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友達になりたい

 次の日、僕は学校を休んだ。


 朝起きた時、体全体が酷くだるかった。寝不足だったからかもしれない。

 母さんに学校を休みたいと伝えると、「わかったわ、今日は休みなさい」とだけ言って学校に電話してくれた。


 昨日、僕が会話を強引に打ち切って部屋に閉じこもってしまった件について、父さんも母さんも特に何も言わなかった。再びいろいろ聞かれたり、叱られるのを覚悟していたんだけど……。

 もしかして、気を遣ってくれているのかな?

 

 僕はお昼まで部屋で眠った。



 昼食を食べるために台所に行くと、なぜか母さんがいた。

「あれ、仕事はどうしたの?」

 僕は母さんに聞いた。

「何言ってるの、今日は土曜日でしょ?」

 母さんが呆れたように言った。


 そうだった。

 今日は土曜日。

 土日は母さんの仕事は休みだったんだ。すっかり忘れていた。

「うどん作ったから食べなさい」

 そう言って、母さんはうどんを温めて出してくれた。


 僕が出されたうどんを黙々とすすっていると、母さんが僕の反対側のテーブルの椅子に座り言った。

「今日、この後小林先生がうちに来るから」

「えっ?」

「朝ね、お休みの連絡を入れた時に、『今日の午後、ご訪問してもいいですか』って聞かれたの。今日は仕事も休みだしOKしたんだけど、いいよね?」

「うん……」


 ここで僕が拒否したところで、今更どうにでもなる話じゃない。

 いじめの件についてはすでに父さんや母さんに知られてしまっているわけで、母さんだって昨日僕から詳しい話を聞けなかったことで、もっと事の詳細を先生から詳しく聞きたいと思っていたはずだ。きっとこんな展開になるだろうと予想してはいた。

「なんでも緊急の家庭訪問ということらしいわ。他の生徒さんの家も何軒か周るって言ってた」

「……」



 小林先生は午後二時ごろ、僕のうちにやってきた。

 リビングに案内された先生は、ソファーに座ると出されたお茶と茶菓子には一切手をつけず、いつになく真面目な調子で話し始めた。


 まず、僕が今年五月から教室でいじめられていたことについて、先生は謝罪した。

 担任教師でありながら、僕がいじめられていることにまったく気付かなかったことは無念の極みであり、教員としての力量不足が原因であると素直に認め、僕らの前で何度も頭を下げた。

 教室で月島先輩から「無能」と罵られたことを気にしているのだろうか。


 母さんは怒るでも悲しむでもなく、冷静にその謝罪を受け止めていた。

 具体的ないじめの内容などについて先生にいくつか質問していた。


 覚悟していたとはいえ、母さんにいじめの詳細が知れてしまうのは凄く恥ずかしかった。

 この場でこれ以上聞いていたくなくて、耳を塞ぎたい衝動を抑えるのに必死だった。


 さらに先生は、傷害事件後の月島先輩の様子、北条と真弓田のケガはそれほど大したケガじゃないこと、また二人の保護者が学校の対応について不満を漏らしていたこと、話し合いの結果警察沙汰になるのは何とか避けられたこと、また月島先輩もクラスでいじめられ保健室登校していたことなどを話し、そして最後に、月島先輩に一週間の停学処分が下されたことを明かした。


「停学処分? 先輩がですか?」

 僕は驚いて先生に尋ねた。

「ああ、そうだ。さすがに、あれだけの大立ち回りを演じておいて何の処罰も下されないということじゃ、向こうの保護者も納得しないし学校側としても面目が保てないからね。落とし所としては妥当だと思う。まあ、確かにちょっとかわいそうではあるけど、決まったことだ。仕方ないよ」

 先生は言った。


「あの、先輩はすでにそのことを?」

「ああ、昨日の夜、担任の教師から電話で親御さんにお伝えしたそうだ」

「……そうですか」

 先輩、どうして黙ってたんだろう。


「ところで先生」

 母さんがおもむろに言った。

「はい?」

「将太朗をいじめたその北条君と真弓田さんには何の処罰も下されないのですか?」

 母さんが若干の怒気を孕んだ口調で先生に聞いた。


「は、はい……。一応彼らも傷害事件の被害者ですからね。いじめの件については厳重注意ということで対応させていただきます。もちろん、今後二度とこのようなことが無いように指導力を強化し、私どもの方でも目を光らせて注意深く見守りたいと思っておりますので、何卒ご容赦ください……」

