冒険者ギルド【後編】
「そう、いいわ。こちらが登録書類よ。記入したら持ってきて」
「は、い」
「貴方はどうするの?」
「僕はいいよ」
「そう? 貴方なかなかすごい魔導師っぽいから、絶対稼げると思うんだけど」
「……」
口許が楽しそうに微笑んでいる。
その様子を横目で見て、ミクルは書類を埋めて行った。
……彼は、恐らく『魔導師』より更に上。
『大魔導師』クラスの実力があると思われる。
(……もしくは……)
『賢者』。
通称——『魔王』。
いや、と首を振る。
その呼び方は相応しくない。
現代では『大賢者』と呼ぶのが正しい。
「は、い……書き、ました……」
「はぁい、どれどれ……うん、不備はないわね。じゃあコレ。冒険者のタグよ」
「…………」
かちゃり、と差し出された細長いタグ。
腕に付けて、身分証明やランクの提示に使われる。
所属は『エールル冒険者ギルド』。
「じゃあ簡単に説明するわよ? 知ってるとしても一応聞いてね。冒険者はGランクからAランクまである。Bランクまでの昇級試験はどこのギルドでも受けられるわ。ちなみに伝説的にSランクがあると思われてるけどないから、目指すならAランクになさい。まあ、君は今日のご飯の為に仕方なく登録しただけだから目指さないと思うけど」
「……(コクコク)」
「そして冒険者にもカテゴリがあるわ。モンスター討伐。素材採集。素材採取には食材、薬草、鉱物などがあるわ。そして一番過酷と言われるのが『なんでもやる』よ」
「……なん、でも?」
「そう。なんでもやるの。町から町に宅配物や手紙を運んだり、夜逃げや引っ越しの手伝いもやる。畑仕事や家畜の世話まで、ありとあらゆる依頼をこなすのよ。素人でも出来る事が多いから、みんなまずはここから始めるけどね……」
「…………」
意味深に目を逸らす受付男。
それだけではないらしい。
目を逸らさず、次の説明を待つ。
「人探しや賞金首探し、モンスター討伐もレア素材採取、高難易度の依頼もこなす事もあるの。Aランクの冒険者はただ強いだけではなれない。これらの『こなした依頼の種類』が『一万件以上』必要になるわ。本当に多岐の分野の依頼をこなして、初めてAランクと認められるの。今のところ一人もいないわ、この大陸の町にはね。ここまでは分かったかしら?」
「は、はい……」
「よろしくてよ。……で、初心者のボーヤは……ああ、魔道士見習いなのね。とはいえ『基礎レベル5』で『職業レベル3』だと……うーん、そうねぇ……温泉のお掃除なら出来るかしら?」
「……………………」
***
カッポーーーーン……。
天井から落ちる水滴。
ゴシゴシとブラシで磨くのは女湯の浴槽。
突然ステータスが開く。
見れば『掃除スキルレベル4→5』と割としょうもないレベルアップが報告された。
複雑な気持ちになりつつステータスをオフにする。
「疑問なんだが」
「?」
そして浴室と脱衣所を隔てるガラス扉を開けて、そこに寄りかかるローブ姿の男。
一切手伝うつもりのないオディプス。
彼が唐突に疑問を口にする。
「この世界には『国』がないのかい?」
「くに……?」
「ああ、町の集合体と言うべきか……町それぞれに行政があり、機能しているのは分かったのだが、こう、土地の奪い合いのような事はしないのかい? 人民とはそういうのが好きなんだろう?」
「…………」
これはミクルにも分かる。
酷い偏見で物を言っているぞ、この人。
思わずモップを持ったまま固まってしまう。
「……ない……と、思う……町同士は、あまり近くにない、し……」
「町の偉い人間が金儲けをする為に戦争を起こしたりは?」
「? ……せん、そう? 知らない……聞いた事、ない、です」
「ええ……? この世界の人間どこかおかしいんじゃないのかい?」
「……えぇ……」
肩が落ちる。
そんな事を言われても、土地の奪い合いだの町の偉い人には会った事もない。
何しろミクルは今回初めて村から出たのだ。
『くに』や『せんそう』は初めて聞いた。
「……ふーん? ……ああ、もしかして、これからそういう歴史を歩む世界なのかな? これはこれで興味深い。比較的生活水準は高いようなのに、この水準に到達する前に戦争などによる技術向上は起きていない……? こんな不思議な事があるものなのだね?」
「……?」
オディプスが何を言っているのかさっぱり分からない。
ブラシで浮かした汚れを水で流し、布で軽く残った汚れを拭き取り、もう一度流して浴槽の掃除は終わり。
同じように男風呂も掃除していたらすっかり昼過ぎになっていた。
「ありがとう! とても綺麗になってたよ!」
「……は、はあ、いえ……」
ぐう、と腹が鳴る。
ミクルが報告に来たのは銭湯の女店主、番頭さんだ。
その腹の音を聞かれて恥ずかしくなる。
お腹を押さえると、丸々とした番頭さんはケタケタ笑って「ご飯食べてくかい? サービスするよ」と言ってくれた。
しかし、オディプスは良いのだろうか?
