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救世主降臨

「キモトォォォォッ!! これはどういうつもりよ!!」

真弓田が憎悪をむき出しにした鬼のような形相で尾島君を睨み付けて叫んだ。


「どういうつもりって聞かれてもなぁ。昨日、内海が俺に『お願いだから僕にエロ本を貸してくれ貸してくれ』って、しつこくせがむもんでさ。だからその本は今日俺が内海に貸してやるつもりで家から持ってきた俺のお気に入りの一冊なんだ。内海に直接渡そうと待ってたら、お前らがいつまでも邪魔だったからさぁ~」

尾島君がニヤニヤしながら言った。


 真弓田のようなおっかない女に睨まれているというのに、尾島君の表情にも態度にも怯えや焦りみたいなものは全く見られない。

 いつもの、通常営業の尾島君だった。


 もちろん、僕は尾島君にエロ本を貸してほしいだなんてせがんだ覚えは無い。

 僕は知っている。

 尾島君が真弓田に投げつけたあの雑誌は、今朝尾島君が公園のゴミ箱から見つけてきたものだ。

 つまり、尾島君は僕を助けてくれたんだ。僕の窮地を救ってくれたんだ。

 まったく予想していなかったこの急展開に僕は驚き、そして率直にうれしかった。


「ありがとう、尾島君。ありがたく貸してもらうよ」

 尾島君の調子に合わせて僕はそう言い、床に落ちた雑誌を拾い上げて自分のカバンに入れた。

「おうっ! 俺のお気に入りの一冊だ。大事に使ってくれよな!」

 僕がお礼を言うと、尾島君は機嫌良くそう言って僕にウインクをした。


 僕らのやり取りを真弓田と北条、そしてクラスのみんなが呆然と眺めている。

 僕と尾島君がここまで親しい間柄だったのかと驚いているのか、あるいは校内で平然と猥褻物の貸し借りを行っている僕らにドン引きしているのか、それはわからなかった。


「なあ、真弓田ぁ。朝からくだらないことでぎゃあぎゃあ騒ぐなよ。せっかくエロ本を読みながら官能の世界へ陶酔し始めていたのに、お前の声がクソに群がるハエみたいにうるさいから、おかげでこっちは読書に集中できないじゃないか。俺のライフスタイルを妨げるような行動は慎んでくれよな」

 尾島君はうんざりしたように言った。

 それを聞いて、教室のあちこちで男子生徒たちが笑い声を上げる。


 尾島君……。

 この状況でよくそんなことが言えるな。怖くないんだろうか。


 エロ本を頭にぶつけられ、自分の声をクソに群がるハエみたいにうるさいなどと形容され、真弓田の怒りのボルテージは今や頂点に達しようとしているのが見てわかった。

 昨日、校門前で月島先輩に侮辱された時と同じように顔は紅潮し、唇を震わせ尾島君を睨み付けている。


「殺されたいの、あんた……」

 真弓田が静かに言った。その静けさが逆に不気味だった。


「おいエリ、落ち着けよ」

 ただならぬ気配を感じ取ったのか、北条が真弓田の肩に手を置き言った。

「落ち着けですって? こんな酷いことされて落ち着けるわけないでしょ!」

 真弓田は北条が肩に置いた手を払いのけ、今度は真弓田が北条の胸ぐらをつかんで詰め寄った。

「お、おい、なんだよ!」

「ねえ、自分の彼女がこんなキモイ奴らから酷いことをされて酷いことを言われて、それなのになんでトッシーは一緒になって怒ってくれないのよ! なんで? ねえなんで? 私のことはどうでもいいの?」

