍神や武神は出征先で現地の土着神にやられるし、山や川の神は軍艦の守護に駆り出されて誰も残っていないし。本土の守りが私と姉だけなんて、そりゃあ地震も雪崩も多発するに決まって……っと、すみません、話が逸れましたね。貴方も、ザラキエルの夜襲を受けたのでしょう?」

 コニラヤは、表情の読みづらい真っ黒な目で、大粒の涙を流した。

「……そう。あのよる、みんな、ころされた。たいようのかみも、かぜのかみも、みのりのかみも……ぼくだけ、うみのあわにすがたをかえて、ザラキエルからにげた。だから……ぼくだけ……ぼくだけが、ここに……」

「分かります。分かりますよ……堕ちる寸前、ぬしさまによってこちらに送られ、どうにか落ち延びて……」

 コニラヤは必死に頷いている。

 ツクヨミとオオカミナオシは視線を交錯させる。白人による南米大陸の発見と侵略、キリスト教の伝播は西暦1400年代~1500年代の話。コニラヤは、そのころに仲間の神族を皆殺しにされたのだろう。ツクヨミらはこれまで、インカの神は誰一人生存していないものと考えていたのだが――。

「貴殿は、いままでどこに?」

 オオカミに問われ、コニラヤはレインの体を指差す。

「うみのいきもののなか。ぼくは、うみのあわ。かくれていれば、だれにもみつからない」

「その身はご自身の『器』か? それとも、強引に憑依を?」

「シーデビルは、ぼく。おはなしあいて、ほしかった。ぼくをわけて、ぼくとおなじの、いっぱいつくった。うつわ、よくわからないけど、ぼくが、シーデビル。だからこれは、ぼくのからだのひとつ」

 二柱の神はバッと顔を見合わせる。

「こちらの世に渡ってから、新たに創られた生命体か!」

「だからシーデビルは、五百年前まで存在が知られていなかったのだね!?」

「生命を創造するとは! 貴殿、元の神格は創世神に匹敵するものであったのでは!?」

「しんかく? よく、わからない。ぼく、なんでもつくる。みんながほしいもの、つくる。ぼくはそれしかできない……」

 本人は仲間の神族と共に戦えなかったことを思い悩んでいるようだが、ツクヨミとオオカミにとっては『それどころではない事態』である。

 この神、話し方はどこか足りない人物のように聞こえるが、能力や神格はツクヨミよりずっと上。玄武や青龍と同じく、『創造主に最も近い神』に分類される存在だ。すぐ身近に、とんでもない神が潜んでいたものである。

 しかし、だとすると疑問が残る。

 はじめに蝶が出現したのはメラソン貝塚だった。レインが腕に嵌めたブレスレットも、どう見ても数万年前の古代文明のもの。ほんの五~六百年前にこちらに来た神とは、経過した時間が二桁違う。

 その点を尋ねると、コニラヤは困ったような顔をして言った。

「これ、ぼくのちょうちょ。これ、べつのちょうちょ。ちがう。よくみて」

 コニラヤの両手に止まる蝶を見て、ツクヨミは気付く。

 大きさも色も、翅の形も、似てはいるが別種の蝶である。地球上での分類でいえば、コニラヤの蝶はモルフォ、もう一種はアゲハチョウのような形状をしている。

「……こちらの在来種かな?」

「いや、地球の生き物ではないが、こちらの生き物でもない。だが、この世の理を乱すものでもない。しかし、かといって無害であるとも言い切れぬところであるが……」

「回りくどいね、君は。器のほうの口調で言うなら、『分かんないなら素直にそう言いなさいよ! この馬鹿ワンコ!』といった感じだな」

「我も器の言葉を借りようか?」

「『んなコト言ったって、分かんねーモンは分かんねえっつーの!』とでも言う気かい?」

「ご明察、恐れ入る」

「ま、それはともかく、コニラヤ殿? ひょっとして、貴方が顕現されたのはこの蝶についてお調べになりたかったからですか?」

「そう。これ、きのうのうでわと、おなじけはい。ぼくよりむかし、ここにきた『かみ』がいた。たぶんその『かみ』、いきものつくろうとして、しっぱいした。これ、いきものにひつようなもの、ない。いきものなら、こころがある。たべて、ねる。うまれたら、しぬ……」

「確かに、水に沈めても死なない蝶は異常ですが……さて? 古い時代、生命を生み出す能力、薄水色……?」

「これ、なにか、わかる……?」

「あー……参ったね。オオカミ、青と白を足したら何色になると思う?」

「水色だな」

「青と言えば?」

「青龍だ」

「白と言えば?」

「白虎」

「これは、あの二柱の子供かな?」

「可能性としてはあり得るが、なぜこのような不完全な子を生すのか、理由が分からない。あの二柱はいずれも男神。白虎と対になる者、女神・朱雀は闇堕ちし、我に滅された。もう一柱の女神・玄武は我に封じられていたし……新たな『神産み』など、うまくいかないことは明白だ。いったい何の目的で……」

