22.頑張るマリエ
「ふうーっ」
土曜日の午後。私は自宅机の上に置いた『片思い花』を見つめながら深いため息をついた。『マリ』は近くにいる。ただその近さがいつまでたっても縮まらない。半円の形をしたピンク色の愛の花。早くマリに会いたい。
トゥルルル……
ポケットに入れてあったスマホが鳴る。私は画面を見てそれが藤堂ライカだと分かり、再びため息をついてから応答する。
「私だ」
『あ、先生! 今お時間ありますか?』
「ない。じゃあな」
そう言って電話を切ろうとする私に、ライカが慌てて言う。
『ちょっと待ってください! この間のクロミジルの件で……』
ライカの話によればクロミジルの実用化の目途が立ち、国内最大手の繊維会社キノセンイのお偉いさんが私に挨拶をしたいとのことであった。
「面倒だ。君で相手をしておいてくれ」
私は一刻も早くマリを見つけ出したい。様々な『マリ候補』に出会い、データも少しずつ蓄積されている。しっかりと検証する時間も欲しい。ライカがやや困った声で言う。
『ええっと、その、私じゃダメなんです』
「なぜだ?」
こんなどこの馬の骨だか分からない高校生より、ノーバル賞の藤堂ライカの方がいいに決まっている。ライカが言う。
『特許取ったんです。クロミジルの』
「それがどうした?」
『先生の名前で』
「……」
結局私は迎えに来たライカの車で彼女の研究所へと向かうことになった。
「ごめんなさいね、先生。お休みの日に」
「いや、いいんだ」
ライカの車の中。私はいつも通り車高の低いスポーツカーに揺られている。
「マリさんの方は……、どうですか?」
ライカがやや遠慮気味に尋ねる。
「中々上手くいかないかな。近くにいることは分かってるんだ」
「そうなんですか?」
「ああ。マリから『片思い花』が届けられた」
「うん、なるほど」
真っ黒な髪。同じくらい黒サングラスをかけたライカが前を見て運転しながら尋ねる。
「お忙しいそうですね」
「ああ。来週、マリ候補の一人の陸上大会があってね。隣県まで応援に行く予定だ」
一ノ瀬マリエの大会。来週末はもちろん私も応援に行く。
「いいなあ。私も旅行に行きたいです」
「旅行じゃない。マリ候補との距離を縮めるためだ。すべては愛する『マリ』の為……」
そこまで行った私はあることを思いつく。
「旅行……、そうだな。マリと行った旅行と似たような場所に行けば、何か思い出してくれるかもしれないな」
元気だった頃のマリ。私は魔王軍討伐の合間に、彼女を誘ってよく小旅行に出かけた。ふたりだけの時間。本当に幸せだった。
「どんな所に出かけたんですか?」
「そうだな。名前は失念してしまったが、大きな湖があってそこに小さなペンションが建っていてね。マリは随分その場所を気に入ってくれたんだよ」
運転していたライカが私の方を振り向いて言う。
「いいですね!! 私も行きたいです!!」
「いや、マリと行くんだ。お前じゃないだろ」
「そうですね」
本当に理解できない女性だ。色々と世話にはなっているが、決して警戒心を解かない方がいいだろう。
「ちなみにライカ。今何を研究しているんだ?」
「え? 惚れ薬ですけど」
「降ろしてくれ。帰る」
「じょ、冗談ですよー!!」
絶対冗談ではない。間違いなく研究している。私は身の危険を感じつつも、彼女の研究所へと向かった。
「初めまして、会長の木下です」
「お初にお目にかかります。社長の木下です」
私はライカの研究所で繊維会社キノセンイの重役と面会した。超軽量で防火、耐熱を備えたクロミジル繊維は、今後世の中を変える素材として注目されるとのこと。延々とその実用性を語る二人を前に、全く興味のない私は欠伸を堪えるのに必死であった。
「それでですね、こちらが特許使用料として……」
早く『マリ活』がしたい。ただ、クロミジルの特許料として高校生では使えきれないほどの金額が振り込まれると聞いたときはやや嬉しく思った。『マリ活』にもお金がかかる。すずめの涙ほどしかないお小遣いの中で苦労していたのも事実。こればかりは素直にライカに感謝した。
「53,54,55……、お疲れー!!」
週が明けた月曜日の放課後。高校のグラウンドに、大粒の汗をかき、肩で息をする一ノ瀬マリエの姿があった。大会まで残り数日、周りの部員たちの練習にも熱が入ってきている。
苦痛な表情で呼吸をするマリエに、顧問でコーチの教員が言う。
「タイムが落ちてきているな。どうしたんだ?」
「……」
分からなかった。マリエ自身にもここ最近の不調の原因が理解できない。これまでと変わらぬ練習。同じ種目。得意だった長距離走。自己ベストには程遠いタイムを前に、マリエの表情が曇る。コーチが言う。
「体は仕上がっていくと思うけど、大切なのは気持ちだ。何か悩み事や心配事があればいつでも相談してくれ」
「は、はい……」
マリエはそう言ってコーチに頭を下げる。悩み、心配事? そんなものはない。だから分からない。体に不調も痛みもない。なのになぜ伸びぬ。自分はどうしてしまったのか?
