そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)5.0 < chapter.2 >
小一時間話し合った結果、ベイカーは王立大学附属病院で精密検査を受けることになった。なにしろ素手で、直に蝶を触り続けている。これが通常の生物であるとしても、毒性の有無が分からない以上、念のため検査を受けるのは当然のことである。
ベイカーの付き添いとしてチョコが。その他の隊員も、関係各所への連絡役として本部を出て行った。
〈素手で触ることは出来るが、安全性が分からない。
現在検査中。結果が出るまで、絶対に触れるな。〉
この連絡はあっという間に伝わり、彼らが直接赴いた部署以外にも、三十分も経たないうちに伝達された。誰もが正体不明・原因不明の蝶の出現に不安を覚えていたのだ。何か一つでも『新事実』があるなら、それについて話したいと思うのも当然だった。
しかし、だからこそ問題も起こる。
伝えられたことは『素手で触れる』『安全性は不明』『検査中』『結果が出るまで触れるな』という四点だ。それなのに、たった二時間後には、こんな話が出回るようになっていた。
〈素手で触ると何かに感染するらしい。
感染者は現在、隔離されたうえ検査されている。
結果が出るまで、感染者とは接触禁止。〉
噂とは不思議なもので、正確な情報よりも、後から付け加えられた『尾鰭』のほうが真実味を帯びた語られ方をする。
まだ蝶のことが周知される以前、美しい色の蝶に、好奇心から手を伸ばしてしまった人々がいた。その人が、それを目撃していた人が、同居の家族や友人、職場の同僚らが、『自分は何かに感染している。早く処置しないと死んでしまう』と思い込み、続々と病院に押しかけてきた。
連絡から四時間後、午後七時。とっくに診察時間を過ぎた病院前に市民らが集まり、「早く診察してくれ」と泣き叫ぶ異常事態に陥った。中には自暴自棄に陥り、暴動を起こす者まで現れる始末だ。
午後八時には、中央市の全騎士団支部が厳戒態勢を取った。そこに至るまでにも、噂の内容を否定する放送は絶え間なく続けられている。その放送に安心して家に帰った者もいるが、世の中には様々な人間がいる。ごく少数の人々は、否定されればされるほど疑念を強め、『なにかとても大きな真実が隠されている』という考えに至る。
いわゆる『陰謀論者』と呼ばれるその手の人々は、総じて自身を、『真実のために戦う聖戦士』と思い込む。彼らは謎の使命感と無駄に旺盛な行動力のもと、午後九時には、中央駅前広場でデモ集会を始めていた。
「我々は、王家に情報の開示を要求する!」
「市民に知る権利を!」
「公権力の横暴、許すまじ!」
「税金泥棒!」
「環境破壊をやめろ!」
「値上げ反対!」
「愛と平和を!」
「子供たちのために平和な未来を!」
「公共料金の見直しを!」
「バターが品薄なのは政府の陰謀だ!」
この集会、主義も主張もてんで出鱈目で、何一つとして筋の通った話が出てこない。見事なまでの烏合の衆である。だが、本人たちは『隠された真実』や『勝ち取るべき正義』があると信じている。治安維持部隊や市の職員がいくら説得に当たっても、まったく解散する様子がなかった。
そもそもの問題は『古代遺跡から発生した謎の蝶』の安全性についてなのだが、その点をきちんと説明しても、彼らは聞こうとしない。『現在、夜を徹して解析に当たっている。結果が出るまでは時間が掛かる。ここで大声を上げたからと言って、解析時間が早まるわけではない』となだめてみても、『時間稼ぎをする気か! これだから権力者どもは!』などと怒鳴り散らすばかりで、まるで会話が成立しなかった。
騎士団本部では、帰るに帰れない職員たちが、げっそりとした面持ちで中継映像を眺めている。
「なんかもう……何を主張したいのかサッパリですね……」
そうぼやくのは、車両管理部のデニス・ロットンである。
彼の隣に立つゴヤも、面倒臭そうに首を振った。
「陰謀論の人には、何を説明したって無駄ッスよー。自分の人生がうまくいかないのは、何でもかんでも誰かの罠か、政府の陰謀なんスから」
「自分の能力不足について言い訳するには、一番簡単に使える手ですからね」
