30.新田小鞠は愛されたい。
新田小鞠の父、勝は緊張していた。
突如呼び出された国内繊維最大手のキノセンイの来客室。サラリーマン時代でも全く絡みのなかった大企業。同じ繊維業界ではあるが、一体どんな『難グセ』を付けられるのかと体を震わせた。
ガチャ……
ドアが開かれる。凄腕営業マン時代に着ていたスーツは、独立後の激務によって痩せややダブついている。新しいスーツを買う余裕もない。だが目の前に現れた人物を見て、勝は無理してでも買っておくべきだと後悔した。
(木下社長……)
この業界なら誰もが知るキノグループ社長。言わば雲の上の存在。緊張する勝に、木下が笑顔で言う。
「急にすまなかったね、新田さん。さ、座って」
思わず立ち上がった勝に木下が優しく言う。
「あ、はい。では失礼して……」
汗が噴き出る。緊張で体が震える。一体どんな用だ? 笑顔を作りつつも、内心構える勝に木下が言った。
「お互い忙しい身。簡単に話をするよ。新田さん、今度うちで作る新製品の製造を御社にお願いしたい」
「……え?」
勝は言葉の意味が分からなかった。あの国内大手キノセンイと仕事ができる? 黙り込む勝に木下が言う。
「まだ秘密なのだがクロミジルと呼ばれる夢のような繊維が開発されてね。それを使った商品の実用化にめどが立ったんだ。その製造の一部をお願いしたい。必要なら融資もする。どうかな? 受けてくれるかな」
嘘みたいな話だった。
潰れかけた小さな町工場に、国内最大手からの受注。勝が直角に頭を下げ、即答する。
「ぜ、ぜひお願いします!! ありがとうございます!!」
震えていた。声が震えていたのが分かる。でもなぜうちに? 木下が答える。
「そうか。それは良かった。うちも新田さんが受けてくれないと困るのでね」
「……それは、一体?」
頭を上げた勝が不思議そうな表情で尋ねる。当然だ。何の面識もない、吹けば潰れるような小さな会社。それが突然このような有難い話が舞い込むなんて。木下は少し考えてから言う。
「いやね。まあ、口止めはされていたのだが、ちょっとお伺いするよ」
「はい……」
勝が木下を見つめる。
「藤堂ライカ先生はご存じだよね?」
「はい。ノーバル賞の」
「うむ。その藤堂先生が、『先生』と呼ぶ高校生がいてね。『田中玄人』先生というのだけど、このクロミジルの特許権は彼が持っているんだ」
黙って聞く勝。
「で、その田中先生がクロミジルの特許権を我が社に譲渡すると言ってね。これはとんでもない凄いことなんだけど、その条件が御社『ニッセ』との協力関係を作るということだったんだ」
「うちと、ですか……?」
話の意味が分からない。何の関係もない二社。口を開けて話を聞く勝に木下が尋ねる。
「新田さん。お伺いするけど、田中玄人先生と何かご関係でも?」
勝が考える。営業マン時代、学生時代、独立後。どれだけ考えてもその名前の人物を思い出せない。首を振って知らないことを告げると木下が腕を組み言う。
「そうですか。うちとしては世界と勝負できるような新素材が手に入るのでいいのですが、少し気になりましてね。分かりました。それで、受けて頂けますか?」
勝はテーブルに頭をつけ大きな声で答える。
「お、お願い致します!!!」
その目には涙が溢れていた。
「……ただいま」
その日の夜。いつもより遅く帰宅した勝が古いアパートのドアを開ける。
「おかえりなさい……」
台所に立っていた娘の小鞠が答える。小学生の妹琴音はテーブルで勉強。妻は布団で横になったままだ。小鞠が尋ねる。
「……お父さん、ご飯食べる?」
「ああ」
いつもと様子が違う。小鞠はそう感じた。
「いただきます」
新田家の食卓に並べられた夕食。妻が申し訳なさそうに言う。
「ごめんなさい、あなた。今日も雑炊で……」
いつもの薄い雑炊。今日は焼き魚が一匹ある。勝はそれに小さく頷いて答える。
「大丈夫だ、大丈夫。それよりみんなに話がある」
父親が癇癪を起さなかったことに安堵した琴音の表情が緩む。妻が尋ねる。
「何かしら?」
「ああ。実は繊維の国内最大手キノセンイさんとの仕事が決まった。とんでもない大きな話。うちの会社が大きく飛躍することが決まったんだ」
そう話す勝。妻が興奮気味に言う。
「す、すごいじゃない。あなた!! さすがだわ!!」
喜ぶ妻。妹の琴音も嬉しそうに手を叩くが、そのすごさがよく分からない。勝が尋ねる。
「でも不思議なんだ。俺じゃない。俺が取ってきた仕事じゃないんだ。なあ、お前ら。『田中玄人』って人、知ってるか?」
(!!)
