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ドッジボール事件

 いじめが始まったのは、今からひと月ほど前、五月の中旬あたりからだったと思う。


 いじめといっても、最近のニュースで報道されているような、殴られたり蹴られたりみたいな、暴力的ないじめじゃないんだ。お金などを脅し取られたりもしていない。


 ただ、ある日を境にクラスメイト達の、僕に接する態度があからさまに変わったんだ。


 ある人は、僕が近づくだけで露骨に嫌な顔をするようになった。

 ある人は、僕のことを完全に無視するようになった。

 ある人は、小声で僕の悪口を言うようになった。

 それまで仲の良かった斉藤君や所君まで、僕を避けるようになった。

 僕はクラスの中で完全に孤立してしまったんだ。


 どうしてこんな事になってしまったのか。

 僕がクラスでいじめを受けるきっかけとなったのは、おそらくその前日の体育の授業での出来事が関係しているのだろう。そうとしか考えられなかった。

 あの日のことを、いまもう一度振り返ってみよう。

 歩きながら僕はあの時の情景を頭の中に再現する……。



◇◇◇



 その日、五限目の体育の授業で、僕たち男子は二チームに別れてドッジボールの試合をやったんだ。


 ちょっと話が逸れるけど、僕はこのドッジボールというスポーツが大嫌いだった。

 仲間同士でボールをぶつけ合うなんて、なんて暴力的なスポーツなのだろう。痛い思いをさせたりさせられたり、こんな事をして一体どんな教訓が得られるというのか。

 ぶつけられるのはまだいい(ちっともよくないけど……)。

 僕が本当に嫌なのは、ボールをぶつけること。


 自慢じゃないけど、僕はこれまでの人生で、意図的に他人を傷つけるようなことはした覚えは全くと言っていいほど無い。幼稚園でも小学校でも、ケンカなんてほとんどしたことないし、悪口だって言わない。いつだって協調的で規律を乱すような行動は謹んで生きてきたつもりだ。


 そんな僕にとって、他人を傷つけることを不可避的強制的に要求させられるこのドッジボールという野蛮極まりないスポーツに、たとえ授業の一環とはいえ参加しなければならないというのは、本当に無念の極みだった。


 僕は誰も傷つけたくない。ただそれだけなんだ。僕の投げたボールで誰かが痛い思いをするなんて、考えただけで気が重くなる。

 だから、できることなら参加したくないんだけど、そういうわけにもいかない。仮病を使って見学だけにしてもらうこともできなくはないけど、ドッジボールの度に毎回見学していたら、教師やクラスメイト達に怪しまれるだろう。


 そんなわけで、この日も僕は鬱々とした面持ちでドッジボールの試合に臨んだんだ。

 で、先述の通り、この試合の最中にちょっとした事件が起こった。


 試合開始から五分ほどが経過し、僕のチームは僕を含めて、あと三人。相手チームは六人。劣勢だったけど、勝利への意欲みたいなものは皆無で、飛び交うボールを避けながら、僕はひたすら試合の早期終了を切に願っていた。


 ふと、校舎の時計に目をやる。時刻は一時三十六分。五限目の授業は四十分までなので、運がよければこのままボールに一度も触れることなく、この日の体育の授業は終了になるかもしれない。


 そんな甘い考えが頭をよぎった刹那――


「内海ィ! なによそ見してんだ! 試合中だぞ!」

 チームメイトの一人が出し抜けに僕の名前を呼んだ。

 ドキリとして視線を前方の相手チームのコートに移す。すると僕の目に飛び込んできたのは、相手チームの北条君の姿。


 二年三組のクラスメイト、北条俊騎(ほうじょうとしき)

 頭が良くて、明るくて、スポーツ万能で、イケメンで、文字通りのまさに優等生。クラスの女子達にとっては憧れの的であり、男子からも人気があった。クラス1の人気者と言っても過言じゃない。


 ボールは彼の手にあった。

 ボールを手にした北条君が、獲物を発見したハンターの如く僕に狙いを定め、緩やかなモーションから今まさに僕めがけてボールが放たれる瞬間だった。


 ああ、ぶつかる! ぶつけられる!

