7
石畳は、正門から離れるにつれて荒れていった。王都の裏手はカタリナにとって庭の様なものだ。高い塀。排水溝の臭い。人の気配がない道。暗い夜空。
「ここ」
カタリナが立ち止まった。
正門から見える白い建物とは違い、裏口は倉庫としか思えない扉だった。装飾も紋章もない。管理上、存在しない入口。
「鍵は?」
「ない。かかっていないから」
カタリナは躊躇なく扉を押した。きしむ音。中は暗い。湿った空気。
「どこに行くかわかってるのか?」
「こっち。ちょっと遠回りだけど人とは合わないと思う」
部屋。通路。部屋。部屋。通路。入り組んだ建物を抜け、一つの部屋の前にたどり着いた。今までとは違う厳重そうな扉。その扉の中には一人の聖書を読み上げている女性がいた。
白い衣。髪はきちんと結われ、黄金に輝く。歳は若いのに、背筋がまっすぐで、視線が揺れていない。ただ、その指先だけが、聖書の頁を必要以上に強く押さえつけていた。
「また裏から入ってきたのですね。カタリナ。貴方なら正門から入っても問題ないでしょうに」
そういうと彼女は振り返った。青い目。整った顔立ち。
「お会いできて光栄です。宰相閣下。私はマリア・マグダレナ。お待ちしていました。」
「なーんだ、つまんないの。聖女の驚く顔が見れると思ったのに。そう、彼女が国民を導いてくれる聖女さん」
カタリナは口を膨らませて不満の意思を示していた。マリアはその様子を見て、口に手を当て笑っていた。
「貴方にはいつも驚かされていますよ」
マリアは聖書を閉じ、机の上に静かに置いた。祈りはもう、用済みであるかのように。
「まず確認させてください。宰相閣下」
その声は柔らかいが、どこか敵意を感じる声だった。相手がどのような存在か探る声。返答次第では彼女は私を敵だとみなす。
「貴方からは、一切の魔力が見えません」
カタリナが一瞬だけ私の方を見る。驚きではない、私に対する警戒だ。そして腰にかけたナイフへ手を伸ばす。
「見えない、というのは?」
「存在しない、という意味です」
マリアは迷いなく言った。私の目から彼女は視線を逸らさない。
「私は他人の魔力を見る事ができます。人は皆、微量であっても魔力を帯びています。それが人である証です。信仰の深浅、職能、血筋によって濃淡はありますが、完全な空白は理論上あり得ません」
私は黙っていた。肯定する理由も、否定する理由もない。私に魔力が無いのはこの世界の人間では無いからか。はたまた、神に触れたからか。
「それは列聖であっても?」
カタリナは気になったのかマリアに質問をした。
「えぇ、そうです。彼らがどれだけ神に近づこうとしても本質は人間です。そのため魔力を持っている。それなのに貴方は無い」
聞きなれない言葉だった。列聖。三部会の資料には記載されていなかった。この言葉自体は知ってる体で聞き流してもいい。しかし、会議においてはそれは自分の首を絞める事になる。会議において信頼される人物は、素直に分からないと告げれる人物だ。
「質問。列聖とは?」
「嘘ー!知らないの!」
「この世界の人であれば誰もが知っていてもおかしくないのですが」
それは正解。私はこの世界の人ではありません。でもそれは告げない。マリアをびっくりさせる事に成功した。しかし、いい選択ではなさそうだ。
「そうですね、列聖とは教会によって認められた人の域を超えた人物達のことです。彼らは魔法とは異なる、まさに神のような不思議な力を使う事ができます。そして彼らは教会に保存されている聖遺物を自由に行使する事ができます。それが列聖と呼ばれている人達です」
マリアは一度咳払いをした。
「話を戻しましょう。貴方は何者なのですか」
「分からない、という答えでは不十分なのか?」
マリアは僅かに眉を動かした。
「それは…答えないという事ですか?」
「いいえ。現時点での最も正確な回答」
私は言葉を選んだ。
「私は、この国の制度の中では宰相。王冠によって任命され、三部会によって責任を負わせられている。それ以上の定義はまだ存在しない」
