停学処分
どうして教室に月島先輩が現れたのか。
後になって聞いた話だけど、僕が教室でトラブルに巻き込まれていることを葉桜さんがメールで先輩に伝えたらしい。
それでメールを受け取った先輩はすぐさま保健室を飛び出し、釘バットを持って全力疾走で二年三組の教室にやってきた、というわけだ。
僕を助ける為、救世主然と教室に降臨した月島先輩は、標的である真弓田と北条を見つけると、すぐさま右手に装備した釘バットを振り回して二人に襲い掛かった。
みんなの絶叫と悲鳴が反響する教室――
僕は大惨事になることを覚悟した。
だけど、そうはならなかった。
幸いなことに、先輩が教室に入ってきてから三分も経たずに担任の小林先生が教室に駆け付けたんだ。
だから、それほど血は流れなかった。
バットを振り回して暴れる先輩は、やがて先生によって取り押さえられた。
釘バットで体を殴られ、真弓田は全治五日、北条は全治三日のケガを負った。
手加減したつもりなのか、先輩は二人の頭部や顔面を狙わなかったから、それほど大したケガにはならなかったけど、だからといって先輩の行為が許されるわけもない。
僕も、そして尾島君や水川さんをはじめとするクラスの生徒数人は、先生たちやスクールカウンセラーの女性からいろいろと質問され、それについて正直に答えた。
僕を助けるためとはいえ、先輩は傷害事件を起こしてしまった。
これは誰がどう見ても立派な犯罪だった。
だけど、学校はこの事件を警察に通報しなかった。
その学校側の判断が、北条や真弓田の保護者にとっては納得できなかったらしい。
事件の後、学校からの連絡を受けてやってきた二人の保護者は、応接室で先生らから事件の詳細を聞かされて立腹した。
確かに、自分の子供が他の生徒からバットで殴られるなんて、親からしてみたら絶対許せないと思う。
「なぜ、警察に通報しないんですか?」
「こんなおぞましい暴力事件を起こすような子とうちの子が同じ学校に通っているなんて、考えただけでも恐ろしい!」
事件の知らせを聞いて駆け付けた北条の母親と祖母、真弓田の母親の三人が、小林先生と校長先生に向かって学校側の対応に不満を漏らし、猛然と詰め寄ったそう。
「あなたがたが通報しないのなら、我々の方で警察のほうに被害届を提出させてもらいます」
北条の祖母が、断固とした口調で言った。
そこで校長先生が、言いにくそうに三人の前であの話題を持ち出した。
あの話題とは、北条・真弓田両名による僕へのいじめの件だ。
前日配られ、この日回収されたいじめアンケート調査用紙と、事件の後に行われた聞き取り調査により、僕に対する悪質ないじめの詳細がこの時すでに学校側に知れ渡っていた。
傷害事件の被害者であるはずの自分の息子・娘がじつはいじめの加害者だった。
その事実を校長先生から聞かされ、北条と真弓田の保護者たちは信じられない、信じたくないといった表情で受け止めていたという。
五月に起きた体育のドッジボールの試合での出来事。
試合の後、二人がクラスメイトに対して僕を無視するよう強要させたこと。
僕の私物を勝手に捨てたり、悪口を言ったり、その他数多くの嫌がらせの数々について先生から保護者に伝えられた。
そして、月島先輩はそんな僕を助けるために教室に乗り込んでいったということも……。
「だ、だからと言って、息子が受けた暴力行為を許してしまっていいんですか? これは紛れもない傷害事件です! は、犯罪ですよ!? 息子にこんな酷いけがをさせられて黙っているわけにはいきません!」
北条の母親がヒステリックに言った。
「その通りですよ。内海君へのいじめの件と今回の傷害事件はまったく別の問題です! いじめの問題と傷害事件を一緒くたにするのはどうかと思います」
真弓田の母親が言った。
「友達のお母さんから聞いたんですけどね、その月島さんという生徒は小学校でも何か事件を起こしていたという話じゃないですか。なんでも、クラスの男子に彫刻刀で襲い掛かったとか! まったく、なんて暴力的な子でしょう!」
ここで、この応接室での話し合いに同席していたスクールカウンセラーの女性が口を開いた。
「じつはですね、私からも皆様にお伝えしておくことがありまして……」
そう前置きして話し出したのは事件の加害者、月島先輩についてだった。
今まさに北条の母親が口にした小学校時代に先輩が起こした事件の被害者の男子生徒から、教室で暴力を振るわれるなどの酷いいじめを受けていたこと。
