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第十三章

 風呂から上がった伊武は、脱いだ洋服の中に入っていた手袋を拾い上げた。

 何度見ても、指先のあたりに、焦げて小さな穴が空いている。

 つばめになんて言おうかと、落ち込んだ気持ちを抱えながらリビングに入ると、直巳とアイシャ、それからAとBがいた。

「Aから話は聞いてるわ。収穫があったんだって?」

 伊武はアイシャの言葉にうなずくと、定位置である直巳の隣りに座った。

 直巳も大体の話は聞いているのか、事情は察しているようだったが、伊武を見て、少し困った表情をしている。

 伊武がどうしたのだろうと心配していると、直巳が口を開いた。

「その……Aから聞いたよ。ずっと、一人で調査してたんだって?」

「え……あ……わ、私が……勝手にやってた……こと……だから……」

「俺、気づかなくて……ごめん」

 頭を下げる直巳を見ると、伊武も慌てて頭を下げる。

「こ、こっちこそ……何も言わなくて……ご、ごめん……なさい……」

「今度から、何かするなら教えてほしい。力になれなくても、知っておきたいから」

 直巳は真面目な顔で、伊武の目をじっと見つめながら言う。

「う……うん……そうする……ね……」

 伊武の返事を聞くと、直巳は安心したのか、少し笑顔を浮かべた。

「直巳の話、終わった? 始めていい?」

 アイシャの言葉に、直巳がうなずく。

「じゃ、まれー。何があったか報告してちょうだい――まれー?」

 伊武はアイシャに返事もせずに、ぼーっとしている。

(椿君が……心配してくれた……真面目な顔の……椿君が……目の前に……)

 トリップしている伊武の頬に、アイシャがパンパンと、良い音の往復ビンタを食らわせる。

 それでようやく、伊武がこちらの世界に戻ってきた。

「……え?」

「え、じゃなくて。何があったか報告してちょうだい」

 伊武はアイシャに言われるがまま、先ほどの出会った、「星の鷹」と、高田の話をした。

 彼らの行動と目的。高田が魔術具を使ってたとはいえ、魔術を使っていたこと。

 それから、次のターゲットがアリエラとマルジェラであること。

「なるほど。じゃあ、一連の失踪事件は、高田という男が目立つためにやってるってこと?」

 アイシャが話をまとめるが、伊武は素直にはうなずかなかった。

「自分で言っておいて……なんだけど……少し、無理があると……思う……弱かったし……」

「そりゃ、まれーから見たら、大体の相手は弱いでしょうよ。たしかに、その戦力で事件を成功させているとは考えにくいけど……他に何かあるのかしら」

「まだ、隠している何かがあるってこと? 例えば、他の魔術師とか、魔術具とか」

 直巳が言うと、アイシャは意外そうな表情をした。

「そこで魔術具が出てくるのは、勘がいいわね。高田って男、バカそうだけど、魔術具を使う能力はあるわよ。簡単な魔術具とはいえ、2つ同時に使ったんですもの」

「魔術具って……そんなに使うの難しいの?」

 直巳は、天木の家で魔術具を見たことはあるが、触ったことも使ったこともないので、アイシャの話がいまいち、ピンとこない。

 アイシャは面倒くさそうに息を吐いた。

「あー……A、説明してやって」

「かしこまりました」

 Aは素直にうなずくと、魔術具の説明をはじめた。

「魔術具を使うのが難しいか。これは、物による、としかいいようがありません。高田が使っていたのは、簡単な魔術を発動させるだけのものでしょう。中に天使遺骸の欠片や魔石などが入っており、それらが持つ魔力が切れるまでは使える、というようなものでしょうかね」

「魔力の電池みたいなもの?」

「そういう認識で構いません。電池が切れたら交換しますが、この場合は天使遺骸や魔石を交換するわけです。だから、非常に高価なオモチャ、というわけですね」

 魔石は一個で数百万。天使遺骸は魔石よりも多くの魔力を含むが、億から数十億。どちらにしても、入手もしにくいし、高価であることに違いはない。

「そして、高田は簡易なものとはいえ、魔術具を2つ同時に使い、さらには誘導をして希衣様に命中させた。素人にしてはたいしたものですよ」

「それでも、素人にしては、か」

「ええ。高田という男が使っていたのは、オモチャみたいなものですから」

「なら、オモチャじゃない魔術具もあるの?」

 直巳の質問を聞いて、Aが少し笑った。気に障る笑い方だ。

「ありますよ。普通の道具や機械だって、色々とあるでしょう。希衣様の妖剣フリアエだって魔術具です。よければ、天木からオモチャを買ってきましょうか? 直巳様でも使えそうな、簡単で安全なやつを」

