27.龍ヶ崎相馬の挑戦
国の最高峰の技術が集約する国立科学研究所。その広い敷地の中にある中庭の食堂を兼ねたカフェ。柔らかな木漏れ日がさすテーブルで、昼食を終えた藤堂ライカが食後のコーヒーをひとり楽しんでいた。
艶のある黒髪に眼鏡。若く、そしてその年齢に比例しない功績を持つ彼女に、同じ研究員の誰もがあまり近付こうとしなかった。たったひとり、彼を除いて。
「藤堂先生。こちら、よろしいでしょうか?」
サラサラの金色の髪が太陽の日差しに当たり輝いているイケメン。竜ヶ崎総合病院の長男で、医師ながらこの研究所に籍を置いている龍ヶ崎相馬。ライカはコーヒーカップを手にしたまま見もせずに答える。
「いえ。そちらの席は予約されていますので」
彼女に誰も一緒にお昼を食べる相手などいないことを知っている相馬が笑いながら言う。
「私の予約席はこちらでしたか。どうもありがとう」
そう言って許可なくライカの正面の椅子に相馬が座る。それをむっとした表情で睨むライカ。立ち上がろうとする彼女に相馬が言う。
「田中玄人の件で、お話があります」
腰を上げようとしていたライカが相馬の顔を見て、再び座り直す。鋭い視線。無表情で尋ねる。
「どんなことかしら? 内容によっては私は如何なる手段も取ります」
相馬が金色の髪を色っぽくかき上げ、そして苦笑して答える。
「いや~、怖い怖い。そう怒らないでください。私はね、藤堂先生に確認したかっただけなんですよ」
「私に確認? 何でしょう」
相馬は手にしていた紙コップのコーヒーをテーブルに置き、そして身を乗り出して小声で言う。
「あの田中玄人って高校生。随分先生のお気に入りのようですけど、酷い男でね~。先生のような素晴らしい女性が気をかけるような男じゃないことが分かったんですよ」
ライカは手にしていたコーヒーカップを割れるほど強く握る。
「どういう意味で?」
明らかな怒気の籠った声。相馬が懐から封筒を取り出し、中に入っていた数枚の写真をテーブルの上に並べて言う。
「酷いチャラ男でしてね。ここ数日だけで、ほらこんなに。色んな女性に手を出しているんですよ」
それは玄人がこちらの世界に転生してきてから接近した『マリ活』の女の子たちの写真。仲睦まじく話す男女。抱き着かれたり腕を組んだりしている写真もある。
探偵でも使ったのだろうか。黙ったままじっと写真を見つめるライカに相馬が続ける。
「こんなチャラい男よりさ、藤堂先生。もっと近くに素晴らしい男がいるんじゃないです?」
そう言ってさり気なくテーブルの上にあった彼女の手を握ろうとする相馬。ライカがその手をかわしながら答える。
「問題ないですわ」
「問題ない? こんないい加減な男がどうして……」
ライカが相馬を睨みつけながら言う。
「前にも言ったけど、あなたに彼の何が分かるの? 彼がどんな想いでここにいて、どれだけ必死に頑張っているのか。あなたでは生涯分からないのよ」
みるみる顔が青ざめていく相馬。ライカが続ける。
「この女性たちには意味があるの。ちなみにこの子は先生の妹さんだわ」
腕を組んで歩く真凛と玄人の写真。それを指さしたライカに相馬が言う。
「そ、そんなことはない! じゃあ、先生賭けをしましょう。私が勝つか、彼が勝つか。どうです? 受けますか!!」
「賭け? どうして私がそんなこと」
「負けるのが怖いんですね? やっぱりいい加減な男だから……」
ライカの目じりが上がり、そして言う。
「分かったわ。受けてあげる。どんな賭け?」
相馬が顔を引きつらせながら言う。
「簡単ですよ。奴の化けの皮を剥いでやる。私の仕掛けた女性が彼に接近する。落ちれば彼の負け。落ちなければ私の負けで良いでしょう」
「……いいわ。望むところよ」
相馬がコーヒーの入った紙コップを手に、立ち上がって言う。
「私が勝ったら、そうですね。とりあえず一晩、熱いデートを所望しますがよろしいでしょうか?」
「好きにすれば」
「結構。あ、これは彼には秘密ですよ」
「当然よ。そんな卑怯なことはしないわ」
相馬はくすっと笑いそして言う。
「分かりました。ではお互いの健闘を祈りましょう」
