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決意

 次の日。


 朝、起床したばかりでまだ頭がぼうっとしている時、メールの着信があった。

 僕は眠気まなこで携帯電話を開き内容を確認する。月島先輩からだった。


『おはよう。今日も一緒に登校する? 嫌なら別にいいんだけど』


 先輩は、僕がまだ怒ってると思っているのかな。

 僕は「一緒に登校しましょう」と返信した。

 するとすぐに、

『わかった。じゃあこの後迎えに行くね』と返信が来た。

 それを確認し、僕は洗面所に行って顔を洗った。


 用意しておいたタオルで顔を拭く。

 そして、鏡で自分の顔を見た。

 自信を失い、すっかり無力感に支配された中学二年生、内海将太朗の相変わらずの冴えない顔がそこにあった。


 昨日までの僕と同じ顔。だけど、中身は違う。


 葉桜さんが教えてくれた先輩の秘密。それを知って僕はある決意を固めていた。


 先輩を守れる人間になりたい。


 決意というか、願望といった方がいいかもしれない。

 先輩を守れる人間でありたいと思ったんだ。

 そのためにはどうすればいいか。

 強く、前向きな人間でありたいと思う。

 〝強い〟っていうのは腕力のことだけじゃない。精神的な強さを身につけたい。いじめに負けない逆境を跳ね返す強い心だ。




「ねえ、今日もえいちゃんと一緒に学校行くの?」

 朝食の時、母さんが聞いてきた。

「うん。この後迎えに来るよ」

「へえ、もうすっかり仲直りしたのね。よかったわね、本当に」

「……」

「将太朗、なんだか今日はいつもより顔色がいいな」父さんが言った。

「そう?」

「ああ、ずいぶんと引き締まった顔をしてる。何かあったか?」

「うん、ちょっとね」

「そうか、最近は以前に比べて元気がないようだからちょっと心配してたんだが、もう大丈夫そうだな。今日は食欲もあるようだし」


 僕はいま二枚目のトーストを口にしていた。いつもは食パンを一枚食べるのがやっとだったんだけど、強さを身につけるためにはまずしっかり食事をとらなきゃだめだと思った。


「今日お前がいつになく元気そうに見えるのも、やっぱりえいちゃんの影響なのか?」

「まあ、そんなとこ」

 そう言って僕はコップの中の牛乳を飲みほした。

「うふふ、じゃあえいちゃんに感謝しないとね」母さんが嬉しそうに言った。


 インターホンの呼び出し音が鳴った。


「お、噂をすればだな」

「じゃあ、僕行くね」

 そう言って僕は立ち上がり玄関へ向かう。

「いってらっしゃい。えいちゃんによろしくね」

「うん、いってきます」


 玄関を出て、走って一気にマンションの階段を下りる。昨日と同じようにエントランスの中で壁によりかかるように先輩が待っていた。今日は管理人のおじいさんはいないようだった。


「おはようございます。先輩」僕は近づいて行って挨拶する。

「おはよう。行きましょうか」

「あの、先輩……。昨日はすみませんでした。いきなり怒ったりして……」

 僕は頭を下げた。

「……いや、私の方こそごめんなさい。ちょっとキツイことを言ったと反省してる」


 いつになく表情が暗い月島先輩。声にもいつもの元気が感じられない。

 昨日葉桜さんが電話で、あの後ひどく落ち込んでいたと言っていたけど、まだ引きずっているように思える。胸が痛い。


「将太朗、私のこと怒ってない……?」

 先輩が聞いてきた。恐れをにじませたような口調だ。

「全然怒ってないですよ」

 僕は言った。

「そう? ならいいんだけど……」

「昨日先輩が僕に言ってくれたこと、その通りだと思いました」

「……え、私、どんなことを言ったっけ?」

「努力もせずに、やる前から自分には無理と決めつけてあきらめてる。そんなんじゃだめって。葉桜さんの前で痛いところを突かれて、恥ずかしさと行き場のない怒りみたいなものが湧いてきて、それで逆ギレみたいな感じであんなことを言ってしまったんです」

