第5話:宇宙の中心は、段ボールでできている
「……いいですか、絶対にここを越えないでください。これは国境線です」
コスモ荘の二階、スバルとの相部屋。
三男のホクトは、部屋の隅に築き上げた「聖域」の中から冷ややかな声を上げた。
彼のスペースは、スーパーでもらってきた頑丈な段ボール箱によって完璧に区画整理されている。その高さ、絶妙な120センチ。座れば隠れ、立てば見渡せる、計算し尽くされた防壁だ。
「えー、でもホクト。今日はお天気もいいし、部屋の模様替えしようぜ? そのボロボロの箱、もう捨ててもよくない?」
長男のスバルが、無邪気な笑顔で段ボールに手をかけた。その瞬間、ホクトの灰色の瞳がかつてないほど鋭く見開かれた。
「『ボロボロの箱』……? 訂正してください。これは『北極星特別行政区』の防御壁であり、僕のアイデンティティを保つための必須構造物です」
ホクトは北極星だ。
夜空の中心で動かずに輝く星。つまり、彼にとって「定位置」や「自分だけの座標」は何よりも重要なのだ。騒がしいスバルと同じ空間で正気を保つには、この物理的な仕切り(段ボール)が必要不可欠だった。
「でもさぁ、これ『みかん』って書いてあるぞ?」
「機能美です。みかん箱の耐久係数は通常の段ボールの1.5倍。コストパフォーマンス最強の建材なんですよ」
ホクトは必死にキーボードを叩くふりをしながら、スバルの魔の手(掃除機)から城壁を死守しようとする。
そこへ、一階から「ゴミ出しの時間よー!」とルナの声が響いた。
「あ、ルナさんが呼んでる! よーし、この箱もついでに出してやるからな! 感謝しろよ弟!」
「やめろ、やめてください! それは可燃ゴミではありません! 僕の魂です!」
スバルが段ボールを持ち上げようとしたその時、部屋の空気がピリリと凍りついた。
ホクトがスバルの腕を掴み、涙目で睨みつけている。普段のクールな彼からは想像もつかない、なりふり構わない姿だった。
「……お願いです。ここがないと、僕は……僕は、どこにいたらいいか分からなくなるんです」
小さな声だった。
歳差運動でいつか北極星の座を失うかもしれない恐怖。兄弟と一緒にいたいけれど、一人になりたい矛盾。そんな5000万歳児の複雑な心が、その段ボールには詰まっていた。
スバルはポカンとし、やがて気まずそうに手を離した。
「……わ、わかったよ。悪かったな。そんなに大事なもんだったとは」
そこへ、騒ぎを聞きつけたヒカリが顔を出した。
「あらあら。まるで狭いところを好む猫ちゃんですね。ホクト、安心してください」
ヒカリは油性ペンを取り出すと、段ボールの『みかん』の文字の上に、サラサラと何かを書き加えた。
『ホクトの城(立入禁止)』
「これでどうですか? ちゃんと領有権を主張しておけば、兄さんも手出しできませんよ」
「……落書きは資産価値を下げるのでやめてほしかったんですが」
ホクトは溜息をつきつつも、書き足された文字を見て、少しだけ口元を緩めた。
再び段ボールの囲いの中に座り込む。そこはやっぱり、宇宙で一番落ち着く、彼だけの座標ゼロ地点だった。
「……経費で、もっと頑丈なガムテープを買っておきます」
(第5話 完)




