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破綻

 第一回いじめ対策会議が閉会した後、僕たちは月島先輩の指揮のもと、落とし穴を仕掛ける予定の小学校裏にある雑木林の下見に出かけた。


 月島先輩の家から歩いて十分ほどのところにあるその林には、僕も昔何度か来たことがあった。

 ここにはカブトムシやクワガタが好むクヌギやコナラの木が生えていて、地元では虫取りスポットとして有名な場所だった。


 三人でトボトボと用水路沿いの遊歩道を歩いていくと、鬱蒼と木が生い茂る雑木林が見えてくる。


「あそこね」先輩がひと差し指でその場所を示した。


「とりあえず今日は下見だけして、早速明日から落とし穴の作成を開始しましょう。できれば落とし穴を掘る場所くらいは今日のうちに決めておきたいわね」

 まるでお花見の場所取りにでも来たような調子で、楽しそうに先輩は言った。

「あの先輩、私、スコップ持ってない……」

 葉桜さんが思い出したように口にする。

「うちにあるの貸してあげるわ」

「ありがとうございます」


「落とし穴の中に入れておく釘やカッターの刃は私がお小遣いで買うわ。コンクリートのブロックとかそういうのは今度廃材置き場にでも行って調達してきましょう」

「そうですね。犬の糞やヘドロは自然公園などで簡単に手に入ると思います。生ごみはゴミ捨て場から拝借するとして虫の死骸はどうしましょうか」

「う~ん、まあそれは後で考えましょ」

「ですね」


 なんという会話だろう。

 とても女子中学生が遊歩道を歩きながらする会話とは思えない。


 僕は月島先輩と葉桜さんのやり取りを聞きながら、本当にこれでよかったのかと、改めて自身に問いかけた。

 何が何でもこんな馬鹿げた計画は止めさせるべきだったのでは?

 いや、むしろ今からでも止めさせるべきじゃないのか?

 だけど、どうやって止めさせるっていうんだ?

 計画案は可決されてしまったんだぞ!


「着いたわ」

 僕たちは雑木林の入口(?)と言っていいのかわからないけど、草を踏み慣らしてできたような小道の前までやってきた。どこも木や草が深く生い茂っていて、ここ以外の場所からは林の中に入れそうにない。

「入りましょう」

 先輩が「蛇に注意」と書かれた看板のすぐ横を通って林の中に入っていく。

 僕と葉桜さんもそれに続く。


 道は林の奥まで続いている。

 先輩は木の枝や、枯れ葉を踏みつけながらどんどん進む。私を阻める者は誰もいないと言わんばかりの豪快な足取りで進んでいく。気後れやためらいなどは一切見られない。


 太陽の光が木の枝や葉っぱに遮られ、林の中は薄暗い。

 車の走行音や住宅地から聞こえてくる生活音といった都会の喧騒とは無縁の静かな林の中。聞こえるのは虫の音と小学校の校庭から聞こえてくる子供たちの声。それに僕らが落ち葉や雑草を踏みしめながら歩く音だけだ。


 先輩は怖くないんだろうか。

 僕はさっきから怖くて仕方がない。林の奥から変質者でも現れたらどうしよう。スズメバチが襲ってきたら、蛇に噛まれたら、歩きながら僕は不安感でいっぱいだった。


 でも、どうして僕はこんなに不安がってるんだろう。

 さすがに怖がりすぎじゃないのか?


 無尽蔵に沸いてくる不安感。

 いったいどうして僕は悪い想像ばかりしてしまうんだろう。常に最悪の事態を想定してばかりいる。学校の中でもいつもこんな感じだ。びくびくと怯えてばかり。


 先輩は会議の時、僕に向かって「今のあんたに必要なのは行動だ」と言っていた。

 僕たちがこれからしようとしている行動の是非についてはさておき、この先輩の言葉は正しいと思う。僕は何をするにしても、物事を悲観的に考えすぎてその結果、新しい行動を起こすことをためらってしまう。自分の欠点としてそこは理解してる。


