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惑わせ狸  作者: 想 詩拓
5/10

05『変化』

 翌日の学生食堂でのことである。すでに大学は夏季休暇に入っているが、部活で顔を出す生徒が一定数いるため、学生食堂も選べるメニューが少なくなるなど制限はあるものの営業していた。

 毎日厳しい稽古けいこが続く剣道部の面々も、大抵は食堂に集まって昼食をとっている。

 真理江は自宅で弁当を作って持参しているが、それでも食堂を利用する他の部員と一緒に食べるので例外ではなかった。隣には紀子、向かいには雛子が座っている。


「昨日はどうでした?」


 弁当に入った焼きおにぎりを箸でつまみあげながら雛子が尋ねた。やはり昨日も真理江は瀬名川に自宅まで送り届けてもらっていたのである。


「昨日も出たわ。さすがに少しは慣れてきたけれど」


 昨夜の狸は背後に出た。前方、側面、背後と出る場所は日々変わっている。驚かすだけで危害は加えないらしきことはうすうすわかってきたが、それゆえに意図が読み取れない。本当に妖怪や幽霊ならともかく、ストーカーの悪戯なら何らかの目的を持っているのではないだろうかと思うのだが、さっぱり尻尾を見せないのだ。


「で? 瀬名川君とは?」と、カツカレーのカツを急いで飲み込んで口を挟んできたのはのは紀子である。


 その一言で焼き魚定食の紅鮭をポトリと皿の上に落してしまったのは、我ながら分かりやすい動揺だったと思う。紀子のほうを見ればしてやったりと言いたげににんまりと笑っていた。


「もうお子ちゃまじゃあるまいし、キスくらいした?」

「し、しないわよ。そんな軽々しくするもんじゃないでしょう、キ、キスだって」


 キスでどもってしまう自分の純情さが恨めしい。


「もー、もったいないわね。いいじゃない、減るもんじゃなし。暗ーい夜道を二人で歩く、そこにこわーい化け狸が出るわけでしょ? そうすると、『きゃっ』とか可愛い悲鳴を上げて無意識で抱きつくくらいはしてるでしょアンタなら」


 俄然熱くなってきた紀子の語り口は臨場感たっぷりである。

 なんで見てきたようにズバズバ言い当てられるのだろうか、この親友は。

 

「それで化け狸が去る。そこでやっと小学生並みに純なアンタは瀬名川君に抱きついていることに気づいて、真っ赤に照れて謝るわけよ。それにつられて瀬名川君もなんとなく照れた感じになる。そうすれば二人の気持ちは通じあったも当然よ。あとはちょっと上目遣いに『私、瀬名川君だったら……』とか思わせぶりなことを言って目を閉じれば、瀬名川君も意を汲み取ってくれるわけよ。どう、この超自然な展開!」

「『私、瀬名川君だったら……』あたりから不自然じゃないかと思いますね。藤島先輩的に」


 ミニトマトを食べた後のヘタを弁当箱のフタに置きながら雛子が割と遠慮のないコメントをする。


「やっぱりそうかしら……。まあ確かにそんな積極的なアクションは真理江には無理かもね」

「そ、そうよ……」


 真理江は、やっと付け合わせのキャベツの千切りに箸をつけて同意した。我ながら不本意であるが、言い返しようがないし、ここで言い返したら話がさらにややこしくなるのは目に見えている。


「でも、向こうから迫られたらどこまでOK?」

「紀子!」


 非難じみた声を上げると、紀子はあの機関銃のようなおしゃべりのいつの間に食べきったのか、カラになったカツカレーの皿を持って「ほほほ~、さあ私をつかまえてごらんなさ~い」と、愉快そうな笑い声をあげながら食器返却口の方に去って行った。


「もう……、食べ終わったからって、わたしを待つくらいしても……」と、紀子の去って行った方向を見ていると、隣に食器を置く音がした。


「や、藤島。ここ空いてる?」


 尋ねておきながら返事を待たずに席に着いた瀬名川をみて、なぜ紀子がここに残らなかったのかを察した。向かいでは雛子が居心地悪そうに弁当を食べる速度を上げている。


「ああ、三沢も気を使ってくれなくていいから」

「あ、はい」


 くぎを刺されては食べ終わっても立ち上がりづらいのだろう。雛子は食べる速度を普通に戻す。

だが、やはりどこか所在無さげであり、瀬名川や真理江に視線を投げないように気を使っているのが見て取れた。

 だが、瀬名川はそれを意に介さず、焼き魚定食を猛然と食べ始めた。

 

「今日も“追い掛け狸”出るかなぁ。そろそろ悪戯を仕掛ける側からすると飽きてくるころだと思うんだけど」


 瀬名川は、一貫して“追い掛け狸”の正体が真理江を狙うストーカーの仕掛けだという持論を保っている。だが、そのトリックが分からないので、瀬名川は持久戦に出ているのだった。

 ストーカーがいつまでも同じことばかりをしてくるわけがない。焦れて動いてきたところ捕まえてやる、というのが、瀬名川の作戦だ。


「“追い掛け狸”が何だってー?」


 やたら間延びした口調の声が前方から掛けられた。そこに立っていたのは一人の長身の男だった。真理江には面識はないが、瀬名川は違うようだ。

 

「青山さん……? 出てきてたんですか」

「まあねー。ちょっと図書館に文献をあさりにねー」


 青山と呼ばれた男は、「あ、ちょっとここ座らせてねー」と、雛子に声を掛けて、瀬名川の向かい側の椅子に腰掛ける。しかしのんびりした口調の男だ。始終にこにこ笑っていて、こう言ってはなんだか間抜けな印象がある。