「わ、私が言ったことはあまり気にしなくていいのよ。今思えば、いじめられて消沈してる人に向かって掛けるべき言葉じゃなかったと思う……」


 先輩、それは僕も同じです。と、僕は心の中で言った。


 僕と同じく、いじめという犯罪の被害者である月島先輩に向かって、

「僕は先輩みたいに強くない」だの、「先輩に僕の気持ちはわからない」だのと、偉そうにほざいてしまった。

 僕と先輩はいわば同志だ。

 同じ悩みを共有している被害者であり仲間。

 そんな同志である僕の口からいきなり拒絶的な言葉が飛び出して、先輩はさぞ驚き、悲しんだことか。


 しかもだ、先輩は僕が受けているいじめよりも、もっとひどいいじめを教室で受けていた。

 そうだろう?

 女の子が男子生徒に暴力を振るわれるなんてあってはならない。絶対に許されない。

 そんな悪質極まりないいじめを受けている先輩に向かって、知らなかったとはいえ、調子に乗ってひどいことを言ってしまった。

「怒りをぶつける相手を間違えました。僕は最低ですよ。よりによって月島先輩に向かってあんなことを言うなんて……」

「ねえ、将太朗。もうこの話はやめましょう。いつまでもこんなところで謝罪合戦をしててもしょうがないわ。学校へ行きましょう」

 先輩は言った。

 僕は頷き、二人でエントランスを出た。




 僕たちは昨日に続き、今日も二人一緒に学校への道を歩いてゆく。


 今日の天気は昨日に引き続き曇りだった。

 天気予報では午後から雨が降るかもしれないので雨具の準備をしてお出かけください、と言っていたので、僕はカバンに折り畳み傘を入れて家を出てきた。


「先輩、午後から雨が降るみたいですよ?」

 僕は、隣を歩く先輩に声を掛けた。

「そうみたいね」

 先輩はどうでもよさそうに答えた。その表情にはどこか翳りがある。

「傘持ってきました?」

「持ってきてないけど、いいのよ別に。予報だと降水確率は五十パーセントだし、私の予想では降らないとみている。私の予想は当たるのよ」

 そう言って先輩はニヤリと笑った。今日初めて見せる笑顔だった。


「将太朗は折りたたみ傘持ってきたの?」

「はい。カバンの中に」

「私、折りたたみ傘ってなんか嫌いなのよね」

「どうしてですか?」

「折りたたみ傘を持って出歩く時って、今日みたいに曇りで今にも雨が降りそうな天気の時じゃない? でもね、私が折りたたみ傘を持って出掛けると大抵雨は降らなくて結局使わないの。それで毎回、持ってくるんじゃなかったなって後悔することになるのよ。何故かいつもそうなの。ツイてないというかなんというか……」

「わかります、その気持ち」

「だから私、折りたたみ傘は持ち歩かないことにしてるのよ。少しくらい濡れたってかまわないわ」


 いかにも月島先輩らしいと思った。

 いつも先のことばかり心配している僕とは大違いだ。

 そんなことを話しながら僕たちは昨日と同じように学校へ向けて歩いていた。



 あと三分ほど歩けば学校へ着くという頃、僕はある光景を目にした。


 僕たちが公園の前を通り過ぎようとした時――この公園っていうのは、神木野自然公園のことじゃないよ? 学校のすぐ近くにある小さな公園、と言っても十畳ほどのスペースの中に鉄棒とベンチがあるだけの本当に小さな名前も知らない公園――ふとその公園の中に視線を送ると、一人の男子生徒が公園のベンチのすぐ横にあるゴミ箱を漁っているのが目に入った。


 僕は足を止めた。

「どうしたの?」

 突然足を止めた僕に、先輩が不思議そうに聞いてくる。

「誰かいた?」

「はい……」


 わざわざ近づいて確認するまでもなく、公園のゴミ箱を漁っているのは尾島君だと判別できた。


「何をやっているのかしら? ゴミを漁っているように見えるけど……」

 尾島君は制服が汚れるのもお構いなしといった様子で、鉄製の白い網目のゴミ箱の中に手を伸ばして中にあるものを取り出している。

 あれは、雑誌かな?