「いらないよ、別に」

 子供扱いされた直巳が、むっとして答えると、Aはますます楽しそうな声で続けた。

「そう言わずに。魔術具は戦闘用だけではないんですよ。そう、例えば……人を誘惑する魔術具とか、いかがですか?」

「いいね。手に入ったら、早速Aに使ってみるよ」

「ふふ、無駄ですよ。私はもう、直巳様のことが大好きですから」

 Aは背中から直巳に抱きつこうとしたが、伊武が無言で睨むと、そっと引き下がった。

「はいはい。じゃれるのは後にしなさい。とりあえず、高田が何を隠しているかは考えてもわからないんだし、一旦置いておきましょう」

 アイシャがため息をついて、Aにお茶のおかわりを煎れるよう指示する。

 Aは頭を下げ、キッチンへと下がっていった。

「で、次のターゲットが、直巳のお友達の修道女達だと。名前、なんだっけ?」

「アリエラとマルジェラ」

 直巳が答えると、アイシャは、「それそれ」と素っ気なく返事をする。最初から、彼女達の名前を覚える気はなさそうだった。

「一応、聞いておくけど。直巳、どうするつもり?」

「俺たちの目的には関係ないから見捨てる……と、言いたいところだけど、それはきっと、ベストじゃない」

「ふうん? どういうこと? 聞いてみようかしら。一応」

 一応、を強調して、アイシャが挑発的に言った。

 直巳は挑発には気づいたが、あえて淡々と自分の考えを説明する。

「星の鷹は天使教会を潰して、マルジェラを倒し、アリエラを人質に取って、声明を発表するんだよな? だとしたら、その後はこの町が戦場になる。これまでの犯行も含めて、天使教会、魔術師、反天使同盟。全ての組織が、星の鷹へ復讐しに、この町に集まる」

「そうね。十分にあり得るわね。それで、どうするっていうの?」

「星の鷹を倒して、天使教会はアリエラに管理してもらう。町が戦場になるよりは、アリエラと上手くやっていった方がいい。情報も得やすいし、コントロールもしやすい」

 アリエラと仲良くなって、情報を得て、コントロールする。直巳は、本気でそんなことがしたいわけではない。ただ、自分達の利益のためだと、はっきり言っておいた方が、アイシャも納得してくれると思っただけだ。

 アイシャも、直巳が本気でアリエラを利用するために言っているわけではないと、わかっている。自分に気を使ってくれているのだ。納得しやすいように、ケンカをしないように。

 自分を立ててくれるのなら、アイシャとしても悪い気はしない。

「それに、高田が本当に犯人かどうかも、それで確認できるし」

 黙り込んでいるアイシャを見て、直巳が付け加えるように言う。

 そんなに必死にならなくてもいいのにと、アイシャは、フッと息を吐く。

「悪くないわね。本音は違うとしても、上出来だわ」

 悪い気はしないだけで、喜んで受け入れたいほどでもない。だから、こんな嫌味も言う。

「結果的に俺が満足するのなら、別にいいだろ」

 アイシャの言葉に、直巳が不機嫌になった。この感情も抑え切れれば上出来なのだが、直巳にそこまで演技をされたら、寂しい気もする。

(寂しい?)

 アイシャは、直巳相手に、そんな感情を抱いている自分がおかしくて、少し笑った。

「アイシャ、何で笑ってるんだよ」

 直巳がさらに不機嫌そうに言う。怒ってはいない。ちょっと拗ねてるだけだ。

 だから、アイシャも素直に気持ちを伝えることにした。

「ごめんなさい。直巳が、あんまりにも修道女達に構うものだから、拗ねてみただけよ。笑ったのは、拗ねてる自分がおかしかったから。気を悪くしないで? 許してほしいわ」

 アイシャが、少し恥ずかしそうに微笑みながら、可愛らしく言う。

 アイシャのこんな表情は初めてで、直巳は面食らってしまう。 

「あ、ああ……怒ってはないよ……」

「そう? それなら、よいのだけど」

 先ほどまでの可愛らしさが嘘だったかのように、あっさりと言う。直巳から必要な言葉を引き出した瞬間に、可愛らしさをどこかへ隠してしまった。

 女の子がずるいのか、自分がバカなのか。両方なのか。

 しかしまあ、むきになって言い合いを続けるよりは、こういう風に上手く転がしてくれるのなら、それも上手い付き合い方の一つかなと、直巳は思う。

 姉の教育が行き届いているせいか、直巳は女性にたいして甘かった。

 アイシャとの会話が終わった直後から、隣りの伊武の視線が少し気になったが、直巳は気づかないふりをすることにした。

 話が途切れたところで、Aが新しいお茶を持ってきて、全員のカップに注ぎ始めた。

 アイシャは新しく注がれたお茶の湯気を見ながら、いつもより小さな声で言った。

「――直巳の好きにするといいわ。人も自由に使いなさい。でも、寂しい思いをさせたら駄目よ。まれーも、つばめも。それから一応、悪魔達もね」

 そういうと、お茶には手を付けずに席を立ち、リビングを一人で出ていこうとした。

 直巳はアイシャの背中に向かって、「わかった」と、はっきり言った。

 アイシャは一瞬立ち止まると、何も言わず、軽く手をあげて返事をした。

 Aは、アイシャの紅茶が冷めるまでは、下げようとしなかった。



 夕食が終わった後、伊武はつばめの部屋をたずねていた。

 まだ早い時間なのだが、つばめはベッドで横になっている。

 伊武はつばめに焦げた手袋を見せて、必死に謝る。理由は上手くいえない。

 つばめも、なんとなく事情は察したのか、事情を追求することはなかった。

 元々、そんな意地悪をするような人間でもない。

「気にしないで。また、良いのがあったらプレゼントするわ」

「は……はい……ご、ごめんな……さい」

「だから、謝らなくて――」

 話している途中で、つばめは言葉を詰まらせ、苦しそうに呼吸を乱した。

「つ、つばめさん? だ……大丈夫……です……か?」

 伊武は心配そうな声を出しながらも、てきぱきと熱や脈拍を計った。

「少し……熱っぽい……です……ね」

「そう? 最近、寒いから。風邪でもひいちゃったかな。今日はもう、寝るわね」

「そうして……くだ……さい……あの、椿君に……伝えて……おき……ます」

 伊武がそう言って立ち去ろうとすると、つばめに腕を掴まれた。

「希衣ちゃん。みんなには、内緒にしておいてくれる? 今……何か、大変なんでしょう? 余計な心配はかけたくないから」

「で……でも……」

「大丈夫……本当にひどくなったら、ちゃんと言うわ。ね?」

 つばめは笑顔を見せるが、表情は弱々しい。

「わかり……まし……た……その、ひどくなったら……ちゃんと……」

「うん。ちゃんと言う。約束するわ。希衣ちゃんも、風邪には気をつけてね」

「はい……私……風邪……ひかないん……で……」

「ふふっ。希衣ちゃん、丈夫でうらやましいわ」

 伊武は本当に丈夫だった。真冬に、全身濡れたまま外で寝ても風邪をひかないぐらいに。

 例え話などではなく、ただの実体験だ。

 伊武がその話をすると、つばめは笑った。

 こんな話でも、つばめが喜んでくれたならよかったなと、伊武は自然と笑顔を浮かべる。

「それじゃあ……ゆっくり……休んで……くださ……い……」

 そう言って、伊武は部屋を出た。

 この日、伊武は焦げた手袋をはめて眠った。

 どうして、そんなことをしたのかは、自分でもよくわからなかった。



 そして同じ時、アイシャの携帯にメールの着信があった。

 ようやくきたかと、アイシャは着信したばかりのメールを開く。


 差出人:天木 来栖

 件名:調査の途中報告

 本文:天使教会のアリエラ、マルジェラ両名の調査について、途中報告です。

    最新の天使教会の名簿を調べましたが、修道女にアリエラという女性はいません。

また、天使騎士にマルジェラという女性もいませんでした。

他の所属に入っているかもしれませんので、調査の幅を広げてみます。

また、天使教会のセキュリティは厳しいので、何らかの理由で名簿に記載されていないことも考えられます。

その場合、調査は難しくなりますので、ご了承ください。


 アイシャはメールを読み終わると、すぐに返信をせず、携帯を机に置いた。

 アリエラもマルジェラも、修道女や天使騎士の名簿には載っていないという。

 どういうことだろう――所属を誤魔化している? 天使教会の所属を自称しているだけ?

 最初から、わけありの人間だとは思っていたが、やはり何かあるのだろうか。

 しかし、まだ途中報告だ。結論を出すのは早い。

 天木が言うように、別の所属として名簿に載っていれば、それでいい。

 マルジェラに関しては、失踪事件の捜査のために所属を外れたということも考えられる。何かあった場合、天使騎士団に繋がらないように、あらかじめ切っておくことはありえる。

 なら、アリエラは? ただ、天使教会に憧れる家出娘か? それとも、名簿にも載らないような見習いということもありえるだろう。

 彼女達の名前が無いのは、そんな他愛ない理由か、それとも想像もつかないような理由か――結論を出すには情報が少なすぎた。

 アイシャは天木に、「ありがとう。引き続き調査をお願い」と返信した。

 アイシャは、このことを直巳に伝えようとは思っていない。

 調査中であり、直巳が疑心を抱えてアリエラ達と接するリスクの方が大きいからだ。

 直巳が情報を得るには、今ぐらいの距離感が、自然で良いだろう。

 良いスパイの条件は、自分にスパイの自覚が無いことだ。

 いずれ結論が出て、問題が見つかれば、直巳は勝手にアリエラ達から離れることになるだろう。もし彼女達が無害ならば、そのまま付き合わせておけばいい。

「いつまで、仲良しでいられるかしらね」

 アイシャの独り言が、室内の静寂に溶けていく。

 嫌な言葉――誰に言いたかった言葉なのだろう。

 直巳なのか、アリエラ達なのか――それとも――

「本当、嫌な言葉ね」

 アイシャは自嘲するように笑った。

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