 先生はとても申し訳なさそうに縮こまって言った。

 母さんは今まで冷静を装っていたけど、やっぱり腹を立てているんだ。



 先生が帰った後、そのことについて母さんに聞くと、「当然でしょ?」と言った。

「今度、えいちゃんをうちに招待してきてよ。彼女にお礼を言いたいわ」

「うん、今度ね」僕は言った。



 ◇◇◇



 今回の傷害事件がきっかけとなり、僕のいじめの件と同様に、先輩がクラスでいじめられていたことも周知の事実となった。

 傷害事件の後に行われた聞き取り調査の際、葉桜さんが月島先輩もクラスでいじめを受けていることを学校側に伝えたらしい。それを受け、先輩をいじめていた火賀やその仲間の不良グループには五日間の停学処分が下されたと先生は言っていた。


 どうして北条や真弓田には停学処分が下されなかったのかと、母さんは最後まで憤りを隠せない様子だったけど先生曰く、いじめの悪質さが違うのだと言っていた。


 火賀は中学一年生の頃から素行が悪く、クラスメイトに暴力を振るったり暴言を吐いたり、度々問題を起こしていた。そして今年四月、三年四組の教室でクラスの男子生徒をいじめていたところを月島先輩に注意され逆上し、思い切り先輩を殴ってケガを負わせた。

 また、クラスメイトに自分の兄は暴走族の一員なのだと吹聴し、月島先輩を殴った事を学校側に喋った奴は必ず殺すなどと言って脅迫していたのだと先生は母さんに説明した。


 葉桜さんからの電話で、僕はすでにそのことを知っていたから驚かなかったけど、知らなかった母さんは先生の話を聞いて絶句した。そんな恐ろしい中学生が存在するのかと驚き、先輩の境遇を悲しんでいた。そんな連中は五日間の停学でも軽いと言っていた。

 僕もそう思う。


 昨日、真夜中に電話で話をした時、先輩は言っていた。


『いじめられた時にね、一番してはいけないのは何もしないことだと思うの。助けを求めるわけでもなく、反撃するでもなく、逃げるわけでもなく、何もせずにいじめを受け入れてしまうこと――』


 先輩が僕に、繰り返し暴力による報復を働きかけていたのはなぜだろう。

 先輩は身をもって、力ではいじめは解決しないということをわかっていたはず。


 火賀に小学生の頃と同じように立ち向かい戦ったけれど、いまや男女間の力の差はあまりにも大きく、無念にも敗北を許してしまった。嫌というほど絶望感と屈辱を味わい、結果として恐怖を植え付けられて教室に通えなくなってしまった月島先輩。


 僕に自分と同じようになってほしくなかったのか、あるいは、力でもいじめを解決できると証明したかったのか……。今度会った時に聞いてみようか?


『いい将太朗? こういった案件は本来なら刑事事件として扱われるべき犯罪なのよ。真弓田にはキチンとした法の裁きを受けさせなくてはいけない。だけどそれができないから私たちが国家権力に成り代わって連中に裁きを下してやらなきゃいけないって言ってるのよ、わかる?』

『いじめと戦うために、まず意識改革が必要ね。いい将太朗? あんたは犯罪の被害者、そして連中は犯罪の加害者なのよ。同じ価値観を持つ人間だなんて思ってはいけない。真弓田も北条も、そしていじめを傍観しているクラスの連中も、いじめに気付いていない教師連中も、みんな犯罪者なのよ』


 先輩が口にしていた言葉の数々を僕は思い出していた。

 そのどれもが、いじめられて傷ついた人間にしかわからない痛み(・・)を感じさせる言葉だった。


 先生が帰った後、僕は先輩にメールを送った。


『小林先生から、先輩が一週間の停学処分になったことを聞きました。僕の為にすみません。会って話せませんか?』


 夜まで待ってみたけど返信は無かった。


 先輩はいま何を考え、何を思っているのだろう。


 一週間の停学処分が下されたこと、自身のいじめについても学校側や両親に知れてしまったこと、自分をいじめた火賀達が五日間の停学処分となったこと、先輩にとっては納得できないことだらけかもしれない。

