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私が神を否定していたのは、別に信仰が嫌いだったからじゃない。祈っている人を馬鹿にしたことはないし、敬虔な彼らに憧れてすらいた。だって祈りというものは、報われるか分からないのに、それでも差し出す続ける行為だから。
別に神はいないだなんて言いたい訳でもないし、心の本質は物質だと言いたい訳ではない。世俗的ヒューマニズムとはできるだけ距離を置いていたし、フロイト的な解釈が全てに適用されるとは思っていなかった。ましてや、神の存在が非合理的だと思ったためしもない。
ただ私は管理職だった。特別な権限や肩書きがある訳でもなく、明るい未来が待っていた訳でもない。問題が起きた時に「あなたの責任です」と言われる立場なだけだった。
部下の失敗は、私が部下への説明不足によるものです。私の責任です。
上司の判断ミスは、私の調整が至らなかったからです。私の責任です。
会社が不調なのは、私の管理不足が招いた結果です。私の責任です。
それが私の全てだった。だから私は責任を取らない存在を信用しない。神もその一つだった。
神は責任を取ることはないし、取ることはできないと思う。なんせ神は全ての責任の所在であり、神無くして責任は発生しないから。
神託は議事録に記録されることはない。
奇跡は再現性が見つけられない。
救済は他の人を救わない理由にはならない。
だから私は神を否定した。それが私の結論だった。
ニーチェは好きだ。
神を殺した哲学者というよりは、神なき世界に耐え方を見出してくれた人として。
運命を愛せと彼は言った。
起きた事を肯定しろと。
私はそれを自分の都合のいいように解釈していたと思う。
「起きたことは仕方がない」
「だから次の最善を選ぶ」
そうやって感情を処理してきた。処理できないものがあるとも知らずに。
それはなんでもない通常通りの1日だった。
残業で頭が回らないまま、駅のホームを歩いていた。
スマートフォンには、未読の通知が並んでいた。
「すみません」
「至急ご確認ください」
「少しお時間いいですか」
私は息を吐いて、たぶんいつものように切り替えようとした。
その瞬間、足を踏み外した。
落ちる、という感覚はなかった。
ただ、判断が一拍遅れた、という事実だけがあった。
いつもなら気づけたはずの違和感に気づけなかった。
それは怠慢ではなく、疲労だった。
世界が一歩、こちらから引いた。
音が遠のき、重力が曖昧になり、身体が自分の管理下から外れていく。
制御できないものに直面したとき、人は恐怖を感じるらしい。
だが私は、奇妙なことに、恐怖を感じなかった。
「想定外だな」
そんな言葉が、どこか他人事のように浮かんだ。
管理職は、最悪の事態ほど、感情より先に状況を整理しようとする。
原因は何か。
再発防止策はあるか。
誰に報告すべきか。
――誰に、だ?
答えはなかった。
ここには上司も、部下も、顧客もいない。
報告書を書く相手がいない。
責任の所在が、宙に浮いていた。
その瞬間、私は初めて気づいた。
自分が、ずっと「責任」という概念に縋って生きていたことに。
責任があれば、意味があった。
責任があれば、耐えられた。
責任がある限り、世界はまだ、因果で説明できた。
だが今、この落下には、担当者がいない。
承認印も、稟議も、是正計画もない。
ただ、起きてしまったという事実だけがある。
「なるほど」
妙に納得していた。
これが、神の世界なのかもしれない。
説明も、再現性も、議事録もない。
結果だけが、静かに置かれる世界。
それでも私は、最後まで思っていた。
「大丈夫だ」
私は今までこの言葉を何度も呟いてきた。
そうしなければ、立っていられなかったからだ。
そう信じることでしか、明日を迎えられなかったからだ。
そして――
気づいたときには、目の前に光があった。
痛みも、身体も、なかった。