 こんな自分の性格を改善するにはどうすればいいんだろう。

 もう少し楽観的に物事を捉えれるようになるには――



「ねえ、思ったんだけどさ……」


 先輩はそう言って立ち止まり、僕らの方を振り返った。

 それに合わせ、僕と葉桜さんも立ち止まる。


「先輩? どうしたんですか?」

 急に立ち止まった先輩に、葉桜さんが怪訝な顔で尋ねる。

「落とし穴を掘る場所なんてある?」

「……」


「私たちは今、林に入って三分ほど歩いてきたけど、落とし穴を掘れるような広い場所が全く見当たらないわ。とにかく雑草が多すぎるし、木立の間隔が狭いし、下は凸凹してるし、それに――」


 先輩は周りに視線を移し、がっくりしたように肩を落とし言った。

「今気づいたんだけど、どうやって連中を落とし穴まで誘導するの?」

 先輩が疑問を口にする。

「それは……」

 葉桜さんが言葉に詰まった。

「仮に、いま私たちが立ってるこの場所に落とし穴を作ったとする。で、どうやってここまで北条と真弓田を連れてくるの? 手紙で呼び出すったって特に目印になるような物も何も無いし、それに連中、こんな奥まで入ってくるかしら」

「……」

 葉桜さんは固まった。


「千尋、どうなの? 何かいいアイデア出してよ」先輩が言った。


「そうだ! 内海君が落とし穴の場所まで二人を連れてくるっていうのはどうでしょう?」


 えっ? 

 何を言い出すの、葉桜さん……。


「少し計画を修正しましょう。手紙を使ってこの林へ二人を呼び出すのは計画案の通りです。内海君がこの林の前で二人を待ちうけるんです。やってきた二人に『決闘場所はこっちだ、ついてこい』的なことを言って内海君が二人を林の奥へと誘います。それで落とし穴のある場所まで二人を連れてくるんです。そうですよ、案内者がいればいいんです! これなら問題ないかと……」


 僕が、それじゃあ話が違うよ、と口にするより早く先輩が言った。


「あのさ、千尋」

「はい?」

「もし私が北条や真弓田の立場だったら、わざわざ林の奥までついていかないと思う。林の中に入る前に将太朗を襲うんじゃないかな。だって、こちらはあいつらを思いっきり挑発するような手紙で呼びつけてるわけで、おそらく二人は相当いきり立ってる。そんな連中の前で、『決闘場所はこっちだ、ついてこい』なんて言って、あいつらが素直についてくるのかなって……」

「あ――」

 葉桜さんは蒼白になり、目を泳がせている。想定していなかった計画案への不備を指摘されて動揺している様子が見てとれた。


 そして沈思黙考。


 脳みそをフル回転させ、思考を総動員し、彼女はいま必死に計画を再考しているのだろうか。


 林の奥、制服姿の男女三人が無言でたたずんでいる謎の光景。

 やがて先輩はうんざりしたように言った。


「ここから、出ましょうか……」



 ◇◇◇



 雑木林から抜け出た僕ら三人は、来た道を戻りながら歩いていた。


 落とし穴作戦は、実行前に思わぬ不備が見つかり、あっさりと破綻した。


 危険極まりない計画が頓挫し、僕はほっとしていた。だけど、素直に喜べない。


 というのも、この計画の発案者と言ってもいい先輩の友人、いま僕の前を歩く葉桜千尋さんがシクシクと泣いているからだ。


「泣かないで千尋、あなたはよくやったわ」

 葉桜さんの隣を歩く月島先輩が、彼女の頭を抱え込むように手を回してなだめている。

 まるで、自分の娘を泣き止ませている母親のようだ。

「ごめんなさい、先輩、ごめんなさい……」

 葉桜さんは両手で顔を押さえて泣いていた。絶え間なく嗚咽が聞こえてくる。

「謝らないで、千尋は何も悪くない」

「でも、でも……」

 あのいじめ対策会議の時、僕らを恫喝するように声を荒げ、厳しい視線を送っていた先輩とは対照的な、優しい労わるような口調で言った。信じられないかもしれないけれど、同一人物なんだ。

 常にこうならいいのに。


 僕はため息をつく。

 僕も葉桜さんに慰めの言葉をかけてあげるべきなのかな?

