冬がはじまり、
秋が過ぎ去り、冬が訪れようとしていました。
人々は麦を刈り取り、馬や牛を小屋に入れて冬支度を整えます。
木々の葉が色づいては舞い落ちて、森に枯れ葉のじゅうたんを敷きつめます。
動物たちは、ねぐらに木の実やふかふかの落ち葉を持ち帰ります。
……全ての生き物たちが、すっかり冬に備え終わったころ、秋の女王は読んでいた本をぱたりと閉じて言いました。
「そろそろ塔を出て、冬の女王と役目を交代しようと思います」
召使いである〈秋のうさぎ妖精〉のもみじに本を手渡すと、もみじは本の重さに少しよろよろしましたが、落とさないよう一生懸命に抱え込みます。
その様子を愛らしく思い、秋の女王はもみじの頭を優しく撫でてあげました。
もみじが嬉しそうに目を細めるのを見届けて、秋の女王は椅子から立ち上がり、うんと伸びをしました。
思えば、今年も長らく塔の中に閉じこもっていたものでした。
でも、本を読むことが大好きな秋の女王はこれくらい平気でした。むしろいつまでも塔の中にこもって、お茶を飲みながら読書を楽しんでいたいくらいでしたが、そうは言っていられません。
秋の女王が塔を出なければ、ずっと秋が終わらなくなってしまいます。
秋が終わらなければ冬は訪れず、その次の春も夏も、来ることはないのです。
もしそうなったら、この国のいのちは廻らなくなってしまいます。
季節を廻らせ、いのちを廻らせること――それが、秋の女王をはじめとする四人の女王の、大切な役目でした。
「もみじ、行きましょう。わたしの本と、塔の鍵を忘れずに持って来てね」
もみじは本と塔の鍵をうんしょと持ち上げ、主の後ろをちょこちょこと付いて行きます。こうして秋の女王と、その召使い〈秋のうさぎ妖精〉のもみじは、塔を出ました。
秋を終わらせ、季節を廻らせるために。
◆◇◆
塔の外で秋の女王を待っていたのは、この国の王様、そして春、夏、冬の三つの季節の女王でした。
塔の鍵を次の女王に受け渡す場には、こうして全員がそろい、次の季節が穏やかに過ぎることを願うというのが昔からの慣わしでした。
その場には王様と季節の女王の他に、小さくて愛くるしい生き物の姿がいくつかありました。
一人は〈秋のうさぎ妖精〉のもみじ。秋の女王の召使いです。
もう一人は、〈春のうさぎ妖精〉のさくら。春の女王の召使いです。ふわふわ笑顔の春の女王とは似つかず、つんと澄ました顔。背筋も兎耳もぴんとまっすぐ伸びています。
さくらを前にしたもみじは、しきりに自分の兎耳を気にし出しました。いつもしゃきんと立っているさくらの兎耳に比べ、もみじの兎耳は半分ほど垂れていました。さくらを真似て耳を立てようとするのですが、手を離すとすぐに元どおりに垂れてしまいます。
しょんぼりするもみじの頭を、秋の女王は優しく撫でました。
「その耳が、もみじの可愛いところなのよ」
もみじが少し元気を取り戻すのを見て、秋の女王は満足しました。
そしてもう一人、〈夏のうさぎ妖精〉のほたる。ほたるは男の子で、夏の女王の召使いです。ほたるは夏の女王に似て、いつも元気いっぱいで怪我をすることもしょっちゅう。
いつか大怪我をして、兎耳の端っこが欠けてしまったことがありました。その時の夏の女王は、自分のことのように悲しみ、わんわん泣いて、その年の夏は大雨に見舞われたのでした。それ以来ほたるのわんぱくは少し鳴りを潜めましたが、元気いっぱいなのは相変わらず。
そのほたるは、いつもとは違って騒ぎもせず、雷に打たれたように立ち尽くして一点を見つめていました。
見つめる先には、黒のドレスを身にまとった冬の女王。冬の女王のかたわらには、小さくて真っ白くて美しい生き物がいました。
「ごきげんようフユ。今年の雪うさぎは、いちだんと素晴らしい出来ね」
「ありがとう、アキ。秋のお役目、おつかれさまでした」
冬の女王は、目と唇の端に、微笑みを浮かべました。
