12.今日も私は『マリ』に翻弄される。
「先生! 藤堂先生!!」
仕事を終え、研究所を出た藤堂ライカに、その眼鏡をかけたサラサラ金髪のイケメンが声をかけた。日もすっかり落ち辺りは暗い。ライカは黒髪を手でかき上げながら面倒臭そうに言う。
「何か御用で? 竜ヶ崎先生」
竜ヶ崎相馬。ライカと同じ研究所に勤めており、彼女の先輩にあたる研究者。彼は突如現れた美人後輩研究者に驚きつつも好意を抱いている。竜ケ崎が手にしたとある雑誌を見せながら言う。
「御用じゃないですよ。誰なんですか、この高校生は?」
彼が手にしていたのはライカと玄人が一緒に入ったカフェが載った週刊誌。竜ヶ崎の顔には不満の色がはっきりと現れている。ライカが答える。
「誰でもいいでしょ? あなたには関係のないことだわ」
そう言って車に乗ろうとしたライカの腕を竜ヶ崎が掴み、真面目な顔で言う。
「僕の誘いは全然受けてくれないのに、どうしてこんなガキと一緒に?」
ライカは掴まれた手を振りほどき苛立ちながら答える。
「あなたには関係のないこと。詮索しないでくれるかしら」
竜ヶ崎が首を振りながら言う。
「ああ、勿体ない。これほどの才能と美貌を兼ね備えた藤堂先生が、こんな何の取り柄のないガキに好意を持つなんて。僕は悲しいですよ」
「何の取り柄もない、ですって……」
苛立ちが徐々に怒りに変わっていく。
「そうですよ。僕はこの国立研究所の有望株で、未来ある研究者。対して彼は一体なんですか? ただの高校生。彼に何ができる? 何か弱みでも握られているとか?」
バン!!!
ライカが車を手で叩いて怒鳴るように言う。
「はあ? いい加減にしてくれませんか!? あなたは彼の何を知っているの? 彼がどんな凄いことをして来たのかあなたは知らないだけ。あなたでは足元にも及ばないわよ、彼の」
「なっ、何ですって!?」
余裕だった竜ヶ崎の顔が屈辱で紅潮する。ライカが駐車場の木を指さして尋ねる。
「なら聞くわ。竜ヶ崎先生、あなた、好きな女性の為にあの木に首を吊って死ねます?」
「は? 何を言って……」
意味が分からない竜ヶ崎。ライカが立て続けに言葉を投げる。
「愛する人の為に自分の命を差し出せる? 誰かの為に死すら恐れずに強大な悪に立ち向かえる? それぐらい人を愛したことはあるの??」
「と、藤堂先生……」
ライカが車のドアを開け、軽く手を上げながら乗り込んで言う。
「彼は私のすべてなの。お先に失礼します」
ライカはそう言うとドアを勢い良く閉め、爆音と共に真っ赤なスポーツカーを走らせた。
バン!!!
竜ヶ崎は走り去るライカの車を見ながら手にした雑誌を地面に叩きつける。
「くそっ!! こんなガキにこの僕が……、許さない!!」
竜ヶ崎は田中玄人の写真が付いたページを踏みつけると、そのまま一人研究室へと戻って行った。
土曜の朝。私は約束の時間より早めに出ようと準備をしていた。何せ知らない場所へ電車で向かうことにまだ慣れない。スマホのアプリで調べればすぐ分かるということだが、私はどうも苦手だ。
「あー、お兄ちゃん。どこ行くの!?」
玄関で支度をする私に妹の真凛が駆け寄ってきて言う。
「ちょっと出かけてくる。留守を頼む」
私は玄関にある全身鏡で身だしなみをチェックし出かけようとする。
「デートなんでしょ!!」
(え?)
私の足が止まる。振り返る私。そこには腕を組み、頬をぷっと膨らませてこちらを睨む真凛が仁王立ちしている。
「違うよ。ちょっと出かけるだけ」
「うそ!! お兄ちゃん、絶対デートだよ!!」
そう言って大きくて、くりッとしたま青い目で言われると、私はどうしても前世の『マリ』に問い詰められているような気分になってしまう。
「違う違う。デートなんかじゃない」
精一杯の返答。だが中学生とは言え、真凛の女の勘は私の想像よりずっと上であった。
「じゃあ、なんでそんなに嬉しそうな顔してるの!? お兄ちゃん、いつも難しい顔してるけど、今すっごく楽しそうだよ!!」
「え? 楽しそう……」
私は鏡に映った自分の顔を見つめる。楽しそう? この顔が彼女には楽しそうに映るのか。確かに万里子と出かけるのは楽しみだ。なにせ『マリ』とは病気になってからどこへも出かけた記憶がない。仮に万里子が本当に『マリ』ならば、私はやはり素直に喜ぶべきだろう。
「……ずるい」
「ん? 何が?」
私は真凛の発した言葉を再確認しようと尋ね返す。真凛が言う。
「私もどこか連れてってよ」
「え、真凛と?」
一瞬戸惑う私に真凛が言う。
「クラスの男子とかによく誘われるんだけど、真凛はお兄ちゃんと出かけたいの!」
(なに!? クラスの男子生徒から誘われているだと!!)