今現在は保健室登校していること。
また、家庭では両親が不仲でケンカが絶えないこと。
進路について悩みを抱えていたこと。
「――なので、事件当時は強いストレスと睡眠不足により、精神的に不安定な状態にあったと推察されます。そんな彼女に責任を負わせるのはあまりに酷ではありませんか? 警察に被害届を提出するというのは私どもとしては賛成しかねます」
カウンセラーの女性は言った。
「もちろん、皆様のお怒りもごもっともです。返す言葉もございません。今回の一件はすべて担任である私の監督不行き届きによるものです。ケガをされた二人と内海君に対しては本当に申し訳なく思います。しかし、ご無礼を承知で申し上げますが、月島さんも深く反省しているようですし、俊騎君もエリさんもそれほど深いケガではなかった。今後二度とこのような事件が起きないよう、こちらも万全を期して指導してまいりますので、どうかお怒りを鎮めていただけませんでしょうか」
そう言って、小林先生は北条と真弓田の保護者の前で頭を垂れた。
「そう言われてもねぇ……」
それでも、北条の母親は納得できないといった様子だったらしい。
その不服そうな様子を見て校長先生がおもむろに言った。
「そういえば、俊騎君もエリさんも来年は受験ですね。小林先生から窺ったところ、俊騎君は明陽高校志望ということでしたな。明陽と言えば県内有数の名門校。もし、今回の一件が明るみになれば、受験に影響が出ることは避けられないでしょう。彼らにとって、今はとても大事な時期です。子供たちの未来の為にも、ここは静かに見守ってあげませんか?」
受験に影響が出る。
校長先生のその言葉が決め手だった。
二人の保護者は校長先生の言葉に不服ながらも同意し、警察沙汰になるのはなんとか避けられた。
もちろん、先輩に何のお咎めも無かったというわけじゃない。
月島先輩は一週間の停学処分となった。
◇◇◇
事件のあった夜、月島先輩が起こした傷害事件の詳細と五月から続いていた僕へのいじめについて、小林先生から僕の家に電話で伝えられた。
それを聞いて父さんも母さんもかなり衝撃を受けた様子で、僕は二人からいじめと傷害事件のことで質問攻めにあった。
どうして今まで黙っていたのか、お前はケガしてないのか、北条と真弓田とはどんな生徒か、云々……。
この日は学校でも先生たちから一時間以上も聞き取り調査を受けていたから、肉体的に精神的にひどく疲れていたし、父さんや母さんの前でいじめのことや先輩が起こした事件について赤裸々に打ち明ける気にはなれなかった。
今はほっといてほしかったんだ。
今日自分が起こした行動と、その結果として引き起こされた事件について、一人で静かに検証する時間が欲しかった。考えたいことがたくさんありすぎる。
僕は二人の質問には一切答えず、「うるさいな!」と叫んで部屋に閉じこもった。
今までほとんど見せなかった僕の反抗的な態度に、父さんも母さんも困惑していた。
しばらくすると部屋の外から、二人が何やら口論する声が聞こえてきた。普段ほとんどケンカなどしない仲のいい両親だったのに、僕のせいで傷つけあっているのを聞いて、なんだかひどく悲しくなった。
二人の口論なんて聞きたくなかったので、僕はCDコンポから音楽を流し、夕食も食べずお風呂にも入らずベッドで横になっているうちに、いつの間にか寝てしまった。
夜中に目が覚めた。
CDコンポの音楽はかける時にオフタイマーをセットしていたから止まっていて、部屋の中は静かだった。壁掛けの時計を確認すると、時刻は深夜一時ちょっと過ぎ。
真っ暗な部屋に、蛍光色で彩られた長針と短針がぼんやりと浮かび上がって見えた。
僕はベッドから起き上がり、自分が今とてもお腹が空いているということに気が付いた。
夕食を食べていないのだからそれも当然。
僕はおずおずと部屋を出て台所に向かう。
みんな寝静まっていた。
そりゃそうだ。さすがにこんな時間までは起きていないだろう。
少しほっとした。反抗的な態度をとってしまった手前、気まずいから顔を合わせたくなかったんだ。
リビングのテーブルの上に、お皿に盛りつけられたチャーハンがビニールのラップで包まれた状態で置いてあった。今日、僕が食べる予定だった夕食だろうか、それとも後で起きてくるだろうと寝る前に母さんが作ってくれたものだろうか?
