葉桜さんからの電話
水川さんに月島先輩。
思えば僕は、自分の味方であるはずの人達に酷いことばかり言っている。
家に帰った後も僕の心は晴れなかった。
罪悪感で胸が締め付けられるような思いだった。
夕食の時、父さんと母さんから、
「えいちゃんと仲直りできてよかったじゃないか」
「えいちゃんと朝、どんな話したの?」などと、先輩関連の話をいくつか振られて、生きた心地がしなかった。僕は適当に誤魔化すしかなかった。
まさか、仲直りした次の日に、また仲たがいしたなんて言えるわけもない。
その後、葉桜さんから僕の携帯に電話が掛かってきたのは、夜九時ごろ。
ちょうどお風呂から出て、部屋でぼうっとしていた時に着信音が鳴った。
僕は月島先輩からの電話だと思い携帯に飛びついた。僕は先輩に謝りたい衝動に駆られていたから、携帯を開き画面に表示された葉桜さんの名前と携帯番号を見てひどく落胆した。
ちなみに、葉桜さんとは会議の後、林へ向かう途中の道すがら、先輩が勧めるままに電話番号とメールアドレスを交換していたんだ。
「もしもし?」僕は電話に出て言った。
「あ、もしもし、内海君?」
「うん」
「ごめんね、夜遅くに」
「いや、大丈夫だよ。なに?」
「うん……。ちょっと内海君に言いたいことがあって」
「公園でのこと?」
「そう」
僕が公園から去る時、怒りを含んだ声で僕を呼び止めようとした葉桜さん。
彼女を無視するような形で黙って帰ってきてしまったので、僕はそのことで責められるのかと覚悟した。
「あの、ごめん葉桜さん。あの時は――」
「内海君、謝る相手が違うよね?」
葉桜さんが無感情に言った。
「……うん。先輩にも明日謝るよ……。本当にごめん」
「必ず謝ってね?」
「うん」
「……」
「……」
葉桜さんはそれきり黙ってしまった。
もうこれで話したいことは話したから、通話は終了したいということなのかな?
そう思い僕は彼女に電話を切る旨を伝えようと口を開いたその時、通話口の向こうから思いもよらない言葉が聞こえてきた。
「私ね、月島先輩から口止めされていることがあるの」
「え?」
「内海君には心配を掛けたくないから絶対に黙っておいてほしいって、何度も念を押されていること……」
なんだろう。
先輩が僕に口止め? 全く想像がつかない。
「な、なに?」
僕は思い切って聞いた。
だけど葉桜さんはそれを口にすることをすごくためらっている様子だ。
「黙っていようと思った。でもね、公園での先輩と内海君の言い争いを見ていたら、とても黙っていられなくて……」
葉桜さんの声は今にも消え入りそうだった。
「葉桜さん、いったいなんなの?」
「ねえ内海君。これから私が話すこと、話したことを先輩に内緒にできる?」
「うん、君がそういうなら……」僕は言った。
ここでしばしの沈黙の後、葉桜さんは意を決したように言った。
「……内海君。月島先輩はね、学校でいじめられているのよ」
えっ?
「い、いじめ? 先輩が?」
「そう」
何を言ってるんだ?
月島先輩が、あのえいちゃんが、学校でいじめられてるって?
そんなことあるわけないじゃないか。
「冗談でしょ?」僕は言った。
「冗談でこんな話すると思う?」
「……」
冗談に決まってる。
葉桜さん、僕をからかわないでよ。
「先輩がいじめられるようになったのは三年生に進級してまもない頃。先輩と同じクラスにね、火賀龍治っていう男子がいるの」
火賀龍治?