「本当にひどくなると、自分ちの玄関ドアの動きが悪くなっただけで、『隣人から嫌がらせを受けています』なんて通報してくるんスよ? そんなんでも出動せざるを得ない俺たちのほうこそ、『嫌がらせを受けています』って気分ッスよ……」
「うわー……やっぱり貴族にもいるんだ、そういう人……」
「蝶番に油差すだけの簡単なお仕事なんて、特務に通報するより、お近くの工務店にどうぞって感じッスよ。ね、先輩?」
呼びかけられたロドニーは、嘆くとかボヤくとか、そんな次元をはるかに超越した『無我の境地』に至っていた。
「家にゴキブリが出るのも、裏通りのドブから蚊が湧くのも、何もかも秘密結社か宇宙人の陰謀なんだぜ。大丈夫、俺、知ってるよ。うん、知ってる知ってる。あはははは……」
「あー……ハドソンさんってば、そんなになるほど酷い目に……」
「先輩、マジ可哀想……」
モンスター貴族のメンタル攻撃は、後からじわじわ効いてくる。思い出すたびに追加攻撃を受ける、質の悪い呪いのようなものだ。両側から優しくハグされ、ロドニーは涙目で本音を溢す。
「だってよぉ、あいつら本気で『努力』とか『ポジティブシンキング』ってコマンド持ってねえんだぜ? 同じ公用語喋ってんのに、全っ然、ハナシ通じねえし。ホント、どこの異次元に迷い込んだかと……もう俺、あーゆーのと関わりたくねえよぉ~……」
「分かります! 僕もそれ、ものすごく分かりますから!」
「先輩しっかり! 俺たちがついてるッス!」
「うん、ありがとうデニス、ゴヤ。俺、前向きに生きる……」
ロドニーだけではない。同じく中継画面を見つめる職員らは、それぞれの人生で遭遇した『最狂モンスター』たちを思い出し、葬式のような表情になっていた。
「でも、治安維持部隊だけで大丈夫ですかね? この現場、かなりヤバい空気になってますけど……」
不安そうに言うデニスに、背後から声が掛けられる。
「ご安心なさ~い? ついさっき、『ジルチ』に出動命令が出たみたいよ?」
「えっ!? ジルチですか!?」
「マジかよ!」
「パネエっすね!」
「おいジルチだってよ!」
「嘘だろ! 奴らが出たのか!?」
「大丈夫なのか!?」
「逆にヤバいだろ!」
「死傷者数三桁行くぞ!」
「広報課! なんか適当な台本用意しとけ!」
「やめてくれ! これ以上会計課の業務を増やさないでくれ!」
「ヘイ、ボブ! しっかりしろ! おい誰か手伝ってくれ! こいつ名前聞いただけで失神したぞ!」
『ジルチ』という単語が聞こえただけでこの騒ぎである。誰もが、これまでとは別の意味で青ざめた面持ちになっている。
それに気付いたグレナシンは、職員らのほうを見て慌てて手を振った。
「やだ、ちょっとぉ~ん! みんなリアクション大袈裟すぎない!? 大丈夫! いま出てったのはエリックとアスター以外だから! メリルラント兄弟はお留守番よ! 安心してちょうだぁ~い?」
この言葉に、職員らは一様に安堵し、失神していたボブもハッと意識を取り戻した。
ただ一人、皆の反応の意味が理解できないマルコが、近くにいたキールとハンクに尋ねる。
「あの、ジルチとは何でしょうか?」
訊かれた二人は、何とも言えない顔で目と目を見合わせた。
そしてマルコにではなく、グレナシンに向かってこう言う。
「副隊長、どの辺まで?」
「一から説明する必要があると思うのですが……」
問われたグレナシンも、曰く言い難い、複雑怪奇な表情になる。
周りの職員らも一様に視線を逸らしている。『お願いですから私には訊かないでください!』という明確な意思表示である。
「んー……本当は隊長の許可が欲しいところだけど、あの人、今病院だから仕方ないわよねぇ……。ま、簡単に説明するわ。『ジルチ』って言うのは、先代特務部隊員だけで構成された『裏特務』よ。アタシたちが動くわけにはいかない、『裏向きの任務』だけ引き受けてくれてるわ」
「裏特務……?」
「ええ、裏なの。ベイカー隊長が二年……ううん、もうちょっとで三年になるわね。通常の引継ぎでなくて、ものすごく中途半端な時期に特務部隊長に就任したの、マルちゃんも知ってるわよね?」
「はい。任務中の事故で先代の隊長が殉職されたため、急遽就任されたと……」
「それね、嘘。死んでないの。みんな生きてる」
「え? みんな、ですか?」
「そう、みんな。あの事故で特務部隊員十名が殉職。公式発表ではそうなっているでしょう? でもね、死んでないの。みんな、死んだことにして家族との縁を切ったの。この意味、マルちゃん分かるかしら?」
