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変人・尾島君

 でも、さっきも言った通り、僕は本を読むのはそんなに好きじゃないんだ。

 夏休みの宿題でよく読書感想文というのがあるけど、毎回書くのに苦労させられる。読もうと思って開くんだけど、あの細かい活字の羅列を見ただけで読む気が失せる。

 試しに、たまたま近くの本棚にあった文庫本を手に取り、パラパラとページをめくってみるけど、やっぱりダメだった。とても読む気がしない。僕は本を棚に戻した。


 ここはかわいい動物の姿でも見てこの荒んだ心を癒そうと、僕は図鑑などが並ぶ後方の本棚へと静かに足を運ぶ。


 だけど、僕はここで意外な人物を目撃する。


 本棚の上の方にある本を取るために、図書室内には脚立が置いてあるんだけど、その脚立の上に座って熱心に本を読んでいる男子生徒がいた。


 脚立に座って本を読むなんて、なんて非常識な奴なんだろう。

 そう思って近づきよく見ると、驚いたことに僕のよく知っている顔だった。それは同じクラスの尾島啓斗(おじまひろと)君だった。


 僕は彼が図書室にいるという事実に驚いた。こんな言い方は失礼だとわかっているけど、なんとなく場違いな感じがした。昼休みに図書室で調べ物をするほど勉強熱心な人間だとは思えなかったから。


 僕の視線を感じ取ったのか、尾島君は読んでいた本から顔を上げ、こちらを見た。

「なんだ、内海かぁ。いつからそこにいた? 全然気づかなかったぜ」

「うん、僕も今きたとこ。ちょっと探してる本があって……」

「あ、わりい、もしかして俺、邪魔だった?」そう言って、尾島君は脚立から降りようと腰を浮かせる。

「いや、大丈夫だよ。僕が探してる本は下の方にあるから」

「そうなの?」安心したように、尾島君は再び腰を下ろした。


 尾島啓斗君。

 彼はちょっと変わったところがあるけれど、例のドッジボール事件以後も、それまでと同様に、僕と普通に接してくれる唯一のクラスメイトだった。


 小太りで浅黒い肌、フケが目立つ湿り気を帯びた髪の毛、よだれの跡が白く残る口元、ヨレヨレの制服、そんな小汚い外見もさることながら、自身が起こした数々の奇行でもって、彼はクラスで僕と同じようにみんなから(特に女子から)嫌われていた。


 彼とは特別親しい間柄というわけではないけど、僕は尾島君の事が嫌いじゃなかった。

「なに? お前も読書しにきたの?」

「う、うん。ちょっと気分転換に本でも読もうかと思って……」

「ふうん」

「でも、なんか意外だな」

「なにが?」

「だって尾島君っていつも休み時間になると、真っ先に教室を飛び出していくか、机に突っ伏して寝てるか、どちらかじゃん。そんな尾島君が昼休みに図書室で読書なんてさ。尾島君と、図書室、ちょっと意外な組み合わせだったから」

「ばかやろー、俺だってなぁ、本を読みたくなることだってあるんだよ」

「一体何の本読んでるの?」

 興味本位で聞いてみた。すると尾島君は視線を落とし、不気味に笑い出した。

「んふふふふ……」聞くものを不快な気分にさせる、なんともいやらしい笑い声を漏らす。僕はたちまち不安になった。


「知りたい? 俺が何の本を読んでいるか知りたい? ようし、せっかくだ。お前もこっちきて一緒に読もうぜ」

「え、うん……」


 僕は尾島君の後ろに回り込むような形で、彼が今まさに開いているページに目をやる。

「!?」僕は絶句した。


 開かれたページには、男と女の裸の絵が大きく描かれていたからだ。

「んふふふふふふ、なぁ、すげえだろ?」

 困惑する僕の顔を眺めながら、満足気に笑みを浮かべている尾島君。

「な、な、なんなのこれ!」思わず甲高い声が出た。

 僕は見てはいけないものを見てしまったような罪悪感を感じつつページをめくり、その内容を確認する。


「……」


 これは多分、保健体育の授業で使う教材だ。男女の体の各部位の名前が図解付きで載っていた。といってもいやらしさはほとんど感じない。あくまでも教科書的な表現で、他にも男女の体の違い、人体の神秘、思春期になると顕著になる心と体の変化、子供が生まれるメカニズム、恐ろしい性感染症、そんなことがいろいろと詳しく書いてある。


