本屋にて
手にとってみると重たい本であった。
棚の奥に置かれていたから分からなかったが、思いのほか厚い本で、その辺の法律辞典くらいにはページ数があるのではないかと思わされるほどだった。
そして、表紙に目が留まる。
『人生攻略本』
そんな現実味のないタイトルが真ん中に大きな文字で記されていた。
なんだろうこれ。
何かの自己啓発本かな?
最初に思ったのはそんな感想だった。
とりあえず、パラパラと本をめくって流し読みしてみる。
「……あれ?」
思わず声に出してしまった。
当然である。なんとこの本、何ページめくっても文字がでてこないのだ。
つまり、白紙だったのである。何枚めくっても真っ白だ。
少しだけ内容に期待していただけにがっくりしてしまう。
なんだよこの本。詐欺じゃないか。
苛立ちながらも、最後までめくっていく。
もう終わりそうなのに、白紙が終わる気配がなくもう半ばあきらめていた。
そして、最後のページを開く。
「うわっ」
またも驚いて思わず声が出てしまう。
最後のページ。
普通の本であれば、最後には出版社や発行者の名前やあとがきなどが記されているのが通常だろう。
もっとも、この白紙続きの本であったのだから、そんなものも書かれずにただの白紙だろうと予想していた。
しかし、完全に予想を裏切られてしまった。
黒色だったのだ。
それも、文字が書いてあって、その文字が黒色のフォントだったというわけではない。
紙全体が黒一色だったのである。
そして、最も注目するべきはそのページの中央である。
まるで血で書いたような擦れた文字でこう書かれてあった。
『アナタノケツエキヲワタシ二クダサイ』
全身に鳥肌が立ったのを感じた。
身の毛もよだつとはこのことである。
なんだこのページは。怖いんですけど。
落ち着くために、一度深呼吸する。
「あなたの血液を私にくださいって書いてあるのかな……?」
気を取り直して、その荒々しく記された血のような文字を冷静に分析する。
黒一色の背景。
赤い血のような擦れた文字。
血液を私にくださいという文面。
うん。どう見ても作者は中二病だな。
だれかが驚かすことを目的で面白半分に作ったのだろう。
それにしても、血液をくださいって、ただの自己啓発本だと思っていたけど全然関係ないじゃないか。もはや、ただのホラー系の本である。
ここまで、手に取ったのを後悔させた本は初めてだ。
気分も悪くなったので、この本は本棚に戻すことにした。
本を閉じて棚に視線を送った時だった。
「おい、そこの若いの。その本が欲しいのかい」
通路の向かいから老人のような渇いた声が聞こえた。
不意の声に驚きながらも、声がした方に視線を向けると、そこには杖を突いた白髪の小さなお爺さんが立っていた。
よく見たら、この中古本屋に入った時に、レジの前で茶を啜りながら店番をしていたお爺さんである。
「すみません、お爺さん。今この本を棚に戻そうとしていたところで、欲しいわけではないんです」
「ふぉっふぉっふぉ。若いもんが遠慮なんかするでないわい。その本ならタダでやるから、持っていきなさい」
お爺さんは杖を突き、腰を曲げながら、そんなことを言ってくる。
このお爺さんは、この本が欲しかったけどお金の問題で棚に戻そうとしていたと、僕に対して勘違いをしているのだろう。
それにしても見ず知らずの学生にタダでくださるとはなんと優しいお爺さんだろうか。
ちゃんとした本であればそのご厚意に甘えて頂いていたところである。
しかし、お爺さんには申し訳ないが、こんな気味の悪い本を受け取るわけにはいかない。
丁重に断るとしよう。
「お爺さん、そうじゃないんです。僕は本当にこの本がいらな……」
――――ヒュッッ
僕が言葉を言い終えそうになった瞬間だった。
お爺さんの杖が僕の左目に向かって、空を切るようなとてつもない速さで突き付けられた。
「ふぉっふぉっふぉっ。若いもん、聞こえなかったかのぉ。わしはその本を持って出て行けと言っておるのじゃ。わしの杖がその目玉をくり抜く前にさっさと行かんかのぉ?」
ほんの何秒か前まで通路の反対側にいたのに、いつの間にか間合いを詰められている。
さっきまでの、ひ弱そうなお爺さんはどこへ行ったのだ。
曲がっていた腰もピンと真っすぐになっていて、鍛えられた筋肉が服の間から見え隠れしている。
穏やかそうな顔はしているが、目付きは冷え切っていて、今にも人を殺しそうである。
よく見ると杖の先には針のような細いとげが、キラリと光っているのが見える。
杖をあと1ミリでも動かせば、先端についている針が僕の目玉に届きそうである。
お爺さんの口元が狂気じみた笑みを浮かべる。
「う、うわああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」
僕はそう叫びながら、本を片手に狂気じみたお爺さんから店の出口に向かって、一心不乱に逃げたのだった。