プロローグ
『次のニュースです。昨夜七時ごろ、○○県の市立○○中学校に通う中学二年生の星乃スグル君十四歳が、自宅マンションの屋上から飛び降り、病院に搬送されましたがまもなく死亡が確認されました。スグル君の部屋からは遺書らしきものが見つかっており、遺書には、スグル君がクラスでいじめを受けていたことを示す記述があることから、警察ではいじめを苦にして自殺を図ったものとみて捜査を進めています。スグル君が通っていた学校では、今日緊急の保護者会が開かれる予定で――』
テレビの画面に、昨夜自殺した星乃少年の顔写真が写し出されていた。この写真は自殺する一週間前、家族が開いた星乃少年の誕生日パーティーの時に撮られたものらしい。キャスターの男性がそう言っていた。
写真の彼はとても無邪気な顔で笑っていた。
僕が見た限りじゃ、悩みごとなんて何も無さそうに見える。だけど、目に見えるものが必ずしも正しいとは限らない。
「かわいそうに……」
朝食のトーストを口に運ぶのを一時中断して、男子中学生いじめ自殺のニュースに見入っていた母さんが、ため息混じりに言葉を漏らした。
「そういえば、ついこの間も中学生がいじめを苦にして自殺したってニュースを見た気がする。最近ちょっと多いんじゃない? この手のニュース」
そのニュースは僕も見た。確か先月、千葉県で男子中学生が自殺したんだ。
その自殺した生徒は、一部のクラスメイトから日常的に暴力を振るわれていたという話だった。
「十四歳って言ったら、将太朗と同じ年じゃない」
母さんの口から唐突に僕の名前が飛び出した。びっくりしてよろめき、手に持っていたコップから牛乳がちょっとこぼれてしまった。
「ねえ、聞いてる?」僕の方を窺い、母さんは同意を求めるように言葉を促した。
ねえ、といわれても反応に困る。同じ年齢だったら一体なんなんだ? 自殺した少年が僕の知り合いだとしたら、それはきっとショックに違いないけど、会ったこともない人が自殺したと聞いても別段驚きも悲しみもない。
「うん」僕は相槌を打った。
「ついこの間までランドセルを背負っていたような子供が、飛び降り自殺だなんて……。ちょっと信じられないわ」そう言って母さんは手に持っていたトーストを一口かじった。
「それほど追いつめられていた、ということじゃないか?」
テレビには目もくれず、新聞を読みながら黙々と朝食を食べていた父さんがおもむろに口を開いた。
「しかしなぁ、こういういじめ自殺の報道を見ていていつも思うんだが――」
「なあに?」母さんが尋ねる。
「俺はその、いじめられる方にも問題があるんじゃないかと思うんだよ」
「つまり、いじめられる方も悪いと言いたいの?」
「いや、勿論いじめは悪だよ。いけないことだ。でもさあ――」
父さんは何か言いにくそうな様子で言葉を切った。
「でも、なに?」母さんが聞く。
「いじめなんてよくあることじゃないか」
「そうかしら?」
「俺だって昔いじめを受けていたことあるよ。クラスメイトに家庭のことやお袋のことを悪く言われたりしてさ……。うちは貧乏だったからそのことでよく周りの連中から馬鹿にされたんだ。お前だってそんな経験くらいあるだろ?」
「……」
「だけど、俺は自殺しようなんて思わなかった。そんな考えが頭をよぎったことすらなかったね。それが普通なんだよ。たかがいじめで自殺するような子供は、育った環境だとか先生や両親の教育方針などにどこか問題があるんじゃないかと思うね」父さんはそう言ってカップに入ったコーヒーを飲んだ。
僕は父さんの言葉に驚きを隠せない。
たかが、いじめ?
父さんにとってはいじめなんて、とるに足らないことだって言うのか?
