9.私が玄人である理由
突然の事態に百瀬マリナは動揺した。
(え? 田中玄人……!!)
一番会いたくない病院での遭遇。病気のことは誰にも知られたくない。特に大好きな田中玄人だけには絶対知られたくない。そんなマリナの願いを嘲笑うかのように、神は二人を病院で巡り合わせた。
(逃げなきゃ!!)
咄嗟に思った。逃げる。ただただ逃げる。
マリナは走った。だが体が弱い彼女はすぐに息が上がり、玄人に追いつかれてしまう。
「マリナ、話を聞いて欲しい」
そう口にした彼を見てマリナは胸が壊れるほどときめいた。
(ああん、好きっ!!!!)
もう無理だと思った。
逃げられないと思った。いや、逃げてはいけないと思った。だから伝えよう。彼だけには嘘をつきたくない。自分のすべてを。この絶望的運命を。
「突発性細胞死滅症候群。私、いつ死んでもおかしくないの……」
誰にも伝えていない難病。マリナは心を決めた。
「と、突発性細胞死滅症候群。それって……」
私は驚愕した。また『マリ』を失うのか。またこんなに近くにいるのに大切な人を失わなければならないのか。マリナが言う。
「普段はとても元気なんだけど、突然ね、細胞が死滅していくの。原因不明。治療法も分からない。私ね、死んじゃうんだ……」
公園の片隅。そう私に告げてから両手で顔を押さえ、むせび泣くマリナ。頭が真っ白になった。病院に来ていた彼女。病気の疑いはあったがそんな難病だったとは。
「マリナ……」
私は震えた。本当に無念ながら、攻撃魔法が得意な私には治癒魔法は使えない。そもそも病気を治す魔法など前世でも存在しない。どうすればいい? 彼女に再び転生の禁術を施すか。いや、それはリスクが大きい。何せマリナがまだ『マリ』と決まった訳ではない。
(ならば……)
私はマリナの手を握り、取り出したハンカチで零れ落ちる涙を拭く。そして言った。
「私は最強魔導士クロード・マジシャス。マリ、私を覚えているか?」
賭けであった。もし彼女が『マリ』ならば、この私の言葉に何らかの反応を示すはず。呆然とする彼女に私が続ける。
「私が治してやる。私は最強の魔導士。私に不可能など……」
「ふざけないで!!!!」
(え?)
マリナは握られていた私の手を振りほどき、顔を真っ赤にして言う。
「なんで、なんでそんなふざけたこと言うの……? 私、冗談じゃないよ。本当に死んじゃうんだよ……」
「分かっている! だから必ず私の魔法で……」
「最低っ!!!」
「あっ、マリナ!!」
彼女は泣きながら走り去ってしまった。追いかけることができなかった。体が、脳がそれを拒否した。
反省した。突然の彼女の告白に動揺していた私。治すことなどできないのに、前世の矜持があのような軽い言葉を発してしまった。屈み込み、私が頭を両手で押さえる。
「どうすればいい? 大切なマリナの窮地……」
目を閉じ、何か方法がないかと考え始めた私の脳裏に先ほどの病名が浮かび上がる。
「突発性細胞死滅症候群? どこかで聞いたような名前だ……」
私の脳がフル回転を始める。腕を組み、ある可能性について考察を始める。そして思い出した。
「行けるかもしれない。いや、行けるはず。やってやる!! それが私が玄人である理由」
私は取り出したスマホの画面を見て、ある人物へ電話をかけた。
(私って最低……、罵倒して逃げ出すなんて……)
週明けの月曜の朝。教室にやって来た百瀬マリナは土曜のことを思い出し、心から後悔した。
大好きな田中玄人に会えた。意を決して病気のことも話した。なのに最後はあのような形で終わってしまったことが悔しくて、あれからほとんど眠れなかった。
(でも、魔導士とか魔法で治すとか、さすがにそれはちょっとないかな……)
真剣な悩み。それをまるで揶揄われたような言い方。それでも彼女の玄人への想いは変わらなかった。
(好きっ!!!)