ホールを見回すがオディプスの姿がない。
「ああ、あのローブの人はギルドで待ってるって言ってたよ」
「え……」
不安が胸に広がる。
あの人を一人にするのは……なぜかとても不安だった。
どうしよう、迎えに行くべきか。
しかしご好意で食事を出してくれると言われたし。
腹の減り具合は、思い出すとかなりのもの。
オロオロと悩んでいると番頭さんに「呼んでおいでよ。二人分用意しておくから」と言われる。
お辞儀とお礼を言って、ギルドへと走った。
どうか何も起こしていませんように。
「っ──!」
全員がテーブルに突っ伏して眠っていた。
ロビーにただ一人佇むのはロープの男。
「な、なっ──!」
「終わったのかい?」
「なにを、し、した、の!」
「眠らせて『解剖』したんだ。さすがにこの人数は起きている状態で『解剖』出来ないからね」
「っ〜〜〜〜!」
『解剖』。
アレの事だろう。
あの、人が骨と臓器と肉と血に分かれるもの。
どうやら彼は、アレで他社の記憶や知識を盗み見るらしい。
それをここの人たちにも施した?
「な、なん、なんで、そ、そんな事、す、す、する、ですか……」
「好奇心だとも♡」
ウインクに、舌がペロン。
今絶対語尾にハートが付いた。
しょうもない事を察して両手で頭を抱える。
「しかし、面白いほど魔法が使える者は少ないな。補助……強化のような魔法は比較的使える者は多いようだが、あまりにも稚拙。あまりにも未熟。この世界の人間たちは、この程度で満足しているのかい? 魔道士と呼ばれる職業の者でもあの程度なんてね。参考にもならないよ、あれでは」
「……」
「退屈だ。この世界には僕の求める刺激がない。つまらない。……はあ、もういい。君の仕事が終わったのならさっさと行こうか。ん?」
「……あ……、あ、あの、せ、銭湯の人、が……ご飯……一緒、に、ど、どうか、って、言って、くれて……」
「食事か。僕は必要ないのだけれど……いや、ご厚意を無駄にするのは良くないか。相伴にあずかろう」
「…………」
この状況を前に、自分の用件を普通に伝える異様さ。
残念ながらミクルにその認識はなかった。
なので普通に、オディプスをギルドから連れて銭湯に戻る。
「そういえば君は魔道士見習い……僕の世界でいうところの魔法使い見習いなんだったね」
「?」
「魔法のレベルは初級以下だが、興味深い点はある。この世界の人間は属性に縛られる事がないところだ。君の使える魔法を見たけど」
「……(勝手に解剖された時かな……)」
「全部初級。しかし、全ての属性が使えたね」
「……は、はあ?」
それは普通のはずだ。
『土』『水』『火』『風』『光』『闇』……。
魔法は例外なく、必ずこのどれかに属する。
だが、恐らくオディプスはこの『例外』。
人をバラバラに解体し、元に戻すなどあり得ない。
「……あ、あな、たも、じゃ、な、ないんです、か」
「…………。ほう……?」
禁忌の紫の瞳が細まる。
感心するかのように、そして、どこか楽しげに。
弧を描く唇。
フードで通行人には見えないだろう、その満足げな表情。
ミクルを震え上がらせるには十分すぎる。
「そう。その通りだ。僕はこの世界の理の外側の人間。いや、人間でさえもうないか。……僕は生まれつき魔法を使う事には秀でた体質でね……四大霊命……ああ、この世界では六元素と呼ばれていたか……それの他に『氷』『雷』の属性が操れる」