僕はそれをレンジで温めず、そのまま自分の部屋に持っていって食べた。
冷たくなったチャーハンを食べた後、僕は何の気なしに携帯を開いた。
一件、メールの着信が入っていた。
二時間ほど前に届いていたみたいだけど、僕は寝ていたしコンポから流れる音楽のせいで着信にはまるで気付かなかった。
メールの差出人は月島先輩。
『今日はごめんね』
文面はたったそれだけ。
僕はその文面を見ながら、先輩がどんな思いでこのメールを送ったのか考えていた。
「……」
今日、教室で釘バットを振り回し真弓田と北条に襲い掛かった先輩は、まさしくいじめという犯罪の断罪者と化していた。
「おい! 何をやっているんだ! 馬鹿な真似は止めなさい!!」
教室に駆け付けた小林先生はバットを振り回す先輩の後ろから回り込み、羽交い締めにした。先生に体を拘束され、それを振り払うようにもがき暴れる先輩。
「ちょっと、何するのよ! 無能なお前たちに変わって、私がこいつらを裁いてやるのよ! 放してッ!」
教室に先輩の絶叫がこだまする。
先輩が暴れている間、僕は何をしていたのかというと、先輩の暴力行為を自ら体を張って止めることもせず、まるで演劇でも鑑賞するような面持ちで、ただ眺めていた。
バットを振り回して二人に襲い掛かる先輩の姿は美しかった。その姿に目を奪われていたんだ。
殴られてうずくまる北条と真弓田。
僕はその時、真弓田が泣いているのを初めて目撃した。
バットで殴られてボロボロになった二人の様子を見て、僕はかわいそうと思ったか?
教室で暴れまくる先輩に対して怒りを覚えたか?
恐怖におののくクラスメイトを見て、申し訳なさを感じたか?
答えはNoだ。
いい気味だと思った。
もっと痛めつけてほしかった。
これは最高に熱い展開だと思った。
僕が今までずっと心の中に蓄積させていた怒り。
その怒りを体現するように、教室で暴風雨のごとく暴れる先輩を僕は心の底から誇らしく思った。
僕はこんな展開になってしまうのをひどく恐れると同時に、強く望んでいたということに、今ようやく気付いたんだ。
先輩は申し訳なさを感じる必要は無いんだ。
僕は先輩に対して、感謝の言葉を伝えなければいけない。
そう思い、僕は携帯でメールを打ち始めた。
『どうして謝るんですか? 今日先輩は僕を助けてくれた。僕の気持ちを代弁してくれた。とても感謝しています』
僕はそう返信した。
メールを送信してから今が真夜中だったことに気付いた。
こんな時間にメールを送るなんてちょっと非常識なんじゃないのか?
まあいいや。たぶん先輩も寝てるだろう。
明日の朝起きて、メールを見てくれればそれでいい。
すると、僕が手に持った携帯電話から突然着信音が鳴り響いた。
なんだ?
驚いて画面を見ると、それは先輩からの着信だった。
まさか、先輩もこんな時間に起きていたのか? 今は夜中の一時だぞ?
僕はびっくりして電話に出た。
「もしもし、先輩?」
「こんばんは、夜更かししてちゃダメよ」
先輩はいつもと変わらぬ様子で言った。
「先輩だって……」
「うん、何だか眠れなくてね。今日、いろいろあったから」
確かに、今日はいろいろあった。いろいろありすぎた。
「先輩、大丈夫ですか?」
僕は何だか先輩のことが心配になった。
「うん。あの後、いろんな人からいっぱい話を聞かれたり、怒られたりして疲れちゃった。一日に怒られた人数の記録更新よ。まったくやんなっちゃうわ」
そう言って先輩は「ふう」とため息を漏らした。
「先輩、後悔してるんですか? 教室で暴れたこと」
僕は聞いた。
「さあ、どうだろうね。馬鹿なことをしたなって気持ちもあるし、もっと痛めつけてやりたかったって気持ちもある。半分半分ってところかしら」
「……」
「千尋から、『内海君が教室で大変なことになってる!』って、切羽詰まったメールをもらって私に何ができるだろうって考えたの。で、私が乗り込んでいくしかないと思った。それが最善の選択だと本気で思った。疑いもしなかった。第三者的に見ればまぎれもなく最低の選択なんだろうけどね。今日、先生や母さんたちからいっぱい言われたわ、『どうしてこんな馬鹿なことをしたの?』って。私、言ってやったわ。馬鹿だからこんなことしたのよって……。それを聞いて、みんな呆れ果てたような顔してた」
先輩はあざけるように言った。
「将太朗、本当に怒ってないの?」