 僕も母さんと同じく、火賀達が五日間の停学で済まされたことには全く納得していない。

 でも、先輩のいじめの件が、学校側に知れたことはよかったと思う。小林先生は今後学校全体でいじめの対策を強化すると言っていたし、僕も先輩もこの先少しは学校へ通いやすくなるだろう。


 とにかく僕はいま、先輩と直接会って話がしたかった。



 ◇◇◇



 次の日は日曜日で学校はお休みだった。


 先輩に再びメールを送ったけど返信は無く、携帯に電話をかけても電源が切られているらしく繋がらなかった。


 この日の午後、葉桜さんから電話があった。

 葉桜さんも先輩と連絡が取れないことを非常に心配していた。

 自分が先生に先輩がいじめられてることを話してしまったから、それで嫌われてしまったのではとしきりに不安がっていた。


「そんなことないよ、先輩がその程度のことで葉桜さんを嫌いになるはずない」

「そうかな……」

「そうだよ。葉桜さんは先輩のことを思って先生に話したんでしょ?」

「うん。先輩がどうしてあんなことしたのか、その心情を少しでもみんなに理解してほしくて。でも、先輩にとってそれは余計なことだったのかもしれない……」

「いや、僕はこれでよかったと思ってる。学校側もいじめを無くすために動くだろうし、時間はかかるかもしれないけど、先輩もまたいずれは普通に教室に通える日が来るんじゃないかな」

 僕は希望的観測をこめて言った。

「そうなってくれればいいんだけど……」



 ◇◇◇



 そして次の日、月曜日。


 あの事件があって以来、二日ぶりの登校ということで朝から少し緊張していた。


「将太朗、大丈夫か?」

 うつろな表情で朝食を食べる僕に、父さんが声を掛けた。

「う、うん」

 正直に言うと、あまり大丈夫じゃなかったけれど僕は頷いた。

「ねえ、行きたくないなら無理していかなくてもいいのよ」

 母さんが心配そうに言った。

「いや、僕は行くよ。心配しなくても大丈夫、僕はもう平気だから」


 ここで母さんの言葉に甘えて、今日も学校を休んでしまってもよかったかもしれない。

 クラスの連中と顔を合わせたくないし、いじめが蔓延(はびこ)るあの異様な空間に足を踏み入れること自体に抵抗を感じている。

 でも、行きたくないからってずるずると休み続けていたら、逃げ癖がついてそのうち外に出ることも億劫になってしまうかもしれない。そんな予感があった。


 僕は絶対そうなりたくない。そうならないためにも僕は逃げるわけにはいかないんだ。

 先輩の為に、もっと強い人間になろうと誓ったのだから。


 心配して僕を見守る父さんと母さんの視線を受け止めながらコップに入った牛乳の最後の一口を飲み干し、「行くね」と二人に言って、玄関へ向かった。

「気を付けてね」母さんが言った。

「うん、いって来ます」

 僕は靴を履き、勢いよく玄関を飛び出した。


 マンションのエントランスで掃き掃除をしている管理人のおじいさんに僕は元気よく挨拶した。

「おはようございます」

 するとおじいさんはにこやかに僕に微笑み、挨拶を返してくれた。

「おはよう、いってらっしゃい」



 今日は気持ちのいい晴天。温かい日差しがとても心地よかった。

 季節はゆっくり春から夏へと移り変わろうとしていた。


 僕は早歩きで学校へと向かう。その道すがら僕は先輩にメールを送った。


『今日からまた登校します。正直に言うと、クラスのみんなと顔を合わせるのが怖いからもう学校へは行きたくないんです。でも、ここで逃げたらダメだと思いました。僕も早く先輩のような強い人間になりたいです。またお話ししましょう。それじゃいってきます』


