魔力文字【前編】
南東の町、『スーネクケ』。
そこまでは徒歩で約四日。
ワイズたちが『エルール』を発ったのが二日前なので、半分ほど先を行かれている。
……のだか。
「っ〜〜〜〜〜〜!」
ミクルは今、オディプスの風魔法により空を飛んでいた。
凄まじいスピードで空を飛び、景色を楽しむ暇もない。
そもそも、人間が空を飛ぶなんて御伽噺でも聞いた事がなかった。
風が冷たく、そして吹き付ける強さ。
風とは優しく撫でるようなものだと思っていたのに、これは押し潰されるようだ。
これではロープで首を絞められて、馬で引きずられるのと大して変わりない。
「あ、ぐっ……!」
「見付けたよ」
「!」
宙に浮かぶ。
ミクルは腰に手を回され、くの字に折れ曲がっていた。
その状態で運ばれたのだ、腰が痛い。
しかし、見付けた、とオディプスに言われてなんとか確認しよとじたばた暴れる。
「み、見る、確認……」
「ああ、そうだね。あれだよ」
「っ……!」
ミクルが見たのは……。
「…………違い、ます」
「あれ? 彼らじゃないの?」
ゆっくりと地上に降ろされる。
ふらつく体に鞭打って、なんとか前方を歩く旅人の様子を見た。
だが、あれは違う。
冒険者だ。
そしてそもそも……三人組である。
「お、女の子、四人、お、男、一人……!」
「…………。そうだっけ」
「そ、そう!」
この人は、本当に自分が興味ある事以外興味ないんだなぁ、と確信した。
だが、地上に降りればフードは被ってくれる。
一応、この世界の常識的なものは把握してくれたようだ。
「……ん? あれは……」
「?」
「モンスターだ!」
前方から男が叫ぶ。
オディプスがワイズたちだと勘違いした冒険者たちだろう。
剣を引き抜き、現れたモンスターへ攻撃を開始したところだった。
しかし──。
「え、な、なん……あ、あれは……スライム……!」
「やはりかい? しかし、ずいぶん巨大だね? 昨日冒険者たちを『解剖』した時に得た知識のものとずいぶん違う」
「…………」
ミクルは突っ込むのを諦めた。
今はそれどころではない、と判断したからだ。
「……エ、エヤミ、モンスター……だ、だと思う……。た、多分、ふ、吹き溜まりが、ち、近くにある、と、思う……」
「吹き溜まり……魔王がばら撒き、流行らせた疫病が封じられた場所から漏れる『エヤミ』が地形や風向きなどの影響で溜まる地……」
「…………」
突っ込まない。
そう決めたので頷くだけにした。
「なるほど。しかし……」
「…………」
オディプスもさすがに気が付いた。
通常吹き溜まりがモンスターを生み出す際は複数個体に分かれて生まれてくる。
しかし、エヤミモンスターは『一つの吹き溜まりそのもの』がモンスター化した存在、と言われているのだ。
通常個体とは比べ物にならないほど巨大で、強い。
あのスライムも通常サイズの十倍はある。
前方の三人の冒険者たちが、三人まるまる飲み込まれてしまっ──……。
「の、飲み込まれたーーー!」
「飲み込まれたね。どうなるんだい? アレ」
「とととととと溶かされ、し、し、し……!」
「ふーん」
「た、助け、助け、なきゃ!」
「なぜ?」
「し、死んじゃう! から!」
「…………。そうか。じゃあ頑張ってくれ」
「!?」
そうだった。
この人は、興味がある事以外、興味がない人なのだ。
しかし、ミクルの魔法は種火を作ったり、飲み水を溜めたりする程度の魔法。
戦闘にはとても使えない。
だが、それじゃあ見殺しにするのかと聞かれれば否だ。
そんな真似は絶対に出来ない。
「あ、た、助けて……おれは、む、り、弱い、から……オ、オディプスさ……な、ら……」
「なぜ? 君の知り合いというわけでもないだろう」
「……し、し、知らなくても、み、見殺しに、出来、ない……!」
「なぜ?」
「っ……」
逆に問いたいのだが、なぜ彼はこうもニヤニヤ笑いながらこの押し問答を続けるのだろうか。
目の前で人が死にかかっている。
スライムの中でぶくぶくと泡を吐き出した三人の姿に、この押し問答の時間は無駄だと判断した。
道の脇に落ちていた木の枝を拾う。
杖ならば安定して魔法を使えるのだが、杖もまたワイズたちと共に持ち去られた。
だから、練習で使った木の枝に近いものを選んだのだ。
「っ……ほ、炎よ、我が敵を、焼き払え……! ファイヤータクト!」
「…………」
枝を突き出すと、魔法陣が現れた。
それに添うようにまっすぐとした炎がスライムへ向けて突き出す。
ただの枝にしては、かなりの威力…………
ぷす。
……が、出たがしょせんは枝。
そして、相手は巨大なエヤミモンスター。
穴は開いたが一瞬でふさがった。
「「………………」」
『………………』
その上、目が合った。
攻撃されたと悟ったスライムは、ギロリと目を三角に釣り上げ、冒険者を腹に抱えたままポヨヨンポヨヨン、とジャンプしながら襲いかかってきた!