油断していた。まだ子供と思ってあまり意識していなかったが、真凛は純粋に女性として可愛い。学校でモテないはずがない。
「わ、分かった。前向きに検討しよう……」
「はあ? 何それ!? お兄ちゃん、どっかのオジさんみたい」
「おじ……」
確かに中身は高校生ではない。だが26歳のクロードにとって『オジさん』はさすがに滅入る。
「どこか連れて行く。これでいいな?」
「うん、約束だよ!」
私はそう言って小指を差し出してきた真凛に小指を絡めて頷く。義妹とは言え彼女も『マリ』候補。遅かれ早かれ彼女についてももっと知らなければならない。真凛が小悪魔的な笑みを浮かべて言う。
「ねえ、お兄ちゃん」
「なんだ?」
「真凛が誰かに取られちゃうとか思った~??」
「ち、違うわ!!」
私は珍しく動揺し、そのまま玄関を出る。図星。そんな私の本心を知られたくないと、足早に駅へと向かった。
(真凛は中学生。私はロリコンではないが、一体どうすればいいのだ……)
私は電車に揺られながら、真凛が『マリ』だった時のことを想像する。この世界では高校生『田中玄人』だが、中身は異世界転生したいい大人。さすがに無理がある。
(大の大人が真剣に中学生の義妹と一緒になることを考えている。いや、キモイな……)
私は笑ってしまった。五人のマリが私を翻弄する。最強魔導士とは言え、愛する女性の前では何もできないただの男になってしまうのだ。
「あっ」
「あれ?」
そんな私の目に、電車内で立つ艶のある金髪の女性が映る。私が立ち上がって言う。
「小鞠!!」
少し前に通学途中で出会った『マリ』候補の一人。その美しい金髪に、そしてレモングラスのような甘酸っぱい香り。間違えるはずがない。これは『マリ』の香りである。
「あ~、やっぱそうじゃん! この間のナンパ師~」
小鞠は私の顔を見ると微笑んでそう言った。
「えー、誰誰? 小鞠」
「ちょーカッコいいじゃん! 誰なの!?」
小鞠と一緒にいた女友達が私を見て声を上げる。
「えー、分かんない。ナンパ師?? この間ナンパされたの、うち」
「マジ~?」
「いいじゃんいいじゃん。全然OKでしょ??」
私は小鞠に近付き、真顔で尋ねる。
「私はクロードだ。どうだ? 何か思い出さないか?」
小鞠はやや困った表情を浮かべて答える。
「くろーど? う~ん、分かんなーい」
(マリ……)
私はこうして会話しているだけで、彼女の甘酸っぱい香りに包まれマリを思い出す。
「すまない。私は田中玄人。大切な人に似ていたんで、つい……」
「ふ~ん、微妙。ま、いっか。君、カッコいいし。そういうナンパなんでしょ?」
「ああ。私は君のことがもっと知りたい」
小鞠と一緒にいた友達が驚いた顔で言う。
「うわ、ちょー積極的じゃん! 小鞠、乙!!」
「意味分かんないし。ま、いいわ。じゃあ、アドレス交換する?」
小鞠はそう言って持っていたスマホを差し出す。アドレス交換。以前何度かやったことはあるが正直よくやり方が分からない。小鞠はそんな私のスマホを掴み、手際よくアドレス交換を終える。
「うちらこれからカラオケ行くけど、一緒にどう??」
想定外の小鞠からの誘い。行きたい。カラオケとは何だか分からないが、もっと彼女を知りたい。しかしながら今日は同じぐらい大切な約束がある。
「すまない。これから大事な用事があるんだ」
「へえ~、誰とかな~? 君、モテそうだからね」
「い、いや、デートと言う訳では……」
「じゃあ、また今度ね~」
小鞠はそう言うと、到着した駅に降りて消えて行った。
(苗字はなんて言うんだろう。聞きそびれてしまった)
金髪の美しい小鞠。偶然とはいえ連絡先を入手できたのは大きな収穫であった。
「せ、先輩。おはようございます……」
万里子との待ち合わせの駅。驚くべきことに、彼女は約束時間の一時間以上前なのにすでにやって来ていた。
「おはよう、万里子。早いね」
「お、遅れて先輩に迷惑かけたくなかったので……」
黒のボブカットにいつもの眼鏡。麻の帽子にTシャツにデニムのオーバーオール。そう答えて俯く万里子はとても可愛らしかった。私は胸の高鳴りを押さえつつ彼女に言う。
「じゃあ、行こうか。今日は私が教わる日だ」
「は、はい!」
万里子の笑顔。それは間違いなく元気だった頃の『マリ』のもの。今日も私は『マリ』に翻弄される。