 結局、この日も返信は無かったけれど先輩は絶対に読んでくれていると確信していた。

 そして僕のことを優しく見守ってくれていると。



 ◇◇◇



 校舎に入り、下駄箱で上履きに履き替えていると、突然後ろからぽんと背中を叩かれた。びっくりして後ろを振り向くと、相変わらずの気持ちの悪い笑顔がそこにあった。

「よっ!」

 尾島君だった。

 僕の背後に立ってニヤニヤ笑っている。

「驚かさないでよ……」

 僕は言った。

「いや、わりいわりい」と言いつつ、尾島君はちっとも悪いと思ってなさそうだった。


 僕らは二人並んで廊下を歩きながら教室へ向かう。


「北条も真弓田も土曜日は学校を休んだんだ」

「そうなんだ」

 確か小林先生の話だと、北条が全治三日、真弓田が全治五日のケガを負ったということだった。


「あいつら、どんな顔して教室に来るか見ものだぜ。コバセンの話だと、お前に対するいじめの件で両親や先生からこっぴどく叱られたらしい。いい気味だな!」

 尾島君は愉快そうに言った。

「しかしよう、お前の彼女の月島先輩。凄かったなぁ……。釘バット持って乗り込んできて、北条と真弓田をめった打ちしてたじゃん」

「……尾島君、何度も言うけど、月島先輩は僕の彼女じゃないんだ。ただの友達だよ」

「いやあ、痛快だったぜ。北条の奴は顔面蒼白、真弓田は珍しく悲鳴を上げてわんわん泣いてさ。俺的にはもっと痛めつけてほしかったんだけど、まあでも、あんまりやりすぎてもかわいそうだしな。これくらいが丁度よかったのかもしれん。俺も月島先輩みたいな彼女欲しいよ、マジで」


 尾島君は僕の話をまるで聞いてない。

 尾島君の中では月島先輩=僕の彼女って認識は揺るがないらしい。

 まあいいや、僕もいちいち否定するのも疲れた。勝手にそう思わせておけばいい。


「ねえ尾島君、教室ではありがとう」

「な、なんだよ急に。俺、何かしたか?」

「あの時、教室でピンチに陥ってた僕を助けてくれたじゃん。真弓田の頭に雑誌を投げてさ……」

「ああ、あれか。俺も北条と真弓田には本気でムカついてたからな。だから別に俺はお前の為にやったわけじゃないんだ。俺は教室で好き勝手やってるあいつらに、遅かれ早かれ一言言ってやるつもりだったんだ。だから別に感謝してくれなくていい」


 尾島君は照れくさそうにそう言ったけど、あの時、僕の為に行動してくれたことは疑いなかった。

 僕にはわかる。

 やっぱり尾島君、とてもいい人だ。


『気持ちはわかるけど。でも尾島みたいな相手を大事にしなきゃだめよ。彼、あんたの友達になってくれるかもしれないわ』

 僕は先輩の言葉を思い出す――


「……」

 僕は歩を止めた。


「どうした、内海」

 急に立ち止まった僕を不思議そうに見つめる尾島君。

 僕は意を決して言った。


「あのさ、尾島君。携帯電話持ってる?」

「ああ、持ってるけど……」

「もしよかったら、僕とアドレス交換しない?」

「えっ」

 尾島君は驚きの声を上げた。

「そ、その……、尾島君と友達になりたいんだ。どうかな?」

 僕は勇気を出してそう尋ねた。


 ああ、ついに言ってしまった……!


 拒否されたらどうしようという思いはあるけれど、でも僕は尾島君という人間をもっと深く知りたかった。


 筆箱の中に蜘蛛を飼っていたり、図書室で性教育の本を読んでいたり、公園でゴミを漁っていたり、僕は尾島君について、そういう変人めいた部分しか知らない。それ以外の部分も知りたくなったんだ。

 普段どんなテレビ番組を見ているのか、好きなゲーム、好きな音楽、どういう時に悲しくなるのか、将来の夢とか、彼の内面的な部分ももっと知りたい。


 恥ずかしさで頬が火照るのを感じる。

 ここで尾島君に拒否されても彼を恨んじゃいけない。そう自分に言い聞かせた。


 アドレス交換をしようという僕の言葉を、今まで見たことのないような真面目な顔で受け止めた尾島君。

 やがて彼はにっこりと笑ってこう言った。


「おいおい、なんだよ。水臭いじゃないか。アドレスだけじゃなくてせっかくだから番号も交換しようぜ! な?」

 それは相変わらずの気持ち悪い笑顔だった。

「うん!」

 うれしくて、僕も笑顔でその提案に応じた。


 朝日が射しこむ廊下で、僕らは携帯番号とメールアドレスを交換した。

 確かに彼は変人めいているけど、僕は彼と、これからずっと仲良くやっていけそうな気がしていた。

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