新任教師
空き地だった?
そんなはずはない。
ここはどう見ても昨日僕が襲われた中古本屋があった場所である。
似ているだけで違う場所と勘違いしているのかとも思い周囲を見やるが、何度確認してもここの空き地は中古本屋があったと思われる場所である。
じゃあなんで建物ごと消えているんだ。
「おいおい優衣、記憶違いじゃないのか?僕は昨日、ここにあった中古本屋に入ったぞ」
そう、入ったのだ。
そして、あの狂人お爺さんに襲われた。
この場所から必死に逃げたのを、今でも鮮明に覚えている。
「そんなわけないじゃない。進だって毎日見てたでしょ、通学路なんだから。少なくとも私たちが中学生のときからずっとここは空き地だったわ。」
確かに、ここは僕たちが中学生のときからずっと通学路である。
毎日通ってきた道であるなら、ここが空き地だったかどうか位は知っているだろう。
昨日より前の、この場所に関する記憶を手繰り寄せる。
そして、思い出した。
「……確かに、ここは空き地だったみたいだな」
僕は思い出すように小さくつぶやいた。
引っぱり出した過去の記憶の中には、優衣の言う通り、ここに建物はなかった。
毎日見ている光景である。
ここが空き地であったことはしっかりと記憶されていた。
なぜ、僕は昨日、中古本屋に何の疑問もなく入ったのだろうか。
こんなところに中古本屋なんてあったっけ?と疑問に思った記憶はない。
何の疑問もなく吸い寄せられるように、中古本屋へ入ったのを覚えている。
しかし、その中古本屋も一夜で消失してしまっている。
狐につままれたような気分である。
あの不思議な中古本屋に入ったのは夢であったのだろうか。
空き地を見てそんなことを思う。
「進、早く行こ?遅刻しちゃうわ」
優衣は、空き地の前で考え込む僕を急かすように呼んだ。
☆
学校には優衣が急かしてくれたおかげで余裕をもってつくことができた。
僕と優衣は1年1組の教室に入り、自分の席に座る。
僕が窓際の一番後ろの席、優衣は廊下側の一番前の席である。
優衣と席が離れているのは少し寂しいが、まだクラスが始まったばかりで、名前順で座っているのだから仕方がない。
しかし、これが高校に入ってから優衣とあまり話さなくなった原因ともいえる。
次の席替えではどうにかして優衣と近くの席になりたいな。
「やあやあ、進くーん。今日も唯我さんと一緒に登校とはやりますね~。唯我さんとはどこまでいったのかな~?」
前の席から人をおちょくったような不快な声が聞こえてくる。
僕は優衣からあわてて視線をはずして、声がした方を見やる。
「……宗司か。別にどこまでもいってねーよ。ただの幼馴染だよ。おまえだって知ってるだろ?」
目の前には眼鏡をかけてニヤニヤしている、いかにもずる賢そうな顔をした男がいた。
こいつの名前は、貝塚宗司。
中学の時からずっと一緒のクラスの悪友である。
こいつとは腐れ縁みたいなもので、お互いに知りたくないほどにお互いのことを知っている。
もちろん、恋のことについてもだ。
そう、こいつは僕が優衣とは付き合ってはいない、ただの幼馴染であることは知っている。
そして、僕が優衣に対して、実は片思いの恋心を抱いていることも、である。
やっかいなのは、それを知っていてなお、からかってくることだ。
僕の悪友、貝塚宗司は人をからかうことが好きな男なのである。
「おっと、そうだったそうだった。進と唯我さんはただの幼馴染だったね~。中学の時から何も進展してないもんね~」
「…………」
さらっと、そんなことを言ってくる。
こいつ、人が気にしていることを……。
事実なだけに心にくるものがある。
「もういっそ告っちゃえばいいのに。好きなんだろ?」
告白というワードを聞いて僕は少し胸がどきどきする。
考えたこともなかった。
しかし、できるはずがない。
もし告白でもして、振られたらどうするんだ。
家が隣同士なんだぞ。気まずすぎるわ。
こいつは何もわかっていない。
「そんな大胆なことできねーよ。振られたら終わりじゃんか」
そう、振られたら終わりなのである。
たらればの話で、僕の意気地がないだけなのはわかっている。
しかし、何度も告白しようとは思ったものの、振られることを考えるとどうしても行動に移せずにいるのである。
結果、今のところは幼馴染という関係に甘んじてしまっている。
「……ふーん。まぁ、進がそれでいいならいいんじゃない?」
宗司はすましたような顔をして言う。
いつもの調子で、またからかわれるのかと思った。
だが、こういうところが宗司らしさなのであろう。
こいつは僕が踏み込まれたくないところには決して踏み込まないのだ。
だから、僕の意気地がないことを責めたりはしない。
優しいやつなのである。
――――バーーンッ!
