逆さの城【前編】
大陸中央部、南東の町『スーネクケ』。
『エルール』よりはやや小規模な町ではあるが、『エルール』に負けないくらい活気のある町だ。
たどり着いたのは『エルール』から出発して一日と半日。
瞬歩の威力は凄まじい。
……しかし。
「…………」
「気にしていても仕方がない。町への入り口はここだけだろう? 少し待ってみればいい」
「は、はい……」
ワイズたちが『エルール』を経って四日目、であるはずだ。
そろそろ到着するか、すでに到着しているか。
しかし、女子であるワイズたちはやや歩調が遅い。
男の足で歩くよりも、到着は遅れるだろう。
だが、それはいいのだ。
遅いのならば“追い付けたはず”なのだから。
しかし、ミクルはここまでの道中、ワイズたちに追い付けなかった。
というよりも、ワイズたちを“見かけなかった”。
奇妙な話ではないか。
ワイズたちはミクルよりも先を歩いていたはずなのに。
追い抜かした訳ではない。
瞬歩は確かに凄まじい速度だったが、移動出来る距離は十メートル程度。
人とすれ違えば必ず分かる。
追い抜かす事など、ありえない。
(ワイズ……リズ……ユエンズ……エリン……)
無事でいて欲しい。
彼女たちが強いのは知っている。
けれど、それでも不安は拭えなかった。
リーダーと名乗った詐欺師、エモートに仲間がいないとも限らないし、騙されてどこかに監禁されているかもしれない。
町の入り口でただ、ひたすら待つ。
「……。夕方まで待って、誰も来なければ町で聞き込みをするかい?」
「は、はい、そ、そう、ですね」
それがいい。
もしかしたら、自分たちよりも先に着いている可能性も全くのゼロではない。
いや、街道ですれ違わなかった事を考えると、むしろそちらの方が可能性としては高いかもしれなかった。
現在は昼食の時間なのだろう、町からは食欲をそそる香りが立ち込めている。
「…………。天気が悪くなってきたね……」
「…………はい」
オディプスが空を見上げた。
彼のいう通り、朝はあれほど晴れ渡っていたというのに今は暗い雲が空を覆い始めている。
しかも、遠くでは雷雲になりつつあるようだ。
こちらまで雷鳴が聞こえてきた。
(雷……)
ゴロゴロ、ゴロゴロ……。
雷鳴は近付いてくる。
北西の空が特に真っ暗だ。
「様子が変だな」
「え?」
「マイナスの闇の魔力が集まっている。自然の雷ではない」
「……え?」
オディプスが見つめるのは、特に真っ暗になっている北西の空。
ミクルも少し腰を曲げて、彼越しにそちらを見た。
雷雲の中を雷がいくつもいくつも蛇のように駆け抜けている。
確かに、よく見ると雲とは少し、違う。
目を凝らして観察する。
「………………魔力の、かたまり?」
「ああ、さすがに分かるかい? ……闇の魔力にはプラスとマイナスがあるが、あれはマイナスだ。いわゆる邪悪な魔力の類だね。負のエネルギー……それが集まって、渦巻いている。空間に澱みが生まれつつあるようだ。……あれは、良くない」
「…………」
先程とは別な不安が頭を擡げた。
インクが水に落ちるように、じわじわと新しい不安がワイズたちを案じる心を侵食する。
無意識に震え、オディプスのローブを握り締めていた。
彼は気にした様子もないが、暗雲の変化は著しい。
雷の範囲は広がり、とある箇所へ向けて慌てて駆け寄り、飛び込んでいくかのように見えた。
その箇所とは特に雲が渦巻く場所。
どんどん、どんどん渦ははっきりとなっていく。
雷を飲み込みながら、雲を幾重にも巻き付けるように……。
「!?」
「え……!」
渦を巻く雲の中心がゆっくりと降りてくる。
中心からはなにか、細長いもの。
いや、どんどん大きくなっていく。
あれは──。
「城?」
「う、あ、うそ、だ……!」
逆さまの城だ。
ここからでは全貌は分かりかねるが、確かに逆さまの城が降りてきた。
それは漆黒の城。
雷を纏い、尚も海へ向かって生えてくる。
そして、そこからなにかが溢れてきた。
「魔獣……いや、モンスターか」
「!?」
砂つぶのように小さく見えたもの。
それらは真っ逆さまに海へと落ちていくものもあれば雲に沿って全方向へと散らばっていくものもある。
雲の下を雷雲と逆走するように、凄まじいスピードのものが接近してくる。
それらをオディプスは『モンスター』と断じた。
ミクルは目を見開いて、それを必死に否定する要素を探す。
「…………っ! ……エ、エヤミモンスター……!」
「そのようだね」
否定する要素どころか、危険が跳ね上がった、
近付いてくるのはエヤミモンスターの集団だ。
明らかに一部はこの町を狙って降りてくる!