 僕も、そしてその場に居た誰もがそう思った。


 でも――


 僕はここで、神がかり的な反射神経を発揮してボールを受け止めてしまったんだ。


 ちょっとここで僕の運動能力について軽く解説しておくけど、僕は活発な人間ではないし、体を動かすのは全く得意じゃなかった。運動能力を五段階評価にすると「1」くらい(もちろん下から一番目ね)。

 体育でいい成績をとったことなんて、これまでの学校生活で一度も無い。そんな僕が、ここでボールをキャッチするなんて通常考えられないわけで、まさに奇跡としか言い様がなかった。


 でも今思えば、ここで素直にボールにぶつかっておけばよかったと痛切に思う。本当に……。

 僕がボールをうまくキャッチできたのは、ただ単に運が良かっただけなんだ。なんだけど、この時の僕はどうも冷静な判断力を失っていたらしい。


 コートの周りには先に試合を終え、僕ら男子の試合を見学に集まってきたクラスの女子達の姿があった。

 その中にはもちろん、僕が密かに好意を寄せる水川泉(みずかわいずみ)さんの姿も……。

 メガネがよく似合う、とっても知的な感じの美人、水川さん。

 僕は二年に進級して初めて彼女と同じクラスになったんだけど、その外見の美しさもさることながら、彼女の知性、穏やかな物腰、厳かな雰囲気、時折見せる天使のような笑顔、それらすべてを含めた彼女の魅力の虜になり、いつの間にか彼女に特別な感情を抱くまでになっていた。


「内海くん、頑張って!」

 そんな憧れの彼女がいま僕に声援を送ってくれている。この僕に。


「すごいな、内海。よく今のキャッチできたね」チームメイトが漏らした賞賛の声。


「……」悔しそうに、僕に一瞥をくれる北条君。彼の舌打ちが聞こえたような気がした。まさかボールがキャッチされてしまうとは思わなかったのだろう。


 そういった周りの反応が相乗効果となって働き、自分がまるで少年漫画の主人公になったような気分を味あわせてくれた。

 これまでの人生でほとんど感じたことのない、体の奥底から湧き上がってくる高揚感。


 自分だって、やればできる。

 みんなの前でもっとカッコいいところを見せたい!

 そう強く思ったんだ。この時はね……。


 北条君と視線がぶつかった。

「内海、本気で僕に投げてみろ」

 まさに余裕たっぷりといった感じで北条君はそう言い、不敵な笑みを浮かべた。まるで、さっき僕がボールをうまくキャッチできたのは、ただ単に運が良かっただけなんだと言わんばかりに。


 まあ実際、その通りなんだけどね。

 完全に舐められている。僕はそう感じた。

「やってやる」

 自分にしか聞こえない声でそう呟き、僕は北条君めがけ渾身の力を込めてボールを放った――


――


 その後、僕の大活躍でチームは見事に逆転勝利。

「キャーッ! 内海くんカッコいいー!」湧き上がる女子達の歓声。

「やるじゃん内海。見直したぜ」

「今日の内海くん、なんだかいつもとは別人みたいだ」

「お前のおかげで勝てたよ、ありがとう!」僕を囲み、次々と驚嘆と称賛の声をあげるチームメイト達。

「僕のおかげだって? いやいや、それは違うよ。みんながいたから勝てたのさ。いつも試合では迷惑かけっぱなしだったからね。今日は勝利に貢献できて本当に嬉しいよ。こちらこそありがとう」

「負けたよ内海、どうやらお前の事を過小評価していたようだ。まさかここまでやるとはね。完敗だよ」

「いやあ、北条君。素晴らしい試合だったね。一四年もの間、一度も使われることの無かった隠れた運動の才能が今日遂に目を覚ましたようだ。自分でも驚いているんだよ、まさか自分にこれほどの資質が眠っているとはね。これも君のおかげだよ。君が僕の真の力を引き出してくれたのさ」


 試合で大活躍し、クラスみんなの前でヒーローのように振舞う自分の姿を思い描き、僕はその空想に酔っていた。しかも、その空想がもうまもなく現実のものになるんだという根拠の全く無い自信を持っていたのだから呆れる。もちろん、現実はそんなに甘くなかった……。


――


――僕の手から放たれたボールは、ベシーン! と、乾いた音を立てて勢いよく北条君の顔面に直撃した。


「あれ……?」


 尻餅をついて後ろに倒れる北条君。

「いって……」

「おい北条、大丈夫か?」

 審判をしていた体育教師やチームメイト達が、心配そうに彼のそばに駆け寄る。

「あ、はい……、平気です」

「おい北条、鼻血出てるぞ」チームメイトの一人が北条君に告げた。

「え?」


 北条君の鼻からぽたぽたと垂れる真っ赤な血が、さっきまで純白だった体操着に赤い染みをつくった。

「……」

 北条君は、赤く汚れてしまった体操着を見ながら茫然自失といった表情で座り込んでいる。


 ここで五限目終了を告げるチャイムが鳴り響き、見学していた女子の数名も北条君の元へと駆け寄っていった。


 僕もまた、茫然とその光景を眺めていた。そして思った。

 まずいことになった、と。


 一気に熱が冷めた。

 さっきまでの高揚感は嘘みたいに消失し、とんでもないことをしてしまったという罪悪感と羞恥心がそれに取って代わった。

 この後、僕も北条君の元に駆け寄って、とにかく必死に謝った。顔を狙って投げたんじゃない。わざとぶつけたわけじゃない。本当にゴメン本当にゴメン。何度も何度も……。

 北条君はいつもの平然とした表情を取り戻し、別に怒ってない、気にしなくていい、と言っていたけど、それは嘘だったんだろう。


 結局試合は、僕たちのチームの負けで幕を閉じた。

 北条君も全然怒ってないようだったし、この時の僕は内心ほっとしていた。今回の出来事を教訓にして、今後二度と柄にもなくみんなの前でカッコいいところを見せようなんて思わないと堅く心に誓った。


