42.露天風呂の再会
「さ、うちのこと好きにしてええよ」
月明りのみの薄暗い部屋。温かい布団。その中から金色の髪が美しい小鞠が現れた。完全に油断していた私は、想定外の人物の登場に一瞬体が固まる。小鞠が私の顔に両手を添え、体を近付けて言う。
「何してんの。早く……」
小鞠の女の色香が私を包み込む。近付いて分かる彼女の赤く染まった頬。大胆な行動をとりながらもどこか恥ずかしさを感じさせる表情が、ストレートに私の男の本能を揺さぶってくる。
「ま、待て。小鞠、私は……」
「もう、何ぐちゃぐちゃ言ってんの。ここまで来て男が何もせん訳いかんやろ?」
いや、やって来たのはそっちだろ、と思いつつも私の体は不思議と鉛が付いたように重く、動きが鈍る。小鞠が半目になりながら、彼女にしては珍しい小さな声で言う。
「うち、キスも初めてなんや。優しくしてな……」
そう言って目を閉じ、私の顔に近付く小鞠の唇。ギャル族の魔術か何かは知らないが、私は動かなくなってしまった体に必死に力を入れ抵抗する。
(やむを得ない……)
決断する。
小鞠は可愛く、『マリ候補』のひとりではあるが、まだ確定していない以上このような行為は認められない。彼女がマリでなかった場合、私は浮気をしたことになる。本意ではないが、風魔法か何かで彼女を吹き飛ばすしかない。
コンコン……
そんな追い詰められた私にとって、その訪問者はある意味救いにもなった。
「お兄ちゃん、まだ起きてる? 真凛、なんか眠れなくて……」
私の部屋を訪れた妹の真凛。今夜二人目の訪問者なのだが、彼女がドアを開けた瞬間、部屋の空気が変わった。
「真凛……」
「え? お兄ちゃん……、ひゃ!? な、何してんの!?」
真凛がベッドの上で私に迫る小鞠を見て思わず声を上げる。当然であろう。大好きな兄のベッドの上で、色っぽい女性が迫っているのだから。
小鞠がベッドに座り直し、金色の髪をかき上げ小さく息を吐いて言う。
「あ~あ、鍵かけておくべきやったな。失敗や~」
「こ、小鞠さん!? どうしてお兄ちゃんの部屋に……」
真凛がすぐに電気をつけ、私達の元へとやって来る。そして今更ながら気づいた。小鞠は薄いシャツを着ているのだが、下着をつけていない。本気であったことは間違いなかったようだ。
「なになに? どうしたの??」
私の正面の部屋、その隣の部屋のドアが夜中の騒ぎを聞き次々と開けられる。そして出てきた皆が口に手を当て驚き言う。
「え? なに!? 小鞠さん」
「ど、どういうことなの!?」
「玄人、説明しなさいよ!!」
中には私を悪者扱いする者もいたが、そこは小鞠の一言で名誉は守られた。
「うちが玄人、襲ったんや。まあ、失敗したけどな」
小鞠のこういう性格は嫌いじゃない。嘘は言わないし、ストレートだ。私を陥れることもできたはずだが、決してそんなことはしない。マリナが束ねた赤髪を逆立てながら言う。
「あ、あなた、馬鹿なの!? 女性が男性に夜這いをかけるなんて!!」
「夜這いやあらへん。うちはもう玄人のもんや。ただ愛されに行っただけや」
真面目なマリナはもちろん、大人しい万里子も顔を赤らめてその言葉を聞く。
「お兄ちゃん、不潔……」
「ちょっと待て。私はただ寝ようとしただけで……」
「うちと寝ようとしたんだよな~」
そう言って下着をつけていない小鞠が私の腕に胸を押し付ける。
「不潔です。先輩……」
「いい加減にしなさいよ!! あなた達!!」
結局この騒ぎを収めるのに、何度も同じ説明を繰り返し、皆が納得して帰る頃には私は疲れ果ててしまった。
ガチャ……
私は誰もいなくなった部屋に鍵をかけ、時計を見つめた。すでに日付は変わってしまっている。今日は疲れていたので早く寝たかったのだが、思わぬ騒動に目も冴えてしまった。
(早く寝よう)
私は消灯し、ベッドに潜り込む。ようやくひとりになり、徐々に心も落ち着いてきた。それと同時に『マリ候補』達のことが頭をよぎる。
(一体誰なんだ……)
確実にあの中にいる。私が愛する『マリ』は近くにいる。それは何の根拠もない私の感覚。マリが近くにいると本能が答えを出している。
だが見つからない。皆マリのようだがマリでない。決め手に欠けると言えばそれまでなのだが、私の優柔不断さも影響していることは否めない。
(いっそ誰かに絞る作戦に変えるか?)