季節の女王の中で、冬の女王だけは〈うさぎ妖精〉の召使いを従えていません。
孤独と静寂を愛する冬の女王は普段から、それが召使いであろうと、誰かが自分の側に身を寄せることをよしとしませんでした。
ですが一年の間のひととき、塔に入って季節を廻らせなければならない冬の間だけは、〈うさぎ妖精〉に似せた雪うさぎを作り、塔で身動きができない自分の代わりに、王様や他の女王との橋渡し役をさせるのです。
雪うさぎは、冬の間だけの存在。
春が訪れれば、かりそめのいのちを失い、ただの雪に戻ります。その時、決まって冬の女王はこう言って雪うさぎを送り出すのです。
「あなたのおかげで今年も冬が過ぎました。ありがとう、ありがとう」
そうして雪うさぎは雪に戻り、溶けて水となって、春が廻ってくるのです。
この雪うさぎは、毎年秋の終わりと共に冬の女王が作っているもので、その年によって出来栄えが違います。
去年の雪うさぎは、雪うさぎというより雪だるまでした。
塔の入口にでんと居座ったまま身じろぎもせず、話しかけても何も答えませんでした。結局一言も口を利かないまま、春の日差しに溶けていきました。もしかして、ただの雪だるまだったのかも知れません。
今年の雪うさぎは、雪うさぎというより〈うさぎ妖精〉でした。
「おはつにおめにかかります。秋のきみ。ゆきともうします」
冬の女王のドレスの裾を掴み、自身は純白の衣装に身を包んだ雪うさぎが、秋の女王を見上げ、挨拶をしました。その紅い瞳はまばたきまでしていました。
「アキ……秋の女王。塔の鍵を」
「ああ、そうね」
冬の女王の最高傑作といえる雪うさぎに目を奪われていた秋の女王は、はっと我に返って、塔の鍵を両手に捧げ持ちました。
厳かに、祈りを込めて冬の女王に受け渡します。
「秋が終わり次の季節へ。冬の女王よ、次なる季節を廻らせたまえ」
「……確かに。次なるお役目、承りました」
冬の女王が頭を垂れて、塔の鍵を両手で受け取ります。
今、秋が終わって、季節は冬に移ろいました。
皆が見守る中、冬の女王が塔の中へと足を踏み入れます。王様が冬の女王の背中に声を掛けました。
「冬の女王よ。どうか、お手柔らかに頼むぞ」
「ええ。それでは王様、皆さん。次の春までごきげんよう……行きましょう、ゆき」
ゆきと名付けられた雪うさぎをともなって、冬の女王は塔の中へと消えました。
――がしゃん。
塔の扉が閉ざされ、辺りが静寂に包まれます。
やがて一片の雪が、もみじの鼻先に舞い落ちました。
〈うさぎ妖精〉に季節の女王たち、王様は、空を見上げました。
灰色の空いっぱいに、小さな冬の使者たちが舞い降りてくるところでした。
◆◇◆
冬の女王が塔に入って間もなく、人々は「いよいよ冬が来たんだね」と話しました。
しんしんと降る雪は、麦畑も、枯れ草の立ち並ぶ草原も、落ち葉に覆われた森も、一晩のうちに白銀の世界へと変貌させました。
一ヶ月が経ち、人々は年越しの祭りを大いに楽しみました。
盛大に火が焚かれ、恋人たちは手をつないで踊ります。家族でごちそうを食べ、大人たちは酒を飲んで楽しく騒ぎました。
三ヶ月が経ち、人々は春の訪れを待ち望んでいました。
会話といえば「今年は雪が深いねえ」「いやあ、まいったよ」といったものでした。
四ヶ月が経ち、人々は不安を覚え始めました。
雪は止まず、春の兆しは一向に見えませんでした。
この冬は、どうもおかしいのではないか……。誰もがそう感じていました。
五ヶ月が経ち、人々はついに恐れを抱きました。
王様は人々に食物を分け与えると、春の女王をせっつきました。
「まだ、冬は終わらないのか。貴女はなぜ塔を訪れないのだ」
春の女王は、何も答えませんでした。
……六ヶ月が過ぎ、王様はお触れを出しました。
――冬の女王を春の女王と交替させた者には好きな褒美を取らせよう。
ただし、冬の女王が次に廻って来られなくなる方法は認めない。
季節を廻らせることを妨げてはならない――。