39.マリエの想い
万里子と湖上でのひと時を過ごし、湖岸に戻った私。まあ、ある程度予想はしていたが皆が次々と『私も乗る!』と言って来て、結局一人ずつ全員とボートに乗ることとなった。
ただ、なぜボートの形が『アヒル』になっているかという疑問については、『えっ、普通でしょ』と皆が口を揃えて答え、明確な回答は得られなかった。しかもオールではなく、足で漕ぐタイプ。私の疲労は限界に達しようとしていた。
「玄人、疲れたでしょ? 私が漕いであげるよ」
そんな中、最後に乗った一ノ瀬マリエのその言葉に私は救われた。
「ありがとう。足がもうパンパンだ。助かるよ」
陸上部で体育会系のマリエ。私などよりずっと運動能力に優れている。
「じゃあ、そっち詰めて。座るよ!」
「ああ、頼む」
マリエがボートに乗り、私の前を移動する。だが狭いボート。当然二人は密接し、不意に彼女のお尻が私の顔に当たる。
「ちょ、ちょっと! 玄人、どこ触っているの!!」
「ち、違う! これは当たっただけだ!!」
私とて動けない。そこへお尻を当てて来たのはマリエの方。私は顔に残る柔らかい感触に戸惑いつつ、隣に座るマリエを見つめる。
(青い髪は違うのだが、目の下のほくろはいつ見ても『マリ』だな……)
日に焼けた肌に青髪のポニーテール。外見はそれほど似てはいないが、元気な彼女を見ていると病気で臥せる前の『マリ』に重なってしまう。
「じゃあ漕ぐよ! うはっ、楽しみ!!」
マリエが笑顔になってボートを漕ぎ始める。まるで新しいおもちゃを買ってもらった子供のよう。陸上で鍛えた足に力を入れ、アヒル型ボートが勢いよく水を搔き始める。
「おお、すごいな!」
さすが陸上部。男顔負けの漕ぎっぷりである。
「こうやってさ、玄人と二人でボートに乗るって初めてじゃない?」
幼馴染の『田中玄人』とのことは分からないが、『クロード・マジシャス』としてはもちろん初めてだ。
「そうだったかな。いや、そうかもしれないな」
適当に相槌を打つ私。マリエが尋ねる。
「万里子ちゃんと何かあった?」
私の呼吸が一瞬止まる。そしてすぐに尋ねる。
「なぜ?」
「なぜって、買い物から帰ってきたら万里子ちゃん、全然変わっちゃってたから」
「変わった? そうなのか……?」
マリエが青いポニーテールを風に揺らしながら答える。
「そうだよ。存在がはっきりしたって言うか、今朝から全然目立たなかった万里子ちゃんが、生き生きしてる。すごく可愛い。あんなに急に変化するって理由ってそんなにないんだよ」
「例えばどんな理由?」
マリエが横目で私の顔を見つめながら答える。
「好きな人に、想いを伝えたとか」
「……」
黙ってしまった。『マリ』以外との恋愛経験が皆無の私にとって、この沈黙がどういう意味を示すのかあまり理解していなかった。
「それで見つかったの? 『運命の人』は」
話題を変えてくれたマリエに私はどこか安堵しながら答える。
「いや。まだだ」
「どうやって見つける気なの?」
「それが分かれば私も苦労しないよ」
マリエが首を振って答える。
「呆れた~。それも分からずにこんな美女たちを山奥に連れて来て『人探し』やってるの?」
「……ま、まあ、そうなるかな」
最愛の『マリ』との思い出の地。そこに似た場所に連れて来られれば何か進展があるかと思ったが、今のところ主だった収穫はない。マリエに呆れられるのも当然だ。
「私でいいじゃん」
静かな湖上。マリエのボートを漕ぐ音だけが静かに響く。
「私さ、幼い頃から玄人と一緒だったじゃん。だから、う~ん、何て言うか、玄人がいない感覚ってのがよく分からなくてさ。私も候補者のひとりなんでしょ? じゃあ、なってあげるよ、その『運命の人』ってのに」
「マリエ……」
私は俯き考えてしまった。
確かに彼女といると元気だった頃の『マリ』といるようで楽しい。五分の一の確率で彼女はマリである。だが確証はない。もし仮に他の女性がマリだった時、私の存在意義はなくなる。
(あっ)
そこで私は思い出した。彼女がこのボートに乗って来た時に言った言葉を。
【玄人とボートに乗るのって初めてだよね】
そう、それはつまり前世の『マリ』の記憶がないってこと。以前私は湖で『マリ』とボートに乗った。その記憶がマリエにはない。一時的に消失しているのか、それとも元々持っていないのか。
いずれにせよ今の彼女の優しい言葉に甘える訳にはいかない。
「ありがとう、マリエ。私にとっても幼馴染の君の存在は大切なものだ。ただ、『運命の人』はまだ見つかっていない。必ずこの手で見つけてあげたいと思っている」
足が止まったままのマリエ。私の言葉を揺れがなくなり静かになった湖面を見つめながら聞く。
「そっか。そうだよね。ごめんね、無茶なこと言っちゃって」
「いや、私は……」
マリエはペンションのある湖岸を指さして私に言う。
「あそこまでさ、ここから10秒以内に着けたらさ、私、玄人に伝えたいことがあるの。聞いてくれる?」
言葉が出ない。今のマリエにはどこか形容し難い美しさがある。何者も寄せ付けない美。私はその美しさの前にただただ言葉を失う。
「じゃあ、行くよ! 陸上部舐めんな~!!」
そう彼女は口にすると、一気にボートのペダルを漕ぎ始める。自他共に認める陸上部のエース。本気を出したその脚力は半端なく水を撒き上げながらボートが進む。
ただ、その思いは一歩届かなかった。
「9、10……、11……、はあはあ……」
湖岸からこちらを見ていた皆が、突然勢いよく戻ってきたボートに注目する。アヒル型のボートは岸にゴンと言う音を立ててぶつかり、反動でゆらゆらと揺れる。ハンドルに額をつけ俯いたままのマリエが小さく言う。
「間に合わなかった。あー、間に合わなかった……」
私は美しく垂れた青髪のポニーテールを見つめる。肩で息をするマリエが顔を上げ、私に言う。
「ダメだった! でもまた頑張る。負けたらまた頑張ればいいよね!!」
「うん……」
私は小さく頷きそう答える。それ以上口を開くことはできなかった。口を開けば無責任な言葉が出てきそうで怖い。私の目的は『マリ』を見つけ出し、彼女を抱きしめる。前世で叶わなかった彼女との幸せをこの世界で掴み取る。決してブレてはいけない。私の目的は明確だ。
「マリエちゃーん! すごいね、さすが陸上部!!」
マリエの友達でもある妹の真凛がやって来て、彼女に手を差し出す。マリエもそれに手を差し出しながら答える。
「すごいでしょ? 陸上部のエースだからね。そうでしょ、玄人?」
(!!)
真凛に手を差し出しながら私の方を振り返ったマリエ。その透き通った瞳にうっすら涙が溢れていることに私は気付いた。
「ああ、そうだな……」
そう答えつつも、私は激しく動揺した。
涙目のマリエ。それは病気末期、床に臥せながら私に感謝の言葉を述べ涙した『マリ』瓜二つだった。
――早く見つけなきゃならない
私は強い衝動と共に、私を求める『マリ』を一刻も早く見つけてあげなければならないと強く思った。