「……! そ、んな、元素、き、聞いた事、ない」
「だろうね。この世界にはない元素だ。氷と雷、この二つは自然現象として発生はするのだろう。だが、魔法として昇華されていない。ああ、少し違う。正しくは“魔法として確立されていないから、誰もこの元素の存在に気付いていない”……だ」
「…………!」
「実に興味深い。しかし、この世界の人間たちは魔法をひどく敬遠している。あれかな、『魔導師王クリシドール』のせいかな」
「…………」
俯いた。
その通りだったからだ。
今もなお、信じられ続け、恐れられ続けている『魔導師の王クリシドール』。
それはいつしか省略され、『魔王』と、そう呼ばれる事が定着していった。
魔法を極めた『魔導師王』がこの世界を疫病に浸し、滅ぼそうとしたのだと。
だから魔法は『悪いもの』であると。
その利便性は認めるものの、究めようとする者は『魔王の信者』などと呼ばれ、社会的に孤立する。
エリンのように片目だけが『禁忌の紫』で捨てられてしまうのだ。
『魔王』は未だに、人民の心を制圧し続けている。
「愚かな事だ。魔法とは手段に過ぎない。料理を使う時に包丁を使うのと同じ。湯を沸かすのに火を使うのと同じ。その程度のものだ。使い方さえ誤らなければいいだけの事だろうに」
「…………」
「? なんだね?」
驚いて見上げてしまった。
思いもよらなかったからだ。
ミクルが魔道士見習いになったのは『便利』だったから。
村から出る時に職業を選んだが、前衛のリーダーとワイズとリズ、後衛のユエンズ、そして回復役のエリン。
ふと、旅をする時に『魔法』が使えたら便利だろう、と思った。
自分は前に出ては戦えない。
ならば後衛だろう。
しかし、弓士のユエンズと回復役にはエリンがいた。
この二人以上に、みんなをサポート出来る職業……。
(夜になったら、灯を出せる。野宿の時、火を出せる。近くに川がなかったら、水を出せる。うっかり川に落ちたら、風で服を乾かせる。……おれは、魔道士になろう……)
そう考えて、普通の人間は敬遠する魔道士を選んだ。
同じだった。
オディプスの考えは、ミクルと。
そうだ。
たとえ昔、どれほど魔法を悪き事に使った『魔王』がいたとしても、自分はそこまで魔道を究める事は出来ないだろう。
魔法の道がどれほど魅力的であっても、自分はきっと究められない。
だから関係ない。
ただ便利な道具。
使い方を間違えなければいいだけだ、と。
「…………剣は、人に、向ければ……人も、斬れる……」
「そうだ」
「……ロープも、使い方次第で……人を、殺せる……」
「そうだね」
ロープ一本で殺されかけた。
全ての道具は、使い方次第でいかようにも武器になり得る。
魔法も同じだろう。
「そうか。君は分かっているのか」
「……い、いや、その、そ、そういう、わけ、じゃ……。た、ただ、そ、そう、そう……お、お、思った、だけ……。おれは、その、じゅ、呪文、噛むし……」
「ふふふ……」
その日もエルールに泊まった。
しかし、今日のクエスト報酬で最低限の路銀にはなるだろう。
道中モンスターを狩れば、素材が手に入る。
エルールの宿の部屋。
ベッドの中で……不安に押し潰されそうになりながらも、ミクルはワイズにもらった『魔陣の鍵』を握り締めて、眠った。