教室のドアが勢いよく開く。
小学生のように小さな体をした、赤いジャージを着た女の子がずかずかと入ってくる。
担任の桜井美咲先生である。
美咲先生はあの見た目で未婚アラサー女子(実年齢は非公開)という強烈なポテンシャルを持っているが、本人はそれをかなり気にしているしい。
ある男子生徒が美咲先生のことを、合法ロリと言っていたのが美咲先生の耳に入り、その男子生徒は2時間説教された後に、結婚について号泣しながら語られたというのは有名な話である。
そんな美咲先生であるが、今日はいつにもまして機嫌が良さそうだ。
ルンルンとした様子で黒板の前に立つ。
しかし、教卓で体が隠れてしまうため、美咲先生専用のお立ち台に上る。
そして、口を開いた。
「みんなちゅーーもーーく!な!ん!と!前の田中先生が一人旅に出てしまわれたので、今日から1年生の担当の英語の先生が変わります!しかも、新しく来る先生が大人っぽくて素敵な男性なの!くれぐれも私以外の人が手を出さないように!以上!」
それだけ言って、またルンルンと美咲先生は教室を出て行ってしまった。
どうやら、美咲先生好みの男性が、新しい教師としてやってきたらしい。
1学期の途中のこの時期に新しい教師が入るなんて珍しいな。
というか、田中先生は一人旅って。何があったんだ。
美咲先生が教室を出ていき、クラス中がざわつきだす。
「おい進、聞いたかよ。新しい教師だってよ、どんな人なんだろうな~!」
前にいる宗司がなぜかウキウキしている。
なんでお前がウキウキするんだ。
そう思いつつ、横目でチラッと遠くの席にいる優衣を見やる。
後ろの席の女友達と楽しそうに談笑している様子だ。
くそ、その新任教師、優衣に手を出しやがったら絶対許さないからな。
教師が生徒に手を出すわけがないのだが、美咲先生の大人っぽい素敵な男性というワードがどうもひっかかる。
そんなことを思いながら一限の準備に取り掛かる。
「宗司、1限の授業なんだっけ?」
「ん?英語だぞ?いきなり噂の新しい教師に会えるみたいだな!」
宗司はなぜかワクワクした様子で言ってくる。
そうか、もう来るのか。
変な教師じゃなければいいが。
僕は英語の教科書などをリュックから取り出す。
リュックの中には、例の赤い本も入っているが今は無視する。
――――ガラッ
授業開始のチャイムと同時にクラスのドアが開いた音がする。
例の英語の新しい教師が来たようだ。
僕は視線をあげ先生の方を見やる。
そして、僕は呆気にとられたのだった。
「やあ諸君、私はウィリアムズ・ターナーと申します。以後お見知りおきを」
ターナーと名乗る男性。
シルクハットを被り、英国紳士のような恰好をする小奇麗な顔の男性。
新しい英語教師は、あの中古本屋の前で出くわした英国紳士であったのである。