僕はその名前に聞き覚えがあった。どこかで聞いた名だ。
でも、どこで聞いたのか思い出せない。
「月島先輩は火賀と小学校五年・六年と同じクラスだった。それで、中三になって再び同じクラスになったんだけど……」
「うん」
「あのね、もともと二人はすごく仲が悪かったの。小学校の頃からね。火賀は乱暴で口が悪くて、自分が気に入らない男子や女子をよくいじめてたらしいわ。内海君も知っての通り、月島先輩の性格上そんな火賀に対して黙っていることはできなかった。いじめられてる子を助けるため、先輩は火賀と何度も衝突した。そして勝った。先輩はケンカがとても強かったから、たとえ相手が男子でも一度だって負けたりしなかった。水泳を習っていたから筋力もあるし、何より先輩には弱き者を助け、悪を倒すそんな強い意志を持っていた。先輩は当時のクラスメイト達みんなにとって英雄のような存在だったと聞いてるわ。一人で敢然といじめっ子に立ち向かう英雄……。クラスのみんなが先輩のことを愛していたし、尊敬されていた。ただ一人、火賀以外から」
僕は葉桜さんの話を聞きながら、火賀の名前をどこで聞いたのか思い出した。
昔、先輩から直接聞いたんだ。
そうだ。
先輩が小学校五年生の時に起きたあの事件。
月島先輩の友達の女子が作った粘土細工をふざけて破壊した男子がいて、激高した先輩が彫刻刀でその男子の頭を攻撃して大ケガさせたというあのエピソード。先輩がいつか誇らしげに僕に話してくれたっけ。
その粘土細工をふざけて破壊した男子の名前が、確か火賀だった。
先輩は、相手の頭を三針だか四針縫う大ケガを負わせたという話だったけど……。
その大ケガを負わせた相手が、火賀。
「火賀は、自分にひるむことなく挑んでくる先輩のことを、女子を相手に何度もケンカで負けたということと屈辱感と相まって、ものすごく恨んでいたんだと思う。小学校を卒業するまで二人はずっと険悪な雰囲気だったみたい。そして、中三になって二人は再び同じクラスになった」
「……」
「火賀は小学生の時以上に、より暴力的で素行の悪い人間になっていた。中学生になっても相変わらず周囲でいろいろと問題を起こしていたみたい。でね、先輩はそんな火賀に昔と同じように立ち向かったの。でも、火賀は十五歳になって体格も大きくなって、腕力もついて、もう先輩が太刀打ちできるような相手じゃなくなっていたの……」
「え、つまりそれって……」
「月島先輩は負けたの」
「先輩が、負けた?」
「私ね、四月の中旬あたりから月島先輩の様子がどこかおかしいことに気が付いて、それで少し後になってから先輩と同じクラスの人に密かに話を聞いたの。このことは絶対に誰にも喋らないって条件付きでね。なんでも、火賀と教室でケンカして、その時に思い切りお腹を殴られたらしいの。それで先輩は動けなくなって床にうずくまり教室で嘔吐したんだって……。その後、ぐったりした先輩を保健委員が保健室に運んだそうよ」
「なに、それ……」
思い切りお腹を殴られて、嘔吐?
男子が女子に暴力を振るうなんて、こんなことが許されていいのか……?
こんなの、犯罪じゃないか!