 真弓田は、自分がまるで痛ましい犯罪の被害者であるかのように言いつくろった。


 これには僕も呆れてしまう。

 僕に対してほぼ毎日酷いことをして、酷いことを言って、そのことについてはまったく念頭にないのだろうか。


「どうでもいいわけないだろ! 僕だって腹が立ってるよ。だけど、お前は怒ると見境が無くなるからさ。それが心配で……」

「トッシーはいつもそう、肝心なところで私の味方をしてくれない。私の苦しみを理解してくれない。こういう時にいつも他人事みたいなそっけない態度でさ!」

「だから、どうでもいいなんて一言も言ってないだろ? 感情的になるなよ……」

「ほら! またそうやってうんざりしたような顔してるじゃん! どうでもいいって顔に書いてある!」

「なあエリ、僕にいったいどうしてほしいんだ?」

 北条が困り果てた様子で聞いた。

「尾島と内海をぶん殴って」

 真弓田は大真面目にそう言った。


「そ、それ本気で言っているのか、エリ……」

 北条は真弓田の言葉に唖然としている。

「もちろん本気だけど? 私のことを愛しているならそれくらい何でもないでしょ?」

「……」

 真弓田からそう言われて、北条は黙ってしまった。


 僕はぞっとした。

 自分の彼氏にクラスメイトを殴ってほしいと懇願するなんて、本当にどうかしている。


 教室が再び緊張感に包まれる。

 みんなこわごわとした様子でこちらを窺っている。

 クラスの連中は真弓田のことをどう思っているのだろう。教室の中を我が物顔で振る舞い、大声で怒り散らし、挙句は彼氏に暴力行為を要求するこの女。みんな何とも思わないのかな? 


 北条はどうするだろう。

 真弓田に言われるまま僕に殴りかかってくるだろうか? 

 さすがにそこまで愚かではないと思いたいけど、どうだろう。


 と、ここで遠巻きにこちらを窺うクラスメイト達の中から、三人の女子がスルスルとこちらに近づいてきた。

 この三人は昨日教室で真弓田と共に僕に謝罪を要求した真弓田のお友達連中だ。

「ねえ、エリ」

 その中の一人が真弓田に声を掛けた。

「……なによ」

「もうこの辺にしときなよ、これ以上騒ぎになるとさすがにやばいよ」

 ビクビクと怯えた様子で真弓田に進言する。

「そうだよ、北条君も困ってるじゃん」

「腹が立つのはわかるけど、そろそろ先生が来るし……」

 三人の女子は、腫れ物に触るような態度で真弓田に言った。


「うるさいわね! あんたたちは関係ないでしょ? 引っ込んでてくんない?」

 真弓田は、友人達の言葉を冷たく一蹴した。


「……」

 三人は互いに顔を見合わせ、困惑している。

 こうなってしまっては、もはや何も言えないのだろう。

 その表情に、恐怖の色が強く表れている。


「どうした真弓田、彼氏の次は友達に八つ当たりかよ。お前って奴は本当にみっともねえ女だなぁ」

 尾島君が軽蔑するように言った。

「キモト、そうやって粋がっていられるのも今のうちだけだけよ。トッシーにボコってもらうからね」

「俺がムカつくんなら北条なんかに頼まないで、直接俺にかかって来いよ。このクズ女が」

 尾島君が真弓田を挑発する。

「冗談じゃないわ! なんで私がお前の相手をしなきゃいけないのよ。お前みたいなキモイ野郎には触れたくないの。私の代わりに今からトッシーがお前をボコボコにするんだから覚悟しとけよ。たっぷりと痛めつけて二度とこの私にそんな生意気なことを言えないようにしてやるから!」


 真弓田が北条の意思を確認もせずにそう宣言した。

 酷い無茶ぶりだ。少しだけ北条に同情してしまう。


「お、おいエリ……。勝手に――」

「ねえ、トッシー。お願いだから今すぐあいつをぶん殴ってよ。あんな生意気なこと言わせておいていいの? ぶちのめしてよ」

 おねだりでもするように甘えた口調で言った。

「待てってエリ、俺は――」

「何? まさか、私のお願いを拒否したりしないよね? この私を侮辱した尾島と内海をクラスみんなの前でボコボコにして久し振りにカッコいいところを見せてよ」

 真弓田が言った。


 僕はわからない。

 自分の恋人がその他大勢の人の前で暴力を振るうのが、〝カッコいいこと〟なのか? 

 真弓田の美的感覚が僕には全く理解できない。


 それにしても、何だか怪しい雲行きになってきた。

 北条のことだから、真弓田の無茶な要求を跳ねつけてくれるものと思っていたけど、どうやらそんな感じでもなさそう。

 北条はいったいどうしたんだろう。真弓田に弱みでも握られているのか?


 何にせよ、北条が尾島君を一歩的に殴りつけるような展開は絶対に阻止しなければいけない。

 だって、尾島君はリスクを冒して僕を助けてくれた恩人だ。

 彼が殴られるのを指をくわえて見ているわけにはいかないじゃないか!