「マリエ、もう一本走ろうか?」
心配して声をかけてくれる友人。だが気が乗らない。不思議と足に鎖が付いたように重く、心が練習することを拒んでいるよう。少し休もうと友人の誘いを断ろうとしたマリエの瞳に、グラウンドの端でこちらに気付いて手を振る幼馴染の姿が映る。
(玄人……)
マリエは小さく手を上げ笑顔でそれに応える。そして友人に言う。
「走ろっか!」
マリエは額の汗をタオルで拭い、誘ってくれた友人と共に走り出す。玄人が見ている。幼馴染に恥ずかしいところを見せる訳にはいかない。マリエのギアが一段階上がった。
「玄人~!!」
「うわっ!?」
部活終了後、制服に着替えたマリエは校門で待っていた私を見つけると、勢いよく走りだし抱き着いた。日も暮れかけた夕暮れ。部活動を終えた生徒たちが疲れた顔で下校する中、マリエの顔だけは昼間の太陽のように明るかった。
「マ、マリエ。どうしたんだ!?」
焼けた肌。青髪のポニーテール。運動後にシャワーを浴びていない甘酸っぱい女の色香が私を包む。
「えー、だって玄人が見に来てくれるようになって嬉しいんだもん!」
そう言って微笑むマリエ。私の視線は自然と目の下のほくろに集まり、脳裏にはマリが創造される。下校中の野球部の部員たちが冷たい視線を送る中、マリエは私の隣に立ち一緒に歩き始める。
「調子はどう?」
何気ない質問。マリエは一瞬真顔になり、しかしすぐに笑って答える。
「絶好調だよ! 今日も玄人が来てくれたんで頑張った!!」
そう言ってマリエが私の前で拳をぎゅっと握りしめる。私は元気そうな彼女を見て安堵し答える。
「それは良かった。来週の大会も必ず応援に行くよ」
「うん! 絶対だぞ」
マリエがこちらを向いてニコッと笑う。可愛い。『マリ』の最期はほとんど動くこともなくベッドの上で過ごしており、こんな明るい笑顔も見ることはできなかった。もしマリエが『マリ』ならば、私は何の躊躇いもなく彼女を心から愛すことができよう。
この世界でもう一度やり直す。最強魔導士などと呼ばれ、愛する者との時間を奪われた私。歩んできた道に後悔はないが、それでもマリに対しては懺悔の気持ちがない訳ではない。
「ああ、約束する」
私はマリエが差し出したグーに、同じように拳をグーにしてコンとぶつける。マリエは嬉しそうに、そしてやや顔を赤らめて言う。
「嬉しい。私、頑張る」
私が頷いて応える。
「ねえ、お腹空いちゃった。何か食べてかない?」
安心したのかマリエはお腹を押さえて私に言った。ずっと走りっぱなしの彼女。エネルギー補給は大切だ。マリエは頷く私を、駅前のファミレスへと連れて行った。
「いらっしゃいませ!! 何名様……」
夕刻。暗くなった外とは対照的に明るいファミレス。高校生らで賑わう店内。入店した私とマリエを迎えてくれた店員がはっとした顔で言う。
「君は、ナンパ師の……」
『マリ』を思わす金色の髪。レモングラスのような甘酸っぱい香り。忘れるはずがない。大切な『マリ』候補の一人。
「小鞠……!?」
ギャル族の小鞠。意外な所で遭遇した。