「すげえだろ? 今日さ、なんかおもしれえ本ないかなぁと思ってここのぞいてみたら、偶然この本見つけたんだよ。まさかうちの学校の図書室にこんなエロ本が眠っているとはね! 俺、もうビックリしちゃったよ。どうしよう、借りていこっかなぁ~」

 パラパラとページをめくりながら、嬉々として語りだす尾島君。


 僕は、本から目を逸らした。

「おいおい、なんで目を逸らすんだよ。一緒に見ようぜ」

「僕は、こういうの興味ないから……」

「うわぁぁぁ! やめてくれよ、そういうのさぁ。ホントは興味大有りのくせしやがってよう」

「きょ、興味ないよ、本当に……」僕は小声で言った。

「嘘つけって! こういうのに興味があるから、水川の体操着盗もうとしたんだろぅ~? このエロ将軍が!」

「ち、違う! あれは僕じゃない!」僕はむきになって言った。

「勘違いしないでくれよ内海。俺は別に、お前が水川の体操着袋を盗もうとしたことを責めてるわけじゃないんだ。健全な世間一般の男子中学生なら、水川みたいな美少女の体操着を盗んで、匂いを嗅いだり、自分で着てみたりしてみたいと思うのは至極当然のことだ。俺が許せないのは、お前みたいにそれを隠そうとしてクールぶってる連中なんだよ。お前たちは、女子の前でも先生の前でも両親の前でもそうやって自分を偽って、虚しくないのか? 己の性欲に抗って生きて何が楽しいのか、俺には全く理解できないね」


 一体何の話をしているのだろう。

 僕には尾島君の言っていることがまるで理解できなかった。

「と、とにかく、あれは僕じゃないんだよ。登校してきたら、水川さんの体操着袋が僕の机の横にかかっていて――」

「はいはい、わかったわかった。おまえがド変態だということはよくわかったよ。わかりました」

 そう言って、尾島君は僕の言葉を強引にさえぎる。

 尾島君のような人間に変態呼ばわりされるのが、何だかたまらなく悔しかった。自分が盗んだのではないと、もっと上手に説明したかったけど、これ以上むきになって反論するとさらに怪しまれそうだったし、会話スキルの低い僕にはそれはとても難易度の高いことのように思えたので、僕はやむなく引き下がった。


 この後、昼休み終了を告げるチャイムが鳴り、僕たちは揃って教室へと戻った。

 尾島君はこの教材を借りていくか真剣に悩んでいたけど、結局借りていかなかった。

 曰く、「実用度は低い」とのこと。僕には何のことだかよくわからない。



 教室に戻る途中、前から聞いてみたかったことを思い切ってぶつけてみた。

「尾島君」

「うん?」

「何で尾島君は僕を無視しないの?」

「は? 無視? 何の話だよ」

「ずっと前にドッジボールの試合で、僕が北条君の顔にボールをぶつけちゃったのは覚えているでしょ?」

「そういや、そんなことあったかなぁ」

「あの後、クラスのみんなから無視されたり、嫌がらせされたりしてるんだけど――」

「え、おまえもしかして、いじめられてんの?」

 尾島君は意外そうに言った。

「うん、てゆうか、気付いてなかったの? ほら、今日だって水川さんの体操着を盗んだ疑いかけられたし……」

「あれ、お前が盗んだんじゃないの?」

「だから僕じゃないって、さっきも説明したじゃん!」

「ああ、そういやそうだったな。で、何?」

「あの日から、尾島君以外のクラスの連中の僕に接する態度が変わったんだ。無視されたり、悪口を言われたり、近づいていくだけで嫌な顔されたり……。だから尾島君だけなんだよ、僕とこうやって普通に会話してくれるのは。どうして尾島君は僕のことを無視したりしないのかなって」