 それに、これは僕とこいつらの問題だ。部外者である尾島君にこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない。


「真弓田、いい加減にしろよ。尾島君を巻き込むな。殴るのは僕だけにしろ」

 僕は言った。

「プッ! 内海のくせに何カッコつけてんの? 殴るのは僕だけにしろ、だってさ! アハハハハッ!」

 真弓田は大声でゲラゲラと笑った。


 教室に真弓田の下品な笑い声が響いた。

 笑われるようなことを言った覚えは無いけど、侮辱されたようで腹が立った。


 僕が怒りの声を上げようと口を開きかけたその時――



「何がそんなに面白いの? 真弓田さん」



 僕らの教室に真弓田の下品なそれとは違う、清らかでどこか気品を感じさせる声が響き渡った。


 その声の主が、窓際にある自分の席で立ちあがり、真弓田と北条に厳しい視線を送っていた。


「水川さん……」

 僕は言った。


「真弓田さん、そろそろ終わりにしない? みんな迷惑してるのよ」

 水川さんがツタツタと真弓田の前までやってきてそう言った。


「……みんな迷惑してるってなにそれ、みんながそう言ったわけ?」

 真弓田は言い返すが、明らかに狼狽えていた。

 尾島君に続き、予想外の人物が参戦してきたことに驚きを隠せない様子だ。


 上品で清楚な水川さんと下品でやかましい真弓田。対照的な二人がクラス皆の視線の中央で睨みあっていた。まるで天使と悪魔が対峙しているような、そんな印象を受けた。


「わかるでしょ? いま教室にいる誰もがあなた達をどんな目で見ているか。みんなあなたや北条君が怖くて口には出さないけど、みんな呆れているのよ。もうこんなくだらないことは止めにしましょう。ね?」

 水川さんが聞き分けの悪い子供に言い聞かせるような口調で真弓田に言った。


「水川さん、あんた何様? 突然出てきてなに偉そうにリーダー面してんの? あんたも内海の味方するわけ?」

 真弓田が苛立たしげに言った。

「私は誰の味方でもないけど、人を平気でいじめるような人間の味方ではないことは確かね」

 水川さんが毅然たる態度で言った。

「いじめ? 私たちが内海をいじめてるって言いたいの? と、とんでもない誤解だわ……! ちょっと言い争ってただけじゃない! ねえ、トッシー?」

「あ、ああ……」

 北条は言った。


「呆れた。この期に及んでよくそんな言い訳を……。たった今、自分の彼氏に『内海君と尾島君を殴ってくれ』なんて言っておいて」

 水川さんが言った。

「だって! それは内海がカッターなんか持ちだして、私達を脅すようなことをしたから……」

「そ、そうさ……。内海君が大人しく携帯を見せてくれていれば、こんなことにならずに済んだんだ」

 北条が弁解するように言った。

「おいおい、なんだよそれ。そもそもお前らが内海に携帯を見せろだなんて言いだしたのが事の発端だろ? 内海は悪くねえよ」

 尾島君が僕をフォローするように言った。


 尾島君。君は本当にいい奴だ。

 いま僕の中で尾島君の好感度が急上昇していた。彼が変人だろうが、下品だろうが、もうそんなことは関係ない。尾島君は僕にとって大切な友達だ。


「キモト、お前は黙ってろよ! しゃしゃり出てくんなっての!」

 真弓田が吐き捨てるように言った。


「ねえ真弓田さん、それに北条君。内海君がカッターを持ち出してきたのは確かに正しい行為ではないと思う。でも、尾島君の言う通り、内海君をそこまで追い詰めてしまったのは他でもないあなた達でしょう? それに今日に限ったことじゃないわ。昨日だって内海君に土下座しろなんて言って、断られた腹いせに暴力を振るっていたじゃない。こういうのをいじめと言わずになんていうの? それに今までにも――」