怒り、悲しみ、憤り、憐み。
僕は葉桜さんが語る生々しいいじめの話を聞いて、様々な感情が湧き上がってくるのを感じていた。
いつの間にか喉の奥がカラカラに乾いていた。
「……ほんと、ひどいよね……。でも、本当にひどいのはこの後なんだ」
「どういうこと?」
「先輩がケンカで火賀に負けて、それですべてが終わったわけじゃなかった。その次の日から、火賀とその仲間の三年生の不良グループが先輩をいじめだしたの。火賀は小学生の頃の恨みを晴らすように、先輩に対してひどいことを言ったり、嫌がらせをしたり、そして暴力を振るったりした」
「ね、ねえ、葉桜さん。いじめられてる先輩を助けようとする人はクラスにはいないの!? 先輩の友達は? 先生は?」僕は聞いた。
「先輩のクラスメイト達はみんな火賀を恐れて何も言えないみたい。火賀が教室で皆に向かって、『このことを誰かにチクったら殺すぞ!』って脅しをかけたらしいの。火賀のお兄さんはね、このあたりじゃ有名な暴走族の一員で、暴力団とかそういう反社会的な怖い人たちとも関わってるらしいわ。そのことを火賀自身が教室で得意げになって話してるのをみんな聞いてるから、火賀をひどく怖がっているって話。彼は恐怖でもって教室を支配してるの」
「……」
「当然、先輩のクラスの誰も、火賀の報復を恐れて学校に報告するなんてできない。みんな先輩がいじめられてるのを見て見ぬふりしてるの」
僕は言葉を失った。
先輩が受けているいじめは、僕が教室で受けているいじめよりもたちが悪い。
それなのに先輩は――
「悪に立ち向かう勇気と、強靭な精神力を持つ先輩だったけど、繰り返されるいじめにとうとう耐えきれなくなったみたい。それで先輩は少しずつ学校を休むようになった。たまに学校へは行くけど、最近はもう教室にはほとんど近寄らずに保健室登校してるのよ」
先輩が悪に屈した。
あの正義感の塊のような先輩が、火賀という名の悪魔に敗北を許した。
僕にはとても信じられなかった。というか信じたくなかった。それほど、この葉桜さんの告白が衝撃的で激しくショックを受けた。
でも……。
本当にショックを受けたのは先輩本人に違いない。
火賀に殴られて負った傷、不良たちからの度重なるいじめ、助けてくれないクラスメイト、教室で行われているいじめに気付かない無能な教師、絶望的な状況だ。
先輩が受けた肉体的なダメージはどれほどのものだろう。先輩が感じたストレスはどれほどのものだろう。計り知れない。
「ある日先輩がね、放課後私の家に遊びに来たときポツリと言ったのよ。生まれてこなければよかったって」
「えっ!?」
「こんなに苦しい思いをするくらいだったら生まれてくるんじゃなかったわ、何だか私、疲れちゃったって……」
「先輩が、そんなこと――」
「嘘だと思う?」
嘘だと思いたい。
「もちろん私は、『そんな悲しいことを言わないでください!』って、普段は絶対出さないような大きな声で先輩を怒鳴ったわ。そしたらね、先輩は笑って言ったの。『冗談よ』って……。だけど、私には冗談に思えなかった。そんな冗談を言ってるような雰囲気じゃなかった。信じられないよね? あの月島先輩が、元気でいつも強気な月島先輩がこんな弱音を吐くほど精神的に追い詰められていたのよ」
「……」
「私はなんて言っていいのかわからなかった。先輩の力になりたいけど私にはどうすることもできない。無力感で打ちのめされた」
「あの、葉桜さん。先輩はどうして、自分で両親や先生にいじめられてることを相談しないんだろう……」
僕は疑問を口にした。
すると葉桜さんはしばらく間を置いた後、こう返してきた。
「内海君、その理由はあなたならわかるんじゃない? あなたになら」
葉桜さんは言った。
「……」
「私もね、先輩に何度も言ってるのよ。先生やご両親に相談した方がいいって。でも頑なに聞き入れてくれない。私がそういうと先輩は決まってひどくイライラした様子で、『自分のことは自分で解決する。お願いだから放っておいて』って言うの……」葉桜さんは悲しげに言った。
なんてことだろう。
僕はまるで第三者伝えで自分の話を聞いているんじゃないかと思えてきた。
まるっきり僕と一緒じゃないか……。
二日前、校舎裏で水川さんに言った自分の言葉を思い出していた。
余計なお世話だ。
放っておいてくれ。
僕は怖かった。
いじめられたことを誰かに話したことで、状況がさらに悪くなるんじゃないかと。
僕は恥ずかしかった。
自分がいじめられていることを第三者に知られるのが、たまらなく恥ずかしかった。
「そんなわけで先輩は、ここ最近ずっと元気がなかった。私は心配で心配で仕方なかった。テレビのニュースでやってるいじめが原因で中学生が自殺したニュースを見るたびに、先輩も自殺してしまうんじゃないかって、私本当に不安だった……。でもね、あることがキッカケで先輩に少し元気が戻ったの」