小鞠の箸が止まる。そして見つめる勝の話を聞く。
「口止めされていたそうだが、その田中先生って方がうちと仕事ができるよう話をしてくれたそうなんだ。でも俺、そんな人全く知らないし。なあ、お前ら知っているか?」
母親と妹が首を振る中、小鞠は思わず箸を落としそうになった。そして俯き、小さな声で言う。
「田中玄人、そんな奴、うちも知らへん……」
「そうか。一体、どんな人なんだろうな」
首をかしげる勝。妻が言う。
「今はいいじゃない! それより祝杯を上げましょう」
そう言うと立ち上がり、冷蔵庫に保管していたビールを取り出して言う。
「さ、飲んで! これからの私達の未来のために!!」
「あ、ああ。じゃあ、貰おうかな」
久しぶりに笑顔が戻った新田家。小鞠はいつも食べている雑炊が、こんなに美味しく感じたのは初めてだった。
「玄人~っ、こっちや!!」
その日の放課後。駅前に呼び出された私は、小鞠の姿を見つけて小さく手を振る。金色の髪を揺らし駆けて来る小鞠。その姿は『マリ』を思い出させ、あの頃の幸せだった気持ちにさせてくれる。
「どうした、小鞠?」
レモングラスの甘酸っぱい香りが私を包む。満面笑みの小鞠が嬉しそうに言う。
「あのな。うちの会社、新しい仕事が決まってな。これから上手く行きそうなんや」
「そうか。それは良かった」
私はその言葉を聞き胸を撫で下ろした。
「何が起こったのか知らんけど、なんか魔法に掛けられたみたいやわ。玄人、ありがとな!」
「いや、私は何も……」
小鞠が少し舌を出し、私の腕に手を絡ませながら言う。
「そうやった! これで借金はなくなるみたいやから、ええで。うち、付き合ったる」
「付き合う? どこへ??」
私の腕に小鞠が自分の胸をぎゅうぎゅうと押し付ける。意外と大きな胸。着やせするタイプなのか。戸惑う私の腕を、小鞠が強引に引っ張りながら言う。
「どこって、そんなん決まっとるやろ~」
小鞠はくすっと笑いながら、駅裏の人気の少ない路地へと私を連れて行く。
「さ、どこにしようか~?」
小鞠が頬を赤く染め、私に尋ねる。連れて来られた場所。そこは『HOTEL』と書かれた建物が多くひしめき合う場所。私は首をひねって考えた。
(ホテル? なぜこんな所で宿泊するのか? しかもまだ夕方……)
よく意味が分からなかった。旅の途中の街で宿泊することは当然だが、今は旅ではない。帰って寝ることができる家もある。
まさか体力が減っているのか? 宿屋で回復したいのか。
「小鞠、体力が減っているのか。ここで回復を……」
「なに言ってんるの? ここは体力使う場所やろ」
「ん?」
意味が分からない。体力を回復する宿屋でなぜ消耗するのか? 黙り込む私に小鞠が甘い声で言う。
「なにごちゃごちゃ言ってんの~。うちのこと、好きにしてええって約束したろ~?」
そう言ってなぜか小鞠が大きく胸元を開け、私に見せつける。見事な胸の谷間。ようやくいつもと様子の違った彼女に気付いた私が、慌てて尋ねる。
「ちょ、ちょっと待て。小鞠。ここはもしかしたら『そういうこと』をする場所なのか!?」
小鞠が私に抱き着くようにして答える。
「そうや。うちはもう玄人のものや。ほんま好きにしてええから。あ、でもうち、初めてやから。優しくしてな」
私の心臓が大きく鼓動する。
(そ、それは無理!! 彼女がもし本当に『マリ』ならば何の躊躇もせず襲いかかるが、今はまだ『マリ候補』。その状態で肌を重ねることなどできない)
「す、すまない。小鞠。私はそう言うことはまだ……」
「こんな所で女に恥かかせたらいかんで。うちが行きたいんや。さ、行くで」
強引に私の腕を引き、目の前のホテルへと連れ込もうとする小鞠。私は大量の汗をかきながら必死に拒否する。
「こ、小鞠! ちょっと待て。話をしよう、話を……」
「話なら抱かれながら聞いたる。さ、はよ……」
キキーーーーッ!!!
そこへ突如現れる真っ赤なスポーツカー。それは私をいつも恐怖に陥れるものだが、今回ばかりは違った。
「先生」
窓ガラスから覗く黒髪の美女。サングラスをずらしながら私に尋ねる。
「こんなところで何をなさっているのですか? まさか買春?」
私がすぐに大きな声で答える。
「違う! そんなことするはずないだろ!!」
「え? 藤堂ライカ……??」
小鞠がその人物に気付き声を出す。数々のノーバル賞受賞の彼女は、こんなギャル族の小鞠ですら知っている。ライカが言う。
「先生。キノセンイの会長がお呼びです。今から行きますので、乗ってください」
強引。状況を一瞬で判断したライカらしい助け舟。私は小鞠に申し訳なさそうな顔で言う。
「すまない。ちょっと大切な用ができた。また会おう」
「え? ああ、分かったわ。それなら仕方ないか……」
キノセンイ。小鞠も父親から聞いた大切な取引相手。それを邪魔するわけにはいかない。小鞠がライカの車に乗り込む私に近付き、見つめて言う。
「またな、玄人。愛してるわ」
チュッ……
「え?」
不意のキス。頬へのキス。唖然とする私に、小鞠は恥ずかしそうに小さく手を振って駆けて行った。
「先生……」
「な、なんだ……」
明らかに不満そうな声。助手席に乗った私にライカが冷たく言う。
「あんな子供がご趣味なんですか?」
「ば、馬鹿言うな。子供って、彼女は『マリ』かもしれないし、それに私も今は子供だ」
「へえ~、子供ですか。じゃあ、子供ならこれをつけてください」
ライカはそう言うとバックの中から『赤ちゃんセット』を取り出し、私に差し出す。『おしゃぶり』と『よだれかけ』に加え、なぜか『おむつ』まで用意されている。
「ちょ、ちょっと待て。それとこれとは関係……」
「早くしてください」
有無を言わさぬライカの気迫。
初めてS級モンスターに出会って動けなくなった時のように、私は順応に彼女に従った。