 だけど、もともと僕はこの計画には一貫して反対だったわけだし、何を言っても慰めにはならないと思う。


 でも、やっぱり僕は葉桜さんに対して申し訳なさは感じていた。

 だって、そもそも僕がクラスで受けているいじめを解決するための会議にわざわざ来てくれたわけだし、会議の議案書まで作ってくれた。僕のために解決策としてあの計画案を先輩と二人で捻出してくれた。計画の内容は置いといて、ともかく彼女には感謝している。嘘じゃない。


 しかし、葉桜さん……。

 君はいったいどういう人なのか。


 ただの人見知りで口下手な少女かと思いきや、会議の時に見せたあの独演会。

 先輩の計画案の問題点を次々と指摘し、その場で自ら修正する機転。そして、「先輩のためなら何でもする」という、まるで月島英子という人物の狂信者であると自ら表明したかのようなあの発言。

 僕の前を泣きじゃくりながら歩く彼女の姿を見ながら、未だつかめない彼女の人間性について考察していると、先輩がこちらを振り向いて、この後どうする? と、聞いてきた。


 う~ん、どうしようかな。


 雑木林からここまでの往復で僕は結構疲れていたし、このまま帰りたい気持ちもあった。


 でも……。


 相変わらず泣いている葉桜さん。

 そんな彼女を慰めるちょっと困惑してる様子の月島先輩。


 二人の姿を見ていたら、何だか「これで帰ります」なんて言いづらい。

 僕は先輩たちはこれからどうするのかと聞いた。すると先輩は、神木野自然公園に寄って葉桜さんを落ち着かせると答えた。

「疲れてるならもう帰っていいわよ。なんか今日はいろいろとごめんね」

 先輩は申し訳なさそうに言った。


 いろいろと、か……。


「先輩、僕も行きます」

「……そう?」


 こうして、僕らはあの公園へと足を運んだ。



 神木野自然公園は清々しい高台にある。

 木々に囲まれた美しい芝生の広場があり、遊具もたくさんあって、広場の中央には大きな池まである。

 近所の子供達にとってはまさに格好の遊び場に違いなかった。


 先輩と僕と葉桜さんの三人で、またこの公園にやってきた。


「三日連続ですよ」

 僕は前を歩く先輩に声をかけた。

「え、何が?」

「この公園に来るのがですよ。小学生の頃は毎日のようにここへ遊びに来ていたのに、最近じゃまったく近づかなくなって、もうここに来ることは無いんだろうなぁ、なんて思っていました」

「何なら、これから毎日ここに遊びに来ましょうか」

「毎日、ですか?」

「いいわよ、私は別に。将太朗が遊びたいっていうなら」先輩は言った。

「うん、でも……」


 先輩、僕らはもう小学生じゃないんですよ。

 僕はそう心の中で口にした。



 僕たち三人は公園の奥へと歩いていく。公園の中央にある広場で、小学生らしい男女数名が缶蹴りをして遊んでいた。


 僕らも、昔はああやって楽しくこの公園で遊んでいたんだ。

 楽しそうに遊ぶ小学生たちを見て何だかとても切なくなる。

 僕らはもう缶蹴りで遊ぶような年じゃない。缶蹴り、鬼ごっこ、かくれんぼ、こういった遊びは小学生だけが遊べる特権みたいなものだと思った。


 中学生になり、そしてあと一年とちょっとで僕は高校生になる。こんな風に年を重ねていく度に、少し

ずつできないことが増えていく。それって何だか悲しいなと思った。


 昨日おとといと、僕が先輩が座ったベンチにはおじいさんとおばあさんが既に座っていたので、僕らはそこから少し離れた別のベンチの前にやってきた。先輩はまず葉桜さんを座らせ、そして自身もその隣に腰かけた。