「あること?」
「そう。私が先輩にね、じつは私のクラスでもいじめを受けてる子がいるって話をしたの」
「僕の、こと……?」
「そうよ、あなた以外にいないじゃない。同じクラスの内海君っていう男の子がいじめられてるって、私がそう口にした時の先輩の驚きようはすごかった。先輩のあんな驚いた顔はそれまでにも一度だって見たことがなかった。先輩は私に質問をいくつも投げかけてきた。内海君について、どんないじめか、いじめてる生徒について、とにかく早口で色々な質問を浴びせてきた。私はそれに答えながら、どうして先輩が私のクラスのいじめ問題にここまで興味を持ったのか疑問だった。まさか内海君と月島先輩が幼馴染みだったなんてこの時は知らなかったから」
「……」
「浴びせられた質問に私が答え終わると、やがて先輩は静かに言ったの。『私がなんとかしなくちゃ。将太朗を助けなくちゃ』って、まるで自分に言い聞かせるようにそう言った。学校でいじめられるようになってずっと元気が無かった月島先輩。そんな先輩に、生き生きとしたエネルギーが注入されたような印象を受けたわ。私は先輩に聞いたの、『内海君とは知り合いなんですか?』って。そしたら、あなたのことを色々と教えてくれた」
「先輩、僕のことなんて言ってた?」
「私の親友って言ってた」
親友?
僕のことを、先輩が?
僕は先輩のことをひどく傷つけて、そのことを後ろめたさから記憶の彼方に放り込んで、ほとんど忘れていたというのに。
「先輩は内海君がいじめられてることを知って、いても立ってもいられないという様子だった。何とかして内海君の力になりたいけど、その方法がわからない。だから知恵を貸してほしいと私に言ったの。どうすればいいと思うかって。でも、私も困ってしまった。考えた末、私は先輩に内海君に直接声を掛けてみたらって言ったの。今言ったことを内海君に直接言えばいいって、でも――」
「なに?」
「先輩は、それはできないと言った」
「どうして……?」
「先輩はね、内海君に嫌われていると思っていたの。私が声を掛けてもきっと拒絶されてしまうって。だから声を掛ける勇気がないって……」
それは僕も同じだ。
むしろ、僕の方こそ先輩に嫌われてるはずと思ってた。口も聞いてくれないものかと。
「結局、その日結論は出なかった。内海君を助けるため私たちに何ができるか、いいアイデアが思い浮かばなかった。先輩はさぞ歯がゆい思いだったと思う。自分の友達がいじめを受けてるのに何もできない、何もしてあげれない、そんな自分の無力さに苛立たしさを感じてるようだった。自嘲気味に、『私って本当に無力ね』なんて言ってた。これは内緒だけど私に言わせれば、自分だっていじめられてるのに他人の心配ばかりしてる先輩がどこか滑稽に思えた。むしろ、先輩にはもっと自分の心配をしてほしかった」
他人の心配ばかり、か……。
「結局先輩はあなたに声を掛けることができずに一日、また一日と時が過ぎていった。でもね、ちょうど二日前。授業中に先輩から私の携帯にメールが届いたの」
「メール?」
「うん。メールにはこう書いてあった。『今日、公園で将太朗と久しぶりにお話しができた、仲直りできたわ。どうやら私、将太朗に嫌われていたわけじゃなかったみたい』って、飾り気のない文面だったけど、私はその簡素な文面から先輩が如何にうれしかったか伝わってきた。私もうれしくなって、よかったですねって返信したの」
あの日、学校へ行く途中の通学路でお腹が痛くなって、僕は公園のトイレに駆け込んだ。
そして用を済ませた後、学校に行く気になれなくてベンチに座り現実逃避してた僕の前に突然現れた先輩。正直言ってかなり驚いた。
先輩がどうしてあの時間あの場所にいたのか。学校に遅れてしまうと心配する僕に、私の心配はしなくていいと言った先輩の発言の真意。それが今ようやく明らかになった。
先輩は学校には通っているけど、保健室登校しているから遅刻する心配は無かったんだ。教室には顔を出していないということだし、寄り道しても先生に怒られる心配もない。
そういうことだったのか。
「先輩は、これでやっと大っぴらに内海君の力になれるってとても喜んでいた。私達、いじめ対策班がようやく動き出せるって」
「いじめ対策班っていうのは、やっぱり先輩が名付けたの?」
「うん……」
葉桜さんは電話の向こうで苦笑いしてるようだった。
「それから後のことはもう説明する必要は無いよね」
「……」
「ねえ内海君。私がどうしてこんな話をしたと思う? 先輩から固く口止めされてるのに、なんでだかわかる?」
どうしてか?