「どうしてって聞かれてもなぁ……」

「前からずっと聞いてみたかったんだ」

「なあ、俺だけってマジ? 所や斉藤はどうしたんだよ。お前ら仲良かったじゃん。あいつらとも会話してないのか?」

「うん……。話しかけても、何だか迷惑そうな顔をして避けられてる」

「なんだそりゃ」

「あの日からみんなこんな感じなんだ。北条君が僕のことを無視するようにクラスのみんなに働きかけているのかもしれない」

「ボールぶつけられたくらいで……、あいつもケツの穴の小さい男だなぁ」

「尾島君はクラスの誰かから、僕を無視するように言われたりしてないの?」

「してない。つーか、お前がいじめられてんのも今知ったからな。俺はてっきり、クラスの奴らとお前とでふざけあっているのかと思ってたぜ」

「……」

「まあ、あんまり気にしないことだな。俺も女子連中から相当嫌われてるみたいだけど、全然気にしてないからね」

 嫌われているという自覚があったんだ。


「尾島君は平気なの? みんなから嫌われて、特に女子からはほとんど口聞いてもらえないじゃん。それで平気なの?」

「う~ん、平気ではないけどさ、俺のことが嫌いってわかってる連中と、仲良くする必要性があるのかって話で……」

「無理に仲良くする必要は無いということ?」

「ああ、俺はそう思う。お前もさぁ、お前を無視するような連中と、まともに付き合おうなんて思わない方が身の為だぜ。お前が逆に、奴らの事を無視してやりゃあいいんだ。それに一人のが気楽でいいぞ」

「うん……」


 僕たち二人はそんな事を話しながら教室に戻った。クラスメイトたちの視線がこちらに集まる。

 いつもひとりぼっちの嫌われ者二人が、何やらおしゃべりしながら一緒に教室に入ってきたのがクラスの連中には驚きだったのかもしれない。皆、こっちを見て、ヒソヒソと何か話をしてる。


 僕は視線を浴びながら、よそよそしく席に着く。

「キモトと内海、仲良く教室にご帰還~」また真弓田さんだ。

 僕達を冷やかすように真弓田さんが放ったその言葉は、クラスメイト達の笑いを誘った。

 ちなみに、「キモト」というのは尾島君のクラスでのあだ名だ。尾島君の名前、啓斗ヒロトと「キモい」という言葉を合体させて〝キモト〟ということらしい。


「あいつら一体、何してたんだ?」

「また、蜘蛛でも捕まえに行ってたんじゃねえの」

「お似合いのコンビじゃん」

 みんなケラケラと笑っている。一体何が面白くて笑っているのか。


 さっき図書室で尾島君が言っていた言葉を思い出す。

――まあ、あんまり気にしないことだな。

 僕には無理だよ、尾島君。

――俺も女子連中から相当嫌われてるみたいだけど、全然気にしてないからね。

 一体どうしたら、これを〝気にしない〟なんてことができるのか。


 てゆうか、これは〝気にしない〟の一言で片づけられるような問題じゃないと思う。

 尾島君の方へと目をやると、彼は自分の席で頬杖をついてあくびをしている。真弓田のからかう声も、クラスメイト達が向ける蔑みのこもった視線にも、全く動揺している様子は見られない。


 クラスで同じように嫌われている僕と尾島君。

 でも、彼はなぜ平気でいられるんだろう。さっき口では平気じゃないって言っていたけど、あの様子を見る限り、僕には尾島君が全然動じていない様に見える。

 彼と僕とで、何が違うんだろう。

 精神構造? 価値観? 人間性?


 まあ、確かに尾島君は世間一般の男子中学生とはどこか価値観がズレているのは前々から感じていたけど……。

 それは、彼のこれまでの行動や言動を見ていればよくわかる。


 尾島君が起こした奇行で、一番有名なのは筆箱事件だろう。

 それは尾島君=キモいを定着させた事件だった。



 ◇◇◇



 四月、二年に進級してまもない、ある日の教室。それは数学の授業中に起こった。


「きゃあああああああ!」

 突如、教室で甲高い叫び声が上がった。

 それはまるで、鋭利な刃物を手にした殺人鬼にでも遭遇した時に出すような、それこそテレビドラマなどでしか聞いたことの無いような類の強烈な悲鳴だった。皆、驚いて声の主に視線を向ける。


 悲鳴を上げたのは、神谷さんという物静かな女の子だった。

「どうした神谷!」

 数学の先生が授業を中断し、神谷さんに近寄り声を掛ける。

「お、尾島君が……」

 神谷さんは震える手で、後ろの席の尾島君を指差した。皆の視線が尾島君へと向けられる。当の尾島君は、何が起こっているのかわからない、といった表情で困惑気味に皆の視線を受け止めていた。