マルコはしばし考え、ハッとした。
罪を犯した者が素直に罪を認めたとしても、家族や仲間も同様に反省するとは限らない。自分の身内が逮捕されたことを逆恨みし、騎士団員や、その関係者に報復することもある。
一般市民ですらそうなのだ。日頃からやりたい放題なモンスター貴族であったら、逆恨みから実際に行動を起こすまでのハードルはぐっと低くなる。
特務部隊は貴族犯罪を取り締まるために結成された、特定任務専従チームである。相手にするのは『超弩級モンスター』ばかり。自分の家族の安全を考えたら、思い切った行動はとれない。しかし、そんな貴族をのさばらせておいたら、結局この国は『市民の安全が保障されない国』になってしまう。
聡明なマルコには、先代特務部隊が『家族と縁を切る』という決断に至った理由が正確に理解できた。
「……つまり、表向きの活動をしている我々には知らされない、『さらにひどい案件』もあるということですね?」
「ええ、そうよ。国家の根幹を揺るがすような、とんでもない『やらかし』がいくらでもね」
「ここにいらっしゃる皆さんはご存知のようですが、どなたには『話してもよいこと』なのでしょう?」
「アンタ本当に呑み込みが早くて助かるわ~。ジルチについて知っているのは、ここにいる全員、特務部隊員、情報部、団長、副団長、事務長、医務長。それだけよ。他にも薄々気づいてる人もいるみたいだけど、基本的には秘密なの。何か探るような質問をされても、適当にすっとぼけて頂戴」
「了解いたしました」
あからさまにホッとした面持ちの一同を前に、マルコは改めて問う。
「そのジルチが出動するというだけで、先ほどのような反応になるのはなぜでしょうか?」
「ああ、それね。うん、アタシの元カレたちが、ちょっとヤンチャなオラオラ系なのよね~……」
「え? その、も、元カレ……たち?」
「うん、エリックとアスター。兄弟セットでお付き合いしてたんだけどね? あの二人、どうも調子に乗りやすいところがあって。暴れはじめると、周囲の被害とか全く考えなくなっちゃうのよね~。まあ、そういうワイルドなところが好みだったんだけどぉ~」
「え、えぇ~と、そのお二人は、今日は出動していらっしゃらないのですね?」
「そうみたいよ? さっき情報部のピー子さんに聞いてきたから、間違いないと思う」
「ピー子さん?」
「情報部のエース、ピーコック。なんとな~く遠目に見たことはあるかもしれないけど、近いうちに、ちゃんと紹介するわね。それより、ほら。現場の状況、動き始めたみたいよ?」
モニターに映し出されているのは、情報部の偵察ゴーレムからのライブ映像である。駅前広場を上空三十メートルほどの高さから空撮している。
主義も主張も出鱈目な集団においては、声の大きな人物ほどリーダーシップを取りやすい。一見してミノタウロス族と分かる大男が、広場に止めた荷馬車の上から、群衆に向けて何事かを呼び掛けている。彼が拳を振り上げると、群衆はそれに呼応して歓声を上げる。実際に彼の声が聞こえているのはすぐ近くにいる数十人だろう。あとはなんとなく、その場の雰囲気に流されているだけだ。
そんな『見せかけだけの大集団』には、どこからでも、簡単に潜り込める。
大男の隣に、ひょろりと背の高い、長髪の男が現れた。
突然荷馬車に飛び乗ってきた男に、大男は「誰だ」と尋ねるようなそぶりを見せる。しかし長髪の男は、手に持った拡声器を見せ、笑顔で握手を求めた。
大男は、笑顔で彼を受け入れる。皆に声を届けるため、役に立つ道具を調達してきてくれた同志――そう思ったのだろう。
受け取った拡声器を手に、『演説』の続きを披露しはじめた男だったが――。
「……え?」
マルコは我が目を疑った。
広場の中央、荷馬車に近い位置にいた人々は、激しく興奮し、高らかにシュプレヒコールを上げていた。それなのに、その人々が一斉にうなだれ、倒れ始めたのだ。
上空からの映像だけでは、何が行われたのかよくわからない。だが、画面に見入っていた職員らは誰もが大きく頷いている。
「あ、あの、これはいったい、何が……?」
マルコの問いにはロドニーが答えた。