その答えを僕はもう知っている。
「今日、公園で内海君は確か月島先輩にこう言ったよね。『僕は先輩みたいに強くない、先輩はいじめられたことがないから僕の気持ちなんてわからない、自分にできることなら他の人もできるだろうみたいな考えで、先輩の価値観を僕に押し付けないでくれ、迷惑だ、僕は先輩とは違う』って」
「は、葉桜さん! 僕は先輩がまさかいじめられてるなんて知らなかったから――」
言い訳がましく僕は言った。
「知らなかったから、何を言っても許されると思っているの?」
とても落ち着いた口調で葉桜さんは言った。
「先輩がいじめのせいでどれだけ傷ついて、苦しんで、悩んでいたかあなたは知らない。先輩は『生まれてこなければよかった』なんて弱気なセリフを口にするほど思い詰めていた……。なのに、本来なら自分のことだけで精一杯のはずなのに、他人を助けてる余裕なんて無いはずなのに、親友であるあなたの為、いじめられてるあなたを救う為、いじめられる苦しみと悲しみを分かっているからこそ、あなたの為に力になりたいと言って奮闘し、知恵を出し、いじめ対策班を作り、会議まで開いてあげた。でも、あなたは何も知らないのをいいことに、僕は先輩みたいに強くないだの、僕は先輩とは違うだのと、まるで自分だけが被害者みたいな口ぶりで先輩の言葉を否定し、先輩を侮辱した」
相変わらず落ち着いた口調だ。
だけど、その声色には激しい怒りと悲しみが込められているのを僕はしっかりと感じ取っていた。
「確かに先輩は強引で、ちょっと直情的なところがある。内海君が戸惑うのもわかるよ。でもね、それが先輩のすべてじゃない。先輩はただ乱暴なだけの人間じゃない。じゃなかったら、そもそもあなたのことを助けようなんて思わない。わかるよね?」
「うん」
「そうだよ、私だってさっきから偉そうに言ってるけどさ、先輩に言わせれば私だって犯罪者の一人だもの」
「えっ? どうして葉桜さんが?」
「……だって、私はいじめられてるあなたを助けようとしなかった傍観者の一人だから……。あなたが月島先輩の友達じゃなかったら助けようとも思わなかった。私もいじめ対策班に名を連ねてはいるけど、いじめられてる内海君の境遇に同情しつつも、結局私だって、北条君や真弓田さんが怖くて逆らえなかった傍観者。会議の時、先輩は言ってたよね? 北条も真弓田も、そしていじめを傍観しているクラスの連中も、いじめに気付いていない教師連中も、みんな犯罪者だって」
「葉桜さん、先輩は別に君を責めるつもりでああいうこと言ったわけじゃないと思う」
「うん、わかってる。だけど、私が何もしなかったっていうのはその通りでしょ? 先輩から犯罪者と言われても何も否定できない。否定するつもりもないけど」
「……」
「いじめられてる子を見かけても、自分が助けに入ることなんてなかなかできることじゃない。みんな集団という輪の中から外れてしまうのが怖いんだよ。だからこそ、みんなそうだからこそ、私には先輩のような人、強い正義感と使命感を持って友達の為にいじめに立ち向かえる先輩のような人を心の底から誇らしく思うし、愛しているし、憧れる。内海君だってそうでしょ?」
「そうだね、本当そうだよ」
「だからね、先輩のことを傷つけないでほしいの。この先、何があっても先輩のことを嫌いにならないでほしい、拒絶しないでほしい。ずっと先輩の親友でいてほしい。それが私の一番の願いなの」
「僕は先輩のことが大好きだよ。嫌いになったりしない、絶対に」
「本当?」
「うん、約束する」僕は言った。
「よかった……」
葉桜さんはほっとしたように言った。