ここに何のブレもない。彼女の病気は突如細胞が死滅を始める病気。なのに皮肉なことに、その細胞が彼を欲しているようにすら思える。
(あっ)
そんな彼女の目に登校してきた田中玄人の姿が映る。彼は何の躊躇いもなしにこちらへやって来て笑顔で言う。
「おはよう、マリナ」
「し、知らない!!!」
マリナはいつも通りの塩対応で教室を出ていく。そう、それはいつも通りの教室の風景であった。
「また逃げられてんのか、田中?」
挨拶をし、いつも通りに百瀬マリナに逃げられた私に級友が笑いながら声をかける。
「うむ。中々難しいな」
「そりゃそうだろ。なにせ百瀬の男嫌いは筋金入りだし、この間『綺麗』とか言ってたろ? ありゃ引くよ。マジで」
「そうか……」
綺麗だと思った女性に綺麗だと伝えるのが難しいこの世界。生前の社交界ではそのような行為は当たり前であり、紳士ならば当然のマナーであった。私は廊下に出て、出て行ったマリナを探す。
「いた!」
しばらく廊下を走り、そして女子トイレから出てきた彼女を見つけた。私が声をかける。
「マリナ! よかった。ここに居たのか」
気のせいか目が腫れている彼女。私は心配しつつ彼女を見つめる。
「な、なによ……」
目を合わせてくれない。だが私は自信に溢れた口調で言う。
「必ず君の病気は治る。必ずだ。だから……」
「ふざけないでよ!!!」
マリナの大きな声。周りにいた生徒たちがこちらを振り向く。マリナが言う。
「馬鹿にしないでよ!! 魔法? 魔導士!? どれだけ馬鹿にすれば気が済むの!!」
「マリナ……」
涙を流しそう叫ぶマリナ。数多の魔物の断末魔を聞いてきたこの私でも、泣き叫ぶ女性への耐性は皆無。あたふたする私にマリナが言う。
「最低っ!!!」
そう捨て台詞を残し再び私の前から消えるマリナ。周りの生徒達が何やらひそひそと話を始める。ひとり残された私にはそんな言葉はもちろん耳に入らなかった。
(最低、最低、最低!! どれだけ私を馬鹿にするの!!)
その夜、自宅に帰ったマリナはひとり枕に顔を埋めて涙を流した。好きだけどあまりにも酷い対応。病気をきちんと考えずに揶揄うような言葉。許せない態度。無責任な言動。普通なら顔も見たくない相手。でも最後はいつもこう思う。
「でも、好きっ!!」
理解しえないけど、それが本音。抗えない何かにいつも心を支配される。
(あれ? なんだか、体が重いな……)
少し体調不良を感じたマリナ。その日から数日学校を休むこととなった。
(なに、この感覚。もしかしてやばいかも……)
平日の昼間。ベッドから起きてきたマリナが体の異変を感じる。日中、ごく稀だが記憶が飛んでしまう事もある。体調変化。もしかして発症したのか。細胞が死滅するという恐ろしい病気が。
「いや、いや……、死にたくない……」
真っ暗な恐怖。想像するだけで体が張り裂けそうになる不安。発症すれば一気に死へと導かれる恐るべき難病。
マリナは気を紛らわせようとリビングに行き、見たくもないテレビの電源を入れる。
プツン……
テレビの電源が入る。だがそこに彼女の意識は向かない。とにかくこの静寂を破壊してくれればなんでも良かった。ただ想定外の言葉そのテレビから聞こえてきた。
『ついにあの難病【突発性細胞死滅症候群】の治療薬が完成しました!!』
「え?」
マリナは耳を疑った。テレビの画面には最近話題になっている美人科学者の藤堂ライカの姿。美しく聡明な彼女が続けて話す。
『長年苦しんできた皆さまに朗報です。もう試験薬は完成しています。我々は医学の大きな一歩を踏み出しました!!』
マリナの目から涙が零れる。
トルゥルゥ……
突如鳴り響くスマホ。それはいつも通っている病院。マリナが応答する。
「はい……」
電話に出たマリナ。相手の医師から驚くべき内容が伝えられた。
『百瀬さん!! 藤堂先生が病気を治す治療薬を完成させました! それでびっくりしたのですが、あなたに最初に使って欲しいと連絡があったんです!!』
「うそ……」
マリナは嬉しさのあまりそのまま崩れるように座り込む。そして溢れ出る涙を必死に両手で拭った。