そう言ってウィンクをして相馬が立ち去る。残されたライカは思わずカッとなってしまった自分を少しだけ反省した。
「小鞠。あんた、もっと自分を大切にせないかんよ」
田中玄人が帰った後、母親が布団に入りながら娘の小鞠に言う。痩せた頬、生気のない顔。美しかった母の面影はもうそこにはない。
「違うよ。玄人はちゃんとした奴や……」
小鞠は不思議とそう思えた。ただの高校生。なぜ自分でもそんなふうに思ってしまうのか理解できなかったが、彼と話しているとそんなふうに感じてしまうのだ。言わば客観的ではない小鞠の感覚。母親が言う。
「あんた、見た目は可愛いし、最近体つきもぐっと大人びて来て。それを目当てにな、悪い男が……」
「違うわ!!」
小鞠が顔を上げて反論する。
「玄人のうちへの想いは中途半端なもんと違う!! うち、分かるんだよ。いい加減な気持じゃないって」
「あなたはまだ子供だから何も分からないのよ」
「分かる! うちは……」
母親が涙ぐむ小鞠の頭を撫でながら言う。
「冷静に考えてみて。その大切な高校生に、私らの大きな借金を生涯背負わせるんか? それが彼にとって幸せなんか?」
「……」
深く考えていなかった。いや、考えようとしなかった。ただただ、借金のある新田家を彼が何とかしてくれる。小鞠はそう思うだけで嬉しかった。こちら側に来てくれる彼を肯定したかった。母親が続ける。
「あの子、かなりのイケメンやろ? 弱みを持ったあんたに近付いたんと違う? 『運命の人』やって? 借金抱えた家の娘にどこの男が親身になって助けてくれるのかな。小鞠、騙されたらいかんよ」
小鞠は零れる涙を拭きながら言う。
「違うよ。違うんや……、あいつは本当にうちのこと大切に……」
ギギギッ……
そんな彼女らの耳に、アパートのドアが開かれる音が聞こえる。ゆっくりと開かれるドア。小鞠の父親が青い顔をして帰って来た。母親が立ち上がって言う。
「おかえりなさい、あなた……」
この表情、そして声はかすかに恐怖に震えている。
「……」
無言。皺になったスーツに曲がったネクタイ。身なりを整える気遣いすらできなくなった父親は、テーブルの上に鞄を置くと小さな声でつぶやく。
「また、ダメだった……、くそっ」
怒りと遺恨に父親が体を震わせる。黙って見つめる小鞠と妹の琴音。母親が立ち上がって言う。
「あなた、食事にしましょう……、冷蔵庫に昨日の雑炊がまだ残って……」
バン!!!
「!!」
父親がテーブルを強く叩き叫ぶ。
「またそんなものを俺に食わせるのか!! お前は結婚した時はもっとうまいものを作ってくれたじゃないか!! お前も、お前も俺を裏切るのか!!」
「違うわ……、あなた、そんなんじゃ……」
生活費もままならない現状。凄腕営業マンとして活躍していた頃は生活も安定していた。今とは違う。だがそんなことは口が裂けても言えない。小鞠が言う。
「父さん、うちは雑炊でもいいねん! 一緒に食べよう」
父親がギッと小鞠を睨みつけて言う。
「お前、最近バイト始めたんだってな……」
「う、うん。少しでも家計に助けになると思って……」
震える声で答える小鞠。父親は目を吊り上げて言う。
「お前も俺を馬鹿にしてんのか!? お前も俺を!!!!」
大きな声。怖くて震える琴音の前に立ち、小鞠が首を振って否定する。
「違う!! 違うよ!! うちはただみんなで一緒にご飯を……」
「うるさい!!!」
バン!!!!
「きゃっ!!」
父親は再びテーブルを強く叩くと、勢いよく立ち上がって叫ぶ。
「俺はバカだよ!! 愚か者だよ!! こんなバカが父親で悪かったな!!!」
そう言い残すと父親は四畳半の部屋へとひとり入っていく。こうなるともう出てこない。翌日の早朝に出社するまで部屋に籠ってしまう。
「ううっ、うう……」
琴音が声を殺してむせび泣く。母親も俯き涙を堪える。妹を抱きしめながら小鞠が思う。
(うちはただ、みんなが仲良く昔みたいにしたいだけ……、ただそれだけ……)
変わってしまった家族。原因は分かっている。分かっているがそれは大人の世界。小さな小鞠では何もできない。小学生の妹の頭を何度も撫でながら、小鞠自身、涙が零れ落ちるのを必死に耐えた。