 葉桜さんはもうすでに泣き止んではいたけど、目を赤く腫らせてシュンとうなだれている。その様子はとても痛々しかった。

 僕はベンチの前に立ち、そんな彼女の様子を見ながらどうやって励まそうかと考えていた。


「先輩、私の作戦穴だらけでした」

 葉桜さんが、とても弱々しい声で言った。

「それはもういいわ。自分を責めるのはおしまいにしなさい」

「先輩に向かってこの作戦は必ず失敗するだのと偉そうなことを言って、私馬鹿みたいです。恥ずかしいです……」

「千尋、あなたは馬鹿じゃない。会議の時も言ったけどあなたは私や将太朗よりもはるかに頭がいいのよ。まあ、今回の作戦についてはちょっと詰めが甘い部分があったけど、この失敗をばねに今後も私たちを支えてちょうだい。この先、あなたの頭脳が必要になる時がきっとくるから」

「……」

「たった一度の失敗でいつまでもクヨクヨしてたらいけないわ。思春期の中学生に失敗はつきものなのよ。失敗を繰り返して私たちは成長していくの」

「はい……」

 と、言いつつもやっぱり今回の失敗が相当こたえたようで、葉桜さんは相変わらずうつむいたままだ。


 ここで先輩が僕の方を見て、怒ったような顔で顎をしゃくった。

『あんたも彼女に慰めの言葉を掛けてあげなさい』と、言いたいのだろうか。

 先輩の表情から僕はそれを読み取った。


「葉桜さん、あんまり落ち込まないで。元気出してよ」と僕は言った。

 自分で言っておいて何だけど、すごくありきたりな言葉だと思った。

 でも、これが今の僕に言える精一杯の慰めの言葉だった。


「ごめんね内海君、お役に立てなくて……」

 葉桜さんはうつむいたまま言った。

「気にしないでよ。作戦はうまくいかなかったけど、葉桜さんと話せてちょっとうれしかったんだ。今まで一度も喋ったことがなかったからさ」


 僕は本当にそう思う。

 今回のいじめ対策会議で葉桜さんという女の子と知り合えたこと、そして彼女がちょっと変わったところがあるけれど、決して悪い人じゃないと知ることができたこと、これが僕にとって凄く重要で、貴重な体験だったんじゃないか。

