未来を壊した英雄 〜Sランクの俺が世界を滅ぼすまで〜
俺の名前は――リオ。
この国で最年少のSランク冒険者だ。
ギルドに入れば、誰もが俺に道を開ける。
受付嬢は目を輝かせ、冒険者たちは羨望と嫉妬を混ぜた視線を向けてくる。
依頼は俺が受ける前に、わざわざ“リオ様専用”として回されるほどだ。
「リオさん、今日も魔物の討伐、お疲れさまです!」
「さすがSランク……あのオーガを一撃なんて……!」
そんな声を聞くたびに、胸の奥がくすぐったくなる。
俺は強い。
誰よりも強い。
この平和な世界で、俺に敵う者はいない。
……そう、本気で思っていた。
ある日、街角でボロ布をまとった老人が手を伸ばしてきた。
「……少し、恵んでくれんか……」
汚れた手。
濁った目。
弱者の象徴みたいな存在。
俺は思わず鼻で笑った。
「働けよ。俺みたいに努力すれば、こんな惨めな生活しなくて済むだろ」
老人は何も言わず、ただ俺を見つめていた。
その目が妙に気に障った。
「なんだよ、その目。文句あるのか?」
老人は静かに口を開いた。
「……お前は、何も知らんのだな」
「は?俺はSランクだぞ。
魔王が倒されて50年、平和を守ってるのは俺たち冒険者だ」
老人の目が細くなる。
まるで深い井戸の底を覗き込むような、暗い光。
「……50年前の戦いを知らぬ者が、英雄を名乗るか」
「俺が50年前にいれば、魔王なんて余裕で倒してたさ」
その瞬間、老人の表情が変わった。
怒りでも悲しみでもない。
もっと深くて、もっと冷たい何か。
「……そうか。ならば、見せてやろう」
「は?」
老人が手を伸ばした。
その指先から、黒い光が溢れ出す。
「お前の言葉が、どれほど愚かだったかをな」
「ちょ、待――」
世界が歪んだ。
視界が黒に染まり、足元が消え、俺は底のない闇へと落ちていった。
最後に聞こえたのは、老人の低い呟き。
「未来を壊すのは、いつも傲慢な者だ」
世界が闇に沈んだあと、静寂だけが残った。
街角には、ボロ布をまとった老人――老魔導士ザハードがひとり立っていた。
先ほどまでの弱々しい姿は消え失せ、背筋は伸び、瞳には深い深い闇が宿っている。
「……あれほどの傲慢を、久しく見ていなかった」
ザハードは呟いた。
その声は、五十年前の戦場で仲間を失い続けた男の声だった。
彼はかつて、魔王討伐軍の一員だった。
人間が滅びかけたあの地獄を、誰よりも知っている男。
だが、平和が訪れたあと、彼はすべてを失った。
仲間も、家族も、戦う理由も。
残ったのは、戦争の記憶と、深い深い虚無だけ。
そんな彼の前で、若い冒険者が言い放った。
「俺が50年前にいれば、魔王なんて余裕で倒してたさ」
その言葉は、ザハードの胸に刺さった。
怒りではない。
悲しみでもない。
――絶望だ。
「……平和とは、かくも人を愚かにするものか」
禁術《時渡り》――
本来は未来を守るために作られた魔法。
だが今、ザハードはそれを“罰”として使う。
ザハードは杖を握りしめ、震える声で呟く。
「どうか……あの戦場が、お前の傲慢を砕いてくれることを……」
だがその祈りは、誰にも届かない。
そして彼自身も知らなかった。
――この選択が、五十年後の未来を破壊する引き金になることを。
―息が、できない。
目を開けた瞬間、俺は地面に叩きつけられていた。
土の匂いじゃない。
焦げた肉の匂いだ。
「……どこだ、ここ……?」
立ち上がると、視界の先に広がっていたのは――
俺が知っている“平和な世界”とはまるで違う光景だった。
空は黒煙で覆われ、太陽は赤く濁っている。
地面には無数の死体。
人間も、魔物も、区別がつかないほど焼け焦げていた。
「な、なんだよ……これ……」
足が震える。
Sランクの俺が、震えている。
そのとき――
ドォンッ!!
遠くで爆発が起き、衝撃波が俺の身体を吹き飛ばした。
「ぐっ……!」
地面を転がりながら、俺はようやく理解した。
――ここが、五十年前の戦場。
老人が言っていた“本物の戦争”の世界。
「おい!そこの若造!!」
怒鳴り声が飛んできた。
振り向くと、鎧を血で染めた兵士が俺に駆け寄ってくる。
「何してる!前線は崩壊寸前だ!
戦えるなら武器を取れ!」
「ぜ、前線……?」
「魔王軍が来るんだ!!