「先輩ね、今日公園で内海君が怒って帰ってしまった後、すごく落ち込んでいたの。『私、将太朗にまた嫌われてしまったかも』って……」
「それで僕に電話を?」
「うん。内海君にね、先輩のことをもっと深く知ってほしくて」
葉桜さん。
君は本当に先輩のことを大切に思っているんだね。
今日、月島先輩の部屋で初めて君と言葉を交わした時は怖かったし、すごく戸惑った。
でも、こうやって君といろいろと話をしてみて、君がどういう人か、少しずつだけどわかってきた気がする。
全然喋ったこともない人を、その外見や、雰囲気や、あるいは他者から聞いただけの印象なんかで、その人のことを完全にわかった気になって、身勝手に評価をしたり否定したりすることが、いかに愚かなことか、僕はいま思い知った。
「電話ありがとう、葉桜さん」
「いいの、ごめんね長々と……」葉桜さんは申し訳なさそうに言った。
「いいんだ、話を聞けて良かったよ」
「内海君、私が話したこと先輩には内緒にしておいてね?」
「うん、わかってる。それじゃあおやすみ。また明日」
「おやすみ。内海君」
こうして、葉桜さんとの通話は終了した。
実に十分以上も通話していたことになる。
こんなに長い時間、電話という機能を使ったのは生まれて初めてのことだった。
携帯電話をテーブルの上に置き、ベッドの上に座って僕はいま先輩のことを思っていた。
先輩……。
自らがいじめられてることを僕に隠していた先輩。
そんなそぶりも全く見せなかった。
僕には昔のままの元気で強引で喧嘩っ早い先輩に思えたけれど――
――いや、本当にそうかな?
いま思えばだけど、そういえばどこか様子がおかしいなと思う部分はあったじゃないか。
時折、悲しげな表情を浮かべていたり、どこか疲れているような様子を見せたり、本当にいま思えばだけれど……。
今日昼休みに図書室で会った時の様子もおかしかった。
僕がいじめのアンケート調査用紙について先輩に話を振ったとき、きょとんとしていたっけ。
「私のクラスでは配られていない」なんて言っていた。
あれも嘘で、教室には顔を出していないからアンケート用紙が配られたことも知らなかったんだ。
先輩、どうして僕にいじめられてることを打ち明けてくれなかったんだろう。
心配かけたくないから? 本当にそれだけだろうか。
もし、僕に打ち明けられたとして――あのね将太朗、じつは私もクラスでいじめられてるのよ――それで僕は何かできただろうか? 先輩の為に。
先輩が今日、校門前で北条と真弓田に鉢合わせした時、先輩は二人にまったく臆することなく攻撃的な言葉をぶつけていたけど、もし僕が仮に先輩をいじめているという火賀と向かい合った時、あんな風に臆せず立ち向かえるだろうか?
……。
……。
……。
無理だ。
火賀はあの月島先輩すら恐れる乱暴者だというし、北条や真弓田程度の相手にビビってる僕に何ができるっていうんだ? 僕には腕力も意気地も無い。
そんな何もない僕に、いったい何ができると?
「クソ!」
僕は右手でベッドを強く叩いた。
それじゃあ、僕は結局何もできないんじゃないか!
自分の力でいじめを解決することだって出来ない。
先輩に対しても何も出来ない。
先輩が苦しんでいるのに助けてあげれない。
自分という存在が、心の底から情けなく思える。
『このままでいいのかい?』
僕の中の内なる冷静な声が言った。
『なあ、先輩に助けられるままでいいのか? いつまでも何もできないままの自分でいいのか?』
「……いいわけない」
僕は答えた。
そうだ。
答えは明白だった。
このままではいけない。
そんな思いに突き動かされるように僕は決意を固めた。
僕にできることをやろう。




