僕にしか見えないページ
全部白紙だって?
そんなわけがないじゃないか。
だって、最後のページには、気色が悪い黒一色のページとあの血が擦れたような汚らしい赤い文字があったはずじゃないか。
もしや、優衣は最後のページだと思って開いたページは最後のページではなかったのではないだろうか。
それは、ありがたい勘違いである。
「ちょっと見せてみろ」
確認のために、優衣の手から本をひったくる。
しかし、ここで僕の予想は裏切られるのだった。
優衣からひったくった本が開かれていたページは、明らかに最後のページであったのである。
つまり、そこには中古本屋で驚かされた、あの気色の悪い黒いページが開かれていたのだ。
「おいおい優衣、さっきの冗談の仕返しか?この本の最後のページ見たんだろ?正直に言えって」
「はぁ?見たけど何も書いてなかったじゃない。何言ってるの?」
冷めたような顔でこちらを見てくる。
明らかに、優衣は見ていないふりをしている。
というか最後のページを開いたまま渡しておいて、しらを切れると思っているのか。
「分かった分かった。優衣。さっきの冗談は俺が悪かったって。ほら、この血で書かれたみたいな文字が見えるだろう?」
ここまできたら自棄である。
このまま、見えていないという冗談のせいで最後のページについてフォローできないのも困るからね。
僕は、優衣に本を開いて最後のページを指で示した。
「血ってなに?血なんてどこにもついてないじゃない。私にはただの何も書かれてない真っ白なページにしか見えないけど……」
優衣は顔を近づけて本をまじまじと見ながらそんなことを言ってくる。
こいつは、いつまで認めない気だ。
ちゃんと僕も謝ったじゃないか。
いい加減くどいんじゃないか。
優衣の態度に少し苛立ちを覚えてしまう。
「なぁ、優衣。ちょっとくどいんじゃないのか?このページが白紙に見えるわけないだろうが!」
少し、強い口調になってしまった。
しかし、これは優衣の方が悪いだろう。
ここまで、くどくどと見えていないふりで、さっきの僕の冗談の仕返しをされても気分が悪い。
「はぁ?私には白紙にしか見えないわよ!進が本当に頭おかしくなっちゃたんじゃないの?もう知らない!帰る!」
僕の強い口調に反応してか、もう我慢の限界というように優衣は怒気がこもった調子で叫んだ。
そして、僕に向かって、本をたたきつけるように投げ飛ばし、怒ったように速足で帰ってしまった。
なんでだよ。
本当はちゃんと見えていると言えばいいだけの話ではないか。
なぜ、認めずに、逆切れをしてくるんだ。
もしや、本当に見えていなかったのか?
いや、そんなはずはない。
例の黒い気色の悪いページを優衣に見えるように指で示したし、優衣もそのページをまじまじと見ていた。
いったいなんだっていうんだ。
優衣に罵倒されたことで気分が落ちる。
思えば今日のこの帰り道には色々なことがありすぎてもう疲れ切っていた。
精神が限界である。早くおうちの布団で寝たい。
とりあえず、優衣のことは一旦忘れて、僕は家に帰ることにした。
重い足取りで自分の家まで歩く。
玄関の前にたどり着く。
鍵で鍵穴を回す。
――――ガチャリ
「お兄ちゃあああああぁぁぁぁん!おかえりいいいぃぃぃぃぃ!」
それはドアを開いた瞬間だった。
ツインテールの小さな女の子が、何やら大声をあげながら僕に向かって飛びついてくる。
いや飛びついてくるではない、これはもはやタックルである。いや空中タックルか?
