第三十四章
「B、出てきなさい」
アイシャが声をかけると、アイシャの真横にBが姿を現わした。
「……おー?」
Bはいつもと変わらず、ぼんやりとした顔をしている。
「透明化か……」
直巳の言葉に、アイシャが得意気にうなずく。
悪魔バエルには、人を透明にする力がある。呪殺と並んで、バエルの得意技の一つだ。
「そういうこと。悪魔化するほどの魔力はないし、たいした呪殺も使えない。身を守ることもできない。でも、子供二人を透明にさせるぐらいはできるのよ」
「いつから……いたんだ?」
「ここに来たのは、ついさっき。直巳達がピンチだって、カイムが飛んできたのよ」
アイシャが手をあげると、どこからかカイムが飛んできて、肩にとまった。
「何ができるわけでもないけど、行かないよりは良いと思って――そしたら」
アイシャが直巳に、しゃがめと手でジェスチャーをする。
直巳が言われるがままにしゃがむと、頭を思いきり殴られた。
「いってえ……」
「直巳が油断してたから、私が代わりにアリエラに警戒してあげたのよ。どうして、背中に気をつけるぐらいのことができないの? 見えないのと、いないのは違うのよ?」
「……はい」
直巳には、何も言い返すことができなかった。アリエラが見えないのなら、警戒は続けるべきだった。戦いが終わり、直巳が油断して一人になった所を狙う。馬鹿らしいぐらいに当たり前の戦法だった。
「椿君……よかった……」
駆け寄ってきた伊武が、直巳を抱きしめる。
「よかっ……た……本当に……よかった……」
ひとしきり、直巳を堪能すると、アイシャの方を向いて頭を下げた。
「……ありがとう」
「あら、珍しい――まれー、しゃがんで」
伊武もアイシャに言われるがままにしゃがみ、頭を殴られた。
伊武は何も言わず、むすっとした顔でアイシャを見上げた。睨んではいない。
「直巳は弱いくせに、変なのに好かれやすいんだから。一番変で、一番直巳のことが好きなのはあなたでしょう? 他の奴に渡したくないなら、ちゃんと守ってあげなさい」
「……わかった」
「変なのは直しなさいよ――さて、直巳」
アイシャは、ポケットから魔石をいくつか取り出して直巳に渡した。
「これで、Aに魔力入れてあげて。動くぐらいはできるようになるでしょう」
「ああ、わかった」
直巳は魔石から魔力を抜くと、すべてAに注いだ。たいした魔力の量ではなかったが、それでもAは、なんとか動けるぐらいに回復した。
「アイシャ様、ありがとうございます」
Aがアイシャの前で跪き、礼を述べる。
「囮ぐらいはできたの?」
「はい。本当に、囮だけでしたが」
「――ま、いいでしょう。もし、またマルジェラがきたら、あなたが責任持ちなさいよ」
「わかりました」
Aがアイシャに頭を下げると、直巳と伊武が顔を見合わせた。
「あの、アイシャ。Aの責任ってなに? なんで、Aがマルジェラについて責任を?」
直巳がたずねると、頭を下げていたAの体が、ピクリと動いた。
伊武はAの動揺を見逃さず、片手でAの頭を掴むと、無理矢理上げさせた。
「A……どういう……ことか……聞かせ……て?」
伊武がギリギリとAの頭を握り潰そうとする。
「希衣様! 割れます! 出ちゃいます! ちゃんと話しますから!」
伊武が力を緩めると、Aがマルジェラとかわした契約について話をした。
最初に伊武とマルジェラが戦った後、Aがマルジェラを捕まえ、弱みにつけこんで、魔力を与える契約をしたのだという。
「何でもないような人間、しかも天使教会の人間を簡単に殺すわけにもいかないでしょう。あんな雑魚を殺して目立ってもつまらないし、こちらの品位というものもあります。だから、悪魔と契約したという負い目と、永遠の魔力暴走という、二重の足かせをはめたつもりだったのです」
話を聞く限り、Aの取った行動に間違いはないように思える。
ただ、結果的にマルジェラが強化されるという最悪の状況になってしまっただけで。
「まあ、そういうことなら、しょうがないんじゃ――」
直巳は、もうAを責めるつもりはなかったが、伊武はAの頭から手を離そうとしなかった。
