01『化け狸』
歩めど休めど身体が火照るばかりの熱帯夜だった。人気のない道を藤島真理江はすっかり重くなってしまった足を引きずるように下宿への道を進んでいく。
夏といえば大学生にとっては花の夏休みであるが、運動部としては学業面に気を使うことなく一日中部員をしごくことのできる貴重な期間なのだった。
剣道部に所属している真理江もそんな悲しきしごきの被害者の一人である。インターカレッジに向けた試合も間近に迫り、今日は特に練習は厳しさを増していた。
(帰ったら、ご飯作ってお風呂入って……洗濯もしなきゃ)
一人暮らしゆえに家に帰ってからもやらなければならないことは思い出すまでもなく次々と浮かび、真理江の身体にまとわりつく倦怠感はさらに強くなる。
(一旦、ひと眠りしてから……いや、起きたら絶対朝になってるわ)
帰ってからこの眠気とどう戦うか思案するうちに、フッとあたりが暗くなった。真理江にとって別段戸惑うことではない。どういう事情からかわからないが、真理江の帰路に当たる道には、なぜか街灯のない区間があるのである。
とはいえ、まるっきりの山道ではないので完全な暗闇ではない。月明り星明りで電灯などはなくても道から外れる心配はなかった。
それでも真理江はここを通るときは心細くて仕方がない。昔から妖怪変化の類が苦手だった。想像力が豊かなのか、角をまがった先、扉を開いた先に、何かいると考え出したらトイレにも行けないほどなのだ。
そんな真理江にとって、この道を取り巻く暗闇はそんな想像力の元ととしては十分すぎるくらいに見通しが悪かった。
(大丈夫。ただの道よ、ただの道。なにもいやしないわ)
いつものように自分に言い聞かせて進む真理江の肩越しを生ぬるい風が抜けていく。いつもは考え事をしているうちに通り抜けているのだが、今日は気になってしまっていた。
誰かに見られている気がする。追われている気がする。
こうなるともう駄目だった。できるだけ早く立ち去ろうと足を早めるが気ばかり焦って全く進んでいる気はしなかった。
ちゃりーん
小銭が落ちたような音が背後からした。真理江はとたんに身体をビクリと跳ねるように身体を大きく震わせた。
(何……?)
恐る恐る、音のした方向を振り向いてみる。
(……何もない……。気のせい……?)
気を落ち着かせるためにため息じみた深呼吸をして、真理江は再び歩き出そうと前を向き――“それ”と目が合った。
今度こそ心臓が跳ね上がった。
狸、である。
しかし動物ではない。三度笠を被り小判らしきものの入った袋を脇に抱えて真理江を見上げている。何か恨み事でも言いたげに。
声が出ない、動けない。
だが、逃げようと思い付く前にそれは現れたときと同じように突如として消えた。
(何……? 何なの、今の)
跳ね上がった心臓は今も痛いくらい強く脈打っている。震える足を無理やり進めて、真理江は、持っていた懐中電灯で先ほど狸がいた場所を照らしてみた。
だが、そこには壁があるだけで、狸の姿などどこにもなかった。