相手が女の子とはいえ、僕は非力な運動音痴である。
受け止める力など到底あるはずがなく、その女の子に玄関前で下敷きにされるのだった。
「お兄ちゃん、お帰りなさい!待ってたよ!お帰りのキスする?」
「するか馬鹿!」
この、僕に空中タックルを食らわせ、下敷きにした上で、キスをせまってくるツインテールの女の子の名前は一条心音。僕の妹である。
妹であるのに、兄に対してキスをせまってくるというのは、社会通念上、不健全極まりないもののように思えるが、毎日のようにこの家ではこのようなことが繰り広げられている。
なぜか。
結論から言うと、この妹、一条心音は重度のブラコンなのである。
なぜか昔から好かれてしまっていて、今でもよく一緒にお風呂に入るほどである。
心音はもう中学三年生になり、彼氏を作ってもおかしくはない時期ではあるのだが、この前一緒に風呂には入った時に、彼氏は作らないのかと聞いたらお兄ちゃん以外の人とは結婚しないと言われてしまい、最近は本気で心配しているのである。
「なぁ、心音。毎日、僕が帰ってくるときに僕に飛びついてくるの止めてくれないか。受け止めきれないからさ」
僕にのしかかって離れない心音を引きはがしながら言う。
しかし、心音は中々僕から離れようとはしてくれない。
「あはは、お兄ちゃん、可愛い妹に抱き着かれてうれしくないの?」
「……」
毎日のように抱き着かれても、うれしいわけがないだろう。もはや、暑苦しいだけである。
いい加減、妹のブラコン具合はどうにかしないとなぁ。
そんなことを思った時だった。
「あれ、お兄ちゃん、本落としたみたいだよ」
そう言って、心音は僕から離れて本を拾いに行こうとする。
妹にタックルされた拍子にまた落としてしまったらしい。
やばい。
妹にまであの本の中身を見られるわけにはいかない。
いや、待てよ。
もうここは、家の中だし、あの狂人お爺さんとかに襲われる心配はないだろう。
この本を見られたところでこれといった心配はないということだ。
じゃあ、さっき優衣に白紙にしか見えないと言われた最後のページを見せて、あの気色の悪い文字が見えるかどうかを心音で一応確認してみるか。
いや、もちろん見えないはずはないのだが。
ただの検証のためにあの気色の悪いページを見せるのは申し訳ないが、これで心音が僕
を嫌ってくれれば、ブラコンも解消され一石二鳥だろう。
「はい、お兄ちゃん」
健気にも僕のために本を拾ってきてくれた。
そして受け取った僕は決行するのだった。
「なぁ心音、今日図書館で借りてきたんだけど、この本に載ってる写真が意外と面白くてな。この最後のページをちょっと見てほしいんだ」
「え~、なにそれ~。面白そう~!」
心音はワクワクしたような表情を浮かべる。
今から気色の悪いものを見せることに若干の後ろめたさを覚える。
しかし、いい加減心音のブラコンは行き過ぎていると思っていたところである。
お灸をすえてやろうじゃないか。
僕は決心をし、心音の目の前に本をむけ最後のページを開く。
ワクワクしていた心音の顔は急に真顔になる。
へへへ、してやったぜ。
「お兄ちゃんお兄ちゃん。ページ間違ってるよたぶん……」
少し気まずそうな顔をした妹からそんな返答が帰ってきた。
何。
他のページを開いてしまったか。
本をこちらに向けて確認する。
しかし、開いてあったのは、まぎれもなく、あの気色の悪い黒一色の最後のページであった。
もしかしたら、面白い写真と言っていたのに、こんな気色の悪いページを見せられたから、僕が開くページを間違えたと心音は判断したのかもしれない。
「あ、ごめんごめん。心音を驚かそうと思って見せたんだ。気持ち悪かったよな、こんなページ。ごめんな」
騙すような真似をしたことを心音に謝罪する。
しかし、それを聞いて、心音は首をかしげた。
「そ、そうなんだ。お兄ちゃんは私を驚かそうとしたんだね。で、でも、ただの真っ白なページだったからあんまり怖くはなかったよ?」
少し申し訳なさそうに、そして僕をフォローするように、心音は言った。
なんだって。
「ただの真っ白なページ」だって?
そんなわけないじゃないか、このページには黒い背景と血の擦れたような汚い文字がびっしりと書かれているではないか。
ちゃんと、僕にはそう見える。
それとも、僕以外の人にはそう見えないとでも?
僕は、額から汗があふれ出てくるのを感じた。
「おい、心音!本当にこのページが真っ白にしか見えないか?」
帰宅中、優衣に見せたように、心音に本を向け最後のページを指で示す。
そして、心音は答えた。
「う、うん。真っ白にしか見えないけど。なにかついてるの?」
きょとんとした顔をしながら心音は言う。
そうか。
そうだったのか。
やっと理解した。
優衣があそこまで怒っていたのも納得である。
どうやら、優衣にも心音にも白紙にしか見えていないらしい。
つまり、このページは僕にしか見えていなかったということか。
「ごめん、心音。部屋で一旦寝るから、夕食の時間になったら起こしてくれ…」
僕は精神的に疲れているのだと思い自室で寝ることにしたのだった。