俺たちに逃げ場なんかないぞ!!」
魔王軍。
その言葉を聞いた瞬間、背筋が凍った。
俺はSランクだ。
魔物なんて余裕で倒せる。
そう思っていた。
だが――
地響きがした。
大地が震え、空気が震え、俺の心臓が震えた。
前線の向こうから、黒い影が無数に迫ってくる。
「な、なんだよ……あれ……」
兵士が叫ぶ。
「魔王軍の先鋒だ!! 構えろ!!」
影が近づくにつれ、その正体が見えてきた。
――巨大な魔物。
――黒い鎧をまとった魔族。
――空を飛ぶ悪魔。
――炎を吐く獣。
どれも、俺が知っている魔物とは“別物”だった。
「嘘だろ……こんなの……勝てるわけ……」
その瞬間、魔族の一体が地面に着地した。
地面が砕け、土煙が舞う。
身の丈三メートル。
全身が黒い甲殻で覆われ、目は血のように赤い。
そいつが、俺を見た。
「……弱い」
その一言で、俺の膝が崩れた。
次の瞬間、魔族が腕を振るった。
ズバッ!!
俺の横にいた兵士の身体が、上半身と下半身に分かれた。
血が噴き出し、俺の顔にかかる。
「ひっ……!」
俺は後ずさった。
Sランクの俺が、逃げていた。
魔族はゆっくりと近づいてくる。
「平和の時代の人間か……弱すぎる」
「ま、待て……俺は……Sランクだぞ……!」
魔族は鼻で笑った。
「その程度で誇れるとは……五十年後は随分とぬるい世界らしい」
その言葉に、俺の心臓が止まりそうになった。
――俺の記憶を読んでいる?
「な、なんで……俺のことを……」
魔族は爪を伸ばし、俺の首元に当てた。
「お前のような弱者が英雄を名乗る世界……興味深い」
その瞬間、俺は理解した。
この世界では、俺は“最弱”だ。
逃げようとした。
だが、足が動かない。
身体が震えて、呼吸が乱れて、視界が揺れる。
魔族が腕を振り上げた。
「終わりだ、人間」
俺は叫んだ。
「た、助けて……誰か……!」
その声は、戦場の轟音にかき消された。
そして――
俺の意識は闇に沈んだ。
意識が戻ったとき、俺は冷たい石の床に転がされていた。
身体が動かない。
腕も、足も、指先すら。
「……っ……!」
声も出ない。
喉に何かが詰まったように、息だけが荒く漏れる。
暗い部屋。
湿った空気。
鉄の匂い。
そして――
「目を覚ましたか、人間」
低い声が響いた。
視線だけを動かすと、そこには黒いローブをまとった魔族が立っていた。
先ほど戦場で見た“兵士”とは違う。
知性の光を宿した、研究者のような魔族。
「お前は興味深い存在だ。五十年後の世界から来た……そうだな?」
俺の心臓が跳ねた。
――なぜ知っている?
魔族は笑った。
「お前の記憶を覗いたからだ」
その言葉に、背筋が凍った。
「人間の脳は脆い。少し魔力を流し込めば、簡単に開く」
魔族は俺の額に手をかざした。
ズンッ……!
脳の奥に、何かが無理やり入り込んでくる感覚。
痛みではない。
もっと嫌な、もっと深い侵入。
「やめ……やめろ……!」
声にならない声が漏れる。
魔族は淡々と呟く。
「ふむ……五十年後の世界はこうも平和か。魔王様は倒され、人間は繁栄し、そして弱体化……」
俺の記憶が、勝手に引きずり出されていく。
ギルド。
街。
人々の笑顔。
俺が“英雄”として扱われていた日々。
魔族は鼻で笑った。
「なるほど。五十年後の世界は……随分とぬるいな」
胸が締め付けられる。
「お前のような弱者が英雄を名乗れるほどに、な」
その言葉は、戦場で聞いたものと同じだった。
だが今は、逃げ場がない。
魔族はさらに続ける。
「興味深いのは……お前がどうやって五十年後から来たか、だ」
俺の心臓が止まりそうになる。
魔族は俺の記憶を覗きながら、ゆっくりと結論に辿り着いた。
「……ふむ。人間の魔導士が禁術を使ったのか」
ザハードの顔が脳裏に浮かぶ。
魔族は笑った。
「ならば――我らも使えるはずだ」
その瞬間、俺の呼吸が止まった。
「五十年後の世界に行けるのなら……征服は容易だ」
魔族の目が赤く光る。
「魔王軍が全盛期のまま、五十年後の弱体化した世界へ侵攻する。抵抗などあるまい」
俺は必死に首を振ろうとした。
だが身体は動かない。
魔族は俺の顔を覗き込み、冷たく言った。
「安心しろ。お前には“役目”がある」
その手が俺の首元に触れた。
「未来へ行く際、お前にも同行してもらう。もちろん……身体は不要だがな」
そして――
俺の意識は、再び闇に沈んだ。
――意識が戻った。
だが、身体の感覚がない。
腕も、足も、胸も、腹も……
何も、ない。
あるのは、冷たい空気が頬を撫でる感覚だけ。
「……っ……!」
声を出そうとしたが、喉が動かない。
いや、喉そのものが存在しない。
視界の端に、黒い影が揺れた。
