戦記 一
見上げれば、山、山、山。
四方を山に囲まれた深い谷に隠れるように集落がある。かといって、ひっそりとするどころか、蜂の巣をつついたようなにぎやかさであった。
「元親公の命により伊予へ参る。支度せよ!」
集落の人々がてんやわんやの大騒ぎの中、馬上にて声をからす武士らの姿があった。
武士、といえども、山に根付いた生活のためか精悍ではあるがきこりのような粗野さがあり。着るものも粗末で、腰に太刀を差していることでどうにか武士らしく見えるというところだった。
その先頭の若い武士は叫んだ。
「奮えよ者ども。こたびの戦で勝てば元親公から褒美がたんまりもらえるぞ!」
この若い武士、名は和田義光といい。この谷の集落、土佐国土佐郡和田郷(現高知県土佐町)を治める豪族でもあった。
この若い領主の掛け声に、男臭さあふれる集落の男衆は、
「おお!」
と太い腕を挙げてこたえた。
この和田家、父の義清の代に長宗我部元親に仕え。義光は四国統一の戦いに従軍し手柄も立てた豪の者であった。
長宗我部元親は土佐を統一し、次いで四国全土に野望の火を広げた。
十河存保なる者は頑固に抵抗したが、ついには本貫の地である讃岐を追われて。元親の四国統一はほぼなされんとした。
そこに待ったをかけたのが、羽柴秀吉であった。
が、義光は羽柴秀吉が何者であるか知らない。
聞けば阿波、讃岐、伊予の三方から合わせて十万の軍勢で四国に攻め入るという話だが。十万なぞ大きすぎて実感がわかぬ。それよりも、四国各地を転戦し腕に覚えのある土佐武士として、
「上方(本州)もんなぞなんぼのもんじゃい」
と、闘志をみなぎらせていた。
夏の太陽は中天に昇り山谷の和田郷の集落を照らし。陽光に照らされて義光らも全身を火照らせていた。
「しかし暑いのう」
容赦なく谷を照らす太陽をうらめしくにらむと、谷間の集落の間を縫うように流れる吉野川の川原へとゆき。下馬するや着物を脱ぎすて太刀まで川原に放り投げ、丸裸になって川へと飛び込んだ。
ざぶんと弾ける威勢のいい水音がした。
「や、殿!」
あとにつづいた郎党らは水遊びにふける義光を見て、互いに目配せするとにやりと笑い、一斉に丸裸になって川へと飛び込んだ。
「あら、あら、若殿さまったら」
通りすがりの女たちが、義光らを見てくすりと笑う。
これを見逃す義光ではなかった。
「おい、お前たちもどうだ」
満面の笑みで女たちを誘う。あきらかに下心のある、満面の笑みであった。が、女たちは義光らが楽しそうにしているのを見て、それに心を動かされて、
「はあい」
と、駆けながら着物を脱ぎすて素肌もあらわに吉野川へ飛び込み。
嬌声をあげて義光らとたわむれあった。