「あの長髪が裏特務の隊員だぜ。バルタザール・レノ。幻術・催眠・精神攻撃に長けたナイトメア族。機械を使った『催眠トラップ』は、あの人の十八番だからな」
「催眠トラップ……ですか」
「ラジオのスピーカーや時計のベルに仕掛けることが多いけどな。機械音声に乗せて、呪詛を一斉拡散するんだ。ほら、見ろよ。真ん中らへん、呪詛が効きづらい体質の奴以外、大体みんなぶっ倒れてるだろ? 自分の声だけだったら、せいぜい十人くらいにしか効かねえのによ」
ロドニーの言うとおり、効果は絶大だった。催眠トラップで昏倒したのは五十人以上。周囲の人々は慌てふためき、大混乱に陥る。そして一部の人間たちは、回れ右して駆け出した。
だが、どうしたことだろう。広場から逃げ出そうとした人々が、次々と転倒していく。
「……これは……?」
目を凝らしてみれば、広場を取り囲むように配置された治安維持部隊員らが魔弾による攻撃を開始していた。
今は中央市内に非常事態宣言が布告されている。士族、貴族階級のリーダーの許可があれば、市民階級の隊員も魔導式短銃の装備・使用が容認される状況だ。
「なるほど。《麻酔銃》設定で……事態の収拾には無力化ガスを用いると考えていましたが……」
「まあそれもアリだけど、周辺住民に呼吸器系の障害者がいたら、発作起こして死んじまうかもしれねえだろ? それに、治安維持部隊がガスマスク付け始めた時点で、相手は余計に興奮するだろうし。ジルチが動ける状況なら、ガスの使用は最後の手段ってことになるかな」
「レノさん個人でなく、『ジルチが』と言われるからには、他の隊員にも役目があるのですね?」
「おう、そのはずだぜ。えーと……おい、誰か見つけたやついるか?」
職員らに声を掛けると、庶務課のボブとナッシュが声を上げた。
「画面右下、アークさんとセイジさん出ました」
「あとは画面左側に全員です」
出ました、と言われるだけあって、この二人は一目で分かる動きを見せていた。
催眠呪詛や魔弾による麻酔は、種族や体質によってはまったく効果がない。広場にはまだ百人以上が残っているが、そもそも彼らは興奮状態。おとなしく投降する様子はなく、近づいてきた二人に一斉に襲い掛かる。
迎え撃つのはたった二人。上背も厚みもある大柄な男たちだが、これだけ数の差があったら、戦いにならないのではないか。
そんな心配をしたのは、どうやらマルコだけであったようだ。
「はい! 俺アーク派!」
「僕はセイジさんだと思います!」
「いや、レノさんも動いたぞ! 俺はレノさんに賭ける!」
「じゃあ俺も!」
「アーク派! 絶対アーク派ですから!」
「私もアークさんに!」
「僕も!」
「おい他にセイジ派いねえのか!? 俺とランスロットが総取りしちまうぜ!」
突然賭けが始まった。マルコは何事かと目を丸くしていたが、答えはすぐに判明する。
「えっ!? そんな! 何が……ええっ!?」
まるでヒーローコミックのワンシーンだ。
セイジは掴みかかってきた男の手を軽く捻って、自然な動作で重心を移動した。わずか三十センチの移動で、相手の体は宙高く放り出されている。
一人目の体が地に着く前に、二人目のみぞおちに鋭い突きを。
二人目が苦悶の表情で転倒していくさなかに、三人目は頭を掴まれ、顔面に膝蹴りを食らっている。
三人目の顔面を潰し終えた瞬間には両手を広げ、左右から飛び掛かってきた男たちの襟首を引いていた。正面衝突で脳震盪でも起こしたのか、彼らは白目をむいて倒れ込む。
五秒で五人。セイジと同時に、レノとアークも四人ずつ倒している。
戦闘開始早々、十三人が無力化したことになる。
マルコが絶句しているその間に、セイジとアークは立ち位置を変えた。レノを守るように、一歩前に進み出たのだ。二人は押し寄せる暴徒の大波を《防壁》で押し止める。
レノは先ほどの拡声器で、何事かを呼び掛けているようだ。しかし、その程度で鎮静化するような連中だったら、そもそも暴徒化していない。火に油を注ぐが如く、彼らの凶暴性は一層増したように見える。
上空からの中継映像を見ているマルコたちには、レノの思惑は一目で分かるものだった。
暴徒らは全員がレノのほうを向いた状態。つまり、広場の反対側にいる他の隊員たちには気付いていないのだ。
「えっ!? 水ですか!?」
小柄な男が広場の消火栓からホースを引き、暴徒に向かって放水し始めた。
