43.私はマリを諦めない
マリだった。だが露天風呂で女性の叫び声を聞いた私は、一直線に部屋に戻りドアを閉めた。直後、強い後悔の念に襲われる。
(なぜ逃げるんだ!? あれはマリ。ようやく会えたんだろ!!)
私は再び部屋を出ると、駆け足で露天風呂へと戻った。
「……いない、か」
夢か幻か。もくもくと湯気が立ち込める露天風呂に、愛するマリの姿はもうなかった。
逃げたのか、消えたのか。その真相は分からない。ただ誰もいなくなった深夜の露天風呂で、私は放心したまましばらく立ち尽くした。
「あ、おはよ。お兄ちゃん!」
翌朝、私はベッドに戻ってもほとんど眠れぬまま朝を迎えた。
「なんや、玄人。えらい眠そうな顔やな?」
私の脳裏に焼き付いたマリの姿。思い出すたびに興奮し、眠れるはずもない。既に皆起床し、一番遅くやって来た私を見つめる。
「ああ、慣れないベッドでな。それよりみんなに聞きたいことがある」
眠れぬベッドの中でずっと考えていたことがある。それは単純なこと。
「深夜、誰か露天風呂に入っていなかったか?」
朝食の準備をしていた皆の手が一瞬止まる。そして一堂に首を横に振って答える。
「うちは入ってへんで」
「わ、私も……」
「深夜に起きるなど美容の敵ですわ」
「お風呂? 熟睡だったから入ってないよー」
「お兄ちゃん、真凛と一緒に入りたかったの~?」
誰も入っていないと言う。そんなはずはない。このペンションに外部から侵入することはないだろう。寝る前にしっかり施錠もしておいた。
(誰かが嘘をついている……)
そう結論付けるしかなかった。私は思わず逃げてしまった昨日の失態を思い出し、後悔の念に苛まれる。
「先生~、一体どうされたんですか? やっぱり私と露天風呂に入りたかったんですか?」
そこへ現れた藤堂ライカ。宿泊のせいか艶のある黒髪を後ろでまとめ、いつもとは雰囲気が変わっている。私はため息をつきながらそれに答える。
「そんな訳ないだろう。私は高校生だ。通報案件だぞ」
「は~い、ごめんなさ~い」
なぜか機嫌のいいライカ。私が尋ねる。
「何かいいことでもあったのか?」
その問いにライカが首を振って答える。
「いえいえ、何もありませんよ! ただちょっと色々採取できただけで……」
聞かなければよかった。私はある意味、当たり前に想定される回答を聞き小さくため息をつく。
「玄人ー、さ、ご飯できたよー!!」
青髪のポニーテールのマリエ。今朝は彼女には珍しいエプロン姿だ。私はそれに笑顔で答え、皆でテーブルを囲んだ。
「お兄ちゃん、楽しかったね!」
帰宅の車の中、妹の真凛が笑顔で言った。
朝食後、私達はペンションの辺り皆で散歩した。朝の清々しい空気の中、大きな湖畔をマリ候補たちと歩く。無論、前世でもマリと一緒に歩いた。私には当然その記憶が鮮明に残っている。だが残念ながら彼女たちの中で、私と同じ感覚を共有する者はいなかった。
「そうだな。楽しかったな」
私は真凛の言葉にそう答える。
楽しかったことは事実だ。美しいマリ候補たちと共に過ごしたペンションでの滞在。楽しくないわけがない。ただ残念ながらその『マリ』に繋がる手がかりを見つけることはできなかった。
しかしこの中にいる。私は昨晩、星空の下でひとり露天風呂にいたマリを思い出し、目を閉じる。
(もう一息だ。もう手の届くところまでマリは来ている……)
心地よく揺れる車。私は知らぬ間に眠りについた。
「じゃあ、行ってくる」
「うん、気を付けてね。お兄ちゃん!」
翌朝の月曜日。いつも通りに家を出る私に、いつも通りに真凛が送り出してくれる。
『マリ』を探すための小旅行。楽しかったが、結論から言えば彼女への手掛かりがつかめなかった時点で失敗と言える。
「あ、玄人。おはよー!!」
そしていつも通りに私を見つけたマリエが笑顔で駆け寄って来る。
「おはよう。今日は朝練はいいのか?」
「うん。コーチに少しは休めって言われてね! 昨日疲れたし、今日は休んじゃった」
そう笑顔で話すマリエは美しかった。私は他愛ない会話を楽しみながら学校へと到着する。
「ふん! 今日も私に会えるなんてあなた幸せね! おはよう!!」
「ああ、おはよう。マリナ、今日も綺麗だな」
真っ赤な髪に真っ赤な瞳。そして頬もそれと同じぐらい赤く染めながらクラスメートの百瀬マリナが挨拶する。体調もよさそうだ。私はいつも通りの景色にどこか安堵を覚える。
「お疲れ、万里子。今日も勉強熱心だね」
「あ、先輩。お疲れ様です! 昨日はどうもありがとうございました」
放課後、私は所属している読書部へと足を運ぶ。ここにもいつも通り後輩の万里子が先に来て本を手に勉強を行っている。本当に研究熱心だ。今日も見えない敵の研究に勤しんでいる。
「いらっしゃい……、あ、玄人。来てくれたんか!」
部活が終わり、私は小鞠の顔を見るために彼女がバイトするファミレスへと向かった。
「ああ、小鞠に会いたくてね」
「なんや、やっぱうちのこと好きやんか? はよ決めな。うちにするって」
「ああ、検討するよ」
私は小鞠との会話を楽しみながら、注文した熱いコーヒーを口にする。
(小旅行の計画は失敗に終わった。だがそれはもういい。また次を考える)
マリを炙り出すためなら私は何だってやる。彼女を見つける為なら何にだってなれる。たった一度の失敗が何だ。彼女は近くにいる。マリを失った絶望に比べればこんな状況大したことはない。私は笑顔で送り出す小鞠に手を振って店を出た。
(さて、早く次の手を考えたいところだが……)
帰宅後、夕食を終えた私はリビング座りながらテレビを見ていた。ただ頭の中は先ほど万里子から送られてきたメッセージで一杯になっていた。
【私と、それから一緒の部屋だった小鞠さんは深夜露天風呂には行っていません】
万里子からの情報。これが本当だとすると万里子と小鞠は『マリ候補』から外れることになる。
(そうなると残りはマリエとマリナ。そして真凛……)
私はキッチンで義母と一緒に夕食の片づけをする真凛を見つめる。残り三名の中にマリがいるのか。いや、そもそも万里子の情報を鵜吞みにしてもいいのだろうか。私は悩み、考えていた。
『次のニュースです。今日のお昼過ぎ、自転車に乗った高校生がトラックに撥ねられ死亡しました』
悩み続ける私の耳に、ニュースの声が流れて来る。可哀そうだが今の私には関係のない話。そう思っていた。いや、それは確かに私には関係のない話。ただ後に、このニュースが『マリ』に繋がるきっかけとなることに、無論今は気付くことはなかった。