「でも……A……マルジェラと……話している時……楽しそう……だった……よね?」
たしかに、マルジェラを挑発している時のAは楽しそうだった。
あんなに楽しそうなAは見たことがない、というぐらいに。
伊武が言うと、Aは悪びれずに答えた。
「マルジェラの恐怖は――最高でした」
アスタロトという悪魔は、何よりも恐怖を好む。伊武も、それは知っていた。
結果的に、Aが喜んで行なった挑発は効果があった。
伊武だって、気に入らない敵を叩きのめす時には喜びを、興奮を覚える。
それと、変わりは無いということか。
伊武は少し悩んだ後、Aの頭から手を離した。
解放されたAは、「どうも」と笑顔で言ってから、服装を整え、いつものようにアイシャの後ろに控えた。それを見たBも、無言でアイシャの後ろに控える。
Aの顔と服は、泥と血でひどく汚れていたし、AとBに魔力はほとんど残っていない。それでも高宮家の揃った姿は頼もしいなと、直巳は少し嬉しくなった。
「さあ、帰りましょうか――問題は、どうやって帰るかだけど」
アイシャの言葉で、直巳は全員の姿を見る。直巳とアイシャ、Bは問題ない。伊武とAは全身、血と泥で汚れているし、伊武はマルジェラの残していった、守護剣アルケーも持っている。フリアエと違って、アブエルに刺して隠すことができないらしい。
この姿を誰かに見られて、通報されない方がおかしいだろう。
Bに全員の姿を消してもらおうか。それだけの魔力があればだが。
直巳が頭を悩ませていると、伊武が何かを思い出した。
「天使騎士団の……バス……あれを……もらえば……いい」
「あ、開けてくれ! 天使騎士団の現地協力員だ! アリエラについて、報告がしたい!」
天使騎士団のヘルムと制服を身につけた直巳の様子に、車内の騎士団員はバスの扉を開けた。
「ど、どうした!? お前一人か? 他の騎士達はどうした! アリエラはどうなった!?」
「ぜ、全員アリエラにやられました! 生き残ったのは僕だけです……でも、アリエラは死にました! 隊長が、相討ちになって……」
「ま、間違いないのか?」
「はっきりと見ました。隊長がアリエラを刺したのですが……アリエラは隊長を道連れに……懺悔室の中に飛び込んで、そのまま……消えました……相討ちです、間違いありません」
運転手は信じられないような顔をしていたが、反論のしようがなかった。
「……そうか……わかった。本部には、そのように連絡しよう」
「お願いします。後処理はこちらでやります。バスもこちらで処分しますから、早く降りてください」
「バスを? そんな話は聞いていないが……」
「もう、あなた達しかないんですから、身軽な方がいいでしょう。それに、騒ぎを聞きつけた警察が動き出しています」
「警察? この国の警察には、天使教会の方から話を通しているはずだが……」
直巳はしまったと思いながらも、表情には出さず、必死で頭を動かした。
「市民に見られていたら通報もあるでしょう。末端の全てにまで話が通っているなら別ですが……検問でも張られたら面倒です。武器も積んであるでしょう?」
運転手は、バスの後部座席をちらりと見た。直巳は適当に言ったのだが、当たりのようだ。
「そうだな……わかった。任せよう。間違い無く、破棄してくれ」
「ええ、間違いなく」
間違いなく、高宮家の庭で燃えることになるだろう。嘘はついていない。
「帰りに、天使教会を見ていく――問題はないか?」
運転手が試すように言う。まだ、直巳の言うことを信じていないようだ。
「問題ありません。ただ、死体は一つもありません。相手がアリエラですから」
「……わかった」
はっきりと返答する直巳を見て、運転手はようやく信用したようだった。
運転手はバスの中にいる仲間に声をかけると、急いで仕度を済ませた。
すぐに、運転手を含めた3人が荷物を持ち出し、バスを降りて走り去っていく。
これで、バスを手に入れ、天使騎士団へは虚偽の報告がされるはずだ。
どこまで信じてくれるかはわからないが、実際にアリエラはいなくなったのだから、失踪事件は起こらない。しばらくは大丈夫だろう。