例えば一番可能性の高い候補者を選び、告白し、交際を申し出る。受けて貰えれば、例え『マリ』の記憶がなくとも私と過ごす間に昔を取り戻してくれるかもしれない。
(いや、リスクが大きすぎる。そもそも可能性の高い候補者って誰になる?)
可能性は皆残している。
大病を患っていたという点ではマリナの可能性は高い。赤髪、赤い瞳以外はすべて『マリ』のようだ。ただ似ていると言えば小鞠だってそうだ。あの金色の髪はまるで生き写し。会う度に私の心臓が強く鼓動する。
強く鼓動すると言えばマリエだって十分それに当たる。私を見つめる温かくて優しい瞳はまるでマリのよう。優しさで言えば真凛だって同じ。妹だが、それを超えた何かを彼女には感じる。万里子も同様。目立ったことはしないが、彼女が放つオーラは私を安心させる。
「結局、分からずじまいか……」
私は何度も考え、毎回同じ結論にたどり着くこの結果に思わず苦笑いする。マリは何を考えているのか知らないが、決定的な尻尾を私に見せない。この状況を楽しんでいるのか。それとも記憶が曖昧で混乱しているのか。私は改めて彼女を見つけてやれない自分の無力さを思い、深く落胆した。
「露天風呂にでも行くか……」
時刻は深夜2時。すっかり目が覚めてしまった私は、体を温めリラックスしようと思い露天風呂に行くことにした。幸いここは個人ペンション。いつでも温泉が楽しめる贅沢な環境だ。
ガラガラガラ……
静かな露天風呂。月明りのみの薄暗い闇の中に、もくもくと湯気が立ち込める。誰もいない温泉でリラックスしながら明日以降のことを考えるのもいい。
私は出入り口のドアを閉め、掛け湯をしようと温泉に目をやった。
(え?)
私は少し眠かった目をこすってその光景を注視する。
「マリ……?」
もくもくと沸き上がる湯気。露天風呂を囲むように置かれた大きな石。その上に金色の髪をタオルでまとめたマリが背を向け座っている。
私は時間が止まったかのようにそこに立ち尽くした。マリがいる。顔は見えないが、そこに居るのは間違いなくマリ。私の本能が、細胞たちがマリだと叫んでいる。
「マリ、なのか……?」
ようやく絞り出せた小さな声。それに気付いたマリが半分顔を傾け、私を確認する。
「きゃーーーーーーっ!!!」
「え!?」
マリの叫び声。私は動揺し、思わず脱衣所に引き返し、ドアを閉め、衣服を取って走り出す。女性の入浴。叫び声。その特異な状況が私を無意識に行動させた。
バン!!
私は真っすぐに自分の部屋に戻り鍵を閉めた。
幸いマリの悲鳴はここまで聞こえなかったのか、それとも熟睡していたのか誰も廊下に出てくる気配はない。だが私の脳裏にはもうそのことしかなかった。
――マリがいた!!
私の心臓はどくどくとその音が聞こえるほど強く脈打っていた。