マリアはしばらく黙って私を見つめた。本心を暴こうとしているのだろう。カタリナは私の発言に対し、私らしいと思ったのかナイフから手を離した。
「…なるほど」
そう言って、マリアは息を吐いた。
「貴方はやはり危険です」
「でも魔力が無いんじゃ何もできないし…」
カタリナが軽く口を挟む。
「違います。貴方の身の危険という意味です」
「国民は理解できるもののみ信じます。理解できないものに対しては、最初は好奇心を向けられるかもしれませんが、次に恐れられ、最後には攻撃されます」
マリアの声には感情がなかった。だが、それは冷酷さではない。繰り返し観測した結果を、そのまま述べているだけの声音だった。
「彼らは善良です。多くは祈り、働き、皆を愛している。ですが、恐怖に晒された時、その善良さは簡単に裏返ります。そして彼らは自分達が何に縋って生きているのかも知りません。知らずして攻撃する。だから私は国民を信じてはいません。理解はしているつもりです」
その言葉が彼女の信仰の本質だった。
マリアは立ち上がり、部屋の奥にある扉へと向かった。
「ついてきてください。貴方には一度見せておくべきかもしれません」
その扉には装飾はなかった。祈りの言葉も聖印もない。ただ、異様なほど分厚く、重い、古い扉。
「ベル・パラディンをご覧いただきます」
扉の向こうは地下だった。階段は長く、古く、王城の回廊よりもさらに時代を遡る造りをしている。足音が反響し、空気が冷えていく。亡き亡霊たちが木霊する。
「ベル・パラディンは聖遺物です。使うものを問わず、頂上の力をもたらします。その代わり、大量の魔素を必要として、使用者の心をすり減らします」
マリアは歩きながら言った。
「国民は、列聖や聖遺物を希望と呼びます。厄災が来れば、それらが全てを解決してくれると信じています。責任も、判断も、犠牲も、全てを引き受けてくれると」
最後の扉が開かれた。
「これがベル・パラディンです」
そこにあったのは巨大な鐘だった。石と金属。魔法陣と歯車。荒廃の一場面を思わせるような紋様。舌は巨大な苦悶している女性の像の形をしていた。信仰と技術が無理やり一つにまとめ、縫い合わされ、女性像を縛り付ける呪縛と化していた。
「宰相閣下。あなたはこれを見てどう思いますか」
「悲しい」
悲しい。悲しい。私はただそれしか思わなかった。
「魔力を持たない貴方にはこれが希望には思えないでしょう。私が貴方に教えてあげれるのはここまでです。もし、貴方が良き人だというのなら、この国を、国民達を救ってあげてください」
マリアの視線がまっすぐ私に注がれる。彼女の期待に応える事ができるのだろうか?ただの管理職だった私が国を救う事ができるのだろうか?分からない。しかし責任を引き受けた以上、私はやるしか無い。
「そして最後に、カタリナ。私は国民を導くことはできません。既に私は諦めてしまっているから」
マリアはそれ以上何も言わなかった。祈るでもなく、引き留めるでもなく、ただ「見せた」という事実だけを残した。
地上へ戻る階段は、下りよりも長く感じられた。鐘の音は聞こえない。それでも、背中に重さが残っている。
「ねぇ」
教会を出ると、カタリナが声を出した。
「魔力が無いって本当?魔法が使えないってこと?」
「マリアが嘘をついていなければ本当だ。私は魔法を使えないだろうし、使い方もわからない」
私に与えられた役職には、転生特典も無いし、引継資料も用意されていない。あるのは身を引き裂くほどの重圧。
「はぁ…次は均衡保全院だよね…私も着いて行かなきゃ駄目?」
足取りが止まった。普段の彼女からは感じられないほどの低く垂れ込めた声。多分彼女は行きたく無いのでは無い。現実を受け入れるのが怖いのだ。
「強制はしない」
私はそう答えた。
「ただ、もしこの選択で君が不幸を被るのなら私の責任だ。私は全力で君を助ける」
彼女は笑うと、私の横に走って追いついてきた。
「大胆な告白だね。わかった。それじゃ行こう」