「目覚めたか、人間」
魔族の研究者――あの冷たい目の男が、俺を見下ろしていた。
「安心しろ。お前は死んでいない」
その言葉が、最悪の意味を持つことを、俺はすぐに理解した。
魔族が手を伸ばし、俺の“視界”を持ち上げる。
その瞬間、俺は見た。
自分の身体が、ない。
床に転がっているのは――
血に濡れた、俺の“首”だけだった。
「ひっ……ひ……!」
声にならない悲鳴が、心の中で響く。
魔族は淡々と説明した。
「お前の身体は不要だ。未来へ行くのに、脳と意識だけあれば十分だからな」
俺の首の断面には、黒い魔法陣が刻まれていた。
そこから魔力が流れ込み、俺の意識を無理やり繋ぎ止めている。
「死なせて……くれ……」
心の中で叫ぶ。
だが魔族には届かない。
「さて、人間。お前の記憶のおかげで、未来への道が開けた」
魔族は部屋の中央に立ち、巨大な魔法陣を展開した。
黒い光が渦を巻き、空間が歪む。
「五十年後の世界……征服する価値があるか、確かめに行こう」
魔族たちが次々と魔法陣に入っていく。
俺の首も、魔力で宙に浮かされ、その中心へと運ばれる。
逃げられない。
目を閉じることすらできない。
「やめろ……やめてくれ……!」
心の叫びは虚空に消える。
魔族の将が俺を見下ろし、薄く笑った。
「安心しろ、人間。お前は“証人”として連れていく。未来が滅ぶ瞬間を、その目で見届けるのだ」
黒い光が爆ぜた。
世界が歪み、空間が裂け、俺の視界は白に染まった。
そして――
俺たちは、五十年後へ飛んだ。
光が収まったとき、俺の視界はゆっくりと焦点を取り戻した。
最初に見えたのは――灰色の空だった。
雲ではない。
煙だ。
街全体を覆い尽くすほどの、濃く、重い煙。
魔族の将が俺の首を掴んだまま、ゆっくりと歩き出す。
「ここが……五十年後の世界か」
その声は、満足げだった。
俺の視界が揺れ、地面が見える。
瓦礫。
崩れた建物。
焼け焦げた木材。
黒く固まった血の跡。
ここは……俺が知っている街だ。
冒険者ギルドがあった場所。
子どもたちが走り回っていた広場。
商人が店を並べていた通り。
そのすべてが、跡形もなく壊れていた。
「……嘘だ……」
声は出ない。
喉がないから。
でも心の中で叫んだ。
魔族の将は、俺の首を高く掲げた。
「抵抗の痕跡は……ほとんどないな」
研究者の魔族が瓦礫を踏みながら言う。
「当然だ。五十年後の人間は弱い。
魔王様が倒された後、戦う理由を失った。
鍛錬も、技術も、魔法も衰えた」
魔族の将は笑った。
「お前の記憶通りだ、人間。ぬるい世界だった」
俺の胸が締め付けられる。
俺が……
俺が連れてきたんだ。
魔族はさらに歩く。
俺の視界が左右に揺れ、破壊された街の全貌が見えてくる。
家はすべて崩れ、黒焦げになり、骨のように折れ曲がっている。
地面には巨大な爪痕が刻まれ、魔族の旗が突き立てられている。
人の姿はない。
生きている者も、死体すらも。
「……誰も……いない……」
心の中で呟く。
魔族の研究者が淡々と言う。
「人間は逃げたのだろう。だが、どこへ逃げようと同じことだ。魔王軍の前では無意味だ」
魔族の将は俺の首を地面に向けた。
「見ろ、人間。これが五十年後の世界だ」
俺の視界に、崩れた冒険者ギルドが映る。
俺が毎日のように出入りしていた場所。
受付嬢が笑顔で迎えてくれた場所。
子どもたちが俺を見て憧れの目を向けていた場所。
その建物は、半分が崩れ、残りは黒く焼け落ちていた。
風が吹き、灰が舞う。
その灰の中に――
焦げたギルドカードが落ちていた。
名前は読めない。
でも、形は見覚えがある。
俺と同じように、ここで冒険者として生きていた誰かのカード。
「……やめろ……やめてくれ……」
心の叫びは、誰にも届かない。
魔族の将が俺の首を地面に置いた。
「人間。お前の記憶は役に立った。未来を征服する道を開いてくれたこと、感謝する」
その声は、皮肉でも嘲笑でもない。
ただの事実を述べる声。
だからこそ、余計に残酷だった。
俺の視界に、崩れた街が広がる。
平和だった世界。
俺が守るはずだった世界。
俺が“英雄”として生きていた世界。
そのすべてが、俺のせいで滅んだ。
魔族たちは背を向け、街の奥へと歩いていく。
俺は、首だけのまま、置き去りにされた。
動けない。
死ねない。
目を閉じることすらできない。
ただ、滅びた未来を見続けるしかない。
灰が降る。
静かに、ゆっくりと。
その灰の中で、俺は涙を流した。
頬を伝う涙は、地面に落ちて消える。
俺は呟いた。
「……こんなはずじゃなかった……」
その言葉を最後に、俺の意識は深い闇へ沈んでいった。