背後からの放水に暴徒らが振り向いたとき、セイジとアークは左右に展開し、それぞれ《防壁》を二枚ずつに増やす。
二人で向き合うように立ち、左右の手で一枚ずつ、ぴったり九十度角の物理防壁。
この《防壁》が防ぐのは、人間の体当たりだけではなかった。
「なんと……なんと見事な連携! 素晴らしい!」
魔法によって作られた透明な壁四枚。真四角に組まれたその壁の内側で、暴徒らは必死に壁を叩いている。足元には水。消防用ホースでの大量放水により、水位は一秒ごとに増していく。
水位が胸のあたりに達したところで、放水は止められた。
突然水槽に閉じ込められて水を注がれた男たちは、もはや暴徒でも何でもない。怯えた目をした、気の毒な小動物のようだった。
中継画面の前では、本部職員らが快哉を叫ぶ。
「よっしゃーっ! さっすがジルチ! 超・迅速鎮圧!」
「半端じゃねえなぁ、ったくよぉ! 良かったな、広報課!」
「ええ! 負傷者は自分から殴りかかった連中だけですからね。証拠映像も残ってますし、これなら会見で、堂々と胸張っていられますよ!」
「ちょっとちょっと! それよりほら! セイジさんが五人です! 僕の勝ち!」
「チッ……なんとなく有耶無耶にしようと思ったのに……」
「あーっ! クソ! あそこでレノさんのほうにもう一人来てれば……」
「左右ピッタリ同じタイミングで飛び掛かってくるとか、出来すぎでしょう!? B級アクション映画じゃあるまいし!」
「いやいや、それも含めて、セイジは『持ってる男』だからな! 俺はセイジのそういうところに惚れ込んだってぇワケよ! てめえら、ちゃんと俺とランスロットに酒奢れよ!」
「ご馳走様でーす♪」
賑やかな総務部の面々を見て、マルコも思わず笑顔になる。
「皆さん、先輩方を信じてらっしゃるのですね」
「ねー、あんなに信用されちゃってるなんて、すっごいわよねー。マルちゃん、アンタも頑張って、みんなから頼ってもらえるような子になるのよ!」
「はい! 努力いたします!」
「ん! いいお返事! それじゃあ、ま、一応は収拾付いたみたいだし、アタシたちは宿舎戻って寝ましょ」
「え、ですが、これだけの人数は支部には収容しきれませんし、本部にも何名か勾留することになるのでは? 見たところ、貴族の子弟のような身なりの若者もいたようですし……」
「そうよ。だから寝るの。みんなが夜の間中働いてくれても、朝になって引き継ぐ人員がいないんじゃ困っちゃうでしょ?」
「あ! そうですね、失礼しました」
「ってことでみんな~? あとよろしくね~。八時には戻ってくるから、それまで頑張ってちょうだ~い♪」
「ウーッス! おやすみなさーい!」
「セレンちゃんいい夢見てねー♪」
「王子様も、ちゃんと寝てくださいよ。非常時こそ、睡眠が大切なんですから!」
「はい! お先に失礼します!」
マルコは深々と頭を下げる。
彼らは確かに事務職だが、ただの事務員ではない。マルコは今、それを痛感した。
特務部隊が現場に出ている間、総務部は関係各所に連絡・交渉し、事後処理の段取りをつけている。他支部や市、関係省庁と責任の所在や費用負担等について話し合い、明確化させる。事件解決後には活動中に破壊してしまった器物の賠償手続きを進め、同時に市民向けの広報活動なども行う。
彼らの仕事は多岐にわたり、時には特務部隊員ですら知らない『事件のその後の諸問題』を独自に解決することもある。特に一番の古株、べらんめえ調のイアソンは、三代前の特務部隊長とも一緒に仕事した大ベテランだ。ついこの間入隊したばかりのマルコなど、彼の足元にも及ばない。彼らは特務部隊とともに、常に最前線で戦ってきた『歴戦の勇者たち』なのだ。
特務が騎士団の花形部隊であり続けるために、陰で支える『裏方』たち。彼らの仕事ぶりに敬意を表し、特務部隊員らは最敬礼して庁舎を後にした。
宿舎に戻って寝床に入り、朝に備えて睡眠を――そうせねばならないことは分かっているのだが、マルコもロドニーも、どうにも眠れる気分ではなかった。
申し合わせたわけでもないのに、自然とリビングルームに集合する。
ローテーブルを囲み、ロドニー、マルコ、ゴヤ、レイン、キールの五人が顔を寄せ合った。
「なあ、さっきのアレ、マジで凄かったよな」
「ええ、事前に打ち合わせていたにしても、すべての動作があまりにも滑らかで……」