「はあ? アンタ馬鹿? そんなもん、ヤケクソだったからに決まってんじゃない?」

「……自棄?」

「リストラされて人生悲観しまくってる者同士、なんか勢いだけで慰め合っちゃったんじゃないの? 目的もクソも無いわよ~」

「……そういうものなのか?」

「そういうもんよ、感情のある神の行動なんて。あー、やっとスッキリした! なんか妙な関係だと思ったら、あの連中、デキてたのね! うん、納得! 道理であんな近くにいたワケだわ!」

「では、まさか、青龍が生まれ変わろうとしていたのは……」

「不完全な『子供』を、もう一度産み直すためじゃないかしら?」

「……なるほどな。蝶が、今、この機に姿を現したのは……」

「青龍の気配を……サラの誕生を感知したからでしょうね。で、今ここに大集合してる理由は……」

 ツクヨミとオオカミは、改めてレインを見る。

 コニラヤに憑依されたレインは、気配は神そのもの。自身を『分けて増やした』と言うくらいだから、生殖方法は体細胞分裂によるクローニングなのだろう。つまり、シーデビルは『性別』を必要としない生命体なのだ。

 『無性別』のコニラヤと、『両性具有』のサラの気配。それは非常に似通っていた。

 マルコの勘違いで両性具有になったと思われたサラだが、こうなると、すべてが仕組まれたもののように思えてくる。青龍は『女神』として生まれ直すために、わざと女声でマルコを騙していたのではないか、と――。

「ちょっと! コニーちゃん!」

「コニーちゃん? ぼく?」

「ええそうよ。アンタ、一度その体から出なさい。多分この蝶、アンタと他の神の気配を読み違えてるわ。アンタたちの気配、すっごくよく似てるんだけどね? 今はアンタのほうが圧倒的に強いのよ。だからうじゃうじゃ集まってきちゃってるワケ」

「そうなの? このちょうちょ、からだ、とろうとする。ぼくのちょうちょで、かべ、つくってたんだけど……」

 そう言われて二人は気付く。よくよく見れば、室内を飛ぶ蝶は二種が同数程度。その挙動は、モルフォがアゲハモドキをブロックしているように見える。

 そしてトニーやゴヤにまとわりついている蝶は、すべてコニラヤのモルフォ蝶。人間の意識をブロックして、正体不明のもう一種に取り憑かれないよう、守ってくれていたようだ。

「じゃあ、ぼく、でるね?」

 おっとりとした口調でそう言うと、レインはパタリと倒れ込む。下がベッドでなければ、顔や頭を酷く打ち付けていたであろう。

 そしてコニラヤの気配が消えた途端、空中の蝶は半数が消滅し、残る半分は医務室の外に飛び出していった。

「……あれ? 私は……どうして、医務室に……?」

「ん……え? 俺……?」

「っつ……どうして倒れているんだ……?」

 レイン、ゴヤ、トニーが目を覚ましてゆく。軍医と看護婦らも起き上がり、それぞれ状況を確認している。倒れ込んだ際に膝や腰を打ったようだが、軽い打撲程度だ。全員、深刻な怪我は負っていない。

「あの、副隊長? 私は、一体……?」

「あ~ん! 良かったわレインちゃ~ん! もう! 意味不明な古代呪物を素手で触ったりしたら駄目よ! アタシ本気で心配したんだからぁ~! 魔除けの呪符が効かなかったら、大変なことになってたわよ~?」