「はい、まったく怒ってないですよ。先輩には言葉で言い表せない程に感謝してます」
「……」
「本当ですよ、先輩には僕の考えてることがわかるんですよね? だったら、僕がいま本音で喋っているということが伝わっているはずです」
「……」
先輩は黙ったままだ。
「今まで散々先輩の前で暴力はだめだ、なんて言っておいてあれですけど、正直に言うと僕、心の奥底ではこうなることを望んでいたんじゃないかって思うんです。先輩に、北条や真弓田をやっつけてほしかった」
「……本当?」
「はい。最初にそのことに気付いたのは昨日、校門前にある横断歩道で先輩と真弓田が口論しましたよね? あの時です。あのやり取りを見てて、恐怖を感じると同時にあの二人に対して一歩も怯むことなく罵倒の言葉を浴びせる先輩を見て、僕は最高にカッコいいと思いました。僕が心の中に隠していた怒りの感情を代弁してくれたみたいで……」
「怒りの代弁、か……。じつは私もね、将太朗がそう思っていることに薄々気付いていたのよ」
「そ、そうなんですか?」
「そりゃそうよ。私を誰だと思っているの? 言ったじゃない、だって私は――」
「なんでも知っているのよ、ですか?」
僕は先輩の言葉を先読みして言った。
「フフ、わかっているじゃない。その通りよ」
何もかもお見通しだったというわけか。さすがはえいちゃんだ。
「小学生の頃さ、将太朗をいじめる近所の悪ガキを、よく私が懲らしめたりしてたでしょ?」
「はい」
「三日前、公園で将太朗と再会した時、最初私のことを『えいちゃん』って呼んでくれたわよね。いろいろあったのに昔と同じように私と接してくれてうれしかった。だから昔と同じように将太朗にとって、強くて頼れるえいちゃんでありたいと思ったの。小学生の頃から将太朗は感情を素直に表に出すのが苦手だったものね。だから私が、将太朗の抱えてる怒りや悲しみを代弁してあげられるような存在になってあげたいって」
「先輩……」
先輩の胸の内を聞いて僕は何とも言えない気持ちになる。
結果的に、僕は先輩に負担をかけてしまっていたのか。
「思えば僕は、昔からいつも先輩の好意に甘えてばかりでしたね。自分からは何も行動を起こせなかった……。そんな自分がとても情けないです」
「そんなことないわ。千尋から聞いたわよ。今日、教室で北条と真弓田にカッターナイフを突きつけて脅したって話じゃない。臆病な将太朗にしてはずいぶん勇気を振り絞ったわね」
「先輩の真似をしてみただけです。でも、ダメでした。真弓田も北条も全然怖がってくれなかった。我ながら愚かなことをしたなと思ってます」
「愚かなことなんかじゃないわ」
「え? だって……」
「いじめられた時にね、一番してはいけないのは何もしないことだと思うの。助けを求めるわけでもなく、反撃するでもなく、逃げるわけでもなく、何もせずにいじめを受け入れてしまうこと……。今日、将太朗は強い決意でもっていじめに抵抗することで、連中に一矢を報いたのよ。もっと自分の行動に誇りを感じていいと思う」
先輩はそう言った。
「先輩……」
「たとえ他の人たちが将太朗の行為を非難したとしても、私は断固支持する。よく頑張ったわね」
僕を労わるようにそう言ってくれた月島先輩の言葉は、力強さと優しさに満ちていた。
昨日、葉桜さんが電話で言っていた通り、先輩はただ暴力的なだけの人じゃない。
誰が何と言おうと僕は月島先輩を心から尊敬するし、僕は先輩の行為を支持する。その気持ちはこの先も絶対に変わることはない。
「ありがとう、えいちゃん」
僕は言った。
「……いいのよ、別に」
先輩は照れくさそうに言った。
「話せてよかった。それじゃ、もう寝た方がいいわ。中学生が電話で語り合うような時間じゃないものね」
「はい、そうですね。ところで先輩、明日はどうします……?」
僕がそう聞くと、ほんの一瞬間をおいて先輩が言った。
「……ごめん、明日は私、学校行けないんだ」
「お休みするんですか?」
「うん、ちょっとね……」
確かに、こんなことがあった次の日に学校へは行きづらいだろう。
「わかりました。そういうことなら仕方ないです」
「ごめんね」
「いいんですよ。それじゃ、おやすみなさい」
「おやすみ、またね」
先輩はそう言って電話を切った。
この時はまだ、先輩が一週間の停学処分になったということを僕は知らなかった。