「フェイントの入れ方とか、超やべえッスよ! 相手が二~三人なら俺でもイケそうッスけど……」
「個人じゃなくて、群衆としての心理を逆手に取った視線誘導ですもんね~。私もそっち系の魔法使いますけど、あんなやり方はできませんよぉ~」
「俺はセイジ先輩と同系のバトルスタイルだが、あそこまで的確に急所を突けるかどうか……」
「つーかさ、消火栓使おうって思いついた時点で、もう全体の位置取り決定してたってことじゃん? 立案から実行まで、絶対に五分以上かかってねえよ、アレ。あの作戦案出したの誰だろうな?」
ロドニーの疑問に即答したのは、先代と最も長く活動を共にしたキールだ。
「レノさんに決まっている。広場の見取り図を見た瞬間に決めていたに違いない」
「けど、レノさんだったらヒュー様メインで組み立てそうじゃねえか? 前もそれで暴動鎮圧やってんじゃん? なんでヒュー様が消火栓のバルブひねってるだけなんだよ」
「馬鹿。よく考えろロドニー。シアンとナイルがいない」
「あ、そうか……風使いが一人で、死角カバーも無しだと……」
「ナイル抜きの作戦では、これが最適解じゃないかな? ナイルがいたから、隊員一人につき二体の護衛ゴーレムがつけられたわけだろう?」
「やっぱ、地味にすごかったんだな……ナイルとシアンって……」
幾度も顔を合わせているが、彼らが特務部隊時代にどのような活躍を見せたのか、マルコは何も知らない。小声でゴヤに尋ねると、ゴヤはまるで自分の兄弟でも紹介するように、得意げな顔で言った。
「シアンさんは、情報部最強戦力ッスからね! 近接戦闘から遠距離攻撃まで自在にこなすすごい人なんスよ! 特務にいたころはセイジさんやヒュー様と組んで、どんな任務も完遂してたんス!」
「では、ナイルさんは?」
「ナイルさんは……」
ひとつひとつ思い出しながら語られる、華々しい活躍の数々。
ゴヤは彼らと入れ替わりで特務部隊に入隊したが、それ以前の活躍も、本人たちから直接聞いている。もちろん国家機密に抵触しない範囲に限られるが、それでもゴヤにとっては、シアンとナイルは最も身近で、誰よりも恰好良いヒーローだったのだ。
心の底から嬉しそうに語られる英雄譚に、マルコも思わず笑顔になる。
「たいへん素晴らしいですね。個々人の能力もさることながら、ナイルさんのゴーレムを全面的に信頼して、前だけ見て行動できる信頼と結束力も!」
この声に、ロドニーとキールが続ける。
「それが先代特務だぜ。マジで半端ねえだろ」
「今の俺たちじゃあ、ヒヨコ以下だな」
「温泉卵くらいじゃねえか?」
「ロドニー? それ、孵化しないだろ?」
「あ、そっか。茹でちゃダメだな!」
時々ものすごく天然になるロドニーの発言が飛び出したところで、レインが手を挙げた。
「はい! 私、チームプレーの練習も必要だと思います!」
「あ、それ! 俺もそう思ってたッス!」
「便乗すんなバーカ。で? レイン、チームプレーったって、どうすんだ?」
「えっと、その、とりあえずシミュレーションしましょう! もしもあの場に出動してたのが私たちだったら、どう行動していたか! たぶん、レノさんがやった役は、マルコさんと私だったと思うんです」
マルコは、レインの言わんとするところを理解した。
「私が『王族として交渉に当たる』と宣言し、注目を集めるのですね?」
「はい! それで、私には無力化させる催眠技は使えませんから、代わりに《混沌》を使います」
「え? あの大群衆を錯乱状態にするのですか? 余計に暴れるような気が……」
「いえ、錯乱状態では、暴れたとしても戦闘能力は著しく低下します。それに、そのタイミングでロドニー先輩に獣人化して突入していただければ……」
「分かった! 俺が大げさに吠えて、錯乱状態の奴らをビビらせるんだな?」
「はい。それで、ある程度は群衆が逃げ出す方向を誘導できるはずです。広場の出口付近に何かトラップを仕掛けておければ……」
「いや、駄目だな。錯乱状態の人間は何をするかわからない。いきなり隣に立ってるやつを殺すかもしれないんだぞ? どんな原因だろうと、死人が出たら問題が大きくなる」
「難しいなオイ……じゃあ、どうすんだっつーの」
「ジルチの作戦を、順を追って考えてみよう。レノさんは初撃で司令官級と敵主戦力を落とした。次は治安維持部隊を使って雑兵を一掃。残るは催眠も麻酔も効かない連中のみ。ここまではいいな?」