 やがて尾島君は、通学路から冷ややかな視線を送る僕たち二人に気づいたようで、手を振ってこちらに呼び掛けてきた。

「おーい、内海ィ~!」

 尾島君は大きな声で僕の名を呼んだ。


「あんたの名前呼んでるけど、もしかして将太朗の知り合いだったの?」

 先輩が聞いてきた。

「はい……」僕は弱々しく言った。

 この状況で僕の名を呼んでほしくなかったというのが正直なところ。


 登校の途中にゴミ箱を漁っているような人間と僕が知り合いだということに先輩は驚いている様子だった。昨日、この通学路で北条・真弓田と遭遇した時とは違う、まるで正体不明の生物に遭遇したような戸惑いの表情を尾島君に向けていた。


「同じクラスの尾島君です」僕は言った。

「尾島? へえ、彼が……」

 先輩がそう言って意味ありげな視線を尾島君に向ける。

「知ってるんですか? 尾島君のこと」

「うん、少し千尋から聞いてる。うちのクラスに変人がいるって話をね」

 そう、確かに尾島君は変人だ。僕は彼以上に変人という言葉がふさわしい人間を知らない。

 そのミスター変人、尾島君が小走りでこちらに近づいてくる。


「内海じゃないか、おはよう」

 口元によだれの跡がついた顔で僕にあいさつする尾島君。

 ちゃんと毎朝顔を洗っているのかな……。


「おはよう、尾島君」僕も挨拶を返した。

「おいおい、やるなぁ内海。彼女と二人で登校かよぉ!」

 尾島君は僕らを冷やかすように言った。

「いやだから、月島先輩は彼女じゃないんだって! ただの友達だよ! 昨日も言ったじゃん!」

 僕は照れながら否定した。

「そうやってムキになって否定するところがまた怪しい。なあ、いったいどこまでいったんだよ!」

「だから、僕らはただの友達同士なんだって!」

「嘘つけ! このエロ将軍!」


 ちょっと気になって、僕は先輩の表情を窺った。

 月島先輩は僕らのやり取りを見て、くすくすと笑っていた。


「笑ってないで、先輩も否定してくださいよ。僕らがただの友達同士だって」

「別にいいじゃないの。恋人同士ってことにしておきましょうよ」

 先輩は楽しそうに言った。

「な、なに言ってるんですか!」

 僕は赤面しながら先輩に抗議した。でも先輩はそんな僕を見てニヤニヤと笑っているだけ。

 尾島君はというと、まるで公共の場で堂々といちゃついているバカップルを見るような呆れと羨望が混ざったような視線を僕らへと向けている。

「チェッ、見せつけやがって……」尾島君は言った。


「ところで、尾島君。公園で何してたの?」

「ん? ああ、ゴミ箱の中にいいものを見つけてな」

「いいもの?」

 ま、まさか……。

「こいつのことさ」

 そう言って、尾島君はカバンの中から汚れた雑誌を数冊取り出した。

 案の定それは成人向けの雑誌だった。


「どうだ? いいだろ?」

 尾島君は隠されていたお宝でも見つけたみたいに、満足げな笑顔を見せた。

「欲しいなら一冊やろうか?」

「僕は欲しいなんて一言も言ってないし、欲しいとも思っていないよ」

「そうなのか? まあ、確かにお前にはかわいい彼女がいるからこういう物に頼る必要はないのかもしれないなぁ~」

 そんなことを言いながら、尾島君は気色悪い笑みを浮かべて月島先輩を舐めまわすように眺める。


 やめろ。

 先輩をそんないやらしい目で見るな。


「じゃあ、俺行くわ。またな」

 尾島君は公園前に止めてあった自分の自転車にまたがり、よろよろと走って行ってしまった。


 まったく、なんて奴だろう。

