第三十六章
アイシャが天木と会っている、同じ時。
直巳は伊武と二人で、廃墟となった天使教会にきていた。
一応、あたりに怪しい人物はいないか、変化はないかを確かめる。
特に変わった所はない。よくみれば、地面には血液が見てとれるだろうが、雑草や芝のせいで目立たない。そのうち、雨や風で消えてしまうだろう。
直巳は廃墟となった天使教会を見る。少し前まで、アリエラとマルジェラが生活をし、子供達や女の子が集まる、賑やかな場所だった。
それが、今はただの廃墟に戻っている。
直巳が天使教会を見上げて、白い息を吐く。
静かな冬空の下。廃墟となった天使教会は寂しくも、だからこそ美しく見えた。
「椿君……帰ろう……?」
隣りに立っている伊武が、直巳の袖を引っ張る。
まだ、体力が回復しきっていないのか、少し顔色が悪い。
「あんまり……ここに……来ない方が……いい……」
伊武が、直巳の袖をつまみながら、ぼそぼそと言う。
「ここ……は……寒いし……寂しい……から……長居する……と……良くない……よ」
伊武は、直巳がこの場所に、アリエラやマルジェラに心が縛られてしまうことを恐れていた。 直巳は優しいから、きっと気にしてしまう。もう、どうにもならないことなのに。
どうにもならないことは、小さくてもインクの染みのように心から離れなくなってしまう。 それが積み重なると、いつか心が塗りつぶされてしまう。
伊武は、直巳の体なら、この身が砕けても守る覚悟はあった。
でも、心までは守れない。傷ついた心を癒やすこともできない。
伊武は悔しくて、袖を掴む指先に力を込めた――直巳には伝わらないと、知っていて。
その時、何人かの子供達が、教会の方へとやってきた。
直巳達を見つけると、指をさして駆け寄ってくる。
「あ! おっきーおねえちゃんだ!」
「おにーちゃんもいるー」
二人はあっと言う間に子供達に囲まれる。
伊武は子供達に人気があるのか、まとわりつかれて困った表情になる。
相変わらず、大きいだの、強そうだの、おっぱい大きいだのと好きに言われている。
直巳は伊武の様子を見て笑いながら、しゃがんで子供の一人に話かけた。
相手は女の子で、手作りの手提げ袋を持っていた。
「こんにちは。ここは危ないから、来たら駄目だよ」
「えっとね。アリエラちゃんに会いにきたの。あのね。急にね。アリエラちゃんがいなくなっちゃったからね。今日はいるかなと思って、来たの」
「――そっか。アリエラに会いに来たのか」
直巳は一瞬だけ目を閉じたが、笑顔を崩さなかった。
そんな直巳の姿を見ていると、伊武は胸が締め付けられるように苦しくなる。
直巳は、女の子に向かって優しく話かけた。
「あのね。アリエラとマルジェラは、自分のおうちに帰ったんだよ。お兄ちゃん、帰る時にお話したんだ。みんなに、さようならが言えなくてごめんね、って。言ってたよ」
「え……そうなの? アリエラちゃんのおうち、ここじゃないの?」
「うん。外国の、遠い遠いところなんだ。だから、すぐには戻ってこないかも」
「ええ……そうなんだ……」
女の子は、がっかりした顔になる。直巳の心は痛んだが、仕方ない。こういうのは、大人の役目だろう――他にいないのだから、自分が大人をやるしかない。
「アリエラもね。またみんなと遊びたいって、言ってたよ」
「そっかぁ……あの、あのね! お人形、作ってきたんだよ!」
「お人形?」
「うん!」
女の子は手提げ袋から、二つの人形を取り出した。アリエラに作り方を教わったのだろう。いかにも手作りという感じだが、それが何の人形かは、すぐにわかった。
笑顔の修道女と、怒ったような顔をした女性の人形。
「アリエラと、マルジェラだ」
「うん! ママにも手伝ってもらったの!」
直巳は子供から人形を受け取って、よく見てみる。
アリエラはともかく、マルジェラの人形を見て、直巳は笑った。マルジェラは凜々しい顔をしているから、子供からは怒っているように見えるのだろうか。
「上手だね」
直巳が褒めると、女の子は全身をくねくねさせて照れる。子供は照れる時も全力だ。
「それでね、これね、アリエラちゃんにあげようと思ったんだけど……どうしよう?」
「うーん……じゃあ、教会に飾っておこうか。アリエラが帰ってきたら、驚くよ」
「うん! そうする!」
直巳は、女の子の手を引いて、教会の中へと向かった。伊武と他の子供達もついてくる。
教会に残された椅子の上に、直巳が二つの人形を置いた。
「どう?」
直巳が言うと、女の子がブンブンと首を横に振った。
「違うよ! こうだよ!」
女の子は人形をぴったりくっつけて、よりそうように置いた。
「仲良しだから、こう!」
女の子は満足そうな顔で直巳を見上げる。
「そっか。仲良しだもんな」
直巳が女の子の頭を撫でると、女の子は嬉しそうな顔をした。
それから、子供達は人形の周りに花を飾ったり、ポケットに入っていたお菓子を置いたりして、人形の周りは、あっと言う間に華やかになった。
いかにも子供らしい、ごちゃごちゃした飾り付けだったが、手作りの人形には、これが一番良く似合っているような気がした。
二つの人形は、穴の空いた天井から差し込む光に照らされていた。
もう少しすれば、夜空だって見上げることができるだろう。
子供達のくれた花やお菓子に囲まれて、二人きりで夜空を。
それから、子供達を帰して、再び直巳と伊武の二人きりになった。
直巳はしばらく人形を見つめていたが、小さく、「よし」と言って、大きく伸びをした。
「帰ろうか!」
伊武に笑いかける直巳の顔に、先ほどまでの悲痛さはなかった。
子供達のおかげで、何かしらの区切りをつけることができたのだろう。
どうにもならないことは、どうしようもないことで、落ち着くものなのかもしれない。
それはきっと、人形を並べ、花を飾るようなことなのだろう。
伊武は、生まれてはじめて子供という存在に感謝をした。
「……うん……帰ろう」
伊武は返事をするが、すぐには動かなかった。直巳が教会から出て行くのを見送る。
直巳が見ていないのを確認して、ひとつまみの土を人形に振りかける。
伊武も、この、「儀式」に参加しようと思ったのだ。
そして、人形のそばを離れる前に、この、「儀式」にふさわしい文句をつぶやいた。
灰は灰に、塵は塵に。