「そうだぜレイン! 変なモン見つけたら、まずは報告! それが基本だっつーの!」

 そう言っているのはグレナシンとロドニーではなく、ツクヨミとオオカミナオシのほうである。だが、レインは気付かず頭を下げる。

「は、はい! 申し訳ございません! もう二度としません!」

 二人の演技に気付かぬゴヤは、率直に感動している。

「さすがッス副隊長! あの変なの、追っ払ってくれたんスね!」

「ええ、そうよ~ん♪ ほらほら~、ガッチャ~ン? 感極まって、熱烈にチューしてくれちゃってもいいのよ~?」

「や、あの、それは……サーセン! 俺にはできねえッス!」

「ああん! もう! ノリ悪いわね! ここは勢いで舌絡めても許されるシーンよ!」

「ええっ!? そう……ッスかね!?」

 オカマ副隊長の衝撃的な発言に、誰もが半歩退いた。

 何はともあれ、これにてひとまず一件落着。そう思ったのだが――。

「おいマルコ! しっかりしろ!」

「なんでこんなところに倒れて……キール! こいつ、息してないぞ!」

 ドアのすぐ外から聞こえてきた声に、誰もが驚愕した。




 医務室に収容されたマルコは、軍医の処置を受け、すぐに自発呼吸を始めた。

 幸い、心拍は停止していなかった。脈も落ち着き、呼吸も安定。これならばすぐにでも目を覚ますと思われたのだが――。

「ドクター? この子、脳出血とかしてるワケじゃないわよね?」

 三十分以上が経過しても、マルコが目を覚ます兆しは無かった。

 ゆっくりと上下する胸も、赤みを帯びた顔色も、ただ眠っているだけのように見える。体に異常があるようには見受けられないのだが、それでもマルコは目を覚まさない。

「さっきスキャンした結果じゃい。ほれ、よく見てみい。頭も内臓も、悪いところなんかひとっつも見当たらんわ」

 壁面のモニターに映し出されたのは、マルコの内臓や骨格を細密に再現した立体映像である。ドクターは手元のリモコンでカメラアングルをくるくると変えていくが、どこを見ても、怪我や病気と思われる異常箇所は見当たらなかった。

 この医務室には最先端医療機器が揃えられている。ドクターの腕が優れていることもあり、そんじょそこらの町医者とは比べ物にならない精度での検査、治療が可能である。

「血液検査は?」

「異常なし。むしろ、ここまで綺麗な体の騎士団員も珍しいと思うがなぁ? 普通はもっと、コレステロールや血糖値が高いもんだわな。そこのオオカミオトコとケルベロスみたいに、高カロリーなモンばかり食って、仲間と大酒飲むのが楽しくて仕方ないっつー連中ばっかりだからな!」

「おやっさん、それは言わないお約束!」

「肉を食わない人生なんて!」

「あーあーそうかいそうかい。せいぜい長生きしてくれよ。で、副隊長さんよ。医学的には、王子様にゃあ何の異常も見られねえ。あと考えられる可能性は、魔法か呪詛だな」

「やあねえ。やっぱり、そっち系なの?」

「十中八九、間違い無ぇな。あと……まあ、これは気にすることのことじゃないかもしれんが……」

「なにかしら?」

「この王子様、特務入隊時には背中から腰に掛けて、水疱瘡の掻きこわし痕があったはずなんだがね? そいつが、いつの間にかきれいさっぱり消えちまってるんだ。なんか、そういう美容整形系の処置を受けさせたかね? 赤ん坊みたいに綺麗な肌になっちまってるんだが?」

「ん~……外科的には受けさせてないけど、ちょっと強めの治癒魔法みたいなモンなら、心当たりがあるわね……」

 マルコは青龍の卵の中に入り、青龍と一緒に殻を破っている。古い神が『新たな神』として再生するほどの現象である。掻きこわし跡が周囲の皮膚ごとリセットされるとしたら、そのときしか考えられないのだが――。

(え? ちょっと待って? これまであんまり気にしてなかったけど……そうよ。この子、青龍を『生まれ変わらせた』だけじゃなくて、そのとき一緒に卵から出てるのよね? つまりこの子、今……)

 グレナシンは、神のみに聞こえる心の声でそう呟いた。

 ロドニーの体を動かしているオオカミも、わずかに表情を変える。

(人と神が、同時に生まれただと? ありえん。人間の体が、そんな負荷に耐えられるはずが……)

(でも、事実よ? 今、マルちゃんとサラは『双子の兄弟』としてこの世に存在している。これまでの『常識』なんて、軽く超越しちゃってるわよ?)

(……この青年は……既に、この世の理を超えているのか……?)

 彼らは確かに、マルコからその言葉を聞いている。




 まだ誰も歩んだことのない、さらな道を往く者――。




 マルコはその『新たな神』と、共に歩むことを望んだという。神が新たに生まれるのなら、共に往く人間もまた、新たに創られるのではないか。

 そこまで考えて、グレナシンとオオカミは、同時にバッと振り向いた。

「トニーちゃん! ちょっとひとっ走りして、サラの様子見てきてちょうだい!」

「ゴヤ! 王立病院に連絡! ベイカー隊長をできるだけ早く退院させるように言え!」

 二人の鬼気迫る様子に、トニーとゴヤは理由を問うことなく行動する。

 先ほどまで大量にいた青い蝶。それが今は一頭もいない。医務室を出て行った蝶の行く先は、オフィスに置かれたサラの水槽だと思っていた。

 しかし、もしもそうでなかったら――ツクヨミとオオカミの背に、ツウッと一筋、冷や汗が伝った。

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