「私のこと怒ってない?」

「怒ってないよ、感謝してる」僕は心からありがとうの気持ちを込めて言った。


 葉桜さんは顔を上げ、僕を見た。


 そしてほんのかすかに笑みを浮かべた。


 僕は、ちょっとドキッとしてしまった。

 今まで彼女のことをあまりかわいいとは思わなかったけれど――


 ――葉桜さん、結構かわいいかもしれない。


「将太朗、何赤くなってんのよ」

 先輩が、からかうような口調で言った。

「な、なに言ってんですか!」

「千尋に手を出したら私が許さないわよ」先輩が真顔で言った。

「馬鹿なこと言わないでくださいよ、もう!」

「フフフ、冗談よ」

 先輩は笑った。それに釣られるように葉桜さんも笑っている。

 まったくもう……。


「先輩、これからどうします?」

 落ち着きを取り戻した葉桜さんは、隣に座る月島先輩に声をかけた。

「う~ん、ここで会議の続きやる?」

「先輩がそうしたいのなら」

「でも、なんていうか、気分が乗らないのよね。あっち行ったりこっち行ったりして疲れちゃったわ。それに、ほら――」

 先輩はそう言って僕らの前方にある広場を指さす。

 そこでは子供たちが楽しそうに遊んでいて、その喚声、笑い声、大地を駆け回る音などが絶え間なくこちらにも聞こえくる。


「ここはちょっとうるさくて会議を開くのに適した場所とは言えないわ」

「そうですね」

「ねえ将太朗、あんたはどうしたい?」

「僕も先輩と同じです」

「そう……。でも、まいったわね。いじめ対策会議を開くなんて言って大げさなこと言って三人で集まったのに、結局何も決められなかったわね、私達。どうしようかしら」

「……」

「何かいい方法はないかしらね。いじめをやめさせる方法」


 先輩は腕を組んで真面目に考え込んでいる。


 やがて先輩は何か閃いたように表情を輝かせて言った。

「北条と真弓田の給食に毒キノコを入れて、あいつらを入院させてしまうというのはどうかしら?」

「どうして先輩はそう恐ろしいことばかり閃くんですか!」

 僕は先輩の発言にびっくりして言った。

「え、そんなに恐ろしいことかしら?」

 先輩はきょとんとしている。

「武器を持って戦うだの、泣くまで痛めつけて屈服させるだの、給食に毒を混ぜるだの、発想が過激すぎますよ。これじゃまるでテロリストじゃないですか」

 僕は呆れ気味に言った。

「ちょっと! やめてよ、この私をまるで過激な思想の持ち主みたいに言うのは! 私はどこにでもいる普通の女の子なのよ!」先輩が不服そうに言った。


 よく言うよ……。

 実際に過激な思想の持ち主じゃないか。


「ケンカで勝つためにのこぎりやハンマーを装備するなんて、普通の女子中学生の発想じゃないですよ。僕は先輩という人がちょっと怖いです」

「内海君、月島先輩のことをあんまり悪く言っちゃダメだよ!」

 葉桜さんが僕に抗議するように言った。

「月島先輩はとっても正義感が強いんだよ! だから悪を見逃せないの! ほんの少し過激なところもあるかもしれないけど、でも先輩は決して暴力行為を好んでいるわけじゃないの! 本当は人間性が豊かで、優しさに満ち溢れた人なの!」

 葉桜さんは頬を膨らませて怒っている。

 その様子がちょっと小動物めいていて可愛かった。


 でも、そうは言うけどさ。


「ねえ将太朗、何も私は暴力や手段を選ばない過激な手法で対抗するのを推奨しているわけじゃないの。最も手っ取り早くて最も簡潔な方法が暴力による報復だと思うから、それを実施してるにすぎないのよ。私は千尋みたいに頭が良くないからそういう手段しか思い浮かばないのよね」

 先輩は自嘲的な笑みを浮かべて言った。


「やっぱり将太朗は、暴力で対抗するのは間違ってると思う?」

「はい。先輩の言うこともわかるんですけど、目には目を歯には歯をの精神でもって暴力で報復するっていうのは、ちょっと抵抗があります。それで本当にいじめが解決するか疑問です」

「まあ、確かにあんたは性格的に暴力とは無縁の人間だから、抵抗を感じるのも当然と言えるわね。でも、だからってさ、このまま何もしないで、ただいじめに怯えて暮らすってのもどうなのよ?」

「……」


「あんたはそれでいいわけ?」

「……いいとは思いません」

「だよね。私は将太朗が本当に心配なのよ。三日前の朝、この公園で将太朗を見かけた時からずっと心配だった。青白い顔でベンチに座ってさ、それでため息なんてついちゃって……。このまま将太朗を放っておいたら、テレビのニュースでやってたあの少年みたいに自殺してしまうんじゃないかって、本気でそう思ったもの」

「だから僕に、自殺しようと思ったことあるかなんて聞いたんですね」

「そう、あんたはあの時に否定したけどさ、でも私には将太朗が強がってそう言ったんだってわかってた。本当は自殺したいと思ったこと、あるんでしょ?」


 月島先輩はとても真剣に、そしてとても悲しそうに僕にそう問いかける。

 強い眼差しで見つめられ、僕は目を背けることができない。やっぱり先輩の前では嘘は通用しないんだなと実感した。


「自殺したいっていうか――」

「なに?」

「同じことかもしれませんけど、生きていたくないな、と最近ずっと思ってました。毎日いじめられて、それくらい辛かったのは確かです」


 先輩も葉桜さんも黙って僕の言うことを聞いている。

 子供たちの楽しそうな声が響く公園。

 その一角、僕らの周囲にだけ場違いとも言える冷たく重い空気が包む。


「いじめに対抗する勇気も無いけど、自殺する勇気も無い。だから生きていたくない、か……。いかにも将太朗らしい発想ね」先輩が言った。

「生きていたくないと思うほど精神的に追い詰められているのに、あんたはそれでも戦うのが嫌だっていうの? ねえ、それでいいの? このままじゃあんた――」

「だって、しょうがないじゃないですか! 僕には腕力もないし、度胸もないし、僕ほど暴力的なことに向かない人間はいませんよ」

「自分は腕力無いから無理とか言って、腕力をつけるような努力はしたの? 腕立て伏せしたり、ストレッチしたり、ジョギングしたりして基礎体力をつけようとした? してないでしょ?」