「もういい!!」

 水川さんの言葉を遮るように真弓田が大きな声で言った。

「もういいわ、聞きたくない。委員長ぶってこの私に説教垂れる気? 何よ、部外者のくせに他人の問題にいちいち口出ししてきやがって……。マジむかつくんだけど」

 真弓田が水川さんを睨み付けながら言った。 

 いまや真弓田の全身から怒りが発散されていた。今にも水川さんに襲いかかりそうな雰囲気だ。


「なあ、エリ……」

 北条が不安そうに真弓田に声を掛ける。

「エリ、もうやめなって……」

「そ、そうだよ!」

 真弓田の友人達も、北条と同様におろおろしている。

 怒りを鎮めるように彼女に声を掛けるもののまるで効果は無い。真弓田は聞く価値なしといった感じで無視を決め込んでる。


 みんな恐れているんだ。真弓田が水川さんに暴力を振るうのではと。


 それも当然だと思う。

 だって僕や尾島君はいわば半端者。クラスでほとんど好感をもたれていない人間だ。

 もともと嫌われている僕らが酷い目にあってもクラスメイト達にとってはきっとどうでもいいことに違いない。


 でも、水川さんは違う。

 おそらくだけど、このクラスで水川さんを嫌ってる人はいないんじゃないかと思う。

 優しいし、頭もいいし、礼儀正しいし、それに美人だ。


 もし、そんな彼女が真弓田に暴力でも振るわれたら……。


 教室内がざわつき出した。

 みんな敏感に感じ取ったらしい。不穏な空気を。


「水川さん、あんたうざいわ」

 真弓田が言った。

「だったらどうするの?」

 真弓田の憎悪と怒りのこもった視線を受け止め、水川さんは聞き返す。

 一歩も引く気はないようだ。


 どうしよう。

 尾島君に続き、水川さんまで真弓田の標的にされてしまう。

 覚悟を決めろ、内海将太朗。彼女を守るんだ!


 僕はいざとなったら水川さんと真弓田の間に割って入って、身を挺して水川さんを守ろうと決意した。

 三日前、校舎裏で彼女の誠意を踏みにじった清算をするんだ。


 真弓田に気づかれないようにじりじりと二人の方へ近づいてゆく。

 水川さん、君は絶対に僕が守る。



 遠くの方から足音が聞こえた。

 誰かが勢いよく廊下を走っている。しかもその足音は徐々に大きくなってくる。

 もしかして、この教室に向かっているのか? 教室のみんなもその足音に気付いたみたいだ。


「おい、先生じゃないのか」

 クラスの男子生徒がぽつりとそう口にした。

 現在の時刻は八時三十九分。とっくに予鈴は鳴っていた。

 つまり、いつ先生がやってきてもおかしくない時間ではある。


「もしかして騒ぎを聞きつけてきたんじゃない?」

 真弓田の友人の一人が北条に言った。

「なあ、エリ。コバセンにこの騒ぎがばれるといろいろとまずいぞ?」

 北条の言葉には怯えが混じっていたけど、どこか安堵してるような響きもあった。

「……」

 真弓田はそんな北条の言葉も、まるで聞こえていない様子で水川さんを睨み付けている。


 水川さんも、尾島君も、北条も、そして教室の皆も、先生の登場を待ちわびていたと思う。

 僕もそうだ。

 この騒ぎを鎮められるのは先生しかいない。今のこの状況は僕らの手に余る。


 水川さんが真弓田の毒牙にかかる前に先生がこの騒ぎに介入して、事態を収拾させてほしかった。

 これ以上の騒ぎなんて誰も望んでいない。教室に平穏が戻ってほしい。

 みんなそう願っていたはず――


 教室前方の扉が強烈な勢いで開かれた。


 先生だ。

 先生が来たんだ!


 これで、このくだらない諍いも終了だ。

 真弓田がいくら喚いたところで先生の前ではどうしようもない。

 先生に怒られシュンとうなだれる真弓田の姿を想像し、胸がすっとした。


 しかし、ドタバタとなだれ込むように教室内へ駈け込んできた人物を見て戦慄が走った。


「おい、誰だあれ」

「……なに?」

「なんか持ってるぞ」


 みんなが、口々に戸惑いの声を漏らす。


 教室に入ってきたのは担任の小林先生じゃなかった。

 入ってきたのは――


「助けに来たわよ、将太朗!」


 教室に明瞭な声が響く。

 颯爽と二年三組の教室に現れたのは我が親友、月島英子先輩だった。


「せ、先輩……」


 月島先輩は教室にいる僕を目ざとく見つけ、不敵に笑った。


 先輩の右手には釘バットが握られていた。

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