3人の姿が見えなくなると、直巳は手を挙げて全員を呼んで、バスに乗り込ませた。
Aは運転席に座ると、素早く運転方法を確認し、発進させた。
「ふう……」
直巳が椅子に座って溜め息をつくと、隣りにアイシャが座った。
「希衣が地獄耳で聞いてたわ。やるじゃない、直巳」
「元々の目的が、この町から色んな勢力を遠ざけることだからね。天使騎士団にもケアしておかないと、せっかく戦った意味がないだろ?」
直巳がヘルムを脱ぎながら言うと、アイシャは満足そうにうなずいた。
「直巳がいてくれてよかったわ」
「――どうも」
直巳は照れくさそうに返事をする。
戦闘で役に立てない分、こういう所で役に立たないといけない。
直巳が車内を見回すと、通路を挟んだ隣りの席で伊武が眠っていた。なぜか、Bを抱きかかえている。恐らく、Bが勝手に乗っかって、伊武はどかすのが面倒になっただけだろう。
静かに眠る伊武を見て、直巳がほっとしていると――車が事故った。
ドン、という衝撃があって、直巳とアイシャは前に座席に顔をぶつける。
顔を打ったアイシャが、赤くなった鼻を押さえながらAを罵る。
「A! あんた何してんの!」
「申し訳ありません。まだ、回復していなくて、少し目眩が……」
バスはガードレールにぶつかったようだった。たいしたスピードではなかったので、大事にはなっていない。
「いや、失礼。すぐに車を戻しますから――あ、目眩が――」
まだ体調が戻らないようで、Aは目頭を押さえている。
直巳は溜め息をつきながらも、Aの傷のことを思うと、あまり責められなかった。
「まあ、Aも大変――って! このバス銃火器積んでるんだよ! 警察とか来たら言い訳できないんだから! いや、元々言い訳できないけど! 特に駄目なんだよ! A! 早く!」
直巳の言葉を聞くと、アイシャが席を飛び出して運転席のAを怒鳴りつけた。
「A! 起きなさい! さっさと高宮の家まで戻る! 死ぬのは帰ってから!」
「ふふ……私はアイシャ様を残しては、死にませんよ……」
「A! 今はそういうノリじゃないから! しっかりしろ! バカなのか!」
「早く車を動かしなさい! 死にたいなら、後でちゃんと殺してあげるから!」
結局、二人して重傷のAを責めまくった。
幸いにして、誰にも見つかることなく高宮家まで辿り着き、その直後にAは気絶した。
車内から必要そうなものを運び出すと、アイシャはバスに火をつけて燃やした。
しばらくすると、中からAが転がり出てきた。
バスを処分した後、車内から持ち出した荷物を調べたが、天使騎士団に関する情報はほとんどなかった。余分な制服やヘルムもない。さすがに、証拠を残すようなことはしない。
ただ、銃火器と弾薬が少し残っていたそうで、これはAが保管することになった。実際に使う機会があるかはわからないが、「あって困るものじゃないので」と、Aは言う。
直巳達が、そうやって後処理を行なっている時。
伊武は着替えもせず、高宮家の庭に一人で立っていた。
両手にそれぞれフリアエとアルケーを持ち、見比べている。
「……似てる……かな」
フリアエは、妖剣と呼ばれるだけあって特別な剣――魔術具なのだが、人の作ったものだ。素材は特別なのだが、神話に出てくるような遺物とまではいかない。
人の作った魔術具ならば、似たものが他にあってもおかしくはない。
しかし、それにしては似ている。見た目ではない。作り方、仕上げ方、明確なコンセプトと、それを素直に形にしている所――雰囲気と言ってしまえばそれまでだが。ただ、アルケーの方が作成時期が後なのか、全体的に作りが洗練されている気がする。
伊武はアルケーを隅々まで眺め、月の光にかざして見たところで、あることに気が付いた。
真っ白な刃の根元に、光を当てなければわからないぐらいに薄く、文字が彫ってある。
その文字は、英単語でたった二文字。
「――Hg」
その単語を読み上げた瞬間、伊武は右肩の古傷がうずくのを感じた。
そして、次にフリアエの柄の後ろを見る。
そこには、荒く削った文字が小さく入っていた。
Hg。