「あなたの言いたいこともわかるけど、でも……」
「ほら、さっきおまえが言いかけてたニュース。俺も覚えているよ。確か、先月だっけか? 千葉県で男子中学生がいじめを苦に自殺したんだ。なんでも、その男の子は、クラスメイト数人から金品を要求されて、断ると殴る蹴るの暴行を受けていたらしい」
「ああ、思い出した! そうよ、それそれ」
「でも、俺に言わせると不思議でしょうがないんだよ。その男の子はどうしてやり返さないのかって。殴られたら殴り返せばいいじゃないか。蹴り飛ばされたら蹴り返してやればいいじゃないか。なぜそれをしない? 戦おうとしない?」
「……」母さんは黙って聞いている。
「俺だったら戦うね。実際戦った。俺はケンカが弱かったからボコボコにされたけど、それでもお返しに一発ぶん殴ってやった。やられたら百倍にしてやり返す、それくらいの気概を持たなきゃダメなんだよ」
「誰もがお父さんみたいに、強いわけじゃないわ。非力な子やおとなしい子に戦うなんて無理よ」
「暴力でやり返すのが無理でも、せめてだれか信頼できる大人に相談するなりいくらでもいじめから助かる術はあったはずだ。それなのに何も抵抗せず自殺だなんて根性が無いと思わないか? 俺は呆れるな。挙句は遺書に〝僕は同じクラスの何某のせいで自殺します。彼らを絶対に許しません〟なんて恨みがましく書き綴ってさ、他力本願にも程があるよ」
「……自殺する以外に楽になる方法が思いつかなかったんじゃない? 精神的に追い詰められて誤った判断をしてしまったのよ」
「最近の子供は想像力が貧困だから、そういうことになるんだ。だいたい今の学校の教育は――」
「じゃあ、僕、そろそろ学校行くよ」
僕は話の腰を折るようにそう言って立ち上がった。少し驚いた様子で父さんと母さんがこっちを見る。僕は二人と目を合わせないようにしてテーブルの横に置いてあった自分のカバンを持って速足で玄関へ向かう。
とてもいたたまれなかった。これ以上父さんと母さんのやり取りを聞いていたくなかった。
「なんだ将太朗、全然食べてないじゃないか。こんなに残して」
「ホントだ。どこか具合でも悪いの?」二人は心配そうに声を掛けてくる。
「そういうわけじゃないけどさ、なんだか今日は食欲が無いんだよね」僕は靴を履きながら答える。
「ダメだぞ、ちゃんと食べなきゃ。朝しっかり食わないと、体に力が入んないだろ」
「そうよ、お腹すいて倒れちゃうよ」
「いくらお腹が減っていたって、倒れはしないよ。じゃあ、僕行くから」
「いってらっしゃい」
「いってきます」
そう言って僕は靴も履きかけのまま、慌ただしく玄関を飛び出した。
玄関のドアを閉める時、僕の方を見ている父さんと母さんの姿が一瞬目に入った。二人とも心配そうな表情でこちらを眺めていた。最近、少し様子がおかしいって薄々気づいているのかもしれない。
もちろん、普段から感づかれないよう出来るだけ元気な内海将太朗一四歳を演じてはいるけれど、僕はお世辞にも演技力に定評があるとは言えないから、うまくごまかせているかどうか自信が無い。
だけど――
僕は後ろ手にドアを閉める。
ばたんと音を立ててドアが閉まるのを聞いて、一呼吸。
「ふぅ……」
ひどく後ろめたい思いに囚われる。
いじめ自殺のニュース、僕と同じ年齢の少年の死。
そしてそんな昨今世間を騒がせているいじめ問題についての父の見解を聞かされて、なんだか酷くいたたまれなくなって慌てて家を飛び出してきてしまったけど、まずかったかな? 不信を持たれてしまったかもしれない。
父さんと母さんは知らない。
知る由もない。僕の秘密。
まさかこの僕も、クラスでいじめを受けているなんて言えるわけないし、言いたくもない。絶対に。