「尾島、おまえ、神谷に何かしたのか?」先生が詰め寄る。

「な、何もしてないっすよ! ひどいなあ!」

「本当か?」

「先生、尾島君の筆箱……」神谷さんが怯えながら言った。

「筆箱? 筆箱がどうした?」

「蜘蛛がいるんです……」

「え、ク、クモ?」


 先生は、神谷さんが何故こんなにも怯えているのかわからない、といった様子だった。クラスのみんなもそうだった。先生が神谷さんの後ろの席の尾島君に近寄る。

「尾島、ちょっと筆箱を見せてくれ」

「あ、はい……」

 皆が注目する中、尾島君はプラスッチック製の大きな緑色の筆箱を大事そうに両手で持ち、その蓋をパカッと開いて見せた。


 尾島君の筆箱の中にはまだら模様の大きな蜘蛛がいた。それも三匹。くねくねと動き回っている。


「尾島! な、な、なんなんだ、これは!」

 先生は二・三歩後退(あとずさ)って言った。かなりのショックを受けているのが見て取れた。

「蜘蛛ですよ」尾島君は平然と答えた。

「そりゃ、見ればわかる! なんで筆箱の中に蜘蛛がいるんだ!」

「飼ってるんです。この中で」

「な――」

「先生、俺蜘蛛って大好きなんですよぉ。世間じゃ害虫呼ばわりされてますけど、育ててみると結構かわいいもんですよ。見てやってください、ほら」

 そう言って尾島君は手の甲に蜘蛛を一匹乗せて見せた。

 そして、自身の手の上で動き回る蜘蛛を恍惚的な表情で眺めている。


 つまり、事のあらましはこういうことだった。

 先生から配られたプリントを後ろの席の尾島君へ回そうと、後ろを振り向いた瞬間、神谷さんの目に筆箱の中で不気味に蠢く三匹の蜘蛛の姿が飛び込んできた。

 で、驚いて絶叫、と――


 クラスメイト達も、そして先生も衝撃を受けていたのだろう。みんなまるで言葉を失ったように教室には重い沈黙が訪れた。もちろん、僕だって例外じゃない。

 まさか自分のクラスに、筆箱の中で蜘蛛を飼育している人間がいるとは思わなかったからね。この時は本当に驚いた。


「先生! 私、尾島君の近くは嫌です! 席を変えてください!」

 神谷さんは泣いていた。

「……尾島、今すぐ外に行ってその気味の悪い蜘蛛を捨ててこい」先生は言った。

「えぇ~、そりゃないっすよ先生! 筆箱の中で蜘蛛を飼育してはいけないなんていう校則は無かったはずですよぉ!」

「いいからさっさと捨ててこい!」

 先生は吐き捨てるように言い放ち、尾島君もそれに気押されたのかしぶしぶ同意し、筆箱を手に教室を出て行った。神谷さんはまだ泣いていたけど、近くの女子たちになだめられ、やがて授業は再開された。


 その後、戻ってきた尾島君は、まるで死刑宣告でもくらったみたいにうつろな表情を浮かべていた。愛するペットとの別れが辛かったのか、めずらしく本気で落ち込んでを受けている様子だった。


 でも、さっきも言った通り、ショックを受けていたのはむしろ僕を含めたクラスみんなの方だった。

 この筆箱事件以前にも、授業中に一人でニヤニヤ笑っていたり、教室にエッチな本を持ち込んでいたのがばれて先生に怒られたり、女子の着替えをこっそり覗いたり、少し変わった人だとは思っていた。


 でも、この日の出来事が尾島君を、「少し変わった人」から「近寄りがたい変人」としてのイメージを決定的なものにしてしまった。工事中の道路を避けて通るように、皆、尾島君を避けるようになった。


 やがて尾島君は、次第にクラスで孤立していったけど、当の尾島君本人はそんなクラスでの評判もどこ吹く風といった感じで、これ以後も今日に至るまで相変わらずの変人っぷりを見せていた。

 みんなの輪の中で目立たないよう、規律を乱さないよう、常に空気を読んでコソコソ周りに気を配って生きている僕とは真逆の性格だ。


 僕は尾島君に対して、嫌悪と憧れの入り混じったような独特の感情を抱いていた。

 悪口にも、侮蔑の籠った視線にも決して動じない尾島君。僕にはとても信じられない。

 どうしたらあの境地に立てるのだろう。

 僕はそれが知りたかった。

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