 そして次の日、僕はいつものように登校し、いつものように下駄箱で上履きに履き替え、いつものように教室に入った。


「ん?」


 僕は一瞬、間違えて違う教室に入ってしまったのかと疑ってしまうほど、教室はいつもとは違う、どこか異様な雰囲気を漂わせているように感じられた。うまく説明できないけど、否定的というか排他的というか、なんとなくそんな印象を受けたんだ。


 そう、この日からなんだ。

 ひと月ほど前のドッジボールの試合から今日まで、二年三組を舞台に僕をターゲットにした陰湿ないじめ劇場の幕が開いた。

 演目は大きく分けて次の通り。


①無関心。


 クラスメイト達の僕に接する態度が明らかに冷たい。話しかけても、なんだか素っ気なかったり、迷惑そうな顔をする。僕のことを完全に無視する人も。


②消失。


 物がなくなる。机の中に入れておいたノートや教科書が忽然と消える。探すと大抵、ゴミ箱やトイレなどにボロボロの状態で捨てられている。


③中傷。


直接的に、「死ね」とか「ウザい」とか、そういう口汚い言葉を吐かれることはあんまりない。間接的に僕の心を傷つけるような言葉を吐かれる。例えば――


女子A「ねえ、なんか臭くなぁ~い?」

女子B「うん。あっちの方から、臭ってくるよ?」と言って、僕の方を指差す。

 で、僕が近づこうとしたり、声を掛けようとすると慌てて去っていく。もしくは「こっちくんな」系の罵りの言葉を吐かれる。


 他にも、例えば僕が廊下を歩いている時、前方からクラスメイトが歩いてくる。その時、すれ違いざまにボソッと、

「キモ……」なんて言われたりもする。

 僕に言いたいことがあるのなら、直接僕の前に来て、僕の目を見て言えばいいのにね。まあ、それはそれで嫌だけど。


 この③が僕には一番キツかった。

 無視されたり、物が無くなったりするのに比べ、悪口を言われるのは、自身が被る精神的なダメージが非常に大きい。


 僕がドッジボールの試合で、北条君の顔にボールをぶつけてしまった一件がいじめの発端となっている事から考えて、このいじめには北条君が関係してるのは間違いないと思う。

 北条君が僕への嫌がらせを皆に直接指示しているのか、それとも周りの連中が勝手にやっているのか、それはわからない。


 クラス1の人気者であり、リーダー的存在でもある彼の顔に、僕みたいな雑魚がボールをぶつけてしまったことが、どうしても許せない連中がクラスにいるらしい。それはなんとなく空気でわかる。


 だけど、あれは事故だ。

 僕はわざとぶつけたわけじゃない。北条君に対して申し訳ないとは思うけど、ここまで恨まれる覚えは無い。


 なんにせよ楽しかった学校生活はこの日から一転して惨めで苦しいものとなり、僕から感情や活力を奪っていった。


 なぜ、こんな仕打ちを受けなければいけないのか。

 なぜ、クラスの仲間である僕に対してこんな事をするのか。

 なぜ、僕は嫌な思いをしながら学校に行かなきゃいけないのか。無情な仕打ちを受けることがわかっているのに逃げられない、避けることができないという悲しみ。


 なぜ?

 なぜ?

 なぜ?


 心の中で何度も自問を繰り返す。しかし、毎度のこと答えは出ない。クラスメイトに直接聞いてみようか。

「なぜ僕をいじめるんですか」って……。

 直接こんなことを聞く勇気は僕には無い。でも、もし尋ねてみたらクラスの連中はなんて答えるだろう。


 怖い。


 でも、答えなんて無いのかもしれない。理不尽ないじめに、きっと深い理由なんてないんだろう。

 ただ、連中は僕が嫌いなんだ。目障りなんだ。



 ◇◇◇



 このひと月の間に起きたことを振り返りながら歩いている間に、気がつけば僕は学校の校門前に立っていた。もう学校へ着いてしまったんだ。

 ここでふと、朝食の時間に父さんが言っていた言葉が頭の中に蘇る。


『いじめられる方にも、問題があるんじゃないかと思うんだよ』

 父さんはそう言っていた。


 ……そうなのかな?

 僕はその疑問を抱えたまま校門をくぐる。

 まるで死地に赴く兵士のような心地で。

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