「はい……」先輩の言う通りだった。


「特に努力もせずに、やる前から自分には無理と決めつけてあきらめてる。あんたはそんなんだからダメなのよ!」


 先輩はまるでやる気のない子供を叱りつけるような口調で言った。

 その言葉はとても耳に痛かった。

 ……なぜなら、すべて正論だったから。


 怒りが湧いてきた。

 だって、そんな言いかたってある? 確かに先輩の言うこともわかるよ。


 だけど――


 先輩の言葉には労わりの心が欠けていると思った。

 いじめられて落ち込んでいる人に向かって、戦えだの、努力が足りないだのと、叱りつけるような調子で責め立てるなんて無作法すぎるんじゃないか?

 しかも、葉桜さんが見ている前で……。


 僕は先輩に何か言い返したかった。

 とてもじゃないけど、このまま黙っているなんてできない。


「まるで努力すればなんでも解決するとでも言いたげなセリフですね」

 僕は言った。

「……? 何が言いたいわけ?」

「先輩、努力なんてしたって無駄です。僕みたいなダメ人間は、何をやったって中途半端な結果になるに決まってる。僕にはそれがわかるんです」

「そんな風に自分を卑下するものじゃないわ。ねえ、どうしちゃったのよ。いじめられて後ろ向きな考えにとりつかれっちゃったの? 昔のあんたは内気だったけど、ここまで弱虫じゃなかったわ」


 弱虫。


 みんなで僕のことをそう呼ぶ。

 弱虫で悪いか?


「はい、そうです。僕は弱虫で、根性なしで、逃げ癖のついた負け犬ですからね! でも、僕だって好きでこんな性格になったんじゃない!」

 僕は怒りに任せて叫んだ。

 先輩の瞳に、微かにだけど、怯えあるいは戸惑いのようなものが見てとれた。


「将太朗、あんたは卑屈になりすぎてる。わ、私は別に――」

「しょうがないじゃないですか! 僕は先輩みたいに強くないんですよ! そもそも先輩はいじめられたことがないから僕の気持ちなんてわからない! 自分にできることなら他の人にもできるだろうみたいな考えで、先輩の価値観を僕に押し付けないでください! そういうの迷惑なんですよ! 僕は先輩とは違うんです!」


 僕は思っていたことを大声に乗せて叫んだ。


 さっきまで楽しそうに広場で遊んでいた子供たちが、僕の大声に驚いてこれは何事かとこっちを注視しているのを視界の隅にとらえた。

 場が緊迫感に包まれる。

 

 これは、やっちゃったかな。

 先輩と久しぶりに大ゲンカになるかもしれない、と思った。


 だけど……。


 先輩は何も言い返さず、僕に悲しげな視線を向けているだけだった。


「……」

 そして、力なくうなだれてしまった。


 どうして先輩は何も言わないのだろう。

 なぜいつもみたいに怒らないのだろう。


 これはまるで、あの時と同じだ。

 二年前のあの日と……。


 先輩の予想外の反応を見て、急激に罪悪感が湧き上がってくる。


「……すみません。僕、帰ります」

 そう言って僕はその場から足早に立ち去ることにした。


「内海君!」

 葉桜さんが怒気を含んだ強い口調で僕の名を呼んだけど、僕は無視して歩き続けた。


 いったい僕は何をやっているんだろう。

 どうして僕は腹を立てたんだろう。


 自分のことを心配してくれている女子二人の前で……。


『怒りをぶつける相手が違うんじゃないかい?』

 僕の中の内なる冷静な声がそう指摘した。


 その通りだと思った。

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