~精霊の街の秋の出来事~
西の空が濃い茜色に変わり、東の空が宵闇色に染まり始め、初秋の涼しさを含んだ風が小麦の穂を揺らしている。
男はその風に頬を切らせながら、馬型の使い魔「ヒルシェ」を走らせていた。その顔には風景に似つかわしくない焦りがにじんでいる。
「......急げ!!急げ!!」
ヒルシェにそう急かす男の耳には、小麦の穂の間を縫うように男の後ろを追う足音が聞こえている。
「うわぁ!?」
振り向くとそこには、後ろ足を使って駆ける大トカゲが、男が手を伸ばせば届くところまで迫っていた。その大トカゲは大きな嘴を携えていて、その強い顎の力はヒルシェの後ろ足程度なら簡単に噛み砕ける程だ。
もうダメだ。
男がそう思った瞬間、前方の少し離れた場所に都市の城門が見えた、と同時に男の乗っていたヒルシェが朽ちた木に変わった。そのはずみで男は畑の脇の池に転げ落ちる。
大トカゲたちはそんな男に目もくれずヒルシェに巻きつけられていた荷物の袋を裂き破り、その中からまだら模様の卵を取り出した。それはこの大トカゲの卵で男が大トカゲの巣から持ち去ったものだった。大トカゲ達は卵を手に入れるともと来た道を戻っていった。
男はそれを見計らって池から上がると荷物に駆け寄り大きなため息をついた。男はあの大トカゲの卵を元手に今日の宿代を手に入れようと思っていたが、その計画が水の泡となってしまったのだ。
今日は野宿か、と男がそう呟いた時、ふと男は気づいた。
あたりはもう夜の闇に包まれていて、その静けさの中に獣の息遣いが聞こえている。
狼だ。
男がそのことに気づいた時にはもう遅く、男を数匹の狼が群れをなして囲んでいた。男は狼の、獣の本能がむき出しになった目に怖気づいてその場に腰を抜かしてしまった。
そんな男に、容赦なく狼は飛びかかる。
男は恐怖からとっさに目をつぶった。
すると、瞼越しにもわかるほどの光が男の周りに指した。
「な、なんだ?」
男が瞼を開けると、狼たちは男とは見当違いの場所に着地しある一点を見つめて伏せている。
狼たちの見つめる方向を見ると、そこには蛍のような光を従えた女が立っていた。
荘厳な衣装を身にまとったその姿は光と相まって不思議な威圧感を携えている。
女が狼たちに向けて手をかざすと、狼たちは農耕地の向こうの山の方へ駆けていった。
男はその光景の中の女の美しさに息を呑んでいた。
「......精霊か?」
その雰囲気に気圧されながらも男が問うと、女は小さく頭だけで頷いた。
「なぜ私を助けた?」
男が再び問うと、その精霊の後ろの暗闇から、熊の毛皮のコートを羽織り無精髭を生やした山賊風の男が現れた。
「契約だよ。こいつらとのな。」
都市近郊の警備隊隊員のクルドと名乗ったその山賊風の男は答え、精霊の頭を撫でまわす。精霊は迷惑そうな顔をしてクルドの後ろに下がった。
「契約?」
「そうだ、俺たち人間の生活を助ける代わりに人間が精霊たちを保護するっつう契約だ。その契約で成り立ってるのがこの国だ」
わかったか、異国人?と付け足しクルドは言った。
「なぜ私が異国人だと気づいたのだ?」
男が問うとクルドは大声で豪快に笑いながら答えた。
「こんなことすら知らない人間はこの国にはいねぇからな」
それはそうとして、とクルドは付け足し
「この辺では野宿は禁止になっててな、おめえは今夜の宿はどうするんだ?」
男が、宿代を持っていないことをクルドに言うとクルドはまた豪快に笑い
「じゃあ、俺の家に来いよ。宿代は......おめえの旅の話でいいぜ」
そう言ってクルドは男に手を差し出し
「さて、さっさと街に入ろうぜ。また狼に襲われたらたまったもんじゃないだろ」
と言った。