「っ〜!」
「ふふ、いいよ。思ったよりも“使えている”じゃあないか。焼き払え、と言っておきながら穴が空いた程度なのは実に面白いけれど……こうかな? ファイヤータクト!」
「!」
オディプスが手を前へ突き出した。
そして、まともな詠唱も行わず、杖もなしに魔法陣から大蛇のような炎を繰り出す。
「あ、あっつ!」
熱気がミクルの体を後方へ吹き飛ばす程の魔法。
なんとか目を開けて、成り行きを見守る。
スライムの『ミョロロロロ……!』という独特な悲鳴に、白い湯気。
最終的に蒸気を周辺に撒き散らしながら、スライムは跡形もなく消え去った。
「げほ、げほ!」
「がはっ……げほ……!」
「はあ、はあ……」
冒険者たちは無事。
上半身を起こして、その威力に驚き、彼らが生きている事に安堵した。
そして……。
「…………」
オディプスを見上げた。
口許はやはり楽しげに笑っている。
すでに手は下ろし、ロングローブの下に隠れた。
「素材のようなものは手に入らないのかい?」
「……あ、え、えと……」
スライムのいた場所を、四つん這いになって探す。
地面に倒れた冒険者たちは、呼吸を整えるのに必死でミクルの存在には気付いていない。
その隙に、スライムが落としたであろう石を拾って戻る。
まん丸く、薄い水色のそれは『水属性』だ。
そしてミクルが見たどんな『魔石』よりも大きく、ミクルが両手で持ってようやく覆えるサイズ。
「それは?」
「ま、魔石……。モ、モンスターの体の中、で、生成され、る、石……。と、溶かして剣に混ぜたり、杖の先端に、付けたり、する……魔法の、補助、加護、が、付く……これは、すごく、大きい……。これは、『水属性』……」
「どれ」
キィン、と紫色の瞳が銀に変わる。
首を傾げていると、すぐに紫色の瞳に色は戻った。
今、何かの魔法を使ったのだろうか?
興味が湧いたが、聞いてもどうせ自分には出来ないだろうと俯いた。
「……僕の世界の魔石とは違う物だね。高純度の魔力結晶とでも言えばいいのか。ふむ、興味深い。もう少し調べたい」
「…………」
「分かってるよ、君は幼馴染を追い掛けたいんだろう? なんとかという町に行けば手掛かりがある、だったかな? えーと、男三人組?」
「お、女の子、四人! 男、一人!」
「はいはい。……しかし、ずっと飛んでいるのも体に悪い。特に君は身体強化魔法も使えないようだしね。……うーん、そうだな……僕も魔力は温存したい。全属性が使えるのなら『瞬歩』という魔法を教えてあげよう」
「……しゅ、瞬歩……?」
「補助魔法の一種だよ。風と土とちらがいいかな?」
「?」
属性の話だろうか。
よく分からないが「風?」と聞き返す。
オディプスは微笑んだ。
相変わらず、微笑は美しい。
いや、微笑だけは?
直視していられなくて、俯く。
「風属性で瞬歩を使う場合、周辺の空気に含まれる風属性の魔力を感じ取り、御し、数メートル向こう側に移動する、という式を魔法陣に組み込む。こうかな」
「…………」
空中に魔力で字を書く。
これはこれですごい。
じっと見付める。
これは、光の魔法の応用だろうか?
しかし、光の魔力を一定量集めて固定し続け、文字として形を変える。
これ自体に魔法陣が使われているわけではなく、彼自身の魔力を操るテクニックで凝縮され、視認ができるように──。
「聞いてる?」
「っ……き、聞いて、なかった……ご、ごめ、なさい!」
「魔力文字が気になるのかい?」
「……。はい」
「なるほど」
特に気分を悪くした様子もなく、やはり微笑まれた。
上目だけで見上げ、魔力文字という言葉をこっそり記憶する。
これが使えれば、オディプスのように杖なしでも魔法陣が描けるのでは、と考えた時ハッとして顔を上げた。
「あ! さっき、の! 杖、ない、攻撃……魔法陣! 魔力文字、描いた……⁉︎」
「正解だよ」
「!」
スゴイ!
……と、顔にありあり出ていただろう。
これまでとはやや質の異なる笑み。
「君、意外と知的好奇心旺盛なのだね」
「…………」
「恥じる事はないさ。好奇心と向上心は紙一重だ。好奇心で人は死ぬが、自制出来れば殺す事もない。それは包丁も魔法も同じ事」
「…………」
「僕は魔法に関して好奇心旺盛な者は好きだ。僕自身がそうだからね。旅の間は簡単なものを教えてあげよう。だが、まずは瞬歩を覚えたまえ。先に進むのだろう?」
「! ……は、はい」
そうしてミクルは新たな魔法、瞬歩を覚える事にした。
覚える頃にはスライムに取り込まれた冒険者たちも気付いて、不思議そうにしながら武器をしまって先へと歩き出す。
それを木の影から見送って、改めてオディプスを見上げる。