「おう。大丈夫だ」
「司令官がやられた場合、普通はそれに次ぐ者が代わりに立つ。だがあの集団にそれはない。あの場に残った戦力は『百人の集団が一つ』ではなく、『一個人が百』だった。広場を囲むのは訓練され、統制のとれた治安維持部隊だ。数の上では同程度だったとしても、戦力差は歴然としていた。それはあの暴徒たちも分かっていたと思う」
「あ、だったらあの時、治安維持部隊が《催涙弾》じゃなくて《麻酔弾》撃ち込んでたのって、心理戦の一種ッスかね? 《催涙弾》だったら二~三発で済みそうなのに、わざわざ一斉射撃にしてたから、おかしいな~って思ってたんスけど」
「ああ、俺も、おそらくそうじゃないかと思うんだ。あの時点で、残った連中の戦意を徹底的にへし折りに来ていた気がする。圧倒的な戦力差があって、それでも抵抗できる人間はそう多くないからな……」
「一個人が百、それもビビッて本来の半分も力が出せない状態、っつーことだな?」
「マジやべえッスね。ジルチにヘタ打つ要素皆無ッスよ」
「それでもまだ殺気立ったままの連中を、アル=マハ隊長とセイジさんが突入し、物理攻撃で倒す。最後に、元から広場に設置されていた消防設備を利用して、残る全員を無傷で鎮静化して見せた。そこにいる戦力、そこにある物をすべて活かしている。さっきレインが提案した手では、あれだけ大勢いる治安維持部隊が全く動かせない。とんでもないロスだ。別の手を考えないと……」
キールの言葉に、全員が考える顔になる。
次に手を挙げたのはゴヤだった。
「マルちゃんが囮役ってところまではいいと思うんス。だから、そのまま本当に交渉に入っちゃえばいいんじゃないッスかね?」
「言葉の通じないモンスターの寄せ集めみたいな連中だぞ?」
「だからッスよ。あの中に、本物のリーダーはいなかったじゃないッスか。寄せ集めだからこそ、『王族と直接交渉できるチャンス』に乗ってくるヤツと、ビビるヤツとに分かれると思うんスよ。で、誰が交渉するかまごついてるところに、治安維持部隊から『今解散すれば暴動罪には問われませんよ~』って呼びかけてもらえれば……」
「なるほど。二割くらいは、自分の意思で帰ってくれるかもな」
「いいアイディアですね。その間に、その他の皆さんの精神状態もかなり落ち着かれているでしょうし……」
「興奮が収まれば、『交渉することなんて何もなかった!』って気づいちゃう人もいると思うんスよね。なんとなく帰ったら負けかな~、みたいな気分で、とりあえず広場に残ってるだけの人もいるはずで……」
「三割くらいはそういう連中かな? とすると、その時点で敵戦力は半減か。悪くはないが、時間が掛かりそうだな……」
「そりゃあ仕方ねえッスよ。俺たちはレノさんたちほど強くないし、同じ能力も持ってねえッス。だから、あんなに素早く鎮圧することは諦めて、それなりに時間をかける方向で考えたほうがいいと思うッス」
「なるほど、一理ある。先輩たちの猿真似をしていても、どうにもならないよな」
「だとすれば、私が王族であるということは、かなり有効に使えるカードとなりますね」
「『かなり』じゃなくて、そこが最重要ポイントじゃねえか? で、そうなると、俺が貴族ってのも、一応使えるかもな?」
「『かも』ではなく、中央市において、ハドソン伯爵家の名は非常に有効であると思います。それに、人狼族が掟を重んずる種族であることは有名です。人狼族のロドニーさんが民衆を諭せば、ある程度冷静さを取り戻した人々には言葉も届くでしょう」
「ん~……場合によっては、同族意識に訴えるってのもアリだよな……。しっかし、まあ、なんと言うか……俺たち、破壊力がありすぎて逆に役に立たないっつーか……」
「俺、幽霊相手ならけっこう大人数でも何とかなるんスけどねー」
「私、水中での活動なら誰にも負けませんよ!」
「俺はお前らと違って、ごく普通の市民階級の人間だからな。どこで何するにも、道具と後ろ盾がないと何もできない」
「キールはその『道具の扱い』が上手いから、いいんじゃねえか? 何でも器用に使うじゃん? ……あ、でも、そう考えると暴動鎮圧に役立ちそうなのって、マルコと俺の肩書きだけか……?」
「能力ではなく肩書きのほうが役立つというのも……何か、こう、情けない気持ちになりますね……」