「あ、れは……ド、ドラゴン……!?」
「ワイバーンだ。ドラゴンの亜種である事は間違いないけれどね」
「そ、そんな、む、むり……!」
「君は町の人間にワイバーンの集団が降りてくる事を伝えて家の中に避難させてくれ。相手は僕がしよう」
「! で、も!」
「早く! あのスピードでは十分以内に到達する」
「っ!」
その指示にミクルは頷いて、町へと走った。
喋るのは苦手だが必死に叫ぶ。
町の道を歩く人々は、最初こそ「なに言ってんだよ」と笑っていたが、ミクルが空を指差すと顔色を変えた。
天気が悪い、程度に思っていた通行人はミクルと同じように叫び始める。
「逃げろ! モンスターだ!」
「ただのモンスターじゃねぇ! ワイバーンだぞ!」
「坊主! 町の東にこの町のギルドがある! そこへこの事を伝えてくれ!」
「俺は町長に伝えてくる!」
「頼む! 俺は町の西の奴らに伝えてくるから!」
「! は、は、はい!」
東に、走った。
初めて来た町なので、ちっとも地理は分からない。
しかし、庭先に出ていた人にモンスターが近付いてくる事を告げながら、ギルドの場所も問えばみな驚いて指差した。
その方向へ、その方向へ、進む。
(あ、った!)
一際大きな建物を見つける。
そこがギルドに間違いない。
飛び込むと、やはり昼から酒を浴びるように飲んでいた冒険者たちがシン……と静まり返ってミクルを睨む。
冒険者の洗礼なのかなんなのか知らないがそれどころではない!
「エ、エヤミモンスター! 集団! 町の、入り口! 北西から、たくさん! ワ、ワイバーン!」
「はあ?」
「何言ってんだ?」
「エヤミモンスターだと? あんなん街道の吹き溜まりに一匹出るか出ないか──……」
「ワイバーン! たくさん! 早く! みんな! 町、襲われる! 早く!」
「「…………」」
仕方なさそうに肩を竦ませる者もいれば、なにやら必死な形相のミクルに笑いをこぼす者すらいた。
そんな中、受付カウンターにいた上半身裸に蝶ネクタイのマッチョが立ち上がる。
びくっ、と肩を跳ねる冒険者たち。
カウンターの男はそのままミクルの方へ歩いて来て、ミクルがいる出入り口の扉から外へ出る。
「あらやだ、ホントじゃない!?」
「え!?」
「ヤバイわ。エヤミモンスターが空飛んでる。ちょっとちょっと! 町にも降りてくるんじゃないのコレ! 全員きりーつ! 飲んでる場合じゃなさそうよ! 町の人を家の中に避難させて! 早く!」
「「は、はい!」」
「…………」
…………なんで、この町のギルドの受付の人も、上半身裸でゴリゴリのマッチョなのに女性言葉なのだろうか。