「ところで“追い掛け狸”ってアレでしょー? この辺の伝承の。出るってホントー?」

「まさか、ストーカーの悪戯ですよ。俺の友達が妙な仕掛けで脅かされてまして」

「なるほどー、それは大変だ―」


 青山が聞けば聞くほど力の抜ける声で同意すると、ちらりと真理江に視線を移す。


「その友達って、この人ー?」

「女子剣道部の藤島さんです」そこで、ようやく紹介できるタイミングだと判断したらしく、瀬名川は真理江と雛子に青山のことを説明した。「藤島、三沢、この人は青山先輩。ウチの民俗学ゼミの院生だよ」

「青山千鶴ですー。よろしくねー」


 ひらひらと手を振る千鶴に、真理江は会釈を返す。隣の雛子はあまり関心がないのか、視線を返すだけにとどめていた。もともと雛子は男子を見る目が厳しめであり、目の前の青山のようなタイプは特に避けたいタイプだろう。


「ところで“追い掛け狸”だけど、僕も見に行っちゃダメかなー?」


 どきりとした。真理江としては、二人っきりを邪魔してほしくないような、それでも人数は多い方が怖くないし、それでも今日知り合ったばかりの上、先輩なので気を使うだろうし、と複雑な心境である。

 しかし瀬名川にとっても先輩だし、どう答えるのかと瀬名川に注目すると、青山自身がその言葉を撤回した。


「……と、言いたいんだけど、今日は赤羽教授から学会の準備の手伝いを頼まれてるんだよねー」

「そ、そうですか」


 どうやら瀬名川も真理江と同様の心境だったらしい。答える瀬名川の表情にはどこかしらほっとしたものが感じられる。


「いやー残念だなぁ。また明日、お願いしようかなー」


 そう言って、青山は立ちあがった。本当にこの先輩は何の用で話しかけてきたのかよくわからない。

 去り際、青山は瀬名川に質問を投げかけた。


「ところで、瀬名川君は今回の事件はさておいて、“追い掛け狸”って実在すると思うー?」

「……? いや、俺はしないと思いますよ。人の妄想がさも本当に見たかのように伝えられてるだけです。民俗学はその妄想の元を突き止めるための学問じゃないですか」


 瀬名川が、質問の意図が読み取れず、眉をしかめながら答えると、青山はやはり妙にしまりのない笑顔を返していった。


「だよねー。僕もそう思うよー」



 青山が馴染みのない人物だったせいか、場が緊張していたらしい。彼が去った後、一気に張り詰めていた空気が緩む。

 そんな中、やっと真理江は口を開いた。


「か、変わった先輩ね」

「俺もあんまり絡む先輩じゃないからビックリしたよ」と、答えながら瀬名川は味噌汁の椀を口元に運んだ。


 * * *


 その夜の帰路、約束通りに真理江は瀬名川と一緒に帰路についていた。雨が近いのだろうか。夜風がやけに生温かく湿気を含んでいる。

 空気の重さは、そのまま二人の雰囲気の重さを代弁していた。何せ、大学の正門から、瀬名川は黙り込んだままほとんどしゃべらないのだ。

 真理江に対して怒っているのではないかとも考えたが、時々視線を送ってくるあたりをみるとどうやらそうでもないらしい。ただ、単に何か心配があって考え事をしている様子だ。


「ねえ、何を悩んでるの?」

「ああ、あの“追い掛け狸”の仕掛けのことだよ。もう少しで何かつかめそうなんだけど」


 そう言っているうちに例の小路にたどり着いた。すでに出るのは分かっているので、深呼吸など、それなりの準備をして、真理江は路地に踏み込んだ。

 相変わらず、静かで、人の気配のしない道だ。右手の林の闇は深く、踏み込めばどこか別の世界に飲み込まれてしまいそうなほど不気味だ。

 真理江たちは黙ったまま道を進んでいく。何かが起こると分かっているため、自然と身体が強張っていく。瀬名川もそれは同じなのだろう、いつも柔和な笑顔を浮かべた顔が若干ひきつっていた。


 ふわり、と不意に涼しい風が真理江の頬を打った。それだけだと気にも留めることもなかったが、妙なにおいがする。どこかで嗅いだ事のあるような、独特の匂いだ。

 

「……?」


 自然と匂いの発生源を確かめようと、風の吹いてきた右の林に視線を写す。

 そこに、狸がいた。

 場違いな発声の仕方をしている霧の中に、ぼんやりと浮かんでいるのは間違いなく“追い掛け狸”だった。


「ど、どういう……?」


 瀬名川が詰まり気味な声で言った。だが、何を思いなおしたのか、左奥――つまり、路地の突き当たったT字路を左に曲がった先に向かって駆け出した。

 “追い掛け狸”が消えるのも確認しないまま、真理江もつられて瀬名川を追う。

 T字路に到達した瀬名川は信じられないものをみたように、驚愕した表情でその先を見つめていた。何があるのだろうと真理江も覗いてみた。が、“その先には何もないし、誰もいなかった”。

 真理江は気になって、振り返り、狸のいたところを確認する。だが、林は何事もなかったかのように、静けさを取り戻していた。

 

「瀬名川君……?」

「ああ、ごめん。ここに悪戯を仕掛けた犯人がいると思ったんだ」

「ど、どうして」

「いや、いなかったんだから多分僕の考えは外れていたんだ。また考えるよ」


 そう言って、瀬名川は苦々しい笑みを返した。

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