「ちょっとちょっと! マルちゃん! それ、肩書すら役に立たねえ中途半端士族より全然マシじゃないッスか!」
「あはは~、ゴヤの立場っていつも微妙ですよね~」
「あ! レインがそれ言っちゃう? レインだって微妙じゃん! 陸上生活中の深海生物!」
「あ、はい……私、陸の階級制度から除外されてますからね~……一応、『下級貴族と士族の間くらい』って扱いにされていますけど、正式な階級じゃないから、銃は持てませんし~……」
急に落ち込み始めたレインを、ロドニーが慌てて励ます。
「まあ、ほら、あれだ! 階級制度できたの、五百年以上前だからさ! あの頃はまだオルカやマーメイド以外の知的生命体がいるとは思われてなかったから! あんまり気にすんなよ! そのうち法律も改正されるはずだから!」
「はい……そうだといいんですけどね~……ホント、ギャップが大きすぎて、中央出て来てすぐのころはメンタル死にそうでしたよ~……。シーデビルって、海中世界ではほぼ王族扱いだったんですけど~……」
「ぶっちゃけ、この辺りでシーデビルなんて『あんた誰』状態だもんな……」
「はぁ……海が恋しい……無条件にチヤホヤされたい……」
「うわぁ! しっかりしろレイン! 顔が魚っぽくなってんぜ!?」
「ごめん! 俺、言い過ぎた! だからお願いその顔やめて! なんか怖い!」
「エラが! あ! ヒレも出てる! ダメ! やめろ! レイン、ストップ! ここで魚になっても泳げねえぞ!」
「この前も寝ぼけてビチビチして右半分痣だらけになったじゃん! ね!? ちょっと落ち着こう!?」
ロドニーとゴヤが必死にレインをなだめている間、キールは淡々とした様子でメモを取っている。
「あの、それは?」
「ん? ああ、今の話し合いをまとめて、副隊長にも意見を伺おうと思ってな。あの人は、あれでなかなか鋭いところがあるから……」
「ええ、隊員の能力値やコンディションを、正確に把握されていますよね」
「俺たちが自分で考えている長所や短所も、あの人の目で見たら、多少違ったものに見えているかもしれない。自分で自分の『可能性』を決めつける前に、第三者の意見が聞きたいんだ。一人一人ではたいしたことが出来なくても、力を合わせれば、きっと、もっと大きなことができる。そうは思わないか?」
そう言うキールの目を見た瞬間、マルコはふと、不思議な感覚にとらわれた。
たった今、カチリと何かが嚙み合って、ゆっくりと、音も立てずに動きはじめた『大きな何か』があるような――。
(あれ? もしかして、この人は……?)
前に進むために努力する。それは目標を持つ人間ならば、誰もが行うことである。けれどもその過程で、必ずと言っていいほど陥る罠がある。
それは視野の狭窄である。
たった一つの到達点を目指すがために、そこに至る道もまた、たった一つしかないと思い込んでしまうのだ。
しなくていい苦労をし、意味のない努力に時間と労力を費やし、他の道を見つけて楽に進む者を妬み、僻み、邪魔をしようとし――結局、何者にもなれずに挫折し、歩みを止めてしまう。
けれども、キールはそうではない。そこに至る道が複数あることも、それを選択する権利が自己にあることも、すべて理解している。そしてそれらを理解したうえで、自分だけでなく、『仲間も一緒に進める道』を模索しようとしている。
マルコは己を恥じた。
これまでの話し合いの最中、マルコは自分の肩書きと能力を最大限活かす方法は何かと、そればかりを考えていた。だが、キールはそうではなかった。ずっと、『この五人ならば何ができるか』を考えていたのだ。
(私は……まだまだだな。この人がいなかったら、きっと……)
一人で勝手に思い悩み、自分の道をどんどん狭めていたに違いない。いや、マルコだけではない。レインも、ゴヤも、ロドニーも、『自分ならば』という立場で意見を述べていた。おそらくこの場にキールがいなかったら、四人で揃って、何の役にも立たないトレーニングに明け暮れることになっていただろう。
マルコは大きく頷き、キールの意見に賛同した。
「私もそう思います。頑張りましょう、キールさん」
「ああ、精進あるのみ、だな!」
拳と拳をコツンとぶつけあう。
マルコはこのとき初めて、キールと『本当の仲間』になれた気がした。