 朝っぱらから公園でゴミ漁りとは。僕が自転車に乗って去っていく尾島君の後ろ姿に軽蔑のこもった視線を送っていると、隣にいる先輩がこんなことを言った。

「面白い男ね、尾島」

「変わってますよね……」

「確かに変わっているけど、悪い奴じゃないわ」


 うん。悪い奴じゃない。

 それはわかる。僕を無視したりしないし、いじめたりしない。

 だけど――


「ああいう相手は苦手なのかしら?」

「はい」

「将太朗、ちょっと戸惑ってたもんね。気持ちはわかるけど……。でもさ、尾島みたいな相手を大事にしなきゃだめよ。彼、あんたの友達になってくれるかもしれないわ」

「と、友達?」


 尾島君が友達に? 考えたことも無かった。


「そうよ、あいつのこと嫌い?」

「そんなことないですよ。だけど、時折さっきみたいに下品なことを言うので、それが無ければいい奴なんですけど……」

「それが無ければいい奴、ね……」

「先輩?」

 月島先輩は僕がいま口にした言葉を反芻しているような様子だ。


「ねえ、将太朗にとって〝いい人間〟の定義って何かしら?」

「えっ?」

「礼儀正しい人間? 親切な人間? 一緒にいて楽しい人間?」

「……」

「私が思ういい人間の定義はね、裏表のない人間。あるいは嘘をつかない人間。尾島は確かに変人めいてるけど、自分を偽って他人に良く見せようとしてない。じゃなかったら、こんな人目に付く場所で堂々とゴミを漁ったりしないわ。いかにも自分は誠実な人間であるというような顔をして、陰で悪口を言ったりするような裏表のある人間には見えない。私にはそう見えた。変人ではあるけど、彼はとても単純な人間に見える。この私の見解をどう思う? 間違っていると思う?」

「いえ、先輩の言う通りだと」

「でしょ? つまり私にとって、尾島は〝いい人間〟にカテゴライズされる。ゴミ漁りも十分許容範囲。むしろ、私には彼のそういう変人めいた部分こそが個性的で、その他大勢の人にはない魅力を持っていると思うの」

 先輩は言った。


「尾島君をそこまで評価する人を初めて見ました」

 僕は驚いて言った。

「そうでしょうね、私も変人だからそう思うのかも」


 先輩が、自分で自分のことを変人だと言っている。

「先輩は変人なんかじゃありませんよ」って、言ってあげたい気持ちはあるけど、実際僕は月島先輩のことを尾島君ほどじゃないにしろ変わってると思っていたので、苦笑いしてしまった。

「ふふっ……」

「何がおかしいの?」

 先輩が少しむっとした様子で言った。

「す、すいません……」


「ちょっと聞いてほしいことがあるんだけどさ」

「なんですか?」

「みんな周りに合わせて生きている。枠からはみ出ることを極端に恐れているわよね。あんたも、千尋も、私の周りの人たちもみんなそう」

「……はい」

「自分はどこか他の人と違うんじゃないか、おかしいんじゃないかって、みんなそればかり考えているような気がしてならないのよ。それでそうならないようにみんながみんな他人に合わせて、結果として人間から個性が失われているように思うの。個性的な人がどんどん排除されていく、そんな傾向があると私は感じる」

「……」

 先輩の言いたいことはわかる。

 クラスでの尾島君の孤立ぶりを見ているから、僕だってそんな空気は感じている。


「ちょっと変わってる人だからって、忌避したり蔑んだり嫌ったりしないで、〝個性的な人間〟として認めてあげるべきなのよ」

 先輩は言った。


 今の言葉は尾島君に対して言ったものなのか、それとも――

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