表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
伊予天正の陣戦記  作者: 赤城康彦
3/25

戦記 三

 義光ら二百の軍勢は山を北にのぼってゆく。

 四国は山深い。道といっても獣道同然で、生い茂った草木をなたで薙ぎ払いながらの進軍であった。

 が、皆慣れたもので、険しい山道を悠々とのぼってゆき。伊予と土佐との国境の峠、大田尾越おおたおごえにさしかかろうとする、というとき。

 一同に緊張が走り、義光の目が光る。

 大田尾越に人影がある。騎乗にて、ひとりではなく、十名ほど。

 上方の軍勢がもう伊予を攻め落とし土佐に迫ってきているのか、と。が、しばらくして、義光は頬を緩ませ軽く笑った。

「いやあ、出迎えご苦労でござる」

 と、単騎駒を進めれば、大田尾越にある者たちも微笑んで下馬し会釈する。

 甲冑は身にまとってはいるが腰は低くうやうやしい。中のひとりの初老の男が馬を従者に預け前に進み出て、跪く。

 柔らかな物腰から、甲冑でなく平服であれば学者と思わせる振る舞いであった。

金子元宅かねこもといえでござる」

「やあ、あんたが金子元宅殿か。出迎えご苦労。和田義光である。おれたちが来たからには、上方なぞひとひねりだぞ」

 初老の男性、元宅が跪きうやうやしいのを、義光は馬上から見下ろし得意になる。

 この金子元宅こそ、羽柴秀吉の四国攻めに際して援軍を元親に要請した伊予の豪族であった。

 四国のほとんどは土佐の長宗我部元親が切り従えている。それにともない、四国の中では土佐が一番偉い、ということになり。阿波、讃岐、伊予の三ヶ国は土佐に頭を下げるものだと、義光ならずほとんどの土佐人が抱いていた思惑であった。

 元宅は若い義光に馬上から見下ろされても微動だにせず、

「たよりにしておりもうす」

 と丁寧に言い。義